第2章 Act.19 人が叱られているのを見るのは、痛たまれない
集められた6つの樽には、どれも十分すぎるほどネズミが捕まっていた。
ただ、朝に木炭で書いておいた設置場所を確認すると、捕獲数にはかなり差があった。
「ねえ、東側に置いた樽の方が多くない?」
ココラが言う。
「やっぱりそう見えるよな」
正確に数える気にはなれないが、ざっと見たところ、西側に置いた2つはそれぞれ30匹前後。中央付近の2つは40から50匹くらいで、東寄りの2つは70匹を超えていそうだった。
樽の大きさも、グローダグリスも同じ。餌も昨日まとめて作った物で、設置時間もほとんど変わらない。
なら、この差には何か理由があるはずだ。
「東側から来てるネズミの方が多いってことか?」
シルヴィが樽から十分な距離を取りながら言った。
「たぶんな」
もちろん、これだけで断定はできない。
たまたま近くに巣があっただけかもしれないし、樽を置いた位置によって入りやすさが違った可能性もある。
それでも、調べる方向を決める材料にはなる。
「昨日、巣とか侵入経路は調べたって言ってましたよね?」
俺は倉庫番へ尋ねた。
「ええ。それはもう何度も」
倉庫番は困ったように頭をかいた。
「床下も見ましたし、壁の穴も塞ぎました。扉の下も補強しましたし、怪しいところには罠も置きました。でも、しばらくすると別の場所から出てくるんですよ」
「周りの倉庫は?」
「似たようなもんです。うちだけじゃないんで、みんな自分のところは調べてますよ」
まあ、そうだよな。
これだけ商品を食われているのに、大人たちが何も調べていないはずがない。
ただ、話を聞いた限りでは、それぞれが調べているのは基本的に自分の倉庫だ。
30棟近くある倉庫街全体で、ネズミがどちらから流れてきているのかまでは、まだ分かっていないらしい。
それに――。
俺は『東1』『東2』と書かれた樽を見る。
これまでは、同じ罠を同じ時間に何か所も置いて、捕れた数を比べるなんてこともしていなかったはずだ。
今回、大量捕獲用の罠を6つ同時に置いたことで、偶然見えてきた情報だ。
「だったら、あっち側から調べよう」
俺は東側の倉庫群を指した。
「でも、何を探すの?」
ココラが尋ねる。
「ネズミが集まる理由」
巣そのものが見つからないなら、別の可能性も考えた方がいい。
これだけの数がいるなら、食べ物だって大量に必要になる。
「この辺で食料を置いてる倉庫がないか聞いてみよう。特にネズミが好きそうなやつ」
「うちみたいな穀物?」
「それもだけど、脂っこい物とか、甘い物とか、匂いの強い物だな」
豚脂みたいな脂。
チーズみたいな発酵食品。
甘い物なら蜂蜜もかなり怪しい。
ネズミだって、生きるためにわざわざ不味くて栄養の少ない物を選ぶ理由はないだろう。
「なるほど」
ココラが頷く。
「たくさん集まってるなら、それだけ食べられる場所が近くにあるかもしれないんだね」
「そういうこと」
シルヴィが東側を見た。
「だったら、ここで働いてる人に聞く方が早いな」
「シルヴィは知らないのか?」
「私だって、どこの倉庫に何が入ってるか全部知ってるわけじゃないよ」
商会の娘でも、他所の商会の在庫まで把握しているわけではないらしい。
俺たちは、まず近くにいた荷運び人たちに話を聞いてみることにした。
◇
「食い物?」
荷車へ空になった麻袋を積んでいた男が、手を止めた。
「はい。できればチーズとか脂とか、蜂蜜みたいな、ネズミが寄ってきそうな物を大量に置いてるところです」
「そりゃ何軒かあるぞ」
男は東側の通りを見る。
「食料を扱ってる倉庫なら向こうにもあるし、酒だってこぼれりゃ寄ってくるだろ」
やっぱり簡単には絞れないか。
「最近、特にネズミが多かったところとか知りません?」
シルヴィが聞く。
「それなら……どうだったかな」
男は近くで荷札をまとめていた仲間へ声を掛ける。
「おーい! この辺でネズミが酷かったとこ、どこだった?」
「今はどこも酷いだろ!」
「そりゃそうだ!」
これでは駄目だ。
それでも何人かに聞いて回るうちに、少しずつ情報が集まってきた。
東側にも穀物を扱う倉庫はある。干し肉や塩漬け肉を保管するところや、酒樽を大量に置いている商会もあった。
ただ、ネズミが特に好みそうな物を大量に保管している場所となると、候補はだいぶ減る。
「チーズと豚脂なら、あっちの食料商が置いてるな」
荷運び人の1人が教えてくれた。
「結構な量ですか?」
「ああ。町の食堂や宿にも卸してるからな」
1軒目。
さらに別の倉庫番から、
「甘い物なら、ダズエル商会じゃないですかね」
という話が出た。
「ダズエル商会?」
シルヴィが聞き返す。
「最近、ティリア・ハニーをかなり仕入れたって聞きましたよ。この辺の養蜂家と新しく取引を始めたとか」
ティリア・ハニー。
それならネズミにとっては、かなりのご馳走だろう。
「場所は?」
「あっちですよ。通りを2本向こうへ行ったところ」
これで、とりあえず2軒。
まずは近い方から見てみることにした。
◇
最初に向かったのは、チーズや豚脂を扱っている食料商の倉庫だった。
建物の周囲を見せてもらうと、確かにネズミの痕跡はある。
壁際には小さな足跡があり、木箱の角には齧られた跡。扉の下にも、何度かネズミが通ったらしい汚れが残っている。
だが――。
「うちとそんなに変わらないな」
シルヴィがしゃがみ込み、扉の下を眺める。
「そうだな」
ネズミ被害があるのは間違いない。
けれど、ウルフスター商会の倉庫と比べて、特別ひどいとは思えなかった。
話を聞いてみても、ここ数週間で増えたものの、周辺の倉庫と同じ程度らしい。
「うーん……ここじゃなさそう?」
ココラが言った。
「まだ分からないけど、ここが中心って感じはしないな」
次だ。
◇
2軒目へ向かう頃には、かなり時間が経っていた。
学校を出た時にはまだ明るかった空も、いつの間にか赤みを帯び始めている。
倉庫街の雰囲気も、昼間とは変わりつつあった。
荷運び人たちが空の荷車や道具を片付け、昼番の倉庫番たちも帰り支度を始めていた。
大きな倉庫扉が次々と閉まり、ガタン、ゴトンと閂を掛ける音が響く。
昼間は人と荷車で賑わっていた倉庫街も、少しずつ静かになっていった。
建物の間には長い影が伸びている。
「昼と全然違うね」
ココラが辺りを見回す。
「暗くなったら、あんまり来たくない場所だな」
俺も同感だ。
倉庫なんて昼間ならただの大きな建物だが、夕暮れになると途端に不気味になる。
窓は少なく、扉は分厚い。
ところどころに設置された魔導灯が、薄暗くなり始めた通りをぼんやりと照らしていた。
人が帰れば、中に何があるのか外からはほとんど分からない。
「こっちだ」
シルヴィが先を歩く。
教えてもらった場所には、中規模の倉庫が建っていた。
ダズエル商会が使っている倉庫らしい。
「……ん?」
近づいてすぐ、少し気になるものが目に入った。
「ここ見て」
ココラも気づいたらしい。
大きな木扉の下。
端の方が、細かく削られたように傷んでいる。
しゃがんで見る。
「齧り跡だな」
しかも少しではない。
古い物も新しい物も混じって、木材の角がかなり削られていた。
その横には新しい金属板が打ち付けられている。
最近補修したらしい。
壁際にも、小さな足が何度も通ったような黒ずんだ筋が残っていた。
少し先を見る。
そこにも。
さらに角を曲がる。
またある。
「……多いな」
俺が呟く。
「うちよりひどくないか?」
シルヴィの表情から、さっきまでの軽さが消える。
地面そのものは掃除されている。
糞もほとんどない。
ゴミが散らかっているわけでもない。
むしろ、周囲はかなり綺麗だった。
なのに、建物に残っている痕跡だけが異様に多い。
「最近、大掛かりに掃除したのかな」
ココラが言う。
「かもしれない」
塞がれた穴。
新しく打ち付けられた金属板。
齧られた扉。
何度もネズミが通った跡。
今ここに大量のネズミがいるようには見えない。
でも少し前まで、かなり酷い状態だったことだけは分かる。
「ここ、話を聞いた方がよさそうだな」
「だな」
シルヴィが頷く。
別に悪いことをしているわけじゃない。
ネズミ被害について聞きたいだけだ。
むしろ本当にここが原因なら、向こうも困っているはずだ。
俺たちはダズエル商会の人間を探して、倉庫の周囲を回った。
◇
荷物用の大扉は、すでに閉じられていた。
裏へ回っても、人の姿はない。
「もう帰ったのかな」
ココラが言う。
「さっきまで人がいた感じはするけど」
シルヴィが建物を見上げる。
完全に暗くなるまでは、まだ少し時間がある。
誰もいないなら、明日に回してもいい。
そう思った時だった。
「――それで?」
声が聞こえた。
女の声だ。
3人とも足を止めた。
「中に誰かいる」
ココラの長い耳が、声のした方向へ向いた。
倉庫の横にある人用の小さな扉。
閉まっているように見えたが、よく見るとほんの少しだけ隙間が開いている。
中から明かりが漏れていた。
俺たちはそちらへ近づいた。
「商会の人かな」
シルヴィが小声で言った。
声を掛けようとした、その時。
「……それで、いくら損したの?」
さっきよりはっきり聞こえた。
怒鳴ってはいない。
むしろ妙に静かな声だった。
扉の隙間から、倉庫の中が少しだけ見える。
三十代半ばくらいだろうか。身なりの整った女が立っている。
その前では、商会の従業員らしい男が俯いていた。
「管理方法は伝えたはずよね」
女は男を見据えたまま、冷たく言った。
何か失敗をして叱られているようだ。
シルヴィとココラも、何も言わずに倉庫の中を見る。
どうやら、倉庫で何か損失が出たらしい。
もしかすると、ネズミの被害について話しているのかもしれない。
さすがに叱られている最中へ割って入るのも気が引ける。
俺たちは、話が終わるのを少し待つことにした。




