第1章 Act.4 冒険者の仕事は、勝つことじゃない
ボサボサの焦げ茶色の髪に、無精髭。年季の入ったレザーアーマーにショートスピア、腰には小さなバックラーを下げている。
これぞ低級冒険者という見本のような出で立ちだ。
首にかかった冒険者プレートは緑。
このくらいの歳まで長く冒険者をやっているなら、青になっていてもおかしくない。長い間同じランクだったためか、プレートの塗装はあちこち剥げていて、妙に見すぼらしく見えた。
「あれっ、講師ってバンさんなの?」
「不満かオイ。これでも20年以上、冒険者を続けてるベテランだぞ?」
「うん、そこは素直に尊敬してるけど、バンさん、町じゃ有名な万年緑ランクの冒険者じゃん? 見た目も全然講師っぽくないし」
「えっと……せめて髪に櫛を通すだけでも、少しは雰囲気が良くなると思います」
ココラが真面目な顔で言った。
悪意はない。
むしろ親切心だ。
だが、たぶんその分きつい。
「嬢ちゃんまでひでえなぁ。櫛を通してこれなんだよ」
「あっ、ごめんなさい……」
「いや、謝る必要ないから。ココラの助言はまったく正しい。櫛を通せば十分だと思ってるバンさんが悪い」
「そ、そうだよね。見た目は大切だよね!」
「……おまえら喧嘩売りに来たんか?」
バンさんは力なく肩を落とした。
こんな冴えない見た目のバンさんだが、町では意外と顔が広い。
長年この辺りで仕事をしているだけあって、近隣の村にも顔がきくし、町でもバンさんに仕事を頼みたいという人はけっこう多い。
「実はな、本来の講師は町の緊急依頼で来れなくなった。で、代わりの講師がいないか探したが見つからず、結局オレにお鉢が回ってきたってわけだ」
「講習内容は?」
「変わる。だから別に受けなくてもいい。実際、他の連中は帰っちまったしな」
そう言われて周囲を見ると、確かに講習を待っていたはずの若者たちは見当たらない。
「一応、内容だけ聞いていい?」
「おう。内容はだな――」
バンさんはそこで、少しだけ背筋を伸ばした。
「長年冒険者として、オレが生き残ってこられた秘訣だ」
その言い方だけは、さっきまでと少し違った。
軽いようで、軽くない。
「できたら受けてほしいが、どうだ?」
俺は少し考える。
このおっさんは魔法が使えない。槍が強いという話も聞いたことがない。派手な武勇伝もない。
にもかかわらず、20年以上この仕事を続けている。
その秘訣が聞けるなら、悪くない気はする。
「レオン」
ココラが小さな声で言った。
「私は受けた方がいいと思う」
「理由は?」
「強い人の話は、たぶん学校でも本でも聞けると思う。でも、派手に強くないのに20年以上続けてる人の話は、聞ける時に聞いた方がいいよ」
なるほど、同じ意見のようだ。
「いいねぇ、嬢ちゃん。で、おまえはどうよ?」
「いや、なんか今晩の酒代を稼ぎたくてしょうがない雰囲気が漂ってるのは気のせいか?」
「ははは、酒代稼ぎたいのは正解だから否定はできんな」
……まあ、理由はともかく聞いてみたくはあるか。
「お願いしようと思うけど、ココラもいいか?」
「うん、いいよ」
「よっしゃ、じゃあこっちだ」
バンさんは頭をかきながら、受付の隣にある小部屋へ案内した。
小部屋には古い机と椅子がいくつか並んでいて、壁には周辺の簡単な地図が貼られている。
講習というより、依頼前の打ち合わせ場所といった雰囲気だ。
「いいか。よく冒険は準備が大切だという」
バンさんは壁の地図を指で叩いた。
「事前の情報収集。その情報から推測できる必要な道具や装備。天気、地形、魔物の種類、依頼主の性格、村人の噂。呪物の回収なら、ギルドの指示に従って封印用の道具や専門家を手配する。間違っても、自分たちだけで何とかしようとするな」
そこまでは、学校でも聞いたことがある。
冒険者の基本。
準備をしろ。無茶をするな。装備を整えろ。
「だがな、これだけじゃまだ足りない」
バンさんは、地図の森の手前を指した。
「オレが生き残ってこられた理由は、常に複数の退路を確認していたことだ。それと、想定外が起こった時にどう動くかを、事前に決めていたことだ」
「退路かぁ……森の中って、道が一本しかないイメージだけど」
ココラが小さく首をかしげた。
「一本道に見えても、獣道や斜面伝いに逃げられる場所は意外とある。歩きながら探すんだよ」
「想定外って、例えば?」
「一番多いのは、敵が思ったより多い時だな」
バンさんは即答した。
「ゴブリン3匹と聞いて行ったら7匹いた。スライム1匹と聞いて行ったら、奥に巣があった。獣の足跡だと思ったら魔獣だった。依頼主が嘘をついてなくても、情報は普通に間違う」
「依頼主が嘘をつくこともあるんですか?」
ココラが眉をひそめた。
「ある。報酬を安く済ませたいから、危険度を低く言う奴もいる。逆に、自分が怖がりすぎて危険を大きく言う奴もいる。どっちにしろ、依頼主の言葉をそのまま信じるな」
「なるほど」
ココラは小さな手帳を取り出して、さらさらと書き込み始めた。
「それから、逃げる時の合図や条件を決めとけ」
「合図?」
「そうだ。『逃げるぞ』なんて叫べる余裕があるとは限らねえ。笛を1回吹いたら退却、2回なら集合、3回なら散開。なんでもいい。声でも手振りでもいい。だが、事前に決めてなきゃ意味がない」
「俺らも今度、合図決めとくか」
「そうしとけ」
バンさんは机の上にあった小石を3つ並べた。
「次に集合場所だ。逃げた後、どこで合流するか決めておけ。これを決めてない奴らは、逃げた後に仲間を探して死ぬ」
「はぐれても、探しに行っちゃダメってことか」
「戻るなとは言わん。だが、戻る条件を決めておけってことだ」
バンさんは俺を見た。
「例えば、仲間が転んだ。敵は3匹。距離は10歩。助けられるか?」
「状況による」
「そうだ。状況による。だから事前に決める。敵が2匹以下なら助けに入る。3匹以上なら煙玉を投げて下がる。血を流して動けないなら盾役が前に出る。そういう決め事がないと、その場の感情で動く」
バンさんは小石を1つ弾いた。
「その場の感情で動く奴から死ぬ」
俺もココラも黙り込んだ。
軽い声なのに、内容は重い。
「あと、捨てる荷物も決めとけ」
「荷物なんて、その場で判断すればよくない?」
「その場で判断できるならな。だが人間、いざとなると荷物を捨てられない。高かったから。借り物だから。依頼品だから。そう考えて足が遅くなる」
「依頼品でも?」
「依頼品でもだ。もちろん、失敗すりゃ信用は落ちる。弁償もある。だが死んだら終わりだ。戻れれば、謝ることも働いて返すこともできる」
バンさんは、そこでにやりと笑った。
「冒険者の仕事はな、勝つことじゃねえ。生きて帰って報酬をもらうことだ」
なるほど。
派手さはない。
だが、やけに現実的だ。
「あと、これは意外と大事なんだが」
バンさんは自分の髪をつまんだ。
「見た目も装備の一部だ」
「バンさんが言うと説得力あるな」
「悪い見本としてな!」
本人が言うのか。
「オレだって昔は固定パーティーを組んでたんだぜ?」
「へー、その人たちは? ……あ、もしかして」
「あぁ、オレだけ残してな……」
バンさんは遠い目をした。
「出世して、みんな今じゃ青ランクだよ。フッ……」
「フッ……じゃねえよ! 死んだのかと思って損したわ」
「でも、一緒のパーティーなら、そのままいれば今よりいい生活ができたんじゃないですか?」
ココラが首をかしげる。
「だよな。バンさんって一応斥候職だし、いなくなるとパーティーも困ったんじゃないの?」
「オレはこの町を離れたくなかったし、身の丈に合わねえ仕事まで受ける気もなかった」
「町に残るのも、悪くない選択だったんですね」
「悪くないさ。ただ、お前らは違うんだろ?」
バンさんが俺とココラを交互に見る。
「……いつかは、外を見てみたいです」
「だろうな。まあ、それも悪くねえ」
バンさんは苦笑した。
「それに仕事を受ける時、貴族とか商人に話を聞きに行くだろう? そこでどうも、オレを見る目がなぁ。なんというか、『こいつに仕事を頼んで大丈夫か?』みたいな目で見られるんだわ」
「あー、そこでも見た目が問題になったのか」
「あぁ。依頼先であいつらの足を引っ張ることもあったし、やりたい仕事も違ってきてた。それでオレはティリアガルデンに残った。仲違いしたわけじゃねえけどな」
バンさんは肩をすくめた。
「一応反省して、今では髪くらいは櫛で整えている。……あまり意味はなかったようだが、多少は気を遣うようになったんだぞ。ただ、見栄えのいい装備や服には金がかかるし、顔や身体つきはどうしようもねえからな」
なるほどね。
前世でも、見るからに仕事ができなさそうな相手へ大事な仕事を頼むのは不安になる。それが身分差の大きい貴族社会なら、なおさらだろう。
「まっ、実績を積めば認めてくれる奴も出てくるが、時間はかかっちまう。第一印象で損しないに越したことはねえってことだ」
「見た目……か。俺ももうちょっと筋肉つけて、マッチョになった方がいいかなぁ?」
「うーん、私は今くらいの方が好きだけど……」
ココラがぼそっと言った。
「え?」
「なんでもない」
耳が少し伏せられる。
聞こえてたけど、ここは聞こえてないふりをするのが紳士というものだ。
「おまえらはまだ心配しなくてもいいぞ」
バンさんが笑う。
「レオンはこれから身長も体重も伸びるだろうし、魔法と鍛冶ができる。それだけでも十分売りになる。魔道具までいじれる冒険者は便利だからな」
「便利枠か」
「便利枠は強いぞ。依頼主にも仲間にも重宝される」
それからバンさんはココラを見た。
「嬢ちゃんは上品な雰囲気がある。貴族や商人から仕事を受ける時はプラスだ」
「え、そうですか?」
「ああ、自信を持っていい。特にこの国じゃ、兎は平穏と幸運の象徴だからな。それだけで仕事が来るわけじゃねえが、第一印象で得をすることはある」
「じゃあ、服もちゃんとした方がいいですね」
ココラの耳がぴんと立った。
「お、食いつくところそこか」
「大事だよ。冒険者でも、見た目が信用に関わるなら、動きやすくて、ちゃんとして見える服が必要だと思う」
「目の付け所がいいねぇ、嬢ちゃん」
「ありがとうございます」
ココラは嬉しそうに笑った。
「さて、今日の話はここまでだ」
バンさんは机を軽く叩いた。
「本当は、地図の読み方や足跡の見方も少し話そうと思ったが、口で言っても分からん部分が多い」
「じゃあ、どうするんだ?」
「明日、学校は休みだろ?」
「休みだけど」
「なら、町の外で斥候の基礎を見てやる。西の森の手前なら危険も少ない。足跡、風向き、音の聞き方、隠れる場所、退路の取り方。そういうのは外で見た方が早い」
「おお、実地訓練か」
「ただし、遊びじゃねえぞ。森に入る前に、装備確認からやる。荷物が多すぎる奴、音が鳴る奴、歩き方が雑な奴は、その場で直す」
バンさんはにやりと笑った。
「あと、講習代とは別に昼飯くらいは奢れ」
「やっぱり酒代じゃねえか」
「昼飯だっつってんだろ。酒は夜だ」
「否定になってねぇ」
ココラがくすくす笑った。
「でも、私は行きたい。レオンも行くよね?」
「もちろん。こういうの、聞ける時に聞いといた方がいいしな」
「よし、決まりだ」
バンさんは壁の地図の西側を指で叩いた。
「明日の朝、町の西門前に集合だ。遅れるなよ、若いの」
◇
翌日。
学校が休みだったので、俺とココラは朝から装備を整え、少し早めに町の西門へ向かった。
着いた時には、まだバンさんの姿はなく、俺たちは門の邪魔にならない場所で装備を確認しながら待った。
しばらくすると、バンさんがやって来た。
昨日と同じく、冴えない格好だ。
年季の入ったレザーアーマーを身につけ、右手にショートスピアを持ち、左腕には小型のバックラーをつけている。
ただ、今日は腰に短剣と小型手斧を下げ、背中には小さな荷袋も背負っていた。
ボサボサの焦げ茶色の髪と無精髭は相変わらずだが、昨日よりずっと冒険者らしく見えた。
「おう、もう来てたのか。待たせたか?」
「いや、俺たちが早く来ただけ。おはよう、バンさん」
「おはようございます」
「おう、おはよう。時間に余裕を持って来るのはいいことだ」
バンさんはそう言うと、俺たちの格好をじろりと見た。
「よし、まずは荷物を見せろ。斥候は歩く前から始まってる」
俺は動きやすい服の上から革の胸当てをつけ、腰には片手剣と予備の短剣。荷袋には小型の魔導ライト、簡単な治療道具、水筒、縄、簡素な調理器具を入れている。
ココラは大型のナイフと小楯を身につけ、動きやすい服の上から軽い革の胸当てをつけていた。背中には小さな荷袋を背負い、髪飾りは小さく、耳の邪魔にならない位置に留めている。
「ふむ、嬢ちゃんの荷物は問題なしだな。よくまとまってる」
バンさんはココラの荷物を確かめ、うんうんと頷く。
「レオン、おまえの荷袋はちょっと音が鳴るな。中で金具が当たってる」
「まじか」
「斥候が歩くたびにカチャカチャ鳴らしてどうすんだ。敵に『ここにいます』って言ってるようなもんだぞ」
「うぐっ」
「まずはそこからだ」
こうして俺たちは、バンさんから斥候の基礎を教わることになった。




