第10話 主よ、聖なる炎よ
鳥が鳴く声が聞こえる。うっすら目を開けると、朝日が目にしみた。少し暑い、と思ったら、桜お姉ちゃんとリリアさんに両側からがっちり抱きしめられていた。
昨夜。僕とリリアさんは酒宴を切り上げて床についた。時計を見ていないので正確な時間は分からないが、結構遅かったように思う。まだ少し、眠い。
大好きな二人の柔らかさに包まれて、僕はしばし、まどろんだ。
やがて、「ん……」という声と共に、一人、起き上がる。銀色の髪、紫の瞳。リリアさんだ。意識がはっきりしないのか、焦点の定まらない瞳をさ迷わせる。憂いと苦悩に満ちた瞳、精悍だけれど儚げな美貌。朝の光に照らされた姿も美しい。
やがて、リリアさんは囁くような声を漏らした。
「……あたまいたい」
……。……。二日酔いかい。
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「オチをつけないと気がすまないんですか、貴女は?」
「あうー……」
僕の膝の上で、リリアさんが呻く。こてん、と小さな頭を僕に預けて、リリアさんはあうあう声を漏らした。
「というか、妖精は酒に強いという話はなんだったんですか?」
「うう……。いや、ちょっと羽目を外してしまいまして……。想定より飲みすぎてしまったというか……」
大学生一年生か。昨日の僕のときめきを返して欲しい。
この人はなんでこう、時々残念なんだろう……と考えて、ハッと気付く。待ってほしい。相手は知能200を超えるハイエルフである。数多の戦場を駆け、策謀に長けた彼女は冷徹で残酷なリアリストだ。そんな彼女が羽目を外してうっかり二日酔いなどするだろうか?
僕は重大な勘違いをしているのではないだろうか? 実は今までの彼女の失態は全て、演技。自分をチョロイ奴だと誤認させ、虎視眈々と牙を研ぐ。気付いたときにはもう遅い。掌の上で転がされた獲物は、哀れ彼女の餌食にされてしまう。そう、かつてかのハイエルフの英雄が、人間種族を騙し討ちしたように──。
「うう……気持ち悪い……。桜さん、早く起きて……」
……。いやうん、勿論冗談だけどさ。
流石に気の毒になって、桜お姉ちゃんをゆすって起こす。桜お姉ちゃんは僕に膝枕されているリリアさんを怪訝そうに見やった。二日酔いだ、と僕が告げると、呆れたように見下ろした。
「……アホか。いい年して」
「うう……面目ない……」
しょぼん、とリリアさんが肩を落とす。……いや、桜お姉ちゃんの昨夜の醜態も正直どうかと思うよ?
桜お姉ちゃんに治癒をしてもらって、リリアさんの二日酔いは収まった。……収まった後、膝やら太ももやらを名残惜しそうに見つめられた。頼めばいくらでも触らせてあげるのに。
朝食も中々豪華である。魚介類のパスタ、焼き魚。海苔っぽいが甘みのある海藻。トマトやキャベツっぽい野菜数切れ。マヌケリュウモドキの串焼き。デザートに、冷やした団子のような食べ物。
朝食をとりながら、今日の予定を話し合う。
「取りあえずは、街を少し見て回りましょうか。人々の暮らしぶりとか、見てみたいですし」
「まあ、そうじゃな」
「そうですね。私も少し、街の様子を見たいです」
特に異論はないようだった。
軽く身支度を整えて、外に出る。桜お姉ちゃんは着物姿。リリアさんは鎧姿ではなく、簡素なシャツと上着、ズボン姿で、腰には剣身60センチ程度の剣を佩いている。鎧は宿に預けてきたようだ。少しばかり心境の変化があったのか、それとも単に面倒だったのか、聞いても曖昧にはぐらかされてしまったが。
僕はというと、例のごとく着物っぽい衣装に、無銘の妖刀を腰に差している。皮鎧はつけていない。
最初は、リリアさんが話していた日本からの転生者を訪ねてみようということになった。
「街並みも大分変わりました。時の移ろいは早いですね」
僕を真ん中にして、三人並んで歩く。商店が目に付いたが、徐々に民家らしき建物が増えてきた。
「このあたりに住んでいると聞いたのですが」
あたりを見回しながら、首を傾げる。
近くにいた人に聞いてみようとしたところで、後ろから声がかかる。
「あれ? リリアさん、リリアさんじゃありませんか?」
少し低めの、くぐもったような声。日本語である。桜お姉ちゃんと一緒に振り返って、
「うわ!?」「ぬお!?」
仲良く驚きの声を発した。
振り返った先にいたのは、奇妙な人影。まず目に付くのは、6本の節くれだった──文字通りの意味で、節のついた脚。服は、周囲の人とそれほど変わらない。服から突き出た腹は黒々とした剛毛で覆われ、地面についている。顔は面積の三分の二ほどを複眼が占め、触覚がせわしなく動いている。口からは鋭い牙が二本、突き出ていた。体高は170センチ、体長にして2メートル余りにもなるだろうか。
巨大な、虫。それが、日本語を発していた。彼は表情の読めない顔のまま、首を傾げて、言った。
「ええと……どちらさま?」
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「ほう。日本出身ですか。奇遇──というわけでもないのでしょうな。ま、多分カミサマが便宜を図ってくれたのでしょう」
彼は田中、と名乗った。家に招かれ、客間の座布団に座って、四人で会話に興じる。
「私は大正元年生まれです。どうにも体が弱かったんですな。三十過ぎで病死して、そっから転生してこの世界です。ほうぼう見て回りましたが、ここが一番気に入っております。先日、孫が生まれましてな。まあ、ここに骨を埋めるつもりです。……おっと、外骨格ですから骨を埋めるとは少し変ですかな、はは」
「はは。ところでその……虫人、ですか?」
「ええ。昆虫、というか節足動物を起源に持つ知的生物ですな。最近、虫人を中心とした国が建てられて、少しずつ認知度が上がっとります……。と、粗茶ですが」
「ありがとうございます。その種族を選んだ理由は?」
「私は昔っから虫が好きでしてなあ。体が弱いモンで、外への憧れってのもあったのかも知れませんな。近所の退官した生物学の教授先生から、図鑑やら標本やら見せてもらって。環境もよかったんでしょうな。生物学を少しばかり学んで、ますます好きになって」
「虫好きが高じて自分も虫になったと」
「いやはや。お恥ずかしい」
くわ、と顎を開いて、田中さんは軽く頭を掻いた。……どう見ても獲物を威嚇しているようにしか見えないが、照れ笑いしているんだろう、多分。
不意に、裾を横から引かれる。桜お姉ちゃんだ。微妙に腰が引けている。
「どうしたんですか?」
「いや……。なんというか……」
「ああ。怖がらせてしまいましたか。無理な人はホント無理らしいですね。リリアさんなんて未だに距離をとりますからねえ」
「う……すみません。慣れたと思ったんですが。久しぶりに会うと結構インパクトが……」
答えるリリアさんの腰もかなり引けている。
やれやれ、とばかり田中さんは腕を広げた。
少し興味を引かれて、質問してみる。
「外骨格生物なんですよね。よく地上でそんな巨体を支えられますね」
「いい質問です。少しばかり秘密がありまして、虫人では骨格が複層になっておるんですな。内側から筋肉、骨格、筋肉と来てまた骨格みたいな感じです。擬似内骨格、などと呼んでおりますが」
「ははあ。脱皮機構に由来するんですかね」
「かもしれませんな。呼吸機構も発達しとりまして」
「気門ではなく?」
「いえいえ。気門はありますが、気管構造が発達して効率よく酸素を取り込めるようになっとるのです。これによって大量の筋肉に酸素を供給することができるようになり、巨大化に成功したと」
「へえ。中々面白いですね」
「いろはさん。ひょっとして、前世では、生物学を?」
「ええ。主にマウスですが。専門は寿命関係を少々」
「ほほう。これこそ奇遇ですなあ。どうにもこの辺の話をできる人は少なくて。この前、家内──コイツも虫人です──にこの話をしたらケツをひっぱたかれましたよ」
「ははは。まああんまり自分の体に興味を持つことってないでしょうし、ねえ」
「ですなあ。ちょっと解剖させてくれ、なんて言えんですしねえ?」
「はは。生物学ジョーク」
「ははは」
田中さんと和気藹々と談笑していると、じっとりした視線を感じた。言うまでもなく、リリアさんと桜おねえちゃんである。
「……どうしたんですか、二人とも?」
僕の問に、二人は顔を見合わせた。
「いや……なあ?」
「類は友を呼ぶんだなあと、再認識しまして……」
……なんだかよく分からないけれど、とても失礼なことを言われた気がする。
「ちなみに、いろはさんはどうしてこの世界を?」
「ああ。それはロリババアを愛するためです」
「ろり……ばばあ、ですか?」
首を傾げる彼に、軽く説明する。
「ははあ。子供の容姿に老成した理性、ですか。今の日本ではそんなのが流行っとるんですなあ」
いや流行ってないぞ、と桜お姉ちゃんがつっこんだが、小声だったのでスルーされた。
「悲しいことに、この世界ではロリ体型が敬遠される傾向にあるようです。ここは多くのロリババアたちが愛に飢えた悲しい世界。僕は彼女たちを愛し、その存在を肯定したい。そしてゆくゆくはロリババアハーレムを築くのです!」
ぎゅ、と拳を握って宣言すると、「おー」と田中さんが拍手してくれた。……桜お姉ちゃんは呆れた目を、リリアさんは半笑いを、それぞれ返してきたけれど。
「何であれ、夢に向かって進むのはよいことです。陰ながら応援していますよ」
握手をして、彼に別れを告げる。この街を去る時はまだ決めていないが、また話をしたい。
**********
昼食は軽く済まして、再び街を歩く。
三人手を繋いで、勿論真ん中は僕だ。二人の小さな手を感じていると、それだけで幸せな気分になる。
「戦争が多いって聞きましたけど、案外ピリピリしてないですね」
「アイルの街は、シシファの国境からかなり遠いですから。最前線ともなると、こんなものではないですよ」
そういうものか。
人間たちに混じって、時折他の種も見かけた。背の高いエルフ。緑の鱗を持った爬虫人。風より速く走り去る獣人。
見かける動物も、犬や猫など見慣れたものから、形容しがたい生き物まで様々だ。
そぞろに歩くうち、ふと道端に奇妙なものを見かけた。高さは、50センチくらい。石でできた像である。ひどく風化しており、造形はほとんど確認できない。
「なんじゃこれ」
「うーん? 地蔵みたいなものでしょうか……」
首を捻って、リリアさんのほうに目を向ける。
「何かご存知ですか?」
「昔から……それこそ一千年前からあったのは知っていますが。由来はちょっと……。当時の人に聞いても、どこからか運び込まれたとしか伝わっていなかったようです」
……さらっと一千年前の話が出てくるあたり流石である。ともかく、石像は見た目以上に古いようだ。一千年以上、ひょっとしたら万年以上前から存在する石像、か。
「あまり、意識していませんでした。どうかしたんですか?」
「そこまで面白いもんでもないと思うがのう」
二人は首を傾げた。
自分でも何故かは分からないが、妙に気になるのだ。
そっと、石像の表面をなぞる。滑らかな感触。不思議と、ほのかに温かく、親しみを感じる
『……』
「え?」
不意に、声が聞こえた気がして、振り返る。だが、この場には桜お姉ちゃんとリリアさんしかいない。二人は怪訝そうな顔をしている。
聞き間違いか、と思ったが。
『……よ。……の……』
「だれ……?」
聞き間違いなどではない。確かに聞こえる。耳にではなく、直接頭の中に響いてくるような声。丁度、能力が上がったときに聞こえてくる声と似た感じがした。
『我が声に応えよ。定命のものよ』
一際強く聞こえた声と共に、僕の意識は暗転した。
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炎。覚醒した意識に飛び込んできたものは、その一語だった。燃え盛る火炎が、様々に色を変えながら僕を取り巻いている。不思議と、熱さは感じない。その中心に、彼女はいた。
姿かたちは、薄手の衣をまとった人間の少女に見える。だが明らかに人間ではない。赤みがかった金髪は広がって伸び、ゆらゆら揺れ動いている。真紅の瞳は強い意志を宿して炯炯と輝き、腕組みをして傲然と宙に浮く様は神々しい。背中からは16枚の燃え盛る火炎の翼が伸びていた。
『よくぞ参った。命短き人間種族よ』
少女の言葉が雷鳴のように響く。
「ここは一体……?」
『汝の精神の内である、小さきものよ。我が名乗りを拝聴するがよい』
炎がうねりをあげて燃え立った。
『我が失われし名前は慈悲の炎、我が右腕は不滅、我が左腕は稚気、我が右足は不屈の意志、我が左足は燃える愛なり!』
「はあ。これはご丁寧に。僕は豊野いろはです」
『知っている』
知っている? 少し考えて、思いつく。
「ひょっとして、失われた神様ですか? 僕に祝福を与えた」
『然り』
妙に偉そうな子だと思ったら、神様か。言っている言葉の意味はいまひとつよく分からないが、聞くべきことは一つだ。
「失礼ですが、御年は?」
『我が起こりは人間種族の黎明より古い。我が齢は400万と幾余を数える』
ロリババア! ロリババア!
……失礼。はしゃいでしまった。少し、落ち着こう。冷静になれ。
「結婚してください」
うん、実に冷静だ。ロリババアがいたら求愛する以外の選択肢はありえないからな。
『実に愉快な男だ。6000年前なら応じてやったものを』
残念、断られたか。けど何故6000年前?
『我は追い落とされたる神である。6000年の昔、我を奉じる人間のクニは獣人の征服を受け、我が神像はことごとく打ち崩された。以来、人間は獣人の神の一柱、魔炎のイズラ・フロウを炎神として崇めるようになった』
見よ、と少女が手をかざすと、一人の女の姿が炎より浮き上がった。
その女は漆黒の炎に包まれていた。豊満な体を薄い衣で覆い、頭に猫の耳を生やしている。狡猾そうな顔には嗜虐的な笑みが浮かび、尻からは7本の燃え盛る火炎の尾が伸びていた。
『悪しき邪神、魔炎のイズラ・フロウである。その右腕は殺戮、その左腕は勝利、その右足は退廃せる意志、その左足は獣の情欲である。その本性は悪なり!』
少女の視線はイズラ・フロウの胸元に注がれていた。たゆん、と胸が揺れるたび、少女の目つきが険しくなる。
『……その本性は悪なり!!』
……多分に主観を含んでいる気がする。まあ敵対関係なら当然主観くらい入るだろうけれど。
「それで、僕を呼んだ理由は何ですか? 信者を獲得してイズラ・フロウに立ち向かえとでも?」
尋ねる僕に、彼女は意外にも首を横に振った。
『否。我は滅び行く神である。名を失った神は神性を奪われる。我が身はこの神像に留まる残滓に過ぎぬ。最早我が名を知るものとておらぬであろう』
力なく、少女は言った。心なしか、周りの炎まで弱っている感じがする。
『汝が転生した折、僅かながら我の中に変化が生じた。特性の獲得など絶えてなかったゆえ、興味を覚えて力を貸してやった』
特性、というとやはり『ロリババア』だろうか。
「あなたには感謝しています。あれがなければ危なかったかも。できれば何か、恩返しをしたいのですが」
『ならば、この先、時折でよい。我のことを思い出すがよい』
「そんなことでいいんですか? 僕は殆ど力にはなれないですけれど、お姉ちゃんたちに協力してもらえば……」
『よいのだ』
少女はかぶりを振る。
『力を取り戻そうとしたこともあった。信者を集めようとしたこともあった。だが、全ては徒労に終わった。今更炎の名をかかげても、イズラ・フロウの信者に命を狙われるだけであろう。どうして、我がいとし子を苦しめようか。汝がこの地に来たのが偶然であれば、我が像に触れたのも偶然。人恋しくて招いたに過ぎぬ』
うなだれる少女を前に、僕は考え込んだ。宗教戦争みたいなものか。同一概念の神どうしは争い、負けた方が名を奪われて消えると。
ふむ。
「名前があればいいんですよね?」
『然り。されど名とは単なる記号にあらず。概念の集合である。この世界のあらゆるもの、草木の一本一本から天上の星まで、全て名を持つ神々が司っている。我が入り込む余地はどこにもない』
寂しげに応える彼女に、しかし僕はにんまりとした笑みを返した。
「あるじゃないですか。とびきりいいのがね」
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『そういうわけで、世話になる。改めて名乗ろう。我が名はローザ、我が概念はロリババア、我が右腕は不滅、我が左腕は稚気、我が右足は不屈の意志、我が左足は燃える愛である』
「概念『ロリババア』を司る神様、ローザです。リリアさん、桜お姉ちゃん。そういうわけなんで仲良くしてあげてくださいね」
にっこり微笑む僕に。
「いやいやいや!! どういう訳ですか!?」
「一体何をどうしたらそんなことになるんじゃ!?」
混乱してわめく二人の声が浴びせかけられたのだった。
ロリババアの精神が形となったかのようだ! とか言わせたかったが流石に自重




