第2章 Act.3 バンさん、ただいまお仕事中
「おらぁ! ケツの穴から槍突っ込んで、奥歯ガタガタいわしたろかぁ!」
「ひいい、バンだ! ケツ槍のバンが来たぁぁ!」
……誰がケツ槍のバンだ。
オレは今、青ランクの冒険者として、役場から受けた仕事の真っ最中だった。
一応、ギルド内や町では「飢餓迷宮殺しのバン」と呼ばれている。
もっとも、あの迷宮を踏破できたのは、オレ1人の力じゃない。そう呼ばれると、今でもちょいと気恥ずかしい。
この脅し文句を教えたのも、先日、その飢餓迷宮を一緒に踏破した後輩のレオンだ。
悪党を怖がらせる言葉はないかと相談したところ、とんでもなく恐ろしい言葉を教えられた。
学のあるやつだとは思っていたが、こんな言葉まで学校で習うのか?
戦では相手を罵り、怯ませる技術も必要になると聞いたことがあるし、案外そのための授業があったのかもしれんな。
まあ、それは一旦置いておこう。
こんな言葉を使っているのは、今回の仕事に必要だからだ。
簡単に言えば、不届き者のねぐらへ押し入り、法で決められた社会奉仕へ引っ張り出す仕事を受けたのだ。
コイツらは犯罪を犯した罰として、一定期間、社会奉仕に従事しなければならない。
一応、無給ではなく少ないが日当も出るから、メシが食えなくなるわけでもない。にもかかわらず、サボりやがるバカがいる。
そこで役所から依頼を受け、オレのような信用のある冒険者が、そいつらを連れ戻しに来るというわけだ。
まったく冒険はしていないが、報酬はいい。それなら断る理由もない。
「おい、てめぇ。10日もサボるとは、いいご身分だな? なんならお似合いに、もっと景色のいいとこいっとくか!?」
「ひいぃぃ、スミマセン! 勘弁してください! 行きます、行きますからぁ!」
「マジで行けよ。明日、来なかったと聞いたら……分かってんな?」
「ハ、ハイ。もちろんです。今からすぐ行きますからぁ!」
「よし、とっとと行け」
男は慌ててボロ小屋から飛び出していった。
ふう……まあ、こんなもんか。
しかし今、あいつから少し甘い匂いがしたな。
甘い物を食えるような金なんて、ないはずだが……。
ふと気になって、男が逃げていった方向とは逆――やつが出てきたボロ小屋の周りを、軽く見て回ることにした。
斥候として染みついた癖のようなものだ。金にもならないのに、気になったらつい体が動く。
地面には、複数人分の足跡が固まっていた。しかも、行き来している割に、荷車の轍や、重い荷を運んだような跡は見当たらない。
「……何にも運んでねぇのに、何度も通ってるってことは」
ちょっと引っかかる。
あいつに、そんな大勢の客が来るとも思えねぇんだが……。
気にはなったが、まだ次の仕事が残っている。
「念のため、ギルドに報告入れとくか」
そう独りごちて、オレは次の仕事先へ足を向けた。
◇
「おい、ヘブ」
「あ、ボイさん」
「こっちだ」
社会奉仕のため、労役場へ向かっていたヘブを、ボイがあばら屋の隙間へ呼び込んだ。
2人とも20代には見えるが、正確な歳は本人たちにも分からない。幼い頃から、その日の食事と寝床を確保するだけで精いっぱいで、自分が何歳かを気にする余裕もないまま育ったからだ。
物心がついた頃から同じ貧困街でつるみ、周囲の悪党たちとも自然に顔がつながっていった。
「ボイさん、すんません。ケツ穴の野郎に、今日は行けって言われちまって……」
近づいたボイが、鼻をひくつかせた。
「お前、まさかその服のまま外へ出たのか?」
「へ?」
「匂いが染みついてんだよ、バカが。あいつに何か言われたか?」
「い、いや。社会奉仕の話だけで、明日も来なかったら、また来るって……」
「チッ。仕方ねぇ、しばらくこっちには来るな。言われたとおり奉仕に出てろ」
「へい。じゃあ、これで」
「余計なことはしゃべるんじゃねぇぞ」
ヘブは何度も頷き、通りへ戻ると、今度こそ労役場へ向かって走っていった。
「くそっ……」
ボイは小さく吐き捨て、しばらくその背中を見送った。
それから周囲を確かめながら通りを進み、1軒の家へ入る。近くのあばら屋より多少はましだが、壁は傾き、屋根にも何度も継ぎ当てがしてあった。
中へ入ったボイは窓の隙間から外を覗き、誰にもつけられていないことを確かめる。
床に敷かれた古い筵をめくり、その下にある床板の隙間へ指を掛けた。
床板を持ち上げると、その下から土を削っただけの狭い階段が現れる。
ボイは中へ潜り込み、頭上の筵と床板を元へ戻してから、暗い階段を下りていった。
地下へ進むにつれ、蜂蜜の甘さに、煮た小麦と湿った土、汗の臭いが混じった空気が濃くなっていく。
階段の先には、土を掘り抜いて造られた地下室が広がっていた。
広さはおよそ10m四方。
だが、地上の家や木の根を避けながら1年以上かけて掘り広げたため、壁も通路も歪んでいる。天井も高いところで180cmに届くかどうかで、梁の下では大人が頭を下げなければ歩けなかった。
廃材の板や太さの違う丸太で補強されているものの、湿気を吸って弓なりに曲がった支柱もある。
奥の炉からは、煙を逃がす細い煙道が地上の竈へとつながっていた。それでも熱と湿気はこもり、天井から落ちた水滴が土の床に染みを作っている。
地下室の中央では、数人の男たちが休む間もなく働いていた。
煉瓦を積んだ炭炉には大きな鉄鍋が掛けられ、水で溶いた小麦粉が糊状になるまで煮られている。
その隣では、湯を張った大鍋の中に一回り小さな銅鍋が収められていた。
中身は、盗んできた本物のティリア・ハニーだ。直火で焦がして香りを飛ばさないよう、湯を介してゆっくり温め、混ぜやすい柔らかさにしている。
壁際には、蓋の焼印を削り取られた蜂蜜の小樽が積まれていた。
反対側には小麦粉の袋や水桶、濾し布、木製の漏斗、柄杓、秤、使い古しの壺が並んでいる。
温めた蜂蜜は大きな攪拌桶へ移され、冷ました小麦の練り物が少しずつ加えられる。
2人がかりで櫂のような木べらを動かすたび、重い混合物が桶の中でゆっくりとうねった。
混ぜ終えたものを粗い布に通して大きな塊を取り除き、しばらく置いたあと、小壺へ詰めて蝋で封じていく。
作業だけを見れば、小さな蜂蜜工房と大して変わらない。
だが、桶の中身は本物より白く濁り、花の香りも薄い。舌へ乗せれば、甘さのあとに粉っぽさが残る粗悪品だった。
「遅ぇぞ、ボイ。ヘブはどうした?」
「バンに捕まった。当分、ここには寄せねぇ」
作業を見回していた男が、露骨に顔をしかめた。
「まさか、ここが割れたんじゃねぇだろうな?」
「まだだ。だが、ヘブの服に蜜の匂いが染みついてやがった。あのバカ、そのまま外へ出やがったんだ」
男たちの手が、一瞬止まった。
「手を止めるな。今日の分をさっさと仕上げろ」
ボイは攪拌桶を覗き込み、木べらですくわれた中身へ目を凝らした。
「練り物が多すぎる。前のは冷えたら底に固まってたぞ」
「けど、これ以上減らしたら数が取れねぇよ」
「上等な蜜に見せる必要はねぇ。安い菓子や酒に使わせる分だ。だが、蜜の匂いまで消えたら売り物にならねぇ」
小麦と水を加えた粗悪蜂蜜は、本物のようには長く保たない。
この暑く不潔な地下へ置いておけば、やがて泡を吹き、酸っぱい臭いを放ち始める。
そのため、壺へ詰めた品は長く置かず、事情を承知している行商人や安酒場へすぐ流すことになっていた。
「詰め終わった分は、明日までに全部外へ出せ。日を置いて、また泡を吹かせるんじゃねぇぞ」
「分かってる」
作業が再び動き始めた。
木べらが桶の縁へぶつかる音。
炉の中で炭が爆ぜる音。
柄杓から壺へ、粘ついた粗悪な蜂蜜が落ちる音。
そのすべてが、いつ崩れてもおかしくない低い土天井の下で、絶え間なく重なっていた。
そして、蜂蜜と煮た小麦の甘ったるい臭いだけが、細い煙道を伝って地上へ流れ出していく.......。




