第3章 Act. 3 レオンの知らぬ間に進む話
「ねぇ、レオン」
隣からココラが小声で話しかけてきた。
「ファンボさんも言ってたけど、ほかの倉庫でも欲しいって言われたらどうする?」
「……そうだな」
北東の倉庫街には、ウルフスター商会以外にもネズミ被害を受けた倉庫がある。
それだけじゃない。小麦や大麦、豆、乾物なんかを大量に扱う店なら、倉庫街に大きな倉庫を持っていなくても、店の裏にある保管場所でネズミに悩まされることはあるだろう。
頭の中で、注文が増えた時のことを考える。
一軒一軒、必要な量を聞く。値段を確認して、容器を受け取って、作った物を渡して、代金を受け取る。
……面倒だな。
これを本業にするならともかく、俺には学校もある。
鍛冶も魔道具作りもしたいし、冒険者になるための準備や訓練にも時間を使いたい。グローダグリスを売るために町中の店を回っていたら、自分のやりたいことに使える時間が減ってしまいそうだ。
向かいに座るファンボさんを見る。
相変わらずニコニコしている。
……絶対、何か待ってるな。
「ファンボさん」
「なんだい?」
「よければ、グローダグリスを俺からウルフスター商会へまとめて卸す形にできませんか?」
ファンボさんの目が、ほんの少し細くなった。
「へえ」
「俺は必要な分を作って、ファンボさんに売る。ほかの倉庫や店から注文が来たら、そっちはウルフスター商会で売ってもらう」
「どうしてそうしようと思ったんだい?」
「俺が全部の客と直接やり取りするより、その方が楽だからです」
正直に答える。
「俺はこれを本業にしたいわけじゃないですし、学校も鍛冶も魔道具製作もあります。一軒ずつ注文を取って配って回るより、作るところまで俺がやって、売るところから先は商売をしてる人に任せた方がいいかなって」
「うん」
ファンボさんが満足そうに頷いた。
「それなら僕も賛成だ」
「あっさりですね」
「だって、うちにも利益があるからね」
「うちは元々、町の店へ穀物を卸してる。小麦や大麦、豆を扱っている店なら、ネズミに困っているところもあるし、倉庫街にも取引先はいる」
ファンボさんが軽く笑った。
「だから、売るところから先は、こっちで引き受けられるよ」
「じゃあ、さっきの1リットル800コルでファンボさんに売ればいいんですか?」
「そうしよう。君からは1リットル800コルで買う」
ファンボさんはそう言うと、少し考えてから続けた。
「うちが売る時は……1リットル1,200コルかな」
「1,200?」
800コルで買って、1,200コルで売る。差は400コル。
「400コル上乗せしても売れるのでしょうか?」
「売れると思うよ」
ファンボさんは即答した。
「もちろん、ただ右から左へ渡すだけなら400コルは高い。でも実際には、注文を取って、君に発注して、容器を管理して、客へ届けて、代金を回収するところまでうちがやる」
なるほど。
「それに、これは小麦みたいに毎日大量に売れる商品じゃない」
ファンボさんが指を立てる。
「必要とする客は限られてる。でも、必要なところでは定期的に使う。しかも今のところ、同じ物を売っている店はない」
「薄利多売には向かない商品ってことでしょうか?」
ココラが尋ねる。
「そういうこと」
ファンボさんが頷いた。
「1リットル売って200コルしか残らない商品を、週に数リットルだけ扱っても、大した利益にはならない。でも400コルなら、少ない注文でも扱う意味がある」
そういうことか。
安くたくさん売る商品と、少ない数でもきちんと利益を取る商品では、値段の付け方そのものが違うのか。
「それなら、最初から2リットルずつにした方がいいかもしれませんね」
ココラが言った。
「さっき、ファンボさんのところでは週に2リットルくらい使うって話でしたよね。少しずつ量って買うより、最初からまとめて入っていた方が使いやすそうです」
「ああ、それはいいね」
ファンボさんが帳面へ書き加える。
「2リットル入りで2,400コル。容器はこちらで用意して、空になったら回収する」
「ただ、小さな店だと2リットルも使わないかもしれないね。まずは倉庫を持っている取引先で試して、少ない量で売るかどうかは、その結果を見て考えよう」
俺へ払われるのは1,600コル。残り800コルが、ウルフスター商会側の取り分になる。
商品っぽくなってきたな……。
ついこの前まで、ブル・グローダから出てきたヌルヌルだったんだが。
「父ちゃん、それならすぐ売るのか?」
黙って聞いていたシルヴィが身を乗り出した。尻尾も少し持ち上がっている。
「うん、売り始めるよ。ただ、いきなり大きく広げるつもりはない」
ファンボさんは少し考えてから続けた。
「まずは3軒……多くても5軒くらいだね」
「もっと売れそうなのに?」
「売れるのと、ちゃんと使えるのは別だからね」
ファンボさんはシルヴィへそう返してから、俺を見る。
「うちの倉庫では上手くいった。でも、建物の造りもネズミの数も、罠の置き方も店によって違う。レオン君が毎週どれだけ無理なく作れるのかも見ておきたい」
確かに。
いきなり十軒分を引き受けて、作れませんでしたでは困る。
「まず3軒から5軒に使ってもらう。問題なく使えて、また欲しいと言われたら少しずつ増やす」
「最終的には?」
「町の規模を考えても、取引先が10軒くらいになれば十分じゃないかな」
ファンボさんが答える。
「それも一年中じゃない。ネズミが増える時期だけ定期的に買う店が多くなると思うよ」
なるほど、それなら学校や冒険の邪魔にもなりにくい。
「じゃあ、その条件でお願いします」
「分かった」
ファンボさんが右手を差し出した。
俺もその手を握る。
「商談成立だ」
こうしてグローダグリスは、俺が直接町中へ売り歩くのではなく、ウルフスター商会へ卸すことになった。
俺からウルフスター商会へ、1リットル800コル。商会から客へは、基本2リットル入りで2,400コル。
最初は数軒だけ。評判が良ければ、少しずつ増やしていく。
作るのは俺、売るのはファンボさん。
それぞれが、自分の得意な仕事をする。
……なんというか。
ちゃんと商売になってしまった。
ブル・グローダを倒した時には、まさかあのヌルヌルが町の店に並ぶことになるなんて、夢にも思わなかったけど。
◇
レオンたち三人が店を出たあと、応接室にはファンボとヒルダの二人だけが残っていた。
「あなた、レオン君のこと、どう思った?」
ヒルダが残っていたお茶を飲みながら尋ねる。
「いやぁ、思っていたよりずっと良かったね」
ファンボもカップを手に取り、先ほどまでレオンが座っていた椅子を見る。
「学校の成績がいいとは聞いていたけど、それと実際に人を相手にして考えられるかは別だからね。そこは見ておきたかったんだ」
「だから途中から、ちょっと商人の顔をしてみせたの?」
「ちょっとだけね」
悪びれもせず答える夫に、ヒルダは小さく笑った。
「ちゃんと気づいてたみたいよ」
「みたいだね」
「自分にできることと、任せることをちゃんと考えてる。十四歳でそれができれば……まあ、合格かしら」
ヒルダが腕を組む。
ファンボもゆっくり頷いた。
「僕も同じかな」
少し間を置いてから、ファンボが続ける。
「シルヴィが気に入った相手だ。あの子が本気なら、できれば認めてやりたいと思ってる」
「私は反対しないわよ」
ヒルダはあっさり答えた。
「昨日、シルヴィが嬉しそうに話してたでしょう。ココラちゃんにも、第二夫人の話を受け入れてもらえたみたいだし」
「ああ。ずいぶんほっとしてたね」
「一番気にしてたものね。ココラちゃんが嫌なら諦めるって言ってたくらいだし」
ヒルダが少しだけ笑う。
「ココラちゃんもしっかりした子だし、あの二人ならシルヴィとも上手くやっていけそうだわ」
「そうだねぇ」
ファンボも頷く。
「となると、あとはレオン君本人か」
「そこなのよね」
ヒルダが少し困ったように笑った。
「シルヴィが上手いこと承諾をもらえるか、そっちの方が心配だわ」
「大丈夫かなぁ」
「そうねぇ......」
ヒルダは肩をすくめる。
「そこまで親が口を出す話じゃないと思うわ。あとはあの子が自分で何とかしないと」
「それもそうか」
ファンボは苦笑して、お茶を一口飲んだ。
「家は鍛冶屋で、本人にも腕がある。性格も今日見た限りじゃ問題ない。そこまではいいんだけど……将来、冒険者になるんだろう?」
「あら、いいじゃない」
「心配じゃないかい?」
「私もあなたも、若い頃は国中を旅してたでしょう。あなたは旅商人として町から町へ商品を運んで、私は護衛の傭兵として、その旅について回ってた」
ヒルダは少し懐かしそうに笑った。
「そんな私たちが、今さら子供に『危ないから町にいなさい』なんて言えないわよ」
「……まあ、それはそうなんだけどねぇ」
反論できず、ファンボはお茶を一口飲んだ。
それから、少しだけ寂しそうに笑う。
「シルヴィが町の外へ行くようになったら、家が静かになるなぁと思ってさ」
「あら」
ヒルダが楽しそうに目を細めた。
「そんなに寂しいなら、今から四人目でも作る?」
「ぶっ!」
ファンボが盛大にむせた。
「ヒ、ヒルダ!?」
「うふふ」
「……いや、その……まあ……」
ファンボは視線を泳がせながら、しばらく考え込む。
「それも……悪くないかもしれないね」
「本気にしたの?」
「えっ?」
応接室に、ヒルダの楽しそうな笑い声が響いた。




