第12話 魂の帰る場所
夜。虫の鳴くリリ、という声がしみわたる。湯上がりの火照った身体に、夜気が心地よい。
街の散策を終えて、僕らは宿に戻ってきた。ローザの分の宿泊料を追加し、部屋に荷物を置いた後、浴場で汗を流した。
「炎なのに湯に入って大丈夫なんですか?」
『我はなべての火にあらず。炎の概念の集合たる三昧の真火にして、湧けど尽きせぬ無量の大火なり。水如きでは消えぬ』
よく分からないけれど、まあ大丈夫ということだろう。
湯から上がった後は、部屋で少しくつろぐ。三人は、髪の手入れやら髪質の話に興じていた。湯上がりの女性は美しい。桜お姉ちゃんが髪を上げてうなじを晒す様などは艶かしく、眺めているだけで幸せな気分になる。
今日は、桜お姉ちゃんはあまり抱きついてこない。他の二人も、あまり積極的に寄ってこない。それどころか、僕と目が合いそうになると、さっと逸らす。
……寂しいと言うよりは、物凄く嫌な予感がする。小動物が身の危険を鋭敏に察するように、僕はそう感じていた。
嫌な予感はするのだが、それに対する方策が見出せないでいる内に、料理が運ばれてきて、夕食が始まってしまった。
「美味そうじゃなー」
「そうですねー」
二人が笑顔で言うのだが、何だか白々しい。口に運んだ料理は、昨日にも増して薄味な気がした。
結局ほとんど食事を楽しめないうちに、料理を胃に収めてしまった。
食膳を片付ける宿の従業員を横目に見ながら、桜お姉ちゃんとリリアさんはひそひそと会話を交わしている。
「……る?」「……お譲り……」「……済まんな……」「……いえ……今度……」「……うむ……」
やがて、従業員が全員去ってしまった。リリアさんとローザが立ち上がる。
「……あの、二人とも……」
「イロハ。私たちは先に床についていますね。少し疲れが溜まっているようです」
声をかけようとしたが、リリアさんは早口でそう言って、部屋を出てしまった。ローザはというと、ぐ、と親指を立て、慈愛に満ちた微笑を浮かべた。……何だその笑み。思っているうちに、戸がガラガラピシャン、と閉じられ、後には僕と桜お姉ちゃんが残された。
戸から目を離して、恐る恐る桜お姉ちゃんのほうを振り返る。
「何をしている。こっちに来んか」
ほれほれ、と手招きをされてしまった。おっかなびっくり、近寄る。小さな卓を挟んで、向かい合った。
桜お姉ちゃんは卓上の急須を手に取った。
「茶、飲むか?」
「……はい」
水音が、広い部屋に響く。湯気を立てて、緑色の茶が湯飲みに注がれた。
湯飲みを手にとって、喉を潤す。昼間茶店で飲んだのとは少し異なる、不思議な味がした。ちらりと上目遣いで桜お姉ちゃんを見やると、じっと僕の方を見つめていた。慌てて、目を逸らす。
「そんな脅えるな。取って食いやせんわ。ただ少し、話がしたくての。二人には席を外してもらった」
穏やかに言って、桜お姉ちゃんは笑った。……僕の思い過ごしだったか。気を張り詰めすぎていたのかもしれない。
桜お姉ちゃんは湯のみを揺らした。
「話というのは?」
「儂の存在についての話じゃ」
おっと。意外と重そうだ。
「哲学でも始めましたか?」
「単純で根本的な話じゃよ。儂は、なあ。この世界で、お前に創られた存在じゃろ」
「そうですね」
桜お姉ちゃん。『桜』は、前世の僕が昔読んでいた本の登場人物を元にした、僕の空想の産物だった。1300年の歳月を閲した大樹の化身であり、天地の精気を浴びて神性を獲得した八百万の神の一柱。
「という設定じゃな」
「設定言わないで下さい」
不満を込めて、唇を尖らせる。設定は設定じゃ、と桜お姉ちゃんは鼻をならす。
「なんとなく、じゃがなあ。儂は本来の前世では、何の変哲もない桜の木じゃった、気がする」
「……桜の木? 前世で?」
いま一つ言っている意味が良く分からず、僕は首を傾げる。桜お姉ちゃんが僕に作り出された存在なら、前世に存在しているはずがない。
「ううむ。最初から説明するか。以前に少し、言ったじゃろ。儂には『お前とずっと一緒だった』という記憶と、『存在しなかった存在だった』記憶の両方があると」
頷きを返す。
「仮に前者を二つ目の前世、後者を一つ目の前世とでも呼ぼうか。二つ目の前世の記憶は、お前の設定を満たすための記憶じゃろうな。もしかしたら単なる記憶ではなく、平行世界と繋げてでもいるのかもしれんが。その辺はカミサマのやつにでも聞いてみんと分からん。
ともかく、儂には神としてお前を見守った記憶がある」
ことり、と湯飲みをおいて、桜お姉ちゃんは懐かしむように目を細めた。
「……二つ目の前世では、儂はお前の実家の近所に祭られていた、古い大樹の神じゃった。長い月日の内に神としての力も衰え、静かに消滅を待つばかりであった儂の元に、子供のお前が訪れた。突然人の姿で現れた儂を前に、お前は腰を抜かしていた」
「木から突然現れた女の子は、桜、と名乗り、自分はこの大樹の神だと言いました。1300年の歳月を生き、多くの生と死を見ていたことも。僕が桜お婆ちゃん、と呼ぶと、女の子は僕に拳骨を落としました。お姉ちゃんと呼べ、とね」
秘密の合言葉を交わす子供のように、僕と桜お姉ちゃんは前世の記憶を語り合った。
「儂はお前に多くのことを話してやった。遠い昔、名乗りを上げて武士たちが戦ったいくさ。都落ちして山道を寂しく進む没落貴族の悲哀。そうそう、山道で転んで膝小僧をすりむいたお前をあやしてやったこともあった。ふふ、父親のメシが不味いとか言って、儂に料理をせがんで来たこともあったな」
「いつしか僕は、桜お姉ちゃんに惹かれていました。桜お姉ちゃんが僕に向ける気持ちが、男女の情とは違っていたことに、既に気付いてはいたけれど。それでも、僕は諦めませんでした」
「お前の恋心を知ってはいても、受け入れられんかった。お前は子であり、弟じゃった。それ以上に──儂は自分の消滅を間近に感じていた。お前を受け入れることは許されなかった。深い情愛は、なおさらお前を苦しめてしまうことを知っていたから」
「十七歳のとき、僕は病気になりました。僕はとても苦しくて、何度も桜お姉ちゃんの名前を呼びました。夢うつつに、桜お姉ちゃんが僕を抱きしめて、僕を癒してくれたと感じました。けれど──」
「それが今生の別れであった。消滅を悟った儂は、最後に一目見ようと力を振り絞ってお前を訪ねた。そこで、苦しむお前を見つけた。儂は即座に、癒しの力を使った。それが消滅を早めることになると知ってはいても」
「……目覚めたときには、僕は大切な人を失ってしまった後だった」
涙が溢れそうになって、僕は顔を僅かに上げた。二つ目の前世が創られたものであったとしても、この胸を裂くような悲しみだけは、誤魔化しがたい現実だった。桜お姉ちゃんが、手を伸ばして僕の頬を撫でた。
「なかなかたいそうな悲恋じゃな」
「それから……僕は生物学を志し、老化の研究を始めました。桜お姉ちゃんの影を追って、……それは代替物を求めるようなものでしたけれど。幾つかの業績を残し、二十七歳のあの日、僕は事故によって死にました。そうして──異世界に来て、やっとあなたに会えた」
手を伸ばす僕に、しかし桜お姉ちゃんは冷然と言い放った。
「所詮、創られた記憶、創られた悲しみ、都合のいい設定じゃな」
明確な拒絶を前に、僕は動揺して言葉に詰まった。そんな僕を前に、ふ、と桜お姉ちゃんは微笑む。
「儂は一つ目の前世、本来の前世のお前のほうが好きじゃよ。馬鹿みたいな性癖に夢中になって、空想にひたって、絶望して。それでも諦めきれずに、本気で研究まで始めて。挙句、異世界でハーレム? 本当に……アホじゃなあ」
クク、と喉の奥で笑って、掌の中で湯飲みをもてあそぶ。
む、と僕が不満そうな色を見せると、ますます笑みを深めた。
「まあ、聞け。こっからは、儂の妄想もまじえた昔話じゃ。
最初に話したように、儂は一つ目の前世では、神として存在していなかった。その意味で、今の『儂』は前世に存在していない。ただ──多分じゃが、ごく普通の桜の木として存在していた、気がする。樹齢だけは重ねておったようじゃが、まあ数えておったわけでもないし、確かには分からん。
……そうじゃな。『桜』はこの世界でお前に創られた、神性をもった存在じゃが、その元となる魂として、ただの桜の木であった『儂』が選ばれた、みたいな感じではないかの」
卓に頬杖をついて、桜お姉ちゃんは僕の瞳を覗き込む。美しい漆黒の瞳は無邪気に輝いていた。僕の知らない、彼女の記憶を語りだす。
「朽ちかけた老樹に過ぎんかった儂には、確たる意識はなかった。記憶云々は今こうして思い出した後付で、当時は何も考えとりゃせんかったはずじゃ。ただ漠然と、寒暖やら好悪やらの原始的な感情を抱いていた、と思う。
数十打か数百だかの春を感じた日に、人間の子供が儂に話しかけてきた──。何やら、奇妙なことを言っていた。何じゃったか……そう、小説で、桜お姉ちゃんがどうのこうの……」
「あ、あれは!」
思わず声を上げる。少し、裏返ってしまった。
「その……小説を読んで……」
「小説にどっぷりはまって、主人公にでもなりきっていたのか?」
「う……」
「『桜お姉ちゃん』は、お前の初恋の相手じゃったな。小説のサブヒロイン、大樹の神霊、主人公を愛し、最後には身を挺してかばい、死んでいった、ロリババア」
意地悪く、桜お姉ちゃんが笑う。僕は恥ずかしさで真っ赤になってしまった。
「おかしな子供だと思ったな。だが……嫌いではなかった。お前はその後も、儂のもとを訪れた。多くのことを話したな。早くに死んだ母のこと。料理が下手で寡黙だが頼りになる父のこと。学校でのもろもろ、山道で捕まえた虫、天気やらなにやら……一時期、訪れなくなったときもあったが。数年して、また来るようになった。お前の話の大半は、当時の儂には理解できんかったが、決して、そう、嫌ではなかったのじゃ。いや、むしろ好ましく思っていた」
そこで、寂しげに眼を閉じた。
「それから十年して。お前はまた、訪れなくなった。どうしてだか、理解してしまった。お前がもう死んでしまったのだと。不思議なものじゃな。
……ほどなくして、儂も木としての生涯を閉じた。カミサマには、直接は会ってない、はずじゃ」
語り終えて、桜お姉ちゃんは茶を飲み干した。かたん、と卓に湯飲みを置くと、床に手をついて上体をそらす。
「……そう、儂はただの桜の木じゃった。神力も妖力もない、な。けれどなあ、時たま、妙な記憶がよぎるんじゃよ」
「妙な記憶?」
「うむ。お前が会いに来なくなってから、幾度目かの夏の日。ふと気付くと、儂は人間の少女の姿になっていて、お前のもとを訪れるんじゃ。そうして、風邪で苦しむお前を抱きしめて、そっと囁く……そんな、益体もない記憶じゃ」
「……それは……」
「分かっとるよ、ただの儂の妄想じゃ。一つ目の前世には、神も仏もありゃあせん。それでも……妄想を推し進めて……考えてしまうこともある」
「……何を、ですか?」
「笑うでないぞ?」
「笑いませんよ」
桜お姉ちゃんは目を閉じ、大切な宝物を自慢するような口調で語った。
「もしも、この記憶が本当なら……創られた記憶云々も関係なしに、本来の前世でも儂の魂はお前を求め、お前を愛していたことになるじゃろ。
儂とお前は前世から既に両想いで、この世界に生れ落ちるよりずっとずっと前から、互いが互いを求めていたと言えやせんか?」
「そう……ですね」
「そうだったとしたら」
ふわ、と。花が咲き誇るような、満面の笑みを浮かべた。
「堪らなく、嬉しいなあ」
……言葉を紡ぐこともできず、僕はただ、彼女の笑みを見つめた。
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どれくらいそうしていただろう? 雇われ楽人の奏でる曲と、虫の声が溶け合う夜の中で、僕と桜お姉ちゃんは見つめあう。あまやかな疼きが僕の胸を満たしていた。胸が苦しい。顔は紅潮し、は、は、と間断なく息が漏れる。下腹部に血が溜まり、その下は更に……いやちょっと待て。何か体が変だ。
「漸く、どく……いや。薬が回ってきたか」
「毒!? 毒って言いませんでしたか今!?」
「いや違うぞ? 薬じゃ」
「いや薬でもやっぱり駄目ですよね!? 盛ったな!? 盛ったんですね!? どうりで変わった味がするお茶だと思いましたよ!」
下腹部の疼きは最早耐え難いほど大きい。前かがみになって、荒い息をつく。
「一体なんの薬ですか!? いや大体想像できますけど!」
「ロリババアの神、ローザの祝福をマナに変え、練りこんで丹薬としたものじゃ。飲むと激しい劣情を催し、精力が充実して絶倫になる」
「やっぱりですか!」
もじもじ……と膝を擦り合わせながら、叫ぶ。叫んでいないとあっという間に意識を持っていかれそうだ。
「今までのちょっといい話は何だったんですか!?」
「時間稼ぎじゃ」
「言い切った!」
最悪だよ! 僕の純真な心を弄んで!
勿論、僕だって桜お姉ちゃんのことは大好きだし、いずれそういう行為にも及びたいとは考えていた。だが、いくらなんでも段階というものがある。ここで勢いに任せてことに及んで、爛れた関係になってしまうのはイヤだった。
「い、いくらなんでも冗談ですよね? これはあれですよ、実はマッサージをするだけだったのに何勘違いしてるんだ、みたいなお約束でお茶を濁すんですよね、ね!?」
「ふむ。そうじゃのう、明日は腰のマッサージでもやってもらうかのう。何しろ今夜は激しい運動をするからのう」
クク、と笑いながら、桜お姉ちゃんはちろりと下唇を舐めた。
何がいやらしいって、桜お姉ちゃんの方からは決して積極的に僕に近寄ってこないことだ。僕がじり、と擦り寄ると、ほぼ同じだけさり気なく後退する。一方で、僕が後ろに退こうとすると、同じだけ距離をつめてくる。微かに、桜お姉ちゃんの香りを感じるくらいの、絶妙な距離を保つ。あたかも、武術の達人が絶妙の間合いを計るかのように、つかず離れず。
「んー。儂は奥手で恥ずかしがり屋じゃからのう」
……白々しい。
相手のペースに呑まれてはいけない。ここは打って出るべきだ。
「……う、ぐす、うえええ……ひ、ひどいです、桜お姉ちゃん……。ぼく、桜お姉ちゃんと、真面目にお付き合いしたいと、思ってたのに……ぐす。こんな無理矢理なんて、あんまりです……」
秘技・泣き落とし。僕を溺愛している桜お姉ちゃんなら、これを無視できないはず。きっと慌てて、毒を中和してくれるはずだ。
案の定、桜お姉ちゃんは悲しげに眉を伏せると、両手を広げて言った。
「あう……す、済まぬ……泣かせるつもりはなかったのじゃ……。よしよし、あやしてやる。お姉ちゃんの腕の中に飛び込んでくるが良い」
……。ぶわ、と冷や汗が流れる。巧妙。あまりにも巧妙だ。僕の泣き落とし作戦を真っ向から潰すのではなく、むしろそれを利用して自分の流れを作り出した。僕が桜お姉ちゃんの腕の中に飛び込むなど、自殺行為でしかない。僕はたちまち理性を喪失して、一匹の獣と化すだろう。
やむを得ない。多少強引だが、流れを変える。キッ、ときつい目つきを作って、桜お姉ちゃんを冷然と見下す。
「……見損ないましたよ、桜お姉ちゃん。僕をこんな方法で抱こうだなんて。最低ですね。そんな安い男だと思わないで頂けますか?」
今度は突き放して拒絶する作戦。いささか心が痛むが、健全な生活を送るためには仕方ない。
桜お姉ちゃんはその言葉に、顔を伏せた。ぎゅ、と拳を握って、肩を震わせる。
「……済まぬ。証が欲しかったのじゃ。お前に愛されているという証が……。儂は不自然で、不完全な存在じゃ。狂おしいほどお前が愛おしいのに、お前に愛される資格があるか分からぬ。不安で仕方ないのじゃ」
着物の袖で目元を拭い、不意に顔を上げた。目じりには、僅かに涙の跡がある。
「愛される資格って……」
「儂はこの世界で創られた存在じゃ。本当の年齢は、一週間にも満たん。なあ……儂は、ロリババアと言えるのか?」
儚げな微笑に、どきりとする。胸が締め付けられるように痛んだ。何か言いたかったが、言葉はうまくまとまらない。
「そんなの……! そんなこと……!」
「儂の我侭が、お前をこんなにも苦しめていたのじゃな。気付かなかった……。いや、気付かないフリをしていたのか。罪に思う。……少し、頭を冷やしてくるとしよう」
言って、立ち上がる。小さな後姿は常になく頼りなさげで、そのままどこかに消えうせてしまいそうだった。
「だめ……!」
考える間もなく、体が動いた。桜お姉ちゃんの手をとって、無理矢理僕の方を向かせる。正面から抱きとめた。強く、強く、絶対に離れないように、僕の細い腕の力を全て振り絞って。
「愛される資格がないだなんて……! そんなこと、言わないで下さい。確かに僕は、僕の身勝手な妄想で、自分の都合のいい設定を押し付けてしまったけれど……! ほんとうは、ほんとうは、……あなたはずっと、僕の側にいてくれたんだ……!」
伝えたいことは沢山あるのに、その多くが言葉にならない。だから僕は、たった一つの大事な言葉を言う。
「愛しています。ずっとずっと、愛していました。あなたは──僕の一番大切な、ロリババアです!」
力強く宣言した。桜お姉ちゃんは大きく目を見開いた。そして嬉しそうに──ニタリ、と邪悪な笑みを浮かべた。
「……あ」
……気付いた時には、既に敵の術中にどっぷりはまった後だった。
全身に、桜お姉ちゃんを感じる。肌触りのよい着物から伝わる高めの体温。小ぶりだが柔らかく膨らんだ胸。僕の背に回された細い腕、小さな手。美しくもあどけない顔立ちは、してやったり、とばかり会心の笑みを浮かべていた。
「あ、あ、あ……」
ゾクゾク、と背中に震えが走る。下腹部が思い出したように猛烈な疼きを訴えた。衝動に身を任せてしまいそうに──。
いや、まだだ! この程度、耐えられなくてどうする! 今耐えているのは桜お姉ちゃんとの健全な生活のためだ。彼女の為ならなんだってできるとも。
そんな僕の様子を見て、桜お姉ちゃんは僕の背をやわやわと撫でた。少し体を離して、僕の顔を真正面から見据える。
「何故拒むのじゃ? お前は儂のこと、愛しているのじゃろ」
「あ、愛しているから……いい加減な気持ちで、したく、ないんです……」
「いい加減なものか。お前の想い、狂おしいほどに儂の心を揺さぶってきおる」
「さ、桜お姉ちゃんは、どう、なんですか……! まだちゃんと、好きって言ってくれて、ないじゃないですか……! 僕をからかってばかりで……。こんなひどいことして……!」
今度は本気で涙を滲ませながら言うと、む、と桜お姉ちゃんは言葉に詰まった。暫く考え込んだ後、再び顔を上げた。
「いろは」
「な、何です、か……。また何か、変な事、企んで……僕を、からかうんです、か……!」
「愛してる」
……。えっ……。
「愛してる、愛してる、愛してる! 生まれてきてくれてありがとう、会いに来てくれてありがとう、愛してくれてありがとう。ずっとずっと愛してた。ずっとずっと愛してる! だから……」
真っ直ぐな言葉、泣きそうなくらい真っ赤な顔。まるで無垢な少女のように、溢れ出る思いをそのままぶつけてきた。今までで一番単純だけれど、それだけに直接、魂を揺さぶられる。
その言葉に。僕は。
自分の中でブチリと、何かが千切れる音を聞いた。
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どこかの宿の、どこかの庭。二輪の大振りの花が、ぽとり、と散った。
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「うう……。ひどい……。やめてって言ったのに、言ったのに! 何度も……うう……」
「何言っとんじゃ。自分から求めてきたくせに」
「薬のせいです! 断じて! 死ぬかと思いましたよ!」
「死ぬかと思ったのは儂のほうじゃ。耳元であんなに幸せそうに啼きおって。全く……。思い出しただけで腹の奥が疼くわ……」
布団の上、僕を抱き締めたまま、桜お姉ちゃんは僕に頬擦りをする。上気した肌どうしが触れあって、熱を分かち合う。
彼女の腕の中で、僕は身悶えした。
「初めてだったのに……薬なんてひどいです……」
「む……済まぬ。やはり少し、不安だったのかもしれん。お前を気遣う余裕をなくしていた」
桜お姉ちゃんの繊細な指が、汗で額に張り付いた僕の髪を優しくほぐした。僕は、すん、と軽く鼻を鳴らした。
「なら、謝るのは僕のほうです。幸せにするって誓ったのに、こんなに追い詰めてしまった」
ぎゅ、と抱きしめる手に力を込める。
「これからは、もっと桜お姉ちゃんを大切にします。その、……こういう行為も、ちゃんとしましょう」
「うむ!」
「但し! 節度を持って、です!」
喜色をあらわにする彼女の鼻先に指をつきつけ、宣言した。
クク、と笑う彼女を軽く睨みながら、僕は頬を膨らませた。
それから、暫く。無言のまま、外を眺めた。
やがて、空が白み始めるのを目と肌で感じた。
「いろは」
「はい?」
「少し、寝ておけ。術では疲れはとれん」
「分かりました」
桜お姉ちゃんの温かな胸に抱かれたまま、僕は目を閉じる。微かな香りが鼻腔をかすめる。桜お姉ちゃんの匂いだ、と感じた。遠い昔、遠い場所で、同じように抱かれ、同じようにこの香りに包まれたような気がする。
「……儂の可愛い、いろは。お前はさながら千里を駆ける暴れ馬じゃ。伯楽ならぬ余人はその足も、その燃える心も、見ることはないじゃろう。お前の思うまま、駆け抜けろ。手綱は儂がとってやる」
桜お姉ちゃん。僕の一番大切な人。僕は突っ走って、失敗して、怒られてばかりだけれど。こうやって抱きしめられていれば、それだけで幸せな気持ちになるんだ。それはきっと、桜お姉ちゃんの腕の中が、僕の魂の帰る場所だから。
明けゆく空の下、満ち足りた気持ちで、僕は意識を手放した。
今回はメインロリババアである桜中心の回でした。サブロリババアとの絡みも徐々に出していきたいです。




