第3章 Act. 2 報酬と商売
「に、兄ちゃん。約束やぶるのかよ!」
弟のアンビーが、今にも泣きそうな顔で、家を出ようとする俺を睨んでいる。
5日前、隣のクラスのシルヴィからネズミ取りの依頼を受け、その時アンビーにも製作を手伝ってもらった。
その報酬としてフィーズの喫茶店で蜂蜜パイをご馳走し、前に作ってやると約束していたクリップライトも渡すことになっていた。
そのはずだったのだが――
このバカ弟、昨日とんでもないことをやらかしたのだ。
ネズミ取りに使ったグローダグリスを俺の部屋からこっそり持ち出し、ゴーア兄を含めた工房のみんなのコップ、その持ち手や側面へ塗りたくったらしい。
鍛冶仕事で汗だくになったみんなが水を飲もうとして、次々とコップを滑らせる。
その中でアンビーだけは、自分のコップで普通に水を飲みながらニヤニヤしていたそうだ。
……ゴーア兄から聞いた時、さすがにアホだと思った。
当然オヤジにもバレて、アンビーは罰として今日1日、工房中の掃除を命じられた。
つまり、今日は外出できない。
「俺は連れてくとは言ったけど、お前が外出禁止になるとは聞いてねえよ」
「裏切りものー!」
「意味が分からん」
アンビーの叫び声を背中に受けながら、俺は家を出た。
まあ、帰りに蜂蜜パイくらいは買ってきてやろう。
さすがに1日中掃除したあとなら、少しは反省しているはずだ。
そういうわけで、今日はココラとフィーズの喫茶店へ行く予定だが、その前に寄る場所がある。
シルヴィの家――ウルフスター商会だ。
そこでネズミ罠の報酬を受け取ることになっている。
昨日、シルヴィから「父ちゃんが話したいって」と連絡があったのだ。
途中でココラと待ち合わせ、そのまま2人で商会へ向かった。
◇
ウルフスター商会は、町の商店が並ぶ通りに面していた。
見たことはあったが、中に入ったことはない。
石積みの基礎に、太い木材で組まれた木骨造りの2階建て。
周囲の店より間口が広く、急勾配の屋根には濃い紺色の屋根材がきれいに並んでいる。
正面の窓は小さなガラスを格子状にはめ込んだもので、その両側には頑丈そうな木製の柱。
入口の上には、狼の横顔と星を描いた大きな木製看板が掲げられていた。
派手な高級店という感じではない。
だが、建物も看板もきちんと手入れされていて、長く商売を続けてきた店らしい落ち着きがあった。
店先では、シルヴィが俺たちを待っていた。
「おはよう、シルヴィ」
「シルヴィ、おはよう。待たせちゃった?」
「いや、そんなことないぞ。5分くらいだ」
シルヴィが俺たちの後ろを覗き込む。
「あれ? アンビーはいないのか?」
「あいつはなぁ……」
斯く斯く然然、いかにうちの弟がアホかを説明する。
話し終える頃には、シルヴィは腹を抱えて笑っていた。
「あはははは! その現場、見たかったなぁ!」
「それは怒られてもしょうがないかな……」
ココラも笑ってはいるが、若干呆れた顔だ。
「だろ?」
一笑いしたところで、シルヴィが扉を開けて店内に案内してくれた。
小さな鐘が鳴る。
中へ入った瞬間、乾いた穀物と木材が混じった匂いが鼻に入った。
店の中央には奥まで続く長い木製カウンターがあり、真鍮の秤や分銅、分厚い帳簿が置かれている。
壁際には天井近くまで棚が並び、小麦や大麦、豆などを入れた袋や瓶、小さな木箱が種類ごとに収められていた。
床にもいくつか樽や麻袋が置かれ、口を開けたものには品名や産地を書いた小さな木札が添えられている。
天井から吊るされた簡素な魔導ランプが、店内を柔らかな橙色に照らしていた。
「こっちだ」
シルヴィはカウンターの脇を抜け、店の奥へ進んでいく。
奥にある扉を開けると、小さな応接室があった。
大きめの木製机と、向かい合わせに置かれた椅子。
壁際には書棚と小さな戸棚。
商談をするための部屋らしい。
そこで待っていたのは、シルヴィの両親だった。
「やあ、いらっしゃい」
俺たちが入ると、ファンボさんとヒルダさんがそろって席を立った。
狼人族のファンボさんは、恰幅のいい体つきと柔らかな顔つきのせいか、威圧感はない。
町兵詰所でも思ったが、本当に人の良さそうな人だ。
「わざわざ来てもらって悪かったね。座って、座って」
ファンボさんに勧められ、俺たちも席へ向かう。
「お邪魔します」
「失礼します」
俺とココラが椅子へ座る。
シルヴィは当然のように俺たちの横へ座った。
俺の正面にはファンボさんが座り、その隣には母親のヒルダさんが腰を下ろす。
こちらは相変わらず姿勢がいい。
腕を組んでいなくても、肩から腕にかけての厚みで鍛えているのが分かる。
……シルヴィ、よく格闘を習おうと思ったな。
すぐに店の人がお茶を運んできた。
小さな皿には、丸いクッキーが数枚。
「どうぞ。大したものじゃないけど」
「ありがとうございます」
ココラが嬉しそうにクッキーを見る。
さすが、甘い物への反応が早い。
全員にお茶が行き渡ったところで、ファンボさんが改めて俺たちへ向き直った。
「まず、ネズミの件。本当にありがとう」
「いえ」
「あの罠を置いてから、倉庫で見かける数が目に見えて減ったんだ。これなら、これからも倉庫のネズミ対策に使えそうだよ」
「役に立ったならよかったです」
「私たちも、ちゃんと効くか少し心配だったので」
ココラが答えると、ファンボさんはにこやかに頷いた。
「十分すぎるくらいだよ」
「それと」
隣のヒルダさんが口を開いた。
「この前は、うちの娘が悪かったね」
ヒルダさんが俺とココラへ軽く頭を下げた。
「本当に申し訳なかった。罰として倉庫街の外周を3時間ほど走らせておいたから、勘弁してあげておくれよ」
「あ、ははは……こちらも特に怒っていないので、大丈夫ですよ」
「はい、学校でももう一度謝罪してくれましたし」
うん、見た目通りの体育会系だな。
……シルヴィも後でフィーズの喫茶店に誘って奢ってやろう。
ファンボさんも苦笑する。
「うちの末娘は、昔から考える前に体が動くところがあってね」
「父ちゃん!」
「間違ってはいないだろう?」
「うぐ……」
シルヴィの耳が少しだけ下がった。
「さて。それじゃあ仕事の話をしようか」
そう言って、仕切り直したファンボさんの雰囲気が少し変わった。
先程と同じにこやかな顔だが、目が笑ってない……というか、油断ならない雰囲気になっている。
ファンボさんが、机の横に置いていた小箱をこちらへ引き寄せる。
蓋を開くと、中には銀貨が三枚入っていた。
「今回の報酬だ。全部で3万コル」
「3万……」
思っていたより多い。
ファンボさんは帳面を開いた。
「うちで計算したところ、材料と消耗品が約4千コル。樽はうちの物を使ったから入れていない。残りは、罠を考えて作ってくれたことへの代金だと思ってほしい」
つまり、実質2万6千コルが仕事代か。
害獣駆除として考えれば、かなりいい報酬だ。
ただ、普通の駆除ではどうにもならなかった数をまとめて減らしたことを考えれば、法外というほどでもないのだろう。
「こんなにもらっていいんですか?」
「もちろん」
ファンボさんは即答した。
「倉庫の穀物を駄目にされたら、3万どころの損じゃ済まないからね」
なるほど。
商人からすれば、払った金額より防げた損害の方が大事ということか。
「では、ありがたく受け取ります」
「うん」
小箱を受け取る。
あとでココラと分けよう。
「それでね、レオン君」
ファンボさんが続ける。
「もう1つ相談があるんだ」
「はい?」
「罠で使った、あの……グローダグリスだったかな」
「そうです」
自分で付けた名前を人から言われると、ちょっと恥ずかしいな。
「今後も、あれを売ってもらえないかな?」
「グローダグリスを?」
「罠そのものは、仕組みが分かればうちでも用意できる。樽と板、それに餌があれば形は作れるからね。でも――」
ファンボさんは、少し困ったように笑った。
「あの滑る液体だけはどうにもならない」
確かに。
グローダグリスは、ブル・グローダの魔石へ魔力を流して作った粘液を、水で薄めたものだ。あの魔石を持っている俺以外には、同じ物を用意できない。
「それと今回使った樽は、普段のネズミ捕りとしては少し大きすぎなんだ。売って欲しい量は前回より少ない」
「確かに、普段使いする大きさではないですね」
人間が腰近くまで入りそうな樽を、通常のネズミ相手に使う必要はない。
「だから次からは、もう少し小さな樽を何個か使うつもりなんだ。内側へ薄く塗るだけなら、使う量もかなり減らせる」
ファンボさんが続ける。
「ネズミが増える時期だけでいい。多くても、1週間に2リットルほどあれば足りると思う」
2リットルか。
前みたいに3人がかりで大量に作る必要はないな。
俺1人でも、十分作れる量だ。
「値段はどうしましょう?」
俺が聞くと、ファンボさんは少し笑った。
「そこを決めるのも商売だよ」
なるほど。
どうやら試されているらしい。
考えてみよう。
まず材料費。
原料になる粘液は、ブル・グローダの魔石へ魔力を流せば作れる。
魔石そのものは俺が持っているし、水も魔法で出すから、金はかからない。
容器もウルフスター商会で用意してくれる。
となると、主に値段へ乗せるべきなのは、作るために使う俺の魔力と時間か。
鍛冶なら、材料費に加工の手間を加えて値段を決める。
その辺はオヤジの仕事を手伝いながら、何度も見てきた。
ただ、グローダグリスは普通の材料とは少し違う。
今のところ、似たような物を売っている店はない。
だが、俺しか作れないからといって、好き勝手な値段をつけるのも違うだろう。
それに、毎週使う消耗品だ。
高すぎて使われなくなったら意味がない。
原料は安い。
作る手間も、それほど大きくない。
でも、普通の油や水とは違って、ネズミ捕りに使える特殊な性質がある。
その辺を考えると――
「……1リットル、600コルくらいでしょうか」
ファンボさんが、少しだけ眉を上げた。
「600コル」
「はい」
「どうしてその値段に?」
やっぱり来た。
俺はさっき考えたことを簡単に説明した。
材料費そのものはほとんど掛からないこと。
俺の魔力と作業時間は必要なこと。
容器は商会側で用意してもらえること。
それと、毎週使う物なので、高すぎない方がいいと思ったこと。
話を聞き終えると、ファンボさんはゆっくり頷いた。
「うん。かなりいいところまで考えてる」
よかった。
0点ではないらしい。
「ただ、2つ足りないかな」
「2つ?」
「そう。まず、君は作る側のことを中心に考えてる」
「作る側?」
「材料がいくらで、どのくらい手間が掛かって、いくら利益を乗せるか。もちろん、それは大事だよ」
ファンボさんが、1本指を立てる。
「でも、商品にはもう1つ値段を考える基準がある」
「なんですか?」
「それを買った人が、どれだけ得をするか」
あ。
「今回なら、うちはグローダグリスを買うことで、ネズミに食べられる穀物を減らせる。袋を捨てる量も減るし、ネズミ捕りに人手を取られる時間が減れば、その分ほかの仕事に回せる」
ファンボさんは穏やかに笑った。
「君にとっては、水で薄めた粘液でも、僕にとっては倉庫の商品を守ってくれる道具なんだ」
なるほど。
作るのにいくら掛かるかしか見ていなかった。
買った側が何を得るのか。
そこまで考えて値段を決めるのか。
「それと、もう1つ」
2本目の指を立てて、ファンボさんが続ける。
「その値段で、ずっと作り続けたいと思えるかどうか」
「作り続けたい?」
「今はうちが週に2リットル頼むだけだ。でも、ほかの倉庫も欲しいと言い始めたら?」
……確かに。
ウルフスター商会の倉庫は2棟。
だが、倉庫街にはもっとたくさんの倉庫がある。
注文が5軒、10軒と増えれば、使う魔力も時間も増える。その時になって『安くしすぎた』と思っても、最初につけた値段を変えるのは面倒だ
「安く売るのは簡単だよ。でも、安すぎて作る側が嫌になったら、買う側だって困る」
ファンボさんは少し考えてから言った。
「600コルでも、おかしな値段じゃない」
「じゃあ……」
「僕なら800コルにするかな」
「800?」
「例えば、これを使って1週間に5,000コル分の被害を防げるとするだろう?」
ファンボさんが指を2本立てた。
「うちが使うのは週に2リットルだから、800コルなら1,600コル。それで5,000コルの損を防げるなら、買う側には十分利益がある」
「なるほど……」
「それなら、無理に600コルまで下げなくてもいい。それより、君がこれからも作り続けられる値段にしておく方が、うちにとっても都合がいいんだよ」
そういう考え方もあるのか。
安く売れば喜ばれる。
単純に、そう思っていた。
でも商売は、一度売って終わりじゃない。
売る側が利益を出して、買う側にもそれ以上の得がある。
その状態を続けられる値段を探す。
「……800コルでお願いします」
「うん。それでいこう」
ファンボさんが帳面へ金額を書き込んだ。
グローダグリス。
1リットル、800コル。
俺が初めて、自分で作った物につけた値段だった。




