第2章 Act.18 ヌルヌルになったネズミたち
翌日の早朝。
いつもよりかなり早く家を出た俺は、ココラと合流して北東の倉庫街へ向かった。学校へ行く前に、昨日考えた罠を仕掛けるためだ。
ウルフスター商会の倉庫へ着くと、すでにシルヴィが待っていた。
その後ろには、空の樽が6つ並んでいる。
「ちゃんと用意できたぞ」
「助かる」
俺はアイテムボックスから、昨夜作ったグローダグリスの容器を取り出した。
蓋を開ける。
半透明の液体が、朝の光を受けてぬらりと光った。
「じゃあ始めるか」
3人で手分けし、6つの樽へグローダグリスを分けていく。底には2〜3cmほど溜めて、落ちたネズミの足や腹へしっかり付着するようにする。
残りは大きなハケへ染み込ませ、樽の内壁へ塗っていった。
底だけでは、何匹も入った時に互いの身体を足場にして登られるかもしれない。だから内側も、縁の近くまで徹底的にヌルヌルにしておく。
「うわ……」
シルヴィが嫌そうな顔をした。
「こういうヌルヌルしたの、どうにも苦手なんだよな」
「ネズミには触らなくて済むぞ」
「……それなら我慢する」
ハケを上下させるたび、樽の内壁がてらてらと光っていく。
次に、樽底の中央へ端材で作った小さな木の台を置き、その上へ餌を載せた。
台はグローダグリスの表面から少し出る程度の高さで、壁からも十分離してある。
最後に、樽の外側へ細長い板を立て掛け、先端を樽の内側まで伸ばす。その先端部分には、グローダグリスをたっぷり塗っておいた。
匂いにつられて板を登ったネズミが、先端で足を滑らせ、樽の中へ落ちる仕組みだ。
一度中へ入れば、身体にもグローダグリスが付き、内壁へ爪を立てても滑って登れない。
まあ、実際にネズミが足を滑らせてくれるかは、試してみないと分からないが。
倉庫番にも聞き、特にネズミをよく見る場所へ6つの樽を分けて設置した。
あとで捕獲数を比較できるよう、それぞれの樽の側面に木炭で『西1』『西2』『中央1』『中央2』『東1』『東2』と設置場所を書いておいた。
これで準備完了。
俺は手についたグローダグリスを布で拭き取る。
「よし」
「終わった?」
「ああ。あとは待つだけ」
シルヴィが樽を見て、にやっと笑った。
「放課後が楽しみだな」
「私は、あんまり見たくないかも……」
ココラの長い耳が少し下がる。
「たくさん捕まってる方がいいだろ」
「それはそうなんだけど……」
まあ、気持ちは分からなくもない。
あとは倉庫番に様子を見てもらうよう頼み、そのまま学校へ向かうことにした。
果たして、グローダグリス製ネズミ捕りはどれくらい仕事をしてくれるのか。
結果が分かるのは、放課後だ。
◇
放課後。
昨日の騒ぎが嘘みたいに、倉庫街からは物騒な怒鳴り声が聞こえてこなかった。
もちろん荷車の音や、荷を運ぶ人たちの声は聞こえる。
だが昨日のような、
『そっちに行ったぞ!』
だの、
『ぶっ殺せー!』
だのといった声はない。
「……もしかして、結構うまくいった?」
隣を歩くココラが言う。
「だったらいいけどな」
「絶対うまくいってるって」
シルヴィは自信満々だった。
まだ結果を見てもいないのに。
ウルフスター商会の倉庫へ近づくと、朝にはなかった人だかりが見えてきた。
倉庫番や荷運び人らしい男たちが、6つの樽を遠巻きに囲んでいる。
どうやら、倉庫番たちがネズミの入った樽を1か所に集めてくれたらしい。
「あ、お嬢!」
昨日話をした40代くらいの倉庫番が、俺たちに気づいて大きく手を振った。
その顔は妙に嬉しそうだ。
「どうだった?」
シルヴィが駆け寄る。
「いやあ、すごいですよ、これ! 昼前にはもう何匹も入ってましてね。午後になったら、とんでもないことになりましたよ!」
「ほんとか!」
どうやら失敗ではなかったらしい。
俺も樽へ近づいていく。
その時だった。
カタカタカタ……。
「ん?」
樽が、小刻みに震えている。
中から、
キィキィキィキィキィキィキィキィキィ。
チュウチュウチュウチュウチュウチュウ。
ギィギィギィギィギィギィギィギィギィ。
何匹分か分からない鳴き声が、重なるように聞こえてきた。
……何匹いるんだ、これ。
俺はそのまま近づいたが、ふと気づいて後ろを振り返る。
ココラとシルヴィが、さっきいた場所から動いていない。
「来ないの?」
「…………」
ココラが困ったような笑顔を浮かべる。
「あはは……」
長い耳が、すでに後ろへ倒れていた。
その横では、シルヴィが腕を組み、なぜか樽とはまったく違う方向を見ている。
「シルヴィ?」
「私はここからでも結果は確認できる」
「できてないだろ」
「できる!」
何をそんなに真剣な顔で壁を見ているんだ。
仕方ない。
俺1人で確認するか。
一番近くの樽を覗き込む。
「うわぁ……」
思わず声が出た。
いた。
ものすごくいた。
樽の底では、何十匹ものネズミが折り重なるようにもがいている。
暴れ回るうちに、グローダグリスがネズミたちの全身へべったりと付着したらしい。どいつも毛から尻尾までヌルヌルだ。
壁を登ろうとする奴もいる。
だが、前脚を掛けたそばから、
ずるっ。
滑り落ちる。
下にいるネズミを踏み台にして飛びつく奴もいたが、そいつ自身もグローダグリスまみれなので、ろくに踏ん張れない。
ずるっ。
また落ちた。
「……これはひどいな」
いや、罠としては大成功なんだが。
隣の樽も覗く。
こっちもいっぱい。
その隣も。
さらにその隣も。
6つの樽すべてに、かなりの数が入っていた。
正確に数える気にはなれないが、全部合わせれば数百匹はいるんじゃないだろうか。
朝に仕掛けてから、まだ半日程度だ。
「レオン君!」
近くにいた荷運び人が、嬉しそうに声を掛けてくる。
「すごいな、これ! あれだけ捕まえても全然減らなかったのに、半日でこれだぞ!」
「こりゃ助かったよ」
別の倉庫番も笑顔で続ける。
「昨日まで仕事の途中でネズミ追っかけてばっかりだったからな」
「ありがとうございます」
褒められるのは素直に嬉しい。
もっとも、俺1人で考えた罠じゃない。
俺がやったのは、グローダグリスを思いついただけだ。
「ほら、2人とも。成功してるぞ」
振り返る。
「う、うん……」
ココラが恐る恐る近づいてきた。
シルヴィも、その後ろをついてくる。
なぜココラの後ろなんだ。
「見るだけだぞ」
「分かってるよ」
「別に怖くないし」
はいはい。
2人は樽から少し離れたところで足を止める。
そして、そろそろと上体を前へ傾けた。
「もうちょっと来ないと見えないぞ」
「分かってるって」
さらに一歩。
ココラが先に樽を覗く。
その横からシルヴィも顔を出した。
一瞬の沈黙。
「きゃああああああっ!!」
「ぎゃああああああっ!!」
見事な2重奏が倉庫に響き渡った。
ココラが勢いよく後ろへ下がり、長い耳をぺたりと伏せる。
シルヴィに至っては、俺の背中へ隠れていた。
「だから見たくなかったのに!」
「多すぎるだろ! なんであんなにいるんだよ!」
「捕まってた方がいいって言ってたのシルヴィだろ」
「限度がある!」
周囲の男たちから笑い声が上がる。
シルヴィは少し顔を赤くしながら、何事もなかったように俺の後ろから出た。
「……まあ、成功したならいい」
尻尾はしっかり下がっていた。
説得力がない。
◇
問題は、この後だ。
「これ、どうする?」
俺が聞くと、倉庫番が胸を叩いた。
「後はこっちでやりますよ。ここまでやってもらったんです。処理まで子供らにやらせちゃ、こっちの立つ瀬がありません」
「ありがとうございます。助かります」
正直、この量のネズミを処理する仕事までやりたいとは思わない。
特に後ろの2人は絶対に嫌がるだろう。
「樽も洗っておきます。まだ使えそうなら、また仕掛けてもらえますか?」
「もちろん。そのつもりです」
グローダグリスもまだ少し残っている。
必要なら、また作ればいい。
これでとりあえず、倉庫の被害を減らす方法はできた。
だが――。
俺は改めて6つの樽を見る。
半日。
たった半日で、これだけ捕まった。
昨日も倉庫猫や水樽、燻し煙を使って何匹も駆除していたはずだ。
それなのに、この数。
「……やっぱり、おかしいよな」
「うん、多過ぎると思う」
ココラが頷く。
「昨日もかなり捕ってたんですよね?」
俺が倉庫番へ聞く。
「ええ。毎日ですよ」
「それで今日、これだけ捕れた」
「……そうですね」
さっきまで笑っていた倉庫番の表情が、少し曇った。
シルヴィも樽から目を逸らしたまま頷く。
「だから言っただろ。いくら捕っても減らないんだ」
そうだった。
罠そのものは成功した。
これで数を減らし、被害を抑える手段はできた。
だが、本来の問題が解決したわけじゃない。
むしろ、これだけ大量に捕まったことで、異常さが前よりはっきりした。
普通なら、毎日のように駆除していれば少しずつ数は減るはずだ。
それでも次から次へと現れる。
どこかに、これだけのネズミが集まってくる理由がある。
「じゃあ、予定どおり次は発生源を探そう」
ココラが頷く。
「うん。これだけ捕れたなら、早めに調べた方がよさそうだね」
「ああ」
餌なのか。
大きな巣があるのか。
それとも、別の何かなのか。
捕まえる方法はできた。
なら次は、どこから来ているのかを確かめる番だ。
「よし」
シルヴィの尻尾が少し持ち上がる。
「今度こそ原因を見つけようぜ」
「うん」
ココラも頷いた。
俺たちは倉庫番たちにネズミの処理をお願いし、片付ける前に、6つの樽をもう一度見比べることにした。




