第3章 Act.4 シルヴィの危機
ウルフスター商会を後にした俺たちは、予定通りフィーズの喫茶店へ来ていた。
なんだろう……思っていたよりずっと疲れたな?
この感じ、ココラのお父さんと初めて顔を合わせた時に似ている。
いや、あの時はさらにココラの兄弟や親戚まで集まって来て質問攻めにされたから、もっと疲れていた気もするが。
「どうしたの、レオン? なんか顔がぽけーってしてるよ?」
向かいに座ったココラが、不思議そうに俺の顔を覗き込む。
「いや。なんか気づいたら、商売始めちゃってたなと思ってさ」
「あーうん、そうだね」
ココラはくすくす笑った。
「もし作る量が増えても、私も手伝うから大丈夫だよ」
「ありがとう、そうしてもらえると助かる」
まあ、商売の話はひとまずここまでだ。せっかく喫茶店に来たんだし、ゆっくりしよう。
俺もメニューを手に取る。
ココラの隣に座るシルヴィが、少し遠慮がちにメニューを見ていた。
「なぁ、レオ。本当に奢ってもらっていいのか? ここの蜂蜜パイ、ちょっと高いだろ?」
「ああ、そこは大丈夫。この前のダンジョンで結構稼いだからな」
「そうだよ。それにシルヴィも罠作りに協力したんだから、今日は報酬だと思って遠慮なく食べて」
ココラがそう言うと、シルヴィの顔がぱっと明るくなった。
「やった! 私、フィーズの蜂蜜パイ大好きなんだ!」
「あ、本当? 私も大好き!」
「美味いよな! あの上に塗ってある蜂蜜が特に!」
「分かる! パイも焼きたてだとすごく香ばしいんだよね」
急に意気投合した。
可愛い女の子が二人、目の前で甘い物の話をしながらキャッキャしている。
……とても良い。
俺は邪魔せず眺めていよう。
注文を取りに来た店員さんへ、俺はカスタード・タルトとリンデンティー。
ココラは蜂蜜パイとエルダーティー。
シルヴィも同じく蜂蜜パイとカモミールティーを頼んだ。
しばらくすると、甘い香りと一緒に料理が運ばれてくる。
俺の前に置かれたカスタード・タルトは、こんがり焼けたパイ生地の中に黄色いカスタードが詰まっていた。
フォークを入れると、さくりと生地が割れる。
一口食べてみる。
卵と乳の濃厚な甘さのあとに、香辛料の香りがほんのり残った。
うん、美味い。
向かいを見ると、ココラがじーっとこちらを見ている。
いや。
正確には、俺のタルトを見ている。
「ココラ、よかったら一口食べるか?」
「えへへ、ありがとう」
皿を少し寄せると、ココラがフォークで小さく切り取って口へ運んだ。
「んー……おいしい!」
長い耳が嬉しそうに持ち上がる。
「じゃあ、私のパイも一口あげるね」
「おう、ありがとな」
代わりにココラの皿から蜂蜜パイを一口もらう。
何度食べても、この花の香りはいい。
「ねえ、シルヴィも一口もらったら?」
ココラが隣のシルヴィに声をかけた。
見ると、シルヴィは俺のタルトをじっと見つめていた。
ものすごく見ている。
「えっ、でも……」
シルヴィはなぜか、俺ではなくココラの顔を見た。
「美味しいよ? ね、レオン?」
ココラが楽しそうに笑う。
「ああ、もちろん。シルヴィも食べるか?」
「……いいのか?」
「遠慮するなって。ほら」
皿をシルヴィの方へ寄せる。
シルヴィはもう一度ココラを見ると、小さく笑ってから、一口分を切り取った。
そのままぱくりと口へ入れる。
数秒後。
「んっ!? ……何だこれ、めちゃくちゃうまいな!」
「だろ?」
「初めて食べたけど、卵の味が濃いんだな。生地もサクサクだし、いくらでも食えそうだ」
かなり気に入ったらしい。
「じゃあ、私のも一口やるよ」
「いいのか?」
「もちろんだ、遠慮なく取ってくれ」
シルヴィから蜂蜜パイを一口もらう。
結果として、俺は自分のタルトに加えて、ココラとシルヴィ両方の蜂蜜パイまで味見することになった。
やはり蜂蜜パイも美味い。次回はこっちにしよう。
「そういや、来月は野外実習だろ?」
シルヴィがカモミールティーを一口飲みながら言った。
「ああ、もうそんな時期か」
学校の卒業も、だいぶ近づいてきた。
来月の野外実習は、卒業後に町兵や領兵、冒険者など、戦闘に関わる仕事を考えている生徒向けのものだ。
先生だけでなく、経験のある冒険者も付き添い、実際に町の外へ出てモンスターと戦う。
もちろん、危なくなればすぐ大人たちが助けに入るし、戦う相手も比較的弱いモンスターが選ばれる。
それでも本物の戦闘だ。
毎年1人か2人くらいは怪我人が出るらしい。ほとんどは切り傷や打撲程度で、重傷者が出ることは滅多にないそうだが、それを聞いて安心できるかと言われると微妙なところだ。
「シルヴィは余裕そうだな」
「実技ならな!」
ならな?
シルヴィは胸を張って、得意げに笑った。
「そういえば、シルヴィは卒業したらどうするんだ?」
「え?」
それまで上機嫌だったシルヴィの動きが、ぴたりと止まった。
「私か?」
「うん。俺は冒険者をやりながら鍛冶や魔道具作りも続けるし、ココラは魔道具のお店を開くために、一緒に冒険者をやる予定だけど」
「私は……」
シルヴィがカップへ視線を落とす。
珍しく歯切れが悪い。
「前は、傭兵になろうかなって思ってたんだ」
「傭兵?」
「ああ。うちの母ちゃん、昔は護衛専門の傭兵だったんだ。父ちゃんも店を持つ前は旅商人でさ。母ちゃんを護衛に雇って、二人で国中を回ってたらしい」
「へえ、そうだったのか」
あのヒルダさんなら、納得できる。
「だから私も、卒業したら旅商人の護衛をしながら、いろんな町を見て回るのもいいなって思ってたんだ」
「いいじゃないか、シルヴィに合ってそうだ」
ココラも素直に頷く。
「だろ?」
シルヴィは一度笑った。
だが、すぐにカモミールティーへ目を戻す。
「でもまあ……最近は、家の手伝いでもいいかなーって」
「え?」
「ん?」
俺とココラの声が重なった。
どう考えても今の話からそうはならない。
「何だよ、その顔」
「いや……」
さっきまで、
傭兵になって国中を旅したい。
と言っていた人間が、
家の手伝いでもいいかな。
まで一瞬で飛んだのだ。
「何かあったのか?」
「べ、別に何もないぞ」
なんか含みがあるのが気になるが……。
シルヴィは軽く肩をすくめた。
「まだ卒業まで時間あるし、ゆっくり考えればいいだろ」
そう言って、残っていたカモミールティーを少し大きめに飲んだ。
尻尾が椅子の後ろで、なんとなく落ち着かなさそうに揺れている。
……まあ、本人がそう言うならいいか。
俺だって、将来のことを全部決めているわけじゃない。
「その前に、卒業できなかったら全部来年だけどな」
何気なく言った瞬間。
シルヴィの尻尾が止まった。
「…………」
「シルヴィ?」
「レオ」
「何だ?」
「今、それを言う必要あったか?」
「え?」
なんか急に声が低くなったぞ。
卒業できるかどうかは、座学だけでなく実技や普段の取り組みも含めて判断される。ただし、座学の成績が基準に届かなければ、実技がどれだけ良くても留年だ。
ほとんどの生徒は問題なく卒業できるが、毎年必ず全員というわけでもない。年によっては0人、多い年には数人ほど、点数が足りずに卒業できなかった生徒が出る。
「シルヴィ、実技は大丈夫でしょ?」
「実技はな」
「じゃあ座学?」
「…………」
今度は視線まで逸らした。
分かりやすい。
「計算と読み書きは問題ないんだろ?」
「そこは大丈夫だ」
「じゃあ......歴史?」
「……ちょっとまずい」
「修辞学は?」
「もうちょっとまずい」
「神学」
「かなりまずい」
ココラが困ったように眉を下げた。
「魔法学は?」
「聞くな」
ダメじゃねえか。
ちなみに学校でいう魔法学は、火の玉を出したり水壁を作ったりする授業ではない。
魔力がどう流れるのか、魔石がどう働くのか、魔道具がどういう仕組みで動くのか。
そういった基礎を学ぶ座学だ。
「じゃあシルヴィ、魔道具の仕組みとかも苦手なの?」
ココラが恐る恐る付け加えた。
「…………」
シルヴィが完全に黙った。
ああ。
そこが一番ヤバいのか。
「前に描いた倉庫の図を見る限り、嫌な予感はしてたけど」
「レオ、それとこれとは関係ないだろ!」
「いや、かなり関係あると思うぞ」
魔道具製作では、部品の形や配置を図にして提出することもある。
あの謎の倉庫図を思い出す。
……うん。
これは確かに危ない。
「シルヴィ、結構ギリギリなの?」
ココラが聞くと、シルヴィはしばらく黙ったあと、ぼそっと答えた。
「先生には……実技で点を稼いでも、座学で落としすぎたら危ないって言われた」
「マジか」
「だから困ってるんだよ!」
開き直った。
「だったら、一緒に勉強する?」
ココラがあっさり言った。
「え?」
「卒業試験までまだ時間あるし、分からないところを一緒にやればいいよ」
「ああ、それがいいな」
俺も頷く。
「俺も歴史とか修辞学は完璧ってわけじゃないけど、魔法学や魔道具なら多少は教えられるし」
「本当か!?」
シルヴィが勢いよく身を乗り出した。
「近い近い」
「悪い。でも、本当に頼んでいいのか?」
「いいよ。私たちも勉強しないといけないし」
ココラの言う通りだった。
人の心配をしている場合でもない。
俺もココラも卒業試験を受ける。
ダンジョンだのネズミだの商売だので忘れそうになるが、俺たちはまだ学生なのだ。
卒業する頃には、俺も十五歳。この国では成人だ。
前世でも二十歳になれば一応は大人だったが、成人式の日はバイトで参加できなかったし、俺自身もそれほど気にしていなかった。
今回も、十五歳になったからといって、急に大人になれる気はしない。
ただ、この世界では成人になる意味が大きい。
成人登録を済ませれば、冒険者として受けられる依頼も増えるし、できることが一気に広がる。
「じゃあ、放課後に集まるか」
「どこで?」
「俺ん家でいいんじゃないか? 学校からも遠くないし、机くらいならある」
工房がうるさい時は、自分の部屋でもいい。
「毎日はさすがにきついから……週2、3回くらい?」
ココラが提案する。
「それくらいならちょうどいいな」
「私も大丈夫だ!」
シルヴィが嬉しそうに拳を握った。
さっきまで卒業試験の話をしただけで固まっていたのが嘘みたいだ。
「よし、じゃあ近いうちに始めよう」
「頼むぞ、レオ! ココラ!」
「任せて」
「ただし、宿題を全部こっちにやらせようとしたら追い出すからな」
「しないって! そんなことしたら、母ちゃんに殺されるよ」
なるほど……大丈夫だろう。
こうして、俺の家で週に何度か勉強会を開くことまで決まった。
商売を始めたと思ったら、今度は勉強会か。
卒業までの三か月、思っていたより忙しくなりそうだ。
◇
店を出る前に、俺は蜂蜜パイを1つ包んでもらった。
もちろん、アンビーの分だ。
罰を受けている最中とはいえ、ネズミ罠を作るのを手伝ってくれた報酬まで無しにするつもりはない。
ただし、ちゃんと掃除を終わらせたら、だ。
シルヴィとココラと別れ、昼過ぎに家へ戻る。
工房へ顔を出すと――
「うぅ……もうやだ……」
アンビーが半べそをかきながら、床を雑巾でこすっていた。
朝より明らかに元気がない。
工房の隅にはゴミや煤を集めた桶が置かれ、棚の下から引っ張り出したらしい細かな鉄屑まで山になっている。
……オヤジ、本気で工房中やらせてるな。
「おーい、アンビー」
「兄ちゃん……」
アンビーが恨めしそうな顔を上げる。
「蜂蜜パイ、食べてきたのか?」
「ああ、食べてきた」
「うぅ……裏切りもの……」
まだ言うか。
「でも、お前の分も買ってきたぞ」
「えっ!?」
さっきまで死んだ魚みたいだった目が、一瞬で生き返った。
「マジで!?」
「ただし」
俺は指を立てる。
「今日の掃除をきちんと最後まで終わらせること。それができたら蜂蜜パイと、前に約束してたクリップライトも渡す」
「ほんとに!?」
アンビーが勢いよく立ち上がった。
「よっしゃあ! すぐ終わらせる!」
「いや、雑にやったらオヤジにやり直し食らうぞ」
「分かってるって!」
さっきまでの半べそはどこへ行ったのか。
アンビーは雑巾を握り直すと、ものすごい勢いで床を磨き始めた。
……現金な奴だな。
まあ、元気になったならいいか。
その後、2時間かけて掃除を無事終わらせたアンビーは、美味しそうに蜂蜜パイを頬張り、クリップライトを手に入れたのだった。




