第2章 Act.7 久しぶりの登校、空気が不穏
翌朝、俺は久しぶりに学校へ向かった。
見慣れた通学路も、校舎も、以前と何も変わっていない。
ただ、そこを歩く生徒たちの反応だけは、以前と違っていた。
校門に近づくにつれ、登校中の生徒たちが妙に俺から距離を取るようになった。
さっきまで道の真ん中を歩いていた連中が、俺に気づくとさりげなく端へ寄る。何人かは通り過ぎた後で振り返り、こちらを見ながらひそひそと話していた。
時折、途切れ途切れに声が聞こえてくる。
「……あいつが……」
「……こわ……」
最初は、長く休んでいたせいで珍しがられているのかと思った。
だが、それにしては好奇心より警戒の色が強い。
まるで、いつ破裂するか分からない魔石でも見るような目だ。
……何だよ、この空気。
妙な居心地の悪さを感じながら校門をくぐると、門の脇に立っていた先生から呼び止められた。
「レオン。担任の先生が呼んでいるぞ。教室へ行く前に、教員室へ寄るように」
「……はい」
教員室へ呼び出されるというだけで、何も悪いことをした覚えがなくても落ち着かなくなる。
前世の学校と変わらない、何とも妙な感じだ。
教員室へ入り、担任のミゲル先生の机へ向かう。
「来たか。まずは座りなさい」
先生は近くにあった椅子を自分の机の横へ引き寄せ、俺を座らせてくれた。
それから顔色を確かめるように俺を見つつ、傷は痛まないか、体調は大丈夫かと尋ねてきた。
「もう大丈夫です。治療師から学校へ戻っていいと言われました」
「そうか。大変だったな。しばらくは無理をするでないぞ」
「はい」
先生は安心したように頷くと、少しだけ表情を改めた。
「ワシもこの町の生まれだからな。町の中にダンジョンができたと聞いた時は、肝が冷えた。お前たちが無事に戻り、ダンジョンまで攻略してくれた。本当にありがとう」
いつもの先生の声だが、その言葉は真剣だった。
俺も自然と姿勢を正す。
「いえ。バンさんとココラがいなければ、俺も帰ってこられませんでした。それに、助けに来てくれた人たちもいますから」
「うむ。それでも、お前が命を懸けて戦ったことに変わりはない」
先生はもう一度頷くと、机の端に置いていたお茶を一口すすった。
それから、今度は少し申し訳なさそうに眉を下げる。
「それでな。戻ってきたばかりのお前に、こんな話をするのも気が引けるんじゃが……」
何だか嫌な予感がする。
「実は、お前のことで少し妙な噂が立っておる」
……妙って何だよ。
校門までの生徒たちの反応が頭をよぎる。
「あの、妙な噂というのは?」
「うむ。ダンジョンの中で、お前が作った魔道具を使い、魔物の群れをまとめて吹き飛ばした――という噂じゃ」
「は?」
話が育ちすぎだろ。
どうやらモンスターハウスでの出来事が人づてに広まるうちに、ずいぶん派手な話へ変わってしまったらしい。
「いや、あくまで噂じゃぞ。ワシも、まさかそんな危険な物を持っておるとは思っておらん。思ってはおらんのじゃが……持っておらん、じゃろ?」
あれ?
先生もちょっと疑っていませんか?
「やだなあ。そんな物、持ってるわけないじゃないですか」
「はっはっはっ! そうじゃろう、そうじゃろう。いやあ、よかった、よかった」
先生が笑った直後、それまで妙に静かだった教員室のあちこちから、小さく息を吐く音が聞こえた。
止まっていた羽根ペンが動き出し、紙をめくる音も戻ってくる。
あれ?
ほかの先生方も、聞き耳を立ててました?
「うむ。なら問題はない。ただし、また授業中に妙な魔道具を動かして、教室中をカビ臭くするような真似はするでないぞ。頼むな」
「はい……」
ここは素直に頷くしかない。
身から出た錆、というやつか。
俺はただ、空気をきれいにしたかっただけなのに。
教員室を出て、そのまま自分の教室へ向かった。
扉を開けると、それまで聞こえていた話し声が一瞬だけ途切れる。
「おはよう」
「お、おう。おはよう」
「おはよう、レオン……さん」
さんって何だよ。
休む前まで、普通に呼び捨てだっただろ。
妙な視線を感じながら自分の席へ着くと、前の席のココラが、いつもどおり振り返った。
「おはよう、レオン」
他の奴らとは違い、いつもどおりの笑顔で挨拶をしてくれる。
今日はそれが妙にありがたい。
「おはよう、ココラ。今日も美人で素晴らしいな」
ココラは少し呆れたように眉を寄せた。
「もう。そんなことより、変な噂のこと、ちゃんと説明しなくていいの? みんな怖がってるよ」
「うーん……。俺が違うって言って、みんな素直に信じてくれるかな?」
ココラは教室の中を見回した。
何人かと目が合ったが、全員が慌てたように顔を逸らす。
「……そうだね。レオンが説明すると、余計に怪しまれそう」
「おい」
「今は、このままにしとこっか」
……あの、ココラさん?
そこは恋人として、もう少し強く否定してくれてもいいんじゃないか?
「まあ、日頃の行いが悪いのは俺だし、仕方ないか」
「そうだよ。これからは気をつけようね、レオン」
「ハイ……」
教室で唯一、いつもどおりに話してくれる味方がこれでは、もう諦めるしかない。
「そういえば、預けていた例の魔石の鑑定結果が出るんだ。放課後、一緒に聞きに行かないか?」
「そっか、もちろん行くよ。どんな効果がついているのか楽しみだね。あのカエルから取れた魔石なら、やっぱり水に関係してるのかな?」
ココラは頬に人差し指を当て、考えるように少し視線を上へ向けた。
本人は無意識なのだろうが、絵に描いたような美少女ムーブだ。
俺はその姿をしばらく堪能してから、頷いた。
「可能性はありそうだな。ただ、カエルだから必ず水に関係するとは限らないけど」
これまで俺が魔道具に使ってきたのは、ほとんどが魔力を蓄えるだけの屑魔石だ。
けれど、魔石には魔力を通すことで固有の効果を発揮する物もある。
あのカエルの魔石に何が眠っているのか。
結局、鑑定結果を見るまでは分からない。
結果を聞くのが、今から待ち遠しい。
◇
その日の午後の授業は戦闘訓練だった。
校庭では、みんなが木製の槍と盾を手に何列かに並び、掛け声に合わせて前進と停止を繰り返している。
盾を隣同士で重ね、槍先を前へ揃える。
前世風に言えば、ファランクスを組む練習だ。
「前列、盾を上げろ! 後列は槍を下げすぎるな! 隣との間を空けるなよ!」
先生の声に合わせて、生徒たちがぎこちなく隊列を動かしていく。
綺麗に揃っている列もあれば、前に出すぎて隣とぶつかっている奴もいる。
俺も本来なら参加するところだが、今日は一応病み上がりということで、軽く体をほぐした後は見学となった。
せっかく時間がある。ダンジョンで気になっていたことを先生に聞いてみるか。
「先生、ちょっと質問いいですか?」
「ああ、いいぞ。どうした?」
朝、校門で俺を呼び止めたトイボル先生だ。
40代後半の元領兵で、学校では戦闘訓練を担当している。背が高く、今でも逞しい。腕や首筋には、領兵時代についた細かな傷跡がいくつも残っている。
俺も片手剣の訓練では、何度もお世話になっていた。
俺はダンジョンでの戦いをかいつまんで話し、魔法以外の遠距離攻撃について聞いた。
「なるほどな。私が領兵だった頃は、投げナイフとスリングをよく使っていた」
「スリング?」
「投石紐だ。石を挟んで振り回し、勢いをつけて飛ばす」
先生が手で大まかな形を作ってみせる。
「投げナイフは取り出してすぐ使える。近い相手なら狙いやすいし、咄嗟の時にも便利だ。ただ、遠くへ投げれば威力も命中率も落ちる。それに投げた分だけ手持ちが減る」
「ああ、それはそうですね」
ゲームなら何本でも投げられそうな気がするが、現実は投げたら終わりだ。
「その点、スリングは石ころでも弾になる。布と紐だけだから軽いし、丸めればポケットにも入る。慣れればかなり遠くまで飛ばせるぞ」
「おお、便利そうですね」
弾代がかからず、荷物にもならない。
冒険者向けとしてはかなり優秀そうだ。
「ただし、使いやすい武器ではない」
先生がすぐに付け加えた。
「石を入れて、振って、狙ったところで紐を放す。慣れるまでは真っ直ぐ飛ばすだけでも難しい。動いている相手ならなおさらだ」
「なるほど……」
「それに狭い場所じゃ使いづらい。壁や仲間に引っかける危険もある。お前が入ったダンジョンみたいな場所なら、投げナイフの方が便利な場面もあるだろうな」
「実際に見た方が早いか」
トイボル先生はそう言うと、校庭脇の倉庫へ向かった。
しばらくして戻ってきた先生の手には、練習用の投げナイフとスリング、それに丸く削られた木製の弾がいくつか握られている。
「実戦なら、こんな感じだな」
先生が練習用の投げナイフを一本取り、十メートルほど先の藁人形へ向き直った。
ほとんど構えもせずに投げる。
トッ!
ナイフが胸元へ突き刺さった。
「近ければ、こっちの方が早い。ただし、投げナイフは距離が変わると刃の向きも変わる」
先生が刺さったナイフを指した。
「動いてる相手だと、当たる場所だけじゃなく回転まで合わせなきゃならん。実戦じゃ、止まってる奴か、動きの少ない奴に使う方が確実だな」
続けてスリングへ木の弾を載せる。
頭上で一度だけ大きく旋回させ、その勢いのまま腕を振り抜いた。
ヒュンッ!
今度は少し離れた別の藁人形の頭へ、乾いた音を立てて命中した。
「距離があるなら、こっちだ」
おお。
説明だけで聞くより、ずっと分かりやすい。
近距離で素早く一撃を入れるなら投げナイフ。
距離と振り回せる空間があるならスリング。
そこに火魔法も加えれば、状況に応じて遠距離攻撃を使い分けられそうだ。
「面白そうですね。俺も少し試してみたいです」
「ああ、いいぞ。まずはスリングからやってみるか」
先生が倉庫から練習用のスリングと、丸く削られた木製の弾をもう一組持ってきてくれた。
受け取って広げてみる。
思っていたとおり、ずいぶん単純な作りだ。
弾を載せる小さな受けから、左右へ紐が伸びているだけ。
さっき先生がやったのを見る限り、それほど複雑には見えない。
木の弾を載せる。
片方の紐を握り、もう片方を指に掛ける。
腕を回して――。
今だ。
紐を放す。
ヒュッ!
木の弾が勢いよく飛んでいった。
……ただし。
藁束とはまったく違う方向へ。
「おいレオン。的はそっちじゃないぞ」
「……分かってます」
俺の最初の一投は、藁束から大きく右へ逸れて地面を転がっていった……。




