第2章 Act.21 倉庫街で対人戦
――っ!
バンッ!
俺は反射的に扉を引き、勢いよく閉めた。
直後、
ガンッ!
硬い物が扉にぶつかる音が響いた。
顔面めがけて飛んできたナイフが、閉じた扉に弾かれた音だ。
あとほんの少し閉めるのが遅かったら――。
想像しただけで、背中に冷たい汗が流れる。
「レオン!」
「大丈夫だ、逃げるぞ!」
「うわぁ、最悪だぁ!」
シルヴィを先頭に、ココラ、俺の順で路地を駆ける。
くっそ!
なんでネズミを追ってただけで、殺しの現場に遭遇するんだよ。
治安悪すぎだろ!
今やることは一つ。戦うことじゃない。
表通りまで逃げる。
路地の出口までは40mほど。そこまで行けば人目があるし、この時間なら夜警も動き始めているはずだ。
相手が何者なのか、何人いるのか、どれだけ強いのか、何も分からない。
ただ、倉庫の中で人を殺そうとしていたことと、見つかった俺たちにも迷わずナイフを投げてきたことだけは確かだ。
話し合える相手だと思わない方がいい。
後ろで扉が開いた。
まだ距離はある。
このまま――。
「ロックウォール」
低い声が聞こえた。
次の瞬間、前方の石畳が盛り上がる。
ゴゴゴゴゴッ!
「うわっ!」
先頭のシルヴィが急停止しようとするが、間に合わない。
ドンッ!
「いったぁ!」
勢いを殺し切れず、肩から石壁へぶつかった。
「シルヴィ!」
ココラと俺も慌てて足を止める。
目の前には、高さ3mほどの灰色の岩壁がそびえ立っていた。路地の左右いっぱいに広がり、出口を完全に塞いでいる。
……まずい。
表通りまで走ればよかったはずなのに、逃げ道を潰された。
後ろから、ゆっくりと足音が近づいてくる。
振り返ると、倉庫の中にいた男が歩いてきた。
身長は180cmほど。短く刈り込んだ茶色の髪に、鼻筋の通った彫りの深い顔立ち。鋭い目つきをしており、顔と太い腕には古い刃傷がいくつも走っている。
右手にはサイドソード。
それに今の魔法。
石属性のロックウォールを、詠唱破棄で使いやがった。
……絶対ヤバい奴だろ。
刃物を持った相手との戦いにも慣れていそうだし、魔法まで使えるとなれば、接近戦は避けたい。
「悪いな。ちょっとだけ時間をもらおうか」
男はそう言って、足を止めた。
時間?
俺たちをすぐ殺したいわけじゃない?
……いや、信用するな。
倉庫の中では人を吊ろうとしていたし、俺たちにもナイフを投げた。目的が分からないだけで、危険なのは変わらない。
しかも最悪なことに、今はオヤジからもらった剣を持っていない。
グローダグリスを大量にアイテムボックスへ入れるため、今朝、剣を含めてほとんどの荷物を出してしまったのだ。
こんな時に限って!
仕方なく腰のショットナイフを抜き、物理式の安全装置を外す。
使える射出刃は一発だけ。
撃ってしまえば、もう次はない。使いどころを間違えたら、それこそ命取りだ。
ココラも短杖のルブラを抜き、シルヴィは腰につけていたナックルダスターを両手にはめた。
「はぁ……今日は厄日ね。問題が問題を連れてくるわ」
こっちは冷や汗をかいているというのに、さっきの女が男の後ろからゆっくり姿を見せた。
落ち着きすぎだろ。
「どうします? こいつら、学校の制服ですぜ」
「ほんと、困ったわね」
女の視線が、俺たち三人を順番に通る。
「身元の分からない貧民街の子ならともかく、学校の制服じゃ、消えればすぐに騒ぎになるわ」
「3人なら何とかできますよ。もう日も落ちますし」
女は少し考えるように目を細めた。
「……そう。ならお願いするわ」
男が一歩踏み出す。
まずい。あの剣を持った男に接近されたら、まともな武器のない俺たちは不利になる。
だったら、その前に条件を変える。
「盾!」
「ウォーターウォール!」
俺が叫ぶと同時に、ココラが短杖を振った。
ザバァッ!
男の正面に水が噴き上がり、俺たちとの間を隔てるように水の壁が立ち上がる。
ダンジョンから戻った後、俺とココラはいくつか緊急時の合図を決めていた。
「盾」と言えば、理由を聞かずに防御魔法を出す。
あの時の反省から決めたことだが、こんな形で役に立つとは思わなかった。
そして、ココラが時間を作ってくれている間に、俺は上空へ右手を向けた。
倉庫の屋根より高く。
周囲に燃え移る物のない空へ。
「ファイヤーボール!」
赤く燃える火球を一発、撃ち上げる。
屋根の上へ飛び出した火球が、夕暮れの空を明るく照らした。
よし。
ここは大量の商品を保管している倉庫街だ。火には特に神経を尖らせている。
夜警でも倉庫番でも、今の火球を見た誰かが異常に気づいてくれればいい。
敵に当てるための魔法じゃない。
人を呼ぶための魔法だ。
ウォーターウォールは長くはもたないが、数秒もあれば十分だった。
俺たちの目的は、この二人を倒すことじゃない。
やがて水の壁が崩れ落ちる。
その向こうから現れた男は、眉間に深い皺を寄せていた。
どう見ても、
――やりやがったな。
という顔だ。
これで、俺たちと悠長に戦っている暇はなくなったはず。
こいつらは馬鹿じゃない。
人を殺す前に金を提示するような連中だ。感情より損得を優先して動くなら、騒ぎになった場所へ居続けることも避けるだろう。
なら、戦わずに済む可能性も――。
「オラァァァッ!」
――と思ったら、突然シルヴィが飛び出した。
「は!? ちょ、シルヴィ!?」
地面を蹴って男との距離を一気に詰め、そのまま右拳を振り抜く。
「前は任せろ! 援護を頼む!」
「そうじゃない、勝手に突っ込むなよ!」
まったく、こうなったら仕方がない。俺とココラで援護するしかないか。
男も一瞬だけ、
「は?」
と呆れた顔をした。
そりゃそうだ。
だが、その表情は一瞬で消えた。
ガキンッ!
男はサイドソードの腹で、シルヴィの右拳を受けた。
速い!
しかも、ただ受け止めただけじゃない。刃の腹を使って拳を横へ流し、シルヴィの勢いをそのまま利用している。
弾かれたシルヴィの上半身が開いた。
その時にはもう、男の左手に短い鉄の武器が握られていた。
寸鉄。
いつ抜いた!?
開いたシルヴィの脇腹へ、男の左拳が迫る。
まずい!
俺は咄嗟にショットナイフを構え、男の左腕を狙って刃を撃ち出した。
シュッ!
これで腕を引かせれば、シルヴィが離れられる!
だが、男は俺の構えに気づいていたらしい。
シルヴィへの攻撃を中断すると、左腕を素早く引き戻し、寸鉄を射線へ差し込んだ。
キィンッ!
「なっ!?」
撃ち出した刃が寸鉄に弾かれ、石畳へ跳ねた。
嘘だろ!?
男は寸鉄を握った左手を軽く振った。
「最近の学生は、こんな危ないものを持っているのか?」
その声には、驚きよりも感心しているような響きがあった。
こっちは感心している場合じゃないってのに!
一発しかない射出刃を使い切ったうえに、見事に弾かれてしまった。
こいつ、思っていた以上に手強いぞ。
「シルヴィ、下がって!」
「ごめん!」
シルヴィが一度間合いを外した。
その隙に、ココラが斜めへ一歩動く。
男と、その後ろにいる女。
ココラの正面から見ると、二人がほぼ一直線に重なる位置だ。
なるほど。
男が避ければ、後ろの女が狙われる。相手の動きを制限して撃つつもりか。
さすが優等生。
「ブリーズエッジ!」
ルブラの先端が淡く光り、風の刃が男へ飛ぶ。
男は避けない。
「はっ!」
身体をひねり、その場で鋭い回し蹴りを放った。
鉄で補強された靴先が、飛んできた風刃の側面を正確に捉える。
バシュッ!
風刃の軌道が大きく逸れ、男の横を抜けて地面を浅く切り裂き、そのまま崩れて消えた。
「えっ……」
ココラが目を見開く。
そりゃ驚く。
あのブル・グローダにだって通った魔法だぞ。
この男、無茶苦茶しやがる!
「この靴は特別製なんでね」
男が片足を軽く持ち上げてみせた。
靴先は厚い金属で覆われている。今の一撃で表面に傷がついたようだが、壊れた様子はない。
戦闘用の魔道具か?
いや、それだけじゃ説明できない。飛んでくる風刃の側面を正確に蹴りつけるなんて、相当な技量がなければできないはずだ。
ショットナイフは使い切ったし、ココラの風魔法まで逸らされた。
正面から倒そうとするのは、さすがに厳しい。
あとは夜警が来るまで、何とか持ちこたえれば――。
「おい! 今の火魔法はなんだ!」
「こっちだ!」
ロックウォールの向こうから声が聞こえた。
複数人だ。
足音も近づいてくる。
来た!
夜警だ!
火球は敵へ一発も当てていない。それでも、あれが今日一番効いた魔法かもしれない。
男も気づいたらしく、夜警の声がした方へ視線を向けた。
女も同じ方向を見ている。
これで、さすがに潮時だろう。
「ジュドー、もういいわ」
「はぁ……分かりました」
女が指示すると、男――ジュドーはあっさりサイドソードを鞘へ収めた。
さっきまで戦っていたのが嘘のように、一気に間合いを外して女のところまで戻る。
逃げる気だ。
こっちも追う理由はない。
このまま離れてくれるなら、それで――。
「あ、逃げんな!」
「おい、シルヴィ!」
またか!
シルヴィが反射的に駆け出した。
その時、女が動いた。
肩から下げたバッグへ手を入れ、野球ボールほどの球体を取り出す。
知らない道具だ。
まずい、爆発物だったら――。
「シルヴィ、止まれ!」
女が球体をシルヴィの進路へ放った。
ボシュゥゥゥゥゥッ!
爆発はしなかった。
代わりに、とんでもない量の白い煙が噴き出し、あっという間に路地を覆い尽くしていく。
煙幕!?
いや、待て。
毒が混ざっている可能性もある!
「シルヴィ、戻れ!」
「うえぇぇ、この煙、苦いよぉ!」
もう吸ってる!
「毒だったら死ぬぞ! 口塞げ!」
「うぇっ!?」
ようやくまずいと気づいたのか、シルヴィが慌てて両手で口と鼻を塞ぎ、こちらへ戻ってくる。
ココラも俺の横まで下がった。
煙の向こうは、もう何も見えない。
追いかけるのは無理だな。
となれば、残された道は一つ。
振り返ると、路地の出口を塞いでいるロックウォールが目に入った。
夜警は向こう側、俺たちはこっち側。背後からは、まだ煙が迫ってきている。
あまり時間をかけるのもまずい。
壁を壊せるか?
俺は壁の端を思い切り蹴った。
ガンッ!
鍛冶屋の息子らしく、俺の靴には靴底とつま先に薄い鉄板を仕込んである。
おかげで足は無事だったが――。
石壁の表面に、細いヒビが入っただけ。
「クソ、固いな!」
「どけ、レオ!」
「え?」
シルヴィが少し後ろへ下がった。
嫌な予感がした。
「待――」
「オラァァァッ!」
シルヴィは身体強化を乗せて勢いよく踏み切ると、そのまま壁へ向かって跳んだ。
狙いは、俺が入れた細いヒビ。
ドゴンッ!
強烈な飛び蹴りが叩き込まれ、壁全体が揺れた。
次の瞬間、細いヒビが一気に大きな亀裂へ広がる。
「いっったぁぁぁ!」
同時に、シルヴィが片足で跳ね始めた。
……いや、壁だけじゃなく、蹴った本人も相当痛そうなんだけど。
でも、結果は出た。
さっきまで細いヒビしかなかった場所に、大きな亀裂が走っている。
これなら、あと一撃で崩せるかもしれない。
「レオン、シルヴィ、離れて!」
ココラがルブラを両手で構えた。
その視線は、石壁に走った亀裂へ向いている。
「本気のやつ、いくね!」
「頼む!」
俺とシルヴィが左右へ退く。
ココラが詠唱を始めた。
「疾風の神に請う 見えざる刃よ
大気を切り裂き 一閃となれ
――刻め、風刃! ブリーズエッジ!」
ルブラの先端に集まった風が、一気に解き放たれる。
ズバンッ!
大きな音と共に、風刃が亀裂へ直撃した。
石壁全体が揺れ、一瞬遅れて亀裂を中心に石が崩れ落ちていく。
ガラガラガラッ!
よし!
人一人が通れるほどの穴が開いた。
壁を全部壊す必要なんてない。これだけ開けば十分だ。
「やった!」
「ありがとう、ココラ!」
「うん、早く出よう!」
俺とココラが穴を抜けようとした、その時。
「ご、ごめん……ちょっと助けて……」
後ろから弱々しい声が聞こえた。
振り返ると、シルヴィが片足を浮かせたまま、壁に手をついていた。
さっきまでの勢いはどこへ行った。
「お前、さては壁蹴って足やった?」
「……うん。すっごい痺れてる」
「そりゃ石壁を全力で蹴ればそうなるだろ……」
まったく。
でも、あの一撃がなければ、まだ壁へ何発必要だったか分からない。無茶ではあったが、亀裂を作ってくれたのも事実だ。
しょうがない。
俺はシルヴィの腕を肩に回した。
「歩けるか?」
「たぶん」
「ほら、体重かけろ」
「ありがと、レオ」
ココラが先に穴を抜け、俺もシルヴィを支えながら続く。
後ろには煙。
前には夜警。
ようやく、ここから抜け出せる。
穴を抜けた先には、いくつものランタンの明かりがあった。
「おい! お前ら、大丈夫か!」
「さっきの火魔法はお前たちか!?」
夜警だ。
その後ろには、倉庫番や荷運び人たちまで集まっている。
助かった……。
いや、まだ終わりじゃない。
ジュドーたちは逃げたし、倉庫の中には首を吊られかけていた人がいる。
煙の正体だって分からない。
見たことを、できるだけ正確に伝えないと。
「中に人が捕まってます!」
俺は路地の先にある倉庫の裏口を指差した。
「首に縄をかけられて、殺されそうになってた! 二人組です。男はジュドーって呼ばれてました。サイドソードと寸鉄、それにロックウォールを使います!」
夜警たちの表情が変わった。
「あと、煙が残ってます! ただの煙幕か、毒が混ざっているのかは分かりません。気をつけてください!」
分からないことは、分からないと言う。
勝手に決めつけて、これから中へ入る人たちまで危険な目に遭わせるわけにはいかない。
「2人、中を確認しろ! 煙を吸うな!」
「残りは周囲を見ろ! 逃走者を探せ!」
夜警たちが一斉に動き始めた。
シルヴィは痛めた足をかばいながらも、ホッとした表情を浮かべている。ココラもようやくルブラを下ろした。
それを見て、俺も大きく息を吐く。
とりあえず全員無事でよかった。
夜警を呼べたし、捕まっていた人のことも、きちんと伝えられた。
今は、それで十分だろう。
……ネズミを追いかけていただけのはずなんだけどな。
本当に、どうしてこうなった。




