第22話 宣教
「第一回! いろはのロリババア教室!」
ば、と着物の袖を振りながら宣言すると、ぱちぱち拍手が上がった。
「朝っぱらから飛ばしておるな……」
「これで平常運転なんですよね……」
眠そうに目をこすりながら桜お姉ちゃんとリリアさんがぼやいた。
木の格子を嵌めただけの窓から日の光が差し込む。木の香りが強い。広い部屋だが、三十人以上が一同に会すと流石に狭く感じた。好奇に満ちた瞳が僕とロリババアズに注がれていた。
どうしてこんなことをしているかと言うと──。
**********
魔炎のイズラ・フロウの元信者を従えた後。僕たちは今後の方針を話し合うことにした。信者たちはほとんどがこの近辺の地域の出身であるらしい。北方教会から僕の似顔絵を渡され、通りがかった場合捕縛または殺害をするように命令されたとのこと。
「厄介ですね。当面、イズラ・フロウ信仰の盛んな地域にはあまり近寄らない方がいいでしょう」
リリアさんは渋面でそう言っていた。
ともあれ、日も暮れてきたところで落ち着いて話ができる場所に移ろうということになった。信者はラカシュの街で働くものが多いが、家はラカシュからやや離れた場所に建てて、仕事のときだけ向こうに行くのが一般的なようだ。協議の結果、信者の一人の家に行くことになった。リリアさんはつい先刻まで敵対していた相手の家に赴くことに難色を示していたが、結局は折れてくれた。
崖から離れ、北西に二十分ほど歩いた。雑木林を抜けると、家々が立ち並ぶ地域が見えてきた。あたりは薄暗く、家も明かりはほとんど点いておらず、ひっそりとしていた。辺りは田畑で囲まれ、虫の鳴き声が粛然と響いている。
信者に導かれて、畦道を歩く。ややぬかるんだ地面に苦戦しつつ、一軒の家の前に辿りついた。それは木造の、ひどく古めかしい家で、木々の虫食いや腐食を何度も改修した跡が目立った。家自体は一階建てながら非常に広い。いかにも田舎の家、という感じがする。アイルの高級旅館よりも親しみを感じてしまう自分がちょっと悲しい。戸をカラカラ開けて中に入る。蝋燭に火を点すと、闇の中にぼう、と信者の顔が浮かび上がった。手招きされるまま、奥へ足を進めた。板張りの廊下がぎい、とうめきを上げる。
やがて、一つの部屋の前に行き着いた。戸を開けて、部屋の燭台にも火を点す。闇に慣れた目に、いささか眩しい。木の床に布が敷いてあり、奥に布団が積まれている。寝室だろうか。
「昔、この信者の子供たちが使っていた部屋のようです」
リリアさんが信者の言葉を通訳してくれた。
「その子たちは?」
「皆、成人して都会に行ってしまったようです」
「……それはそれは」
寂しげな表情をする信者に、僅かに日本に残してきた父が重なって胸が痛んだ。
部屋の壁に面して、丁度仏壇のように魔炎のイズラ・フロウの像が安置された、一抱えほどの小さな廟堂があった。
「狂信者というからどんな物騒な家かと思ったけれど、意外と普通ですね」
「そうじゃな」
桜お姉ちゃんと話していると、信者はどう思ったのか、おもむろにイズラ・フロウの像を抱えて下ろすと、布に包んで押入れにしまった。主を失った台座が虚しく残される。
フウをちらりと見るが、当人は全く興味なさげに欠伸を噛み殺していた。情緒の欠片もないな……。
さすがにちょっと申し訳ない気持ちになった。リリアさんの通訳を介して、話しかけてみる。
「像、下げなくて大丈夫ですよ。イズラ・フロウ信仰の延長と考えて頂ければ」
信者は首をかしげて考えた後、口を開いた。
「【像を取り上げたり壊したりしないのか】、と彼は聞いています」
「しませんよ。ロリババアの神ローザは掛け持ちもありだそうですから」
信者は驚いたように目を見張った。リリアさんがふむ、と息をつく。
「どうも、彼らにとっては他宗教の神像は壊すのが当たり前のようです」
「……いかにも狂信者らしいと言うか」
「こいつらがどうと言うよりは、拝火教団とやらがそういう風潮なのだろうがのう」
まあ、フウは基本的に信者にあまり興味を持っていないようだしな。気に入った相手にしか話しかけてこなかった結果、人間側が勝手に組織と教義を作ったのだろう。
拝火教団といういかにも怪しい組織は気になったが、信者たちのロリババア教に対する理解の乏しさの方に意識が向いた。
正直なところ、彼らはロリババアに惹かれた訳ではない。命惜しさと、イズラ・フロウがローザに従っているということ、そして彼らの長であるジェドが真っ先に服従を表明したこと、この三点を理由に、その場の雰囲気に流されて転向したに過ぎないだろう。そのジェドにしても、ローザに心酔しているかとなると怪しい。部下を守るため、あえて先頭を切って転向を表明したといったところか。
「フウがこちらについている限り、裏切ることはないでしょうが。折角だからロリババアのよさを知ってもらいたいですね」
呟きながら、ローザの方を見やる。託宣を使用したせいで疲弊したのか、床にへたりこむようにして座っている。さらさらの金髪を梳くように撫でると、もぞもぞ体を動かしてもたれかかってきた。外気に長く晒されて冷えた体に、彼女の熱が染み渡ってくる。その心地よさをかみ締めながら、考える。
「彼らを惹きつけるとなると……まあ、色々手はありますが。そうですね。まずは地道にいきますか」
目を閉じて僕に身を任せるローザを微笑ましく思いながら、僕は呟いた。
この日はそのまま床につき、朝を迎え──そして現在。この家に信者たちを集め、本格的な洗脳……もとい、布教をすることにしたのだった。
**********
車座になって座布団に座る信者たちの中央に立ち、僕は滔々と語りだした。フウとローザが交代で託宣を使ってくれている。
『さて、ロリババアの話をしましょう』
切り出して、居並ぶ信者たちの顔を一人一人眺め回した。
『ロリババアとは何か? この疑問に答えることは容易ではありません。なぜならば広く知られる言葉ではないからです。その明確な定義は定まっておらず、ある人物についてA君はロリババアであると言い、Bさんは否、ロリババアではないと言うような状況は稀ではありません。しかし今は難しい話は省きましょう。要するに体は子供、頭脳はババア。そういう存在をロリババアと呼びます』
あえて僕のロリババアの定義の話は避けることにした。学がなく字を読むことすら困難な彼らには理解しがたいだろうし、そもそもこの世界の住人に合わせた定義ではないからだ。この世界に小中学生はいないし、そもそもこの世界では中学生程度でも成人とみなされる可能性がある。
やはりここは具体例を示すべきだろう。
「桜お姉ちゃん、こちらへ」
「え。儂?」
戸惑いながらも、信者たちの前に出る。
ちょっと寝癖の残る髪を慌てて撫で付けながら目をこする彼女に、信者たちの視線が集中した。
『さて、ご覧の通り彼女の見た目はごく小さな子供です。しかし彼女の本性は大樹の神霊であり、実に一千三百年の歳月を経た老人です』
どよ、と信徒たちがざわめいた。
『さて、ここまで聞いたところで、皆さんは彼女にどんな印象を持ったでしょうか? では、最前列のあなた』
三十がらみの男を指名すると、びく、と身を震わせた。
『どう、って……』
『何でも、思ったことを言って下さい』
『ううむ……。その、失礼かもしれませんが、ちょっと近寄りがたいですな。子供として扱えばよいのか、老人として接すればいいのか、分かりかねます』
『ふむ! 実によい感性をしていますね』
褒めると、『はあ……』と男は目をパチパチとさせた。
『ロリババアの魅力は何と言っても幼さと成熟した雰囲気の融合にあります。見た目はこのように』
言いながら桜お姉ちゃんに抱きつく。「はうわ!?」と不意を突かれたか、桜お姉ちゃんが声を上げた。頬ずりをしながら、
『極めて愛らしいのに、知性と風格に満ちており、包容力がある。このギャップがよいのです。小さな体で一見弱々しそうで、膝に抱えて撫でたくなるのだけれど、調子に乗っていると昔の記憶をネタに散々いじられる。そういった主導権の握り合いが楽しめるわけです。その点桜お姉ちゃんは実に素晴らしく──』
『いい加減にせんか!』
『あたっ』
延々頬ずりをしていたら、桜お姉ちゃんに突き飛ばされた。赤くなった頬を隠しながらそっぽを向く。
『照れた顔もとても可愛いですよ』
『アホ!』
……話がそれてしまった。次に、リリアさんを手招きした。
『お次はこちらのリリアさん。彼女は齢五千歳のハイエルフです』
ほう、と信徒たちが息を漏らした。
『五千歳だと……我らの父祖の何代まで遡ればいいやら』『気の遠くなるような数字だな』『これこそ、何と声をかけていいかさっぱり分からん』『まともな意思疎通がかなうかどうかすら怪しいな』
『そんなに心配することはありません。彼女は非常に理知的な女性ですから、ちゃんと我々のレベルに合わせて会話してくれます』
そっと、彼女の左手をとった。指輪が掌に触れる。
『彼女こそまさにギャップの塊ですね。実直そうに見えて、必要なら卑怯卑劣な手も厭わない。有能そうに見えて、抜けたところもある。清純そうに見えて、ド淫乱──』
『……ちょっと待ってください。最後はおかしいでしょう!?』
「「「「えっ」」」」
僕、桜お姉ちゃん、ローザ、フウが一斉に声を上げた。「皆さんまで!?」とリリアさんが愕然としていたが、驚いているのはこっちである。
『ああ、自覚なかったのにゃ……』『天性の淫乱か……』『救い難いのう』
『ちょ、違います! あれはイロハが……』
『さあ次は──』
『聞いてくださいよ!?』
涙目で僕の腕に縋り付いてきた。うん、残念可愛い。
次は、ローザだ。
『お待ちかね、あなた方の主なるローザです』
『む』
ふよふよ浮かびながら、ローザが胸を張る。
『彼女はロリババアの包容力の体現者です。小動物的な可愛さを持ちながら、他者への深い愛を振りまく。ロリババアの神、ローザは持たざるもの、貧しきものの味方です』
『……。汝、なぜ我の胸を見ながら言うのだ?』
『いや、誤解ですよ。ローザの胸が貧しいですって? とんでもない! この無限に広がる原始の大草原の如き真っ平らな胸、まさに僕好みの──』
『……分かった、我が悪かった』
冷や汗を流しながらローザが言った。
彼女の正面、着物姿で黙然と座る爬虫人──ジェドが、微かに頭を垂れた気がした。
『彼女は新しい概念、ロリババアを司る神です。彼女はイズラ・フロウとは異なり、戦う力は一斉与えません。代わりに、彼女を信仰するものは深い安息を得るでしょう』
男たちが顔を見合わせる。
『安息、か……』『ううむ、イズラ・フロウ様を奉じてはきたものの、我らは所詮農民あがりだしな……戦士の器ではなかったのだろう』『力を得ても教会に騙されてこき使われるばかり、いいことは何もなかった』『信じ続けていればいつかはと期待をかけていたものの、イズラ・フロウ様には拒まれるし……』『安らぎを求めるのは、少し負けた気分になってしまうがな』
肩を落として囁きあう。ちょっとフウの脅しが効きすぎたか?
言葉を続ける。
『彼女はロリババアの神ですから、老化に関する祝福ができます。彼女を信じるものは老化に対する耐性を得て、健康と美容を保てるでしょう』
男たちの反応は鈍い。
『何と言うか……その、地味だな』『うむ。ありがたいのだが、地味だ』『超地味だな』
地味地味言われてローザがしょんぼりした。
翻って、女たちは目の色を変えた。
『ローザ様。あなたを信仰すればいつまでも若々しくいられるということでしょうか?』
『うむ。信仰の度合いにもよるだろうが、恐らくほぼ不老になり、更に望むならば十代の若々しさを保てるであろう』
『是非に! 是非に信仰させてください!』
へへー、と這いつくばって拝む彼女たちに、ローザが若干引いていた。ふむ……。
「と、言うことはですよ。この世界でロリババア教が主流になったら、この世界の全ての女性がロリババアになるということですよね。素晴らしい……! この手でユートピアを降臨させることができるとは! この世界をロリババアで萌やし尽くしてやりたいですね!」
「……。ディストピアじゃろ、それ……」
「相変わらず発想がぶっ飛んでますねー……」
女性信者は案外簡単に取り込めそうだ。迂遠ながら、女性が若さと美しさを保てると知れば、自然男も釣れるだろう。多少の反発はあるかもしれないが、この世界では千年を生きる妖精族が普通に生活しているわけだし、地球ほどには倫理観に抵触しないだろう。
『最後はこちら。言わずと知れた魔炎のイズラ・フロウ、今の名はフウです』
傲然と腕組みしたまま、フウが歩み出る。
『ああ……おいたわしや、魔炎のイズラ・フロウ様……』『あのご立派なお体が、かようにチンチクリンに……』『やはり子供体型よりはボインの方が……』
『……。君たち、胸以外にみるべきところはないのかにゃあ……?』
さめざめ嘆く信者たちに、フウはピキピキと青筋を立てた。
『胸だけなどとんでもない! 私は尻のほうが!』『いやいや、なんといっても腰の括れがだな』『あのむっちりした太ももで踏まれたかった……』
『……』
無言のまま、炎をまとった足を振り上げたフウをローザが羽交い絞めにした。
『いけません、いけませんよ、信者たち。あなた方はロリババアのよさを何も理解していません。こう考えるのです。こんな可愛らしい小さな娘が、あの冷酷な神、イズラ・フロウだったと! こう、征服欲を刺激されるでしょう!?』
ぬう、と男たちが呻いた。
『言われれば、確かに……』『ううむ、神聖な存在を貶めている背徳感があるというか……』『これはこれで』
『……』
再び足を振り上げるフウをリリアさんと桜お姉ちゃんが羽交い絞めにした。
そんなこんなで、ロリババア教室は終了した。彼らがロリババアの素晴らしさに目覚めるにはもう少し時間がかかるだろうけれど──。
「なに、焦ることはありません。ロリババア萌えの毒は少しずつ回ります。あたかも遅効性の媚薬のように……。気付いたときには彼らはロリババアなしではいられない体になっているでしょう。くっくっく」
「どこの悪役じゃ……」
桜お姉ちゃんが呆れた声を漏らした。
外に出て、軽く伸びをする。秋の澄んだ空気が心地よい。暫くそうしていると、ジェドが歩み寄ってきた。
『イロハ殿、少しよろしいか』
『何でしょう』
す、と屈みこんで僕に目線を合わせる。間近で見ると、顔立ちは完全に人間のそれだ。鱗と二股に分かれた舌だけが異彩を放っている。
『この村の長老にして、我々の先代の長であるシャオ・ヤオ様──我々が御方様と呼ぶ方に会って頂きたい』
「はあ」
頷く僕の傍らで、フウが顎に手をあてて『シャオ……?』と小首をかしげていた。
**********
村の中でも一際大きな家まで連れて来られた。数人の信徒も伴っている。玄関で靴を脱ぎ、廊下を歩く。ある部屋の前で、ジェドが正座した。
ジェドが戸を左右にからりと開けて、膝立ちで前に進みよった。部屋の中はボンヤリと薄暗く、中央に御簾を隔てて横たわる人影が見えた。
『御方様。ジェドが参りました』
ああ、と嗄れた女性の声が響いた。
『聞いている。客人を、お連れしろ』
『は』
ジェドが答えて、僕たちを御簾の前まで導いた。人影に向かって、僕らを紹介する。
『こちらにおわすのが、慈悲深く愛限りなきロリババアの神、ローザ様。ロリババア教の教祖、トヨノ・イロハ殿。偉大なる炎の王、イズラ・フロウ様。そして、……お連れの……』
『桜じゃ』『リリアです』
御簾の奥で人影が身じろぎした。
『客人方、このような姿で失礼いたす。病に倒れて以来、起き上がることもままならなんだ。せめて姿なりとお見せしたいが、感染する可能性がありましてな。病除けの結界も、十分とは申せませぬ』
『お気になさらず』
僕が答えると、人影は頷いてごほ、と咳き込んだ。
『ロリババアの神、ローザ様。そしてイロハ殿。この片田舎までよう参られた。お命狙いましたこと、詫びても詫びたりませぬ』
『上司に命令されたのでしょう? なら、仕方ないですよ』
『顔の割に、豪胆な御仁だ』
人影が苦笑するように揺らめく。
『ジェド。近く寄れ』
ジェドが御簾の前まで寄る。
『よく、生きて帰った』
『生き恥を晒しました。命惜しさに、独断で皆を改宗させてしまい、まことに申し訳なく……』
『なに、恥など一つもない。神殺しと相対して生きて帰っただけ、僥倖だ』
『は……』
『上層部からの命令、進むも退くもお主らの死と覚悟しておったが、神は我らを見捨てなんだ』
ちらり、とジェドが振り返り、フウを見やる。無言で、フウがずかずかと歩み寄り、御簾の前でしゃがみこんだ。
『偉大なる炎の王と言葉を交わせるとは、それがしにとっては望外の幸福』
『世辞はいらんにゃ、シャオとやら。君たちの上の連中は何を考えてイロハを襲ったのにゃ?』
咳き込んだのち、掠れた声でシャオは言った。
『建設的なことは、恐らく、何も。彼らは教団が解散することで地位を失うのを恐れています。イロハ殿を襲わせたのは、腹いせが半分。もう半分は、敵を定めることで、神の喪失で動揺する信徒たちをまとめあげ、打開策を講じるのに少しでも時間を稼ぐためです。彼らの頭を占めるのは、その場しのぎの誤魔化しと浅ましく愚かな権力欲だけ』
『……』
フウの機嫌が目に見えて悪くなった。い並ぶ信徒たちが冷や汗を浮かべる。激情を爆発させるかに思われたが、フウは何も言わず後ろにさがった。
シャオの意識が再びジェドに向けられる。
『思うに任せぬこの身が疎ましい。それがしも随分なまくらになったものだ。壮健ならば、奴らの素っ首、かっさばいてやるものを』
弱々しく呟いて、再び強く咳き込む。
後ろから信徒たちが耳打ちしてきた。
『御方様は、ジェド殿の育て親にして、我々信徒たち全ての親代わりでもあります』
『遠き西方より、流れに流れてこの地まで来たと聞きます』
『若き頃は魔炎の尖兵として勇名を馳せたものですが、病には勝てず……』
『不治の病なのですか?』
『いいえ。高度な治療を受ければ……しかし如何せん、それほどの大金は有りませぬ』
『この上は商人の身ぐるみを剥いででも……』
『滅多なことを言うな。護衛に返り討ちにされるのが関の山だ』
『所詮、農民上がりの我らでは……』
口惜しげに呻いて、彼らは唇を噛んだ。聞き付けて、シャオが小さく笑声を漏らした。
『余計なことを考えるな。子を苦しめてまで生き長らえる親がどこにいる』
苦し気にシャオは身をよじった。咳き込む吐息に濡れた音が混じる。御簾の一部が赤く染まった。
『義母上! 血が……』
『寄るな!』
御簾に伸ばしたジェドの手がびくりと震えた。
『皆も聞け。それがしの後任はジェドに。お主らの新たなる神、ローザ様を讃え、ただこれのみに仕えよ。権力に屈するな。教会の異端を問え。大義は我らにある。以上』
『御方様……』
『滅多なことを仰いますな。まるで遺言のような。まだです、まだ……』
部屋は重苦しい空気に包まれた。そこかしこですすり泣きが聞こえた。
僕はこっそりローザに耳打ちした。
「彼女、治せませんか?」
アイルの街で拝みに来る老人たちを癒していたという話を聞いたので、駄目もとで聞いてみると、
『見たところ、労咳だな。大分篤くなっているが、この程度なら、治せる』
とあっさり頷いた。えっ、と信者たちが固まる。
ローザはふよふよ浮かんでシャオの前まで行くと、御簾ごしにその手をとった。
ジェドが慌てた様子で僕の側に寄ってくる。
『い、イロハ殿、その……』
『ジェドさん。病気は治すことができるそうですよ。ただ、ローザの力をもってしても、老いを劇的に食い止めるのは難しいかもしれないですが……。あまり期待をさせてしまうと申し訳ないです』
ジェドは言葉に詰まった。その様子は悲壮でも歓喜でもなく、なぜだか恐れに近い印象を受けた。彼の大柄な体は小刻みに震えている。
『ひ、非常に申し上げづらいのですが……。イロハ殿は一つ、勘違いをなさっておいでです』
『勘違い?』
『私たち爬虫人は、人間と比較すると特殊な生態をしているのです。男が短命なのに対し、女は脱皮を繰り返し、非常に長命です。義母上は、別に老いているから弱っているわけではないのです。彼女たちの本来の寿命たるやエルフよりも長く、最たる死因が戦死と言うくらいで……その、』
ああ、ジェドの育て親と言うくらいだから相当高齢で、体が弱っているのは老いのせいもあると勝手に思い込んでいたけれど、違うのか。けれど彼が恐れを抱いている理由には繋がらないと思うのだけれど。
妙に歯切れ悪く、ジェドがもごもごと口を動かす。周りの信徒たちは顔を真っ青にしていた。いま一つ状況が飲み込めない。なんで病気を治すことが怯えることにつながるんだろう?
首をかしげる僕に、ジェドは振り絞るように言った。
『いえ、何と言いますか……。彼女たちは極めて、獰猛──』
言い終わらぬうちに、ローザが御簾から身を離した。御簾の奥からふむ、という声が漏れ出る。次の瞬間、御簾が細切れになってバラバラと舞った。ぞろり、と小さな人影が身を起こす。ヒィ、と信徒たちが互いに抱き合って悲鳴を上げた。
『実に、いい。爽快だ』
ハスキーな声と共に、塗れるような暗褐色の瞳が僕を捉えた。
『お主が、イロハか』
その人物は、小柄だった。身長は僕の肩ぐらいまでしかない。僕と桜お姉ちゃんたち、五人と比べても最も背丈が低いだろう。肌のそこかしこを緑の鱗が覆い、黒髪を後頭部で束ねている。身にまとう服は白一色で、外見は中国の道服に似ていた。見た目は幼女だが、その目には獣のようなぎらついた光が宿り、その両手には刀身を黒く塗りつぶした刀が一本ずつ握られている。
にぃ、と鋭い犬歯をむき出して威嚇じみた笑みを浮かべ、彼女は僕に歩み寄る。
『いかにも。僕が豊野いろはです』
『それがしが、恐ろしくはないのか』
『ふむ?』
問われて、彼女の体を眺め回す。顔立ちは、人間の幼女そのもの。獰猛な笑みに、小柄な体。全身からは漲るような生命力を感じる。
『失礼ですが、御年は?』
『数えで、二百と三十』
『中々お若い』
『はは。こやつ、言いおるわ』
僕はぎゅ、と握りこぶしを作った。
『素晴らしいロリババアです! 抱きしめたいですね!』
ぶ、と信徒たちが一斉に吹き出す。シャオは呵呵と笑った。
『はははは! 愉快な男だ。お主、それがしを娶れ』
『喜んで』
即答を返すと、ごふ、とジェドが致命打を受けたような声を漏らした。
『義母上!? な、何がどうしてそんな話になるんですか!?』
『それは、そうだろう。それがしを前に動じない男など、そうおらんぞ。それとも何か、生涯独身でいろとでも言うつもりか。母離れができんやつめ』
『そういう話ではありません! 節操や自重というものをですね……!』
ジェドの必死の抗議もどこ吹く風で、シャオは彼の肩をばしばし叩いて笑った。
『喜べ、ジェド。弟か妹をこさえてやろう。欲しがっていただろう?』
『何十年前の話ですか!? と言うか聞きたくないです、そんな生臭い話!』
『はっはっは。幾つになっても子供だな』
『ぬがああああああ! う、く……胃が……』
笑うシャオに、腹を押さえて苦悶するジェド。
二人の様子を見て、桜お姉ちゃんとリリアさんが沈痛そうに顔を伏せた。
「かわいそうにな……いろはと関わったばっかりに」
「トラウマにならなければよいのですが……」
ひどい言われようだ。
ひとしきり笑った後、次にシャオは部屋の隅でがたがた震える信徒たちを怒鳴りつけた。
『貴様ら、何だその体たらくは!? 神の御前だぞ!』
『ひいいいいいいい!?』
慌てて這って逃げようとする彼らを踏みつけ、どす黒い笑みを浮かべた。
『どうにも修練が足らんようだな。折角だ、みっちりしごいてやろう』
信徒たちの絶望のうめきが重く響いた。
『ううむ……。まあ、なんだ。元気になってよかった……のか?』
ローザが何とも言えない表情で首をかしげた。
フウがピコ、と耳を動かした。
『ああ、思い出した。どこかで聞いたことがあると思ったにゃ。刀仙シャオ、千骨のシャオか』
「千骨?」
『獰猛苛烈な爬虫人の戦士で、築いた屍の山は数知れず。殺した相手の頭蓋骨を抉り取って束ね、首飾りにしたことから、千骨と呼ばれるにゃ』
何その中国の妖怪か魔人みたいな人。怖い。
「あなたが好みそうな人だと思うんですが。声を掛けなかったんですか?」
『いや……。なんかあんまり話が通じなさそうでにゃ……』
「あー……」
話している間にひとしきり信者たちを踏みつけて満足したのか、シャオがフウに向かってずかずか歩いてきた。がし、と手をとる。ぱっと見、幼女が少女の手を取っている微笑ましい図なのだが、なぜか恐竜が獲物に襲い掛かっているようなイメージが浮かんでくる。
『魔炎のイズラ・フロウ様! お会いできて光栄にございます。この出会いを祝して、一万人の生贄を蝋燭代わりに燃やし、一万歳の誕生日を祝い申し上げましょうぞ!』
『……いらないにゃ』
『はっはっは! 遠慮召されるな!』
面倒くさそうに言うフウに、シャオは握手した手をブンブンと振って答えた。……なるほど、話が通じない。しかも超怖い。
最後に、シャオはローザに向き直った。
『偉大なるロリババアの神、ローザ殿。我が子らの命を奪わずに置いて下さったこと、感謝いたします。そして、それがしの病を払ってくださったことにも、重ねて感謝を。我ら火の里の住人五十幾余、あなたの耳目となり手足となり仕えましょうぞ! さあ、手始めにどこを滅ぼしますか。下知を!』
……何で滅ぼすこと前提なんだ。
ローザは若干引き気味に答えた。
『いや、我は愛の神であるゆえ……。積極的に、どこかを滅ぼそうという気はない』
『なるほど! 今は雌伏して力を蓄え、来るべき戦に備えよ、そして時勢を見て敵を殺しつくせ。そういうことですな!?』
『……』
駄目だこの人話を聞いていない。ザ・脳筋か。病身のほうがマシってどういうことだ。
『さあ、そうと決まれば早速特訓だ! お主ら何を這いつくばっている、立て! どれだけ腕が鈍っているか、お主らで試してやろう!』
悲鳴を上げる信徒たちを引きずって、シャオは楽しげに外に出て行った。後に残された僕はうーん、と唸った。
フウがク、と皮肉げに口の端を持ち上げる。
『箴言を一つくれてやるにゃ。死は救いである──少なくとも、残される周りの人間にとっては』
いやあ、信徒たちも本気で怯えているわけではない……と、いいんだけどなあ。
信徒たちのロリ体型への食いつきが悪いと思ったら、彼女が原因の一端になっているのか。彼らがロリババア萌えに目覚めるのは難しいかもしらんね。
**********
夜。信者たちが用意してくれた料理を食べた。麦飯と山菜中心の質素なものだったが、素朴で美味しかった。
食後、卓を囲んで、桜お姉ちゃん、リリアさん、ローザ、フウ、そしてシャオさんが頭を突きあわせて会議している。
「実際問題、どうじゃ? 大規模に一宗教に対し乗っ取りを仕掛けるとなると、反発が強そうじゃが」
『他の神々からの反発はさほどあるまい。むしろ好戦的な拝火教団を抑えることは喜ばれるだろう。気になるのは新しい炎の神だが、さえずりのラーツェ曰く穏健派との話だ。問題なかろう』
「厄介者なのは戦争屋ですね。彼らのほとんどはイズラ・フロウ教徒です。なぜならばこの世界では、『イズラ・フロウが殺戮を望んでいる』というのは、それだけで戦争を仕掛ける口実になりますから」
「つくづく物騒な世界じゃな。根回しできるか?」
「難しいですが……。大国ながら、戦争続きで厭戦的な雰囲気が蔓延している国も少なからずあります。その地域を優先して布教するとよいかと。その間に、ハイエルフの知人を介して他の国にも渡りをつけてみます」
「肝心の元イズラ・フロウ教徒たちは、どうじゃ?」
『ボクがローザに心服したと表明しておけば、多くはそのままローザの信徒になるはずにゃ』
「ふむ……。分派でも形成するのかと思ったが、違うのか。神が実在する世界の事情は分からんな」
『そこまで大層な話じゃないにゃ。シャオの話を考慮すれば、ボクの元信者のうち、特に高位の司祭なんかは既得権益を失うのを恐れているにゃ。ボクが望んでローザに従っていると知れば、ローザにあえて楯突くよりも、服従して利益を得ることを求めるはずにゃ』
「俗な話じゃな……」
「上層部を引き込めれば、教団を吸収するのは容易でしょうね。尤も、その後再編成で揉めるでしょうが」
『にゃあ。上層部にいたやつには適当な閑職を与えて封じ込めて、ゴネる奴は容赦なく破門すればいいにゃ。破門されれば教団内での地位を失うから、切り札として使えるにゃ』
「その線で行くか」
物凄くやり取りが速くてほとんど話に付いていけない。が、まあ、要するにしっかり準備してうまく布教しよう、ということだろう。
「布教に当たって日本語を共通言語に使うという話じゃが……」
「考えてみれば、そこまで悪くないかもしれません。国ごとに言語が違う中で、教典用の言語を定めれば信者の結束を促せるでしょう」
『教育は、どうするのか』
「取り敢えず、私がこの村の住人に一通り教えてみます。シャオさんに協力を仰ぎましょう」
リリアさんが何事か言うと、シャオさんはこくりと頷いた。
「そうそう、常冬の魔女は最果ての山にいるという話でしたね。あの山はここから更に北方、シシファを抜けて魔人領にそびえています。魔人はその生態から、火の神を拝むことはほとんどありません。当面、身を隠すにはよいでしょう」
『では、数日信徒の教育と旅の準備に当てて、それから旅立つか』
『それがいいにゃ。信徒たちは、ジェドを筆頭にして別行動させて、教会を吸収させるにゃ。何かしら、ボクの魔力を込めた道具でも持たせれば、ジェドたちが魔炎のイズラ・フロウの加護を受けて活動していると知れるはずにゃ』
「異端審問ですか。ふふ、この私が神の手先とは。なかなか面白い展開になってきました」
「うむ、実に」
五人が不敵に笑う。……何か最初呆れていた割には、結構ノリノリだな。
話し合いが終わって、桜お姉ちゃんが立ち上がる。肩を回して伸びをした。
「今日は妙に疲れたのう」
「村の西に温泉が湧いているという話を先ほど耳にしました。行ってみますか」
「お、いいのう。何だかんだで、先のラカシュではあまりゆっくりできんかったからの」
二人連れ立って、温泉につかりに行った。
『ボクはもう寝るにゃ。託宣でかなり疲れたにゃ』
ぱたぱた尻尾を振ってフウが立ち去る。
シャオさんは僕に向かって手を振り、同じく立ち去った。
後には僕とローザが残される。
『いろは。少し、話をせぬか』
ぽんぽん、と自分の隣を手で叩いて、ローザが座るよう促してきた。誘われるまま、隣に腰掛ける。金の髪がさらりと視界をよぎった。僕の肩に頭を預け、腕を絡めてきた。
『汝は、おかしな男だ』
「そうですか?」
『そうだとも』
僕の鼻の先をローザの指がつついた。
『この世界をロリババアで萌やし尽くしてやる、か。なんて──』
ふふ、と笑った。
『何て、馬鹿馬鹿しいんだ! あははは!』
無邪気な子供のように朗らかに声を上げる。
『ふ、ふふ! そんなこと、考えてもみなかったぞ! ふ、ふふ、あはははは!』
「そこまで笑わないで下さいよ」
口を尖らせて抗議すると、ローザは目じりに浮かんだ涙を拭いながら済まぬ、と呟いた。
『そんな怖い顔をするな。抱きしめたくなってしまうだろう』
言いつつ、既にその手は僕の首に回されている。僕の耳元で甘い息を漏らす。
『フウは汝のことを邪悪と評したが。我はそう思わぬ。汝は子供のように、自由で、無邪気で、気ままな男だ』
背中に腕を回すと、甘えるように鼻を鳴らした。
暫く、薄暗い部屋の中でそうして抱き合ったまま、温もりを分かち合った。虫の声が侘しげに闇を渡る。
不意に、ポツリとローザが囁いた。
『いろは。我に最初に言ったこと、覚えているか?』
「最初? ……ああ」
『もう一度、言ってくれぬか? 今度は本気でな』
「あのときからずっと、僕は本気でしたよ?」
『ならば、あの時よりも気持ちを込めて、だ』
潤んだ真紅の瞳に魅入られて、心臓が早鐘のように鼓動を打った。流石にかなり恥ずかしかったが、言葉を振り絞る。
「愛しています、ローザ。結婚してください」
僕の言葉に。
ローザは幸せそうな笑みを浮かべると、
『……喜んで!』
熱い塊が口に押し付けられる。情熱的な吐息を感じた。僕の髪を撫でる手が官能的な調子を帯びる。
今日の夜も長いものになりそうだった。
ロリババア教の話はひとまずこれで一区切りで、次からは魔女に会うため山に向かう話の予定です。
スレ○ヤーズやらオーフ○ンやらスクラッ○ドプリンセスやらセイバーマ○オネットやら封仙娘○追宝録やら、初期の富士見ファ○タジアの各地を放浪して騒動を起こすみたいな展開が個人的に好きなので、基本的に定住はしない方針です。




