第1章 Act.3 宿題を忘れた俺に、彼女の視線が突き刺さる
翌日、俺は徹夜明けの眠気をこらえながら学校へ向かった。
この世界では、学校に通うこと自体に大きな価値がある。
日本なら大学を出ても珍しくはないが、この世界では学校に通えるだけでも一部の子供に限られる。
商人、職人、役人、教会関係者、裕福な農家の子供。それから、村の推薦を受けた子供たちくらいだ。
読み書きと計算ができるだけでも、役場、商会、ギルド、工房での扱いはかなり変わる。さらに卒業できれば、町が能力と身元を保証した人間として見てもらえる。
つまり、学校を卒業しておいて絶対に損はない。
眠いから休みたい、なんて理由で放り出せるものではない。それに、学校を休んで家にいたところで、オヤジの手伝いが待っているだけだしな。
学校は、町の中心から少し西へ外れた場所にある。
石の基礎の上に建つ、古い木造二階建ての校舎だ。
生徒の中には古臭くて嫌だという奴もいるが、俺はけっこう気に入っている。前世では海外旅行なんてしたことがなかったから、なおさらだ。
西洋ファンタジー感の漂う木と石の建物や町並みは、見ているだけでも楽しい。
曲がりくねった大きな栗の木を、その形のまま柱や梁として使っている場所もある。おかげで校舎の中にいると、巨大な木の内側へ入り込んだような気分になるのだ。
前世の建築基準法なら一発でアウトかもしれないが、ファンタジー世界の学校としては百点満点である。
ギィ、と音を立てて木の扉を開ける。
「おはよう」
教室へ入ると、「はよー」とか「おー」とか、いつもどおりの適当な返事が返ってきた。
自分の席に着くと、前の席に座る少女が、くるりとこちらを振り返った。
「おはよう、レオン! ……って、すごい顔。眠そうだね?」
彼女の名前はココラ。俺より1つ下の13歳で、近隣の村から推薦を受けて学校へ通う優等生だ。
そして何より、俺の彼女でもある。
真っ白なセミロングの髪に、綺麗な赤い瞳。俺より頭1つ分ほど背が低く、頭の上から長い兎耳をぴんと伸ばした兎人族だ。
初めて学校で会った頃は、子供らしい可愛さの方が強かった。だが最近は、顔つきや仕草が少しずつ大人びてきたように思う。
もちろん、文句なしの美少女だ。
3年半ほど前、学校へ入学した日にダメ元でお茶へ誘い、その日のうちに告白したところ、驚くほどあっさりOKをもらえた。
当時の俺は、やはりイケメンは得をするのだと、身をもって実感したものだ。
今では互いの家族も俺たちの関係を知っている。正式な婚約こそしていないが、将来を考えた相手として交際を認めてもらっていた。
ちなみにココラの家はかなりの大家族で、父親には妻が3人いる。ココラは2番目の母親の子供だ。
この世界では、戦争や魔獣との戦いで男が命を落とすことも多い。そのためか、複数の妻を持つ家庭も、それほど珍しいものではない。
その父親は元兵士で、今は村の自警団長をしている。
初めて交際の挨拶に行った時は、向かいに座ったまま無言でじっと睨まれた。
「娘を泣かせたら分かってるな」とでも言われるのかと思ったが、結局ほとんど何も言われなかった。
何も言われない方が怖いということを、あの日初めて知った。
あとでココラに聞いたら、
「お父さん、あれでもレオンのこと気に入ってたよ?」
と言われた。
……あれで?
前世では一度も彼女ができず、童貞のまま死んだ俺にとって、ココラと付き合えたことは、この世界へ来てから一番嬉しかった出来事である。
「むー、また徹夜で魔道具作り? 将来の旦那様の顔に、クマが標準装備されるのは嫌だよぉ」
ココラは両手で頭を抱え、そのまま俺の机へ突っ伏した。
「いやー、これには深いわけがありまして……」
「どんなわけ?」
顔を上げたココラが、少しむっとした目を向けてくる。
だが、まるで迫力がない。むしろ可愛い。
「緊急の仕事が入ってさ。オヤジの手伝いで寝られなかったんだ」
「鍛冶で緊急って珍しいね。何があったの?」
「酔っ払いの魔法使いが、エーテル浄化設備の排水管をぶっ壊したんだとさ」
「うわぁ……それはまた、派手にやっちゃったね。その魔法使いさん」
状況を思い浮かべたのか、ココラは何とも言えない顔で上を見た。だが、すぐにこちらへ視線を戻す。
「それはそれとして、宿題は?」
「……あ」
「その反応、やってないね?」
ココラの長い耳が、ぴくりと立つ。
こういう時のココラは、ちょっと怖い。
学級委員になってから、以前よりも厳しくなった気がする。
「いや、途中までは考えてたんだよ?」
「考えてただけだよね?」
「構想はある」
「形は?」
「ない」
「じゃあ、ないのと同じだよ」
ココラは「はぁ……」とため息をつき、困ったように眉をハの字にした。
俺より年下なのに、言っていることはすっかりお姉さんのそれだ。
……いや、俺がだらしないだけだが。
「居残りになったら、今日の冒険者ギルドの講習に遅れちゃうよ?」
「ああっ、やべえ、そうだった! ……うーん、休み時間に適当に作って、でっち上げるか」
「ちゃんと作らないと、成績に響くよ?」
「授業中に内職すれば間に合うって。ココラは何を作ったんだ?」
「また内職って、もう……。えっとね」
ココラは鞄を開け、布に包まれた小さな魔道具を取り出した。
見覚えがある。
「あ、俺のライト」
「そう! クリップライト、だっけ? 便利そうだったから真似して作ってみたの。どう、ちゃんとできてる?」
この世界には、携行用の明かりとして魔導カンテラがある。
ただ、正直なところ、かさばるうえに使いにくい。
そこで俺は前世の記憶を参考に、小型の魔導ライトを作った。さらに、服や鞄へ固定できるよう、金属製のクリップも取りつけてある。
できるだけ快適な冒険者生活を送るため、俺はさまざまな道具を作っては、成功したり失敗したりしているのだ。
ちなみに、特許を取れないかとオヤジに相談したところ、
「考えは悪くねえが、機能の要はありふれたもんだ。ちょっと魔道具をいじれる奴なら真似できる。ここまで小さくした腕は買うが、中堅どころの技師なら作れなくもねえ。特許で食いたけりゃ、新しい理論か、真似したくても真似できねえ物、さもなきゃ誰にも理屈の分からねえ物を作れ。でねえと、汚え貴族や商人に食い物にされて終わりだ」
という、この世界ならではの世知辛い意見をいただいた。
まあ、そうですよねー。
前世でも、パクっただのパクられただのという話は山ほど聞いた。権利を守る仕組みが弱いこの世界なら、なおさらだ。
学校では、基礎的な魔道具の作り方や手入れ方法も教わる。
とはいえ、すべてを一から作るわけではない。外装や基本部品には既製品を使う。生徒が自作するのは主に魔導回路で、屑魔石にも、その回路と噛み合うよう刻印を施さなければならない。
今回のクリップライトは、小さな外装の内側へ細かな回路と魔法文字を刻む必要がある。
見た目以上に難しいはずなのだが……。
俺はココラからライトを受け取り、窓から差し込む朝日にかざしながら、角度を変えて確かめた。
「おお、ほとんどそのまま再現できてる。ここの回路、よく潰さなかったな」
「えへへ、そうでしょ? そこの刻印、すっごく大変だったんだよ!」
ココラは得意そうに何度も頷いた。
「だろうな。ここ、普通に難所だし」
「それにね、レオンのより可愛くなるように白く塗って、スイッチのところはドングリの形に彫金したんだよ!」
よく見ると、金属製のスライドスイッチが、小さなドングリを模した形になっている。
なんだこの子。
卒業後は、これだけで食っていけるんじゃないか?
「たしかに。俺のより売れそうだ」
「でしょ?」
ココラが得意げに笑った。
うーむ。
「どうしたの?」
「いや、あと何年かしたら、綺麗なお姉さんって感じになりそうだな、おまえ」
「……もう。またそうやって、女たらしみたいなこと言う」
ココラは呆れたように息をつく。
「毎日のように言われたら、そのうち効かなくなるよ?」
そう言いながらも、長い耳の内側が少しだけ赤くなっている。
「こらこら。口説くのは授業が終わってからにしなさい。今から授業を始めますぞ」
いつの間にか、先生が教壇に立っていた。
ココラは慌てて前を向き、俺も何事もなかったように姿勢を正す。
先生は立派な髭を撫でながら、俺に視線を向けた。
「それからレオン。まだ宿題が終わっていないようだが、妙な魔道具を作るのはやめなさい」
「妙な物とは失礼な。まだ何も作っておりませんよ」
先生の視線が、机の上へ落ちる。
そこには、ココラと話しながら取り出していた魔道具の部品が、所狭しと並んでいた。
「……宿題は、シンプルな小型魔道具を1個製作すること、と言ったはずだが。なぜこれほど部品があるのかね?」
「えー、一見シンプルな魔道具でも、中身までシンプルとは限りませんから……」
「今回の宿題は、見た目だけシンプルにしろという意味ではないぞ」
「分かっています。使いやすくするための工夫です」
「その工夫とやらで余計な機能をつけるのはやめなさい。特に、授業中に試すのは禁止だ」
「まだ何も作っていないのに、そこまで言います?」
「君の場合は、作る前に言っておかねば間に合わん」
先生の反応が冷たいのには理由がある。
以前、授業中の内職で、水を浄化する拳大の魔道具を改良し、空気を浄化できないかと試したことがあった。
結果は真逆。
空気中に漂っていた微かなカビ臭さだけを拾い集め、それを何倍にも増幅して、教室中へ一気に放出してしまったのだ。
先生に涙目で「頼むから勘弁してくれ」と言われたのも、今となっては楽しい思い出である。
たしかに、あれは外で試すべきだったかもしれない。
そもそも、なぜ空気を浄化する魔道具が必要なのかといえば、これも冒険者になるための準備だ。
洞窟やダンジョンの中にはモンスターがいる。
討伐すれば死体が残るし、排泄物や血の臭いもある。湿った場所なら、カビだって生えているだろう。
いつでも臭いの元から離れられるとは限らない。そんな環境で長く過ごせば体調に悪影響が出てもおかしくないし、死臭や獣臭の漂う場所では食事を取るのもきつい。
この魔道具が完成すれば、せめてテントの中だけでも空気をましにできるかもしれない。
それに、臭いに敏感なココラのためでもある。
教室のあちこちから漏れる笑い声の中で授業が始まり、俺は机の陰で宿題を片づけながら、失敗した空気浄化の術式をどう改良するか考え続けた。
◇
結局、宿題は午前の休み時間と昼休み、それから授業中の隙間を使って、どうにか形にした。
出来としては、まあ、怒られない最低限の水準だ。
ココラには「本当にぎりぎりだよ」と呆れられたが、居残りにならなかっただけ勝利である。
放課後、俺たちは冒険者ギルドへ向かって走った。
石畳を蹴り、荷車と買い物客の間を縫って、菩提樹の並ぶ通りを全力で駆け抜ける。
ようやくレンガ造りの建物が見えた頃には、2人ともすっかり息が上がっていた。
「はぁ、はぁ……間に合った!」
「ふぅ……よかったね、レオン!」
扉を押し開けて受付まで駆け込むと、「講習はまだ始まっていないよ」と受付のおばさんに笑われてしまった。
冒険者ギルドはレンガ造りの二階建てで、この町ではかなり立派な建物の部類に入る。
受付窓口は1つしかなく、働いているのも、ギルド長と副ギルド長、それに3人の職員を合わせた5人だけだ。
それでも、この町と周辺の村々から依頼や相談を受け付ける公共施設として、なくてはならない場所だ。
冒険者のランクは、赤、黄、緑、青、紫、ブロンズ、シルバー、ゴールド、ミスリルの順に上がっていく。
ちなみに、俺もココラもまだ赤ランクだ。
低ランクの赤や黄は、冒険者というより単発の仕事を請け負う人々に近い。
専業の冒険者でなくても登録でき、農閑期の農民が出稼ぎに利用することもある。町の清掃や雑用、採取など、危険の少ない仕事が中心だ。
弱いモンスターが出た時には、討伐依頼の応援へ回される場合もある。
ただし、役目はモンスターを逃がさないよう周囲を囲む程度で、基本的に直接の戦闘には加わらない。
俺も10歳頃から、小遣い稼ぎのために時々仕事を受けている。
読み書きと計算ができ、簡単な魔法も使えるので、同年代としては比較的割のいい仕事を回してもらえるのだ。ココラともよく組んで稼いでいる。
このギルドには酒場が併設されていないし、ガラの悪い大人たちが昼間からたむろしているわけでもない。
前世でいうなら、職業紹介所――というか、俺の感覚ではほとんどハローワークである。
異世界ファンタジーによく登場する不良冒険者のような奴は、少なくともこのギルドにはいない。
そういう連中もいるにはいるが、大抵は安酒場か、治安のよろしくない地区にある安宿へ集まっている。
正直、少し物足りない。
一度くらい、見た目で俺を侮った馬鹿な冒険者から安い喧嘩を売られ、火魔法で黒焦げにしたあと、
『な、なんだ、あのガキ……とんでもねえ新人が入ってきやがった!』
などと、周囲から恐れられてみたかった。
「レオン。今、ちょっと変なこと考えてたでしょ」
「なんで分かった?」
「顔が悪かった」
「顔が?」
「悪かった」
……ひどい。
「おっ、鍛冶屋の倅と、相方の嬢ちゃんか。そろそろ講習を始めっぞ」
二階から、頭を掻きながら、ひょろりとした体格の中年冒険者が気怠げに降りてきた。




