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MADE IN ANOTHER WORLD ―この手で、異世界に残るものを。―  作者: 月河 紀零鴨


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第1章 Act.7 初めてのゴブリン、思ったより生々しい



バンさんが片手を上げた。


俺とココラは口を閉じる。


バンさんの顔から笑みが消え、肩に担いでいた短槍が音もなく手元へ下りた。


ただし、慌てた様子はない。何度も同じ場面を経験してきたことを思わせる動きだった。


「……何かいますか?」


俺は声を落として尋ねた。


バンさんはすぐには答えず、耳を澄ませるように顔を少し傾けた。


ココラも同じように耳を動かす。


俺には、風と葉の擦れる音くらいしか聞こえない。


だが、少ししてココラの表情が変わった。


「……左奥。草が擦れる音。足音が2つ、かな」


「よく拾ったな。その耳があれば、オレの仕事が半分なくなる」


バンさんは口の端を上げた。


「たぶんゴブリンだ。匂いもする」


「匂い?」


「腐った革と汗と、古い肉を混ぜたような匂いだ。慣れりゃ分かる」


できれば慣れたくない。


バンさんは火を指差した。


「消そう。完全にな」


俺とココラは小さな火を崩して水をかけ、土をかぶせた。最後に手を近づけ、熱が残っていないか確かめる。


学校で何度もやらされた手順だ。


「よし。ここからは静かに行くぞ」


バンさんが先頭、俺が真ん中、ココラが後ろにつき、音のした方へゆっくり進んだ。


さっきまでの訓練とは空気が違う。


ほんの少し足を置く場所を間違えただけで、こちらの存在を知らせてしまう気がした。


バンさんが避けた枝や落ち葉を見て、俺も同じ場所へ足を置いていく。


低い茂みの陰まで来ると、バンさんが片手を上げた。


止まれ、の合図だ。


茂みの向こうに、2匹のゴブリンがいた。


背丈は子供ほど。緑がかった汚い肌に、手には粗末な棍棒。1匹は倒木の根元を漁り、もう1匹は何かの骨をかじっている。


モンスターの解体授業で死体を見たことはあるが、近くで見るとやはり気持ちのいい生き物ではない。


「2匹。棍棒だけで防具はなし。片方は飯に夢中だ」


バンさんは地面の跡と茂みの奥を確認してから、俺たちへ向き直った。


「新しい足跡は、見える範囲じゃあいつらの分だけだ。近くに仲間の気配もねえ。初陣にはちょうどいいな」


そう言って、にやりと笑う。


「お前らでやってみるか?」


胸の奥に緊張が走った。


こちらを殺すつもりで向かってくる相手との、まともな実戦はこれが初めてだ。


怖くないわけじゃない。


それでも、学校で剣と魔法を学び、弱いモンスターを相手にした経験もある。何より、すぐ横にはバンさんが控えている。


相手はゴブリン2匹。装備も粗末で、こちらにはココラもいる。


ここまでお膳立てされて、腰が引けるようなら冒険者なんてやらない方がいいだろう。


「やれます」


俺が答えると、ココラもゴブリンを見たまま頷いた。


「私もやれます」


「分かった。少しでもマズイと思ったら言え。オレが代わるからな」


「はい、よろしくお願いします」


バンさんは短槍を軽く持ち上げた。


「危なくなりゃ、棍棒より先にこいつを入れる。せっかく金を払った講習だ。最後まで面倒は見るさ」


ココラが小さく息を吐き、大型ナイフを抜く。


俺も腰の片手剣に手をかける。


「戦う前に、位置を確認しとこう」


バンさんが茂みの隙間から周囲を示した。


「ここは倒木の南側。後ろがさっきの休憩場所で、右手に割れた岩がある。逃げるなら右後ろ。相手を追うとしても、倒木より先には出るな」


俺はもう一度、倒木と割れ岩の位置を確かめた。


倒木より先へは出ない。


「レオンは正面。嬢ちゃんは右から回って、もう1匹の足を止めてくれ。倒そうとしなくていい。盾で動きを抑えるだけだ」


「分かりました」


「レオン。火を使うなら小さいやつだけにしろよ。森を焼いたら、帰ってから鍛冶屋の親父さんにも叱ってもらう」


「それはバンさんに追い回されるより嫌ですね」


声を殺して笑った後、俺は剣の柄を握り、体の中の魔力を整えた。


火魔法にはスキルポイントを2つ、片手剣術には3ポイントを振っている。学校の実技では、どちらも上位だ。


火魔法は10秒ほど集中すれば、ゴブリンを倒せるほどの火球も作れる。隠れている今なら、その時間も取れるだろう。


だが、今回は森の中で剣と連携を学ぶ訓練だ。バンさんにも小さいものだけと言われている。


使うのは、無詠唱ですぐに作れる直径5cmほどのファイヤーボール。飛ばせるのは長くても10mほどだ。致命傷には届かないが、直撃すれば火傷は負わせられるし、目くらましや足止めには十分使える。


魔法の火は、燃え移らせる意識を込めなければ、すぐエーテルへ戻って消えやすい。油や酒でもなければ、草木に触れただけで燃え広がることも少ない。


もちろん、油断は禁物だが。


バンさんが指を3本立てた。


3。


2。


1。


俺とココラは茂みから飛び出した。


「ギッ!?」


先に気づいたのは、骨をかじっていた方のゴブリンだった。


俺はそいつの顔の横へ、小さな火球を飛ばす。


ぼっ、と赤い火が弾け、熱と光を散らして消えた。


「ギャッ!」


ゴブリンが驚いて顔をかばう。


その間に距離を詰め、剣を抜く。


慌てて振り上げた棍棒を剣の腹で外へ流し、そのまま空いた右肩へ斬り込んだ。


刃は深く入ったが、ゴブリンは悲鳴を上げながら踏みとどまった。


肉を断ち、骨に触れた感触が剣から腕へ返ってくる。


訓練用の人形とは比べものにならないほど生々しい。


だが、頭は止まっていなかった。


相手の棍棒と足の向きを見ながら、すぐに剣を構え直す。


もう1匹が俺の横へ回ろうとする。


そこへココラが飛び込み、小楯で棍棒を受け流した。低い姿勢から突き出した大型ナイフが、ゴブリンの太ももをかすめる。


「ココラ、追わなくていい。盾で道を塞いでくれ」


バンさんの落ち着いた声が飛ぶ。


ココラは追撃しかけた足を止め、すぐに盾を前へ出した。


俺の相手は、傷ついた腕で棍棒を振り回してくる。


上から、横から、力任せの攻撃だ。


「振らせてからでいい。足元だけ見落とすなよ」


俺は半歩下がり、横薙ぎを避けた。


踵の先に木の根がある。


踏む前に気づき、足を横へずらす。


森では、敵だけでなく地面まで相手にしなければならない。


ゴブリンがもう一度、大きく棍棒を振る。


肩と腰の動きを見て、振られる方向を読む。俺は剣で受けず、体を外へ逃がした。


棍棒が空を切る。


振り終わりに合わせて踏み込み、胴を下から斜めに斬り上げた。


今度は深い。


ゴブリンは膝をつき、そのまま倒れた。


「そいつは後だ。次と周りを見ろ」


俺は倒れた相手から目を離し、すぐに周囲を確認した。


倒木。割れ岩。ココラ。バンさん。


位置は分かる。


ココラの方では、もう1匹がじりじりと後退していた。


逃げる気だ。


ココラは一歩出たが、倒木を見て足を止めた。決めた線を越えず、右へ半歩ずれて逃げ道を狭める。


「そうだ。そのまま道を減らせばいい」


ゴブリンは、正面にココラ、横に俺、後ろに倒木があることに気づき、苛立ったように鳴いた。


「ギィッ!」


棍棒を振り上げ、ココラへ突っ込む。


ココラは逃げず、小楯を斜めに当てて攻撃を横へ流した。


ゴブリンの体勢が崩れる。


俺は小さな火球をもう1つ作り、足元へ落とした。


ぼっ、と火が弾ける。


ゴブリンが身をすくめた隙に、ココラが踏み込む。


大型ナイフの刃が脇腹へ入り、2匹目も倒れた。


森が急に静かになる。


俺は剣を構えたまま息を整えた。


呼吸は少し速いが、頭は動いている。剣を握る手に残ったわずかな震えも、息を整えるうちに収まっていった。


訓練用の人形とは全く違う。


それでも、学校で積み上げてきたものは、きちんと通用した。


「まだ終わりじゃねえぞ。周囲を確認しよう」


短槍を構えたまま、バンさんが茂みから出てきた。


俺とココラは同時に周囲を見る。


右後ろに割れ岩。背後に休憩場所へ続く草の跡。左に低い茂み。前に倒木。


「……追加はいないと思います」


ココラが耳を澄ませたまま言う。


「こっちにも見えません」


バンさんも一度見回してから、大きく頷いた。


「よし。2人とも手足はそろってるし、人数も減ってねえ。初陣としては大合格だ」


その言葉で、ようやく肩の力が抜けた。


「合格の基準、ずいぶん低くないですか?」


「新米の最初の合格条件は、行った時と同じ人数で帰ることだ。案外、これができねえ奴もいる」


バンさんが笑い、ココラもつられて小さく笑った。


「ちなみに、ただ見てたわけじゃねえぞ。レオンが1匹目とやり合ってる間も、もう1匹はずっとオレの槍が届く位置に置いてた。ココラが止め損ねりゃ、すぐ横から突けるようにな」


「全然気づきませんでした」


ココラが驚いて耳を立てる。


「気づかれないようにやってたからな。まあ、お前らが指示を聞いたおかげで、オレの出番はなかった」


バンさんはまず俺を見る。


「レオン。火は小さくて早かったし、剣の邪魔もしてねえ。2発目を足止めに使ったのもいい。剣も慌てなかった。学校で上位って話は本当らしいな」


「今回は『思ったより』がつかないんですね」


「ははっ。そこまで意地悪じゃねえよ」


バンさんは笑ってから、木の根を指した。


「最初に棍棒を流して、持ち手側の肩を斬ったのもいい。力比べをしなかったのは正解だ。ただ、木の根を避けた直後、一瞬だけ視線が足元に残った。相手から目を切らないように気をつけろ。それと、魔法と剣を続けると、普段の実技より息が上がるだろ?」


「はい。まだ動けますけど、消耗は思ったより大きいですね」


数字で見える魔力と、体で感じる疲労は別物だ。


「その感覚を覚えとけ。余裕があるうちにやめるのも実力だからな。あと、火で怯まない相手もいる。効くと決めつけて動くなよ」


「はい」


「ココラは、最初に足を止めたのがよかった。最後に追いかけず、逃げ道を狭めたのもいい判断だ」


「ありがとうございます」


「ただ、最初に盾で受けた時は半歩出すぎたな。相手がもう1匹いたら、横から狙われる。そこは次から気をつけよう」


「はい」


バンさんは倒れたゴブリンを短槍の石突で押し、動かないことを確認した。


「何より、2人とも決めた線を越えなかった。そこが一番よかった」


俺は改めて周囲を見る。


木、枝、落ち葉、倒木、茂み。


戦闘が始まった瞬間、そのほとんどが視界から消えかけていた。


「戦ってると、思った以上に視界が狭くなりますね」


「だろうな。だから最初に、10歩で見ろ、20歩で振り返れって言ったんだ。普段から見てないものを、戦闘中だけ見られるわけがねえ」


全くその通りだ。


ココラも真剣な顔で頷いていた。


「さて、ゴブリンの討伐証明は耳だ。運がよけりゃ、心臓の下あたりに魔石もある。2人でやってみろ。学校で習ったんだろ?」


「はい。校外実習で、ギルド裏の解体場ではやりました。ただ、ここまで新しい死骸は初めてです」


「前に見たものより、きついね」


ココラの耳が、これでもかというくらい下がっている。


「ココラ、大丈夫か?」


「うー、匂いがちょっと……けど頑張る」


学校の実習で使ったのは、すでに処理された小型モンスターの死骸だった。


手順は知っているし、鍛冶屋の息子として獣の解体や魔物素材の処理も見てきた。


それでも、今しがた自分たちで倒した相手となると、感覚が違う。


前世の俺なら直視するだけでも厳しかっただろうが、この世界で14年暮らしたおかげで、どうにか手は動かせそうだ。


「気分が悪くなったら少し離れろ。オレの靴に吐かなきゃ休んでも構わねえ。落ち着いたら戻って、仕事として覚えればいい」


「分かりました」


バンさんが周囲を見張り、俺たちは作業を始めた。


耳の根元を確かめ、指定された形で切り取る。左右を混ぜないように分けて布に包み、それから胸元を開いて心臓の下を調べた。


残念ながら、今回はどちらにも魔石がなかった。


ココラは少し顔色が悪いものの、手つきは丁寧だった。


「悪くない。ただ、現場じゃなるべく手早く済ませた方がいい。血の匂いで別のものが寄ってくることもある。作業中が一番無防備だからな」


俺たちは討伐証明を袋へ入れ、手を拭いた。


「よし。今日はここまでだ。戻るぞ」


「ここで切り上げるんですね」


「ああ。初めての実戦の後は、自分で思ってるより疲れてる。今日は勝ったまま帰ればいい」


初めてゴブリンを相手にし、自分の手で倒した重さと興奮が、まだ体の中に残っている。


前世でゲームの敵を倒した時とは、まるで違う。


経験値や素材だけの話ではない。


「帰り道、覚えてるか?」


バンさんが尋ねた。


俺とココラは顔を見合わせる。


「右後ろの割れ岩から休憩場所へ戻る。そこから沢の音を左に聞きながら下る。大きな菩提樹と割れた岩があった場所まで戻れば、森の入口が見える」


俺が答えると、ココラが続けた。


「途中で、白いキノコが生えた倒木が右側にありました。帰りは左に見えるはずです。甘い花の匂いがした場所を過ぎたら、足元が下りになります」


バンさんは満足そうに頷いた。


「よし。なら帰れるな」


短槍を担ぎ直し、来た道へ体を向ける。


「討伐は終わったが、訓練はまだ終わってねえ。町の門をくぐるまでが探索だ」


遠足みたいな言い方だが、意味は笑えない。


俺は剣を鞘に戻し、もう一度周囲を見た。


倒木。割れ岩。休憩場所。森の奥。そして、帰る方向。


来た時には似たような木ばかりに見えた森に、今は目印や危ない足場、休める場所が浮かんで見える。


俺たちはバンさんの後に続き、慎重に来た道を戻った。

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