第14話 大敵
起き出してきたリリアさんとローズは、抱き合う僕と桜お姉ちゃんを見て生温かい笑みを向けた。……何か腹立つ。
『もう少し声は抑えた方がいいと思うぞ、いろは』
「黙りなさい!」
きっ、と睨みつけると、ローザは笑みを深めた。一方、リリアさんはすまし顔を取り繕ったが、耳は興味深げにピコピコと揺れていた。
「全く……昨夜は大変だったんですから。いろいろな意味で」
盛大なため息を一つ、つく。首を傾げるローザとリリアさんを半眼で見ながら、言った。
「魔炎のイズラ・フロウが接触してきました」
その一言に。リリアさんとローザは顔を強張らせた。
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焼き魚、白米。漬物が少々。小魚と貝の佃煮。野菜とカマボコのお吸い物。野菜数種の煮物。
朝食をとりながら、昨夜のことについて話した。
精神の世界に、イズラ・フロウがやってきたこと。イズラ・フロウが僕に興味を持っているらしいこと。ロリババアがいかに素晴らしいかを説いたところ、感涙したこと。僕に読心の力を与えて去ったこと。
「……いや何でさらっと脚色混ぜてるんですか。ロリババアの話に感涙するわけないでしょう」
リリアさんが半眼でつっこんだ。……おかしいな、何故バレたんだろう?
『……読心だと?』
ローザは唸るように言った。
「ええ。精神への侵入、という祝福です」
『碌でもないものを……。害悪でしかない。確かに対象の心を読むことは出来るが、使い続ければ徐々に自身と対象の精神が溶け合い、最後には自他の精神が複雑に絡み合った廃人の群れになる』
……想像以上に最悪な祝福だった。むしろ呪いとかそういう部類だろう。
『イズラ・フロウが好んでする祝福だ。あれは気紛れに下界に介入し、魂を弄ぶ。特に強い意志を持ち、生真面目な者を気に入る傾向がある。そういったものに力を与えて、徐々に堕落させ、壊れて行く様を楽しむのだ』
「気紛れで残酷な神々の中でも、悪辣さ、凶悪さにかけては人後に落ちません。戦争屋に崇められるせいで有力な神となっていますが……。他の神との折り合いも最悪です」
聞けば聞くほど嫌な神だ。ローザが邪神と言ったのも頷ける。脳裏に浮かぶのは、イズラ・フロウの一見親しげな笑み、そしてその奥に垣間見える邪悪な本性。
「ついてないですね……。そんな面倒くさいのに目をつけられるとは」
天を仰いで嘆く。正直あまり関わり合いたくないが、向こうからちょっかいを出してきた以上、早急に手を打たないと命が危ないのも確かである。
「問題はやつに対してどう対処するかじゃな」
顎に手を当てながら、桜お姉ちゃんがリリアさんとローザを見やった。
「やつを殺害することは可能なのか?」
桜お姉ちゃんの声が低められ、ぞっとするような剣呑さを帯びた。僕の傍らに置かれた妖刀が、戦いの気配を察したのか「斬るの!? 斬るの!?」とばかりカタカタと震えた。犬か。
リリアさんは妖刀をちらりと見ながら、咳払いをひとつした。
「極めて、困難かと。前述の通り、イズラ・フロウは極めて強大な神です。例え奇襲できたとしても、我々では勝ちは万に一つも有り得ません」
妖刀は「……斬らないの?」と言うようにぴたりと動きを止めた。心なしか、しょんぼりしたように見える。犬か。
この世界に来てからこのかた、まともな戦闘というものをしていないのだが、果たしてこの刀を使う機会はあるのだろうか。部屋の隅で埃をかぶりつつある皮鎧をちらりと見ながら、僕はちょっとやるせない気持ちになった。
まあ、それはともかく。今はイズラ・フロウをどうするか、だ。
桜お姉ちゃんは質問を重ねた。
「イズラ・フロウを何か……例えば像に封印することは?」
『む……。像を依りしろとしてイズラ・フロウを顕現させることぐらいならできるとは思うが。封印となると、厳しい。神を封じられるようなものとなると、それこそ同格の神か純血の魔族が作る魔道具が必要になる』
「昔のツテを頼りに探してみましょう……あまり期待されても困りますが」
渋い顔のローザに、リリアさんも渋い顔で返した。桜お姉ちゃんは少し首を傾げた。
「像に顕現させただけでは力は弱められんのか?」
『無理だ。受肉、顕現というのは、要するに、遍在している神を局在化させるということに過ぎぬ。我は受肉することで、今ここに局在しているが、力の大小が変わることはない』
「像から……少しの間でも出て行きにくくすることは?」
『それくらいなら……術を使えばできる。ただ、あまり意味がない上に長くはもたぬ。もって、半日か』
「像に顕現させた状態で像を壊せばどうなる?」
『どうにもならぬ。イズラ・フロウは何事もなく出て行くだけだ』
ううむ。
「封印も厳しそうじゃな」
『名前を奪えれば一番いいのだが』
「名前を奪う方法は?」
問う桜お姉ちゃんに、ローザは僅かに顔を顰めた。
『二つある。一つ目は、本人が自ら名を捨てること。二つ目は、他の神が戦いを挑み、勝利すること。我は──前者によって奪われた。人間たちを人質にとられ……。直接奪えばいいものを、あの女は……! 思い返しても虫唾が走る……!』
激怒を示すように、ローザの金髪が揺らめいた。
「洗脳することはできんのか? 例えばそこの妖刀のような、使い手を侵食する武具をもたせて、自分から名前を捨てさせるよう仕向けるのじゃ」
『無理であろう。洗脳は普通、意志に依存して抵抗できる。6000年前の時点で、イズラ・フロウの意志は300を超えていたはず。今は400に届いているかもしれぬ。こと意志に関して言えば、現状間違いなく世界最高クラスだ』
「むう……。やつは獣人の神なんじゃろ。獣人の弱点をつくことは?」
『イズラ・フロウは確かに獣人種族が崇める神だが、やつ自身は獣人出身ではない。我と同じ火炎の眷属だ。だが概念の炎であるイズラ・フロウには、水が一切効かない。弱点と言える弱点は無いな』
次々と手が潰されていく。三人とも、語るべき言葉を持たず、口を閉ざしてしまった。息絶えるような沈黙が降りた。
その中で、僕は。決然と、ローザを見据えた。
「イズラ・フロウを降臨させることはできるんですよね?」
ローザは微かに眉をひそめたが、頷きを返した。
『うむ。決闘に近い形になるが、強制的に呼び出すことは可能だ。ただ、儀式のために触媒が幾つかいる。それと星辰を揃えるために、多少日を選ぶ必要もある』
「いつ、できますか?」
『諸々準備も含めて、最短で二日後の夜。それを逃すと来月だ』
「思ったより、近いですね」
僕の言葉に、リリアさんはぎょっとしたような表情を浮かべた。
「……呼ぶつもりなんですか、魔炎のイズラ・フロウを!? 戦いになるんでしょう、勝算は!?」
僕は慎重に答えた。
「正直、賭けになります。けれど、不可能ではないはずです」
「具体的にはどうするのじゃ?」
「……言えません。きっとイズラ・フロウに聞かれていますから」
『ぬ……』
三人が顔を見合わせた。強い苦渋が浮かんでいる。制止したいが、代替案もない。そんなところだろう。
失敗すれば、イズラ・フロウの反感を買って殺されるかもしれない。あるいはもっとひどいことになるか。だが座して待っていても結果は変わらない。それどころか、状況が悪化する可能性もある。待つのは、性分ではなかった。
僕は三人の顔を順番に見回して、宣言した。
「二日後。魔炎のイズラ・フロウを倒します」
**********
昼前の街は喧騒に満ちていた。屈強な男達が笑い合いながら大きな魚を台車で運んでいるのが目に付いた。アイルの街は今日も平和だろう。
「……こんな暢気にしていていいのか?」
横に並んで歩く桜お姉ちゃんが、鼻歌を歌う僕に半眼を向けた。
「何を言っているんですか。僕はロリババアを愛するためにこの世界に来たんですよ。こうしてデートの時間を設けるのは当然でしょう?」
「結構図太い神経してますね……」
反対隣を歩くリリアさんが冷や汗を流した。因みにローズはというと、僕のすぐ後ろをふよふよと浮かびながらついてきている。目立たないかと少し心配だったが、通行人は一切関心を払っていなかった。まあ、田中さんですら普通に生活できる世界だからな……。
「本当は今頃、桜お姉ちゃんと徹底的にいちゃつくつもりだったんですよ。ええ、初夜を終えた後ですからね! 行為というのはしているときだけではなく、その前後の雰囲気も重要だと僕は思うんです。それをこともあろうにあの女は……! 絶対に許しません!」
「変なところで気炎をあげておるな……」
『一応釘を刺しておくが。本来の目的は儀式に必要な触媒を買うことだぞ』
「分かってますよ。勿論」
後ろを軽く振り返りながら、返事をする。ローザは疑わしげな視線を向けていたが、諦めたように嘆息した。
『……必要なものは5つ。まず、イズラ・フロウの祝福を受けた炎。これは街の神殿で購入できる。次に、純金の杯。そして血の滴る純銀の剣』
「値が張りそうですね……」
「それは私が何とかします」
リリアさんが淡々と言う。……どんだけ金持ってるんだろうこの人。
『更にヨツユアサの蜜酒。最後に男女の淫行により生じる液』
「いん……」
リリアさんが顔を赤らめた。
桜お姉ちゃんはにやりと笑った。
「後者はすぐに取れるな」
「……僕を見ないで下さい」
しなだれかかる桜お姉ちゃんの額を押さえて遠ざける。リリアさんは聞こえないふりをしていたが、耳が興味を示すようにしきりに動いていた。
「ヨツユアサの蜜酒というのは?」
「ヨツユアサ──つまり、麻薬の原料となる植物の葉を漬けた酒です。これ自体は売っていませんが、ヨツユアサの葉は普通に売っていますよ」
……買えるのか。ルーズと言うか何と言うか。
「主に兵士や狩人が携行して痛み止めに使います」
「ああ、なるほど……」
本当に物騒な世界だ。
それから、店を回った。特に支障も無く、必要なものは揃った。
「最後の一つは夜になってからじゃな」
「もう……」
益体もない会話をしながら、歩く。まだ日は高い。
「ああ、そうじゃ。折角だから服でも買うか」
「服ですか」
むう。少し考える。淡い色彩の着物に団扇姿のリリアさん。同じく着物姿、少し派手目に着飾ったローザ。更にいつもと少し雰囲気を変えて薄手の服をまとい、髪を結い上げた桜お姉ちゃん。
「とてもいいと思います!」
「……。勘違いしているようだから言っておくが」
ぐ、と拳を握る僕に、桜お姉ちゃんは半眼を返した。
「買うのはお前の服じゃぞ?」
「え」
僕の?
「いや、そうじゃろ。儂とローザは服も体の一部みたいなものじゃし、リリアは自前で必要な分は持っている」
いやま、言われれば確かにそうだけど。そうなんだけど。でも。えー……。テンションが急激に下がった。
「ふうむ。イロハの服、ですか」
リリアさんは顎に手を当てて思案している。僕の全身をじっくりと見る。……何だろう、肉食獣に値踏みされる草食獣の気分だ。
微妙に不安を覚えながらも、連れられるまま服飾店に向かった。
以前、リリアさんが言っていたように、この世界では軍事的水準に比して文化的水準が低い。それが顕著に現れているものの一つが、服だろう。
この街で男が着る服といえば、今僕が着ているような丈の短い着物っぽい服か、あるいは屈強な漁師が着る服──服というか、ほぼ布切れの集合みたいなもの──のどちらかに大別される。後者は論外として、前者もそれほど飾り気が多くなく、概して柄や色彩も地味だ。
「だからって……」
呻くように、僕は言った。
「女物の服を着せることはないじゃないですか……」
試着室。目の前では桜お姉ちゃんとリリアさんが、何枚もの服を手に、きらきらした眼差しで僕を見ていた。
声にうんざりしたような響きが混ざってしまったのは致し方ないことだろう。せいぜい数着ならまだ楽しむ余裕もあるが、何十枚もとっかえひっかえ、着せ替え人形のように着替えさせられ、あれやこれや評価を貰っていたら、誰だってこうなる。
「いいじゃろ。こっちのほうが可愛いんじゃし。……うむ、やはり落ち着いた清楚な服がよいな。こう、長い黒髪と妖艶な雰囲気がなんとも……」
「いえ。やはり髪を結って腕と脚を晒したほうが。闊達な雰囲気が出ますし、こう、腋や太ももの白さが実に……」
桜お姉ちゃんとリリアさんが熱弁を振るっている。二人の好みのベクトルはかなり違うようだった。バチバチと二人の間で火花が散る。
「そんな地味な服ではイロハの美しさを殺してしまうと思いませんか? 花を飾るなら徹底的に美しく、でしょう」
「分かっとらんな。秘めるからこそ美しさに奥行きが出るのじゃ。無闇に飾れば下品であろう」
「しかしですね──!」
「そもそも──!」
……二人の言い争いは暫く続きそうだった。
ところでローザはというと。
『これを』
言って手渡してきたのは──犬を模した、着ぐるみのようなパジャマ。
「……」
身にまとって、くるりと一回転してみる。ローザはほんわかした表情で『いい……』と呟き、僕をぎゅっと抱きしめた。
……いやコレ、流石に外着にはできないだろ。パジャマにしてもかなり恥ずかしい。可愛いけどさ。
ローザが離れるのを待って、試着室で服を脱ぐ。試着室といっても、木の壁に軽く布をかけているだけで、それほど密閉性は高くない。
ほぼ全裸になった後、鏡の前で、軽く伸びをする。流石に少し、疲れた。軽く肩をほぐしていると、
「イロハはどう思いますか!?」
「儂の方が正しいじゃろ!?」
「うわあ!?」
いきなり試着室の布が捲り上げられ、二人が顔を出した。
慌てて、自分の体を抱きしめるように隠す。
「何してるんですか! 何してるんですか! 他のお客さんもいるんですよ!?」
視界の端に、中年の女性店員やら通りすがりの客やらが映る。「あら」という感じで口元に手をあて、彼女たちはこちらを注視していた。
「ほら滅茶苦茶見られているじゃないですか! 早く閉めて!」
「む……済まん」
「少し熱くなりすぎました」
反省の言葉を口にして、二人は布を下げた。
「全くもう……」「ふう」「少し狭いですね」
……。……。……。
「いやなんで二人ともこっち側に来るんですか!? 出てくださいよ! 僕裸なんですよ!?」
僕の言葉に、二人はてへ、と頭を掻いた。……ワザとだな。
僕が文句を言おうと口を開きかけると、桜お姉ちゃんが急に何かに気付いたように、真剣な顔になった。何だ一体?
「いろは。お前……」
「え……な、何ですか?」
ただならぬ様子に、思わずつばを飲む。
桜お姉ちゃんは重々しく頷くと、極めて重大な事実を告げるように言った。
「実にこう……エロいケツをしておるな……」
「何を言ってるんですか!?」
最低だよ!
「いや、昨夜は暗くてよく見えんかったが、改めて見ると……ううむ。実にまろやかで張りがあり、掌に吸い付くような感触がなんとも」
「揉むな!」
顔を真っ赤にしながら、桜お姉ちゃんの手を振り払う。
「仕方ないじゃろ。お前が恥ずかしがって明かりを消したんじゃから」
「何の話ですか!?」
全くこの人は! きりきりとまなじりを吊り上げて睨みつけていると、今度は腹を触られる感触がした。
桜お姉ちゃんではなかった。怪訝に思って、リリアさんを見やる。彼女は顔を赤らめ、耳をピコピコ動かしながら僕の腹を撫でていた。
「私はこのおなかが……。なだらかな稜線を引き、柔らかく。実に、何と言うかこう、……孕ませたいですね!」
「死んでしまいなさい!」
言うに事欠いて孕ませたいとは何だ。
「いや、だって」「なあ?」
わきわきと手を動かしながら、体を寄せてくる二人に。
「さっさと……出て行けええ!!!」
僕は、怒りの鉄槌を下した。
「全く……」
尻尾を巻いて逃げる二人を見送ってから、僕は服に腕を通し始めた。
「勿論二人のことは大好きですよ? だからと言ってあれはないでしょう。エロ親父じゃあるまいし……。もう少し情緒と言うものが……」
ぼやいていると。不意に、首筋に濡れた感触がした。ちょっとビクっとしながらも、見やる。布の隙間から、ローザがまるで生首のように顔だけを出していた。……怖っ。
ローザはふむ、と息を漏らして、僕の首筋についばむようにキスをしていた。
『我はうなじが好きだ』
「……」
軽く睨みつけると、ローザはささっと顔を引っ込めた。
「……もう」
なんだかどっと疲れた。
結局。清楚な丈の長い着物、丈が短くやや飾り気の多い着物を両方買った。ついでに、ローザの訴えるような視線に負けて、犬っぽい着ぐるみパジャマも一着。
夕焼けに暮れなずむ街中を帰途につく。道端のマナ灯がぼんやりと白色の光を出し始めていた。言葉少なく、僕たちは道を歩く。
三人とも、今日は妙にはしゃいでいた。不安と焦燥の裏返し、なのだろうか。
桜お姉ちゃん。リリアさん。ローズ。三人の顔を順に見る。
絶対に、イズラ・フロウを打ち倒してみせる。僕と、僕の大事な彼女たちのために。
明後日の夜、魔炎のイズラ・フロウと決戦だ。
ちょっとシリアスが続きます。巨乳という最大の難敵にどう立ち向かうのか。
10/20 日数ミスってた……。 三日後 → 二日後 に訂正




