第2章 Act.2 飢餓迷宮の調査結果
待ち合わせていたバンさんが、俺たちの席へやってきた。
今日は鎧姿ではなく、くたびれた上着に腰袋だけという軽い格好だ。乱れた髪も無精髭も、いつもと大して変わらない。
だが、1つだけ、見間違えようのない変化があった。
首から下げた冒険者プレートが、青い。
長く使われ、塗装の剥げていた緑のプレートではない。傷一つない青い表面が、壁の魔導ランプを受けて光っている。
「バンさん、それ……」
「ああ。ようやくオレも青になれた」
「おお、ついにですか。おめでとうございます、バンさん」
「おめでとうございます、バンさん」
「まぁ正直言って、お前らのおかげだけどな」
バンさんは少し照れくさそうに頭をかき、向かいの椅子へ腰を下ろした。
「それよりレオン、歩いて大丈夫なのか?」
「近場までなら、少し歩いてもいいって許可が出ました」
「そうか。なら、帰りも無理するなよ。痛みが出る前に休め」
「はい、そうします」
バンさんの昇格祝いもしたいな。
来週あたり、改めて何かできないかココラと相談してみよう。
「バンさんは、もう大丈夫なんですか?」
ココラが尋ねる。
「ああ。こっちは傷も浅かったからな。まあ、しばらく蛙は見たくねぇが」
やってきた店員さんに、バンさんはホット・シードルを注文した。
その目が、ココラの皿に残っている蜂蜜パイへ向く。
「そいつが例の1枚目か」
「はい。あと99枚です」
「レオン、生きて帰った次は財布が死にそうだな」
「毎週1枚なら2年近くあります。その間に稼ぎますよ」
「ははは、そうだな」
ほどなくして、湯気の立つホット・シードルが運ばれてきた。
バンさんが一口飲んだところで、俺は気になっていたことを尋ねた。
「それで、あのダンジョンはどうなったんですか?」
「ああ、そうだな。本題に入るか」
俺もココラも姿勢を正した。
「お願いします」
バンさんはカップを置き、少し声を落とす。
「領主側と合同先遣隊の調査結果が、一通りまとまった。オレが3人のまとめ役ってことになってるから、お前らへの説明も任されてる」
そして、俺たちが消えた後のことから話し始めた。
ゴーア兄たちは紫色の穴が現れた場所を調べたが、後を追おうとした時には、穴も罠の痕跡も消えていたという。
「連中は第1聖域へ戻り、隊長のミースを通じて領主側へ報告した。領主側は奥の探索を縮小して、紫色の穴を調べながら、オレたちを捜すことにしたらしい」
紫色の穴が再び見つかったのは、再調査を始めてから1日以上経過した後だった。
身長130cmほどの倉鼠人族の冒険者が敷石を踏んだ瞬間、足元にあの穴が現れた。安全綱を付けていたため、仲間に引き戻され、転移せずに済んだらしい。
「大柄な人間が同じ場所を踏んでも、何も起きなかった。だが、一度穴が開けば、体の大きな奴でも入れる。同じ仕組みの罠も、第1層でいくつか見つかった」
「小柄な人だけを選んでいたんですか?」
「ああ。言い方は悪いが――あの罠は、小さな生き物を餌として選び、ダンジョンの奥へ運ぶ仕掛けだったらしい」
ココラの長い耳が、ゆっくりと伏せられた。
「ええっ……私、餌だと思われたんですか」
「最悪だな」
思わず口からこぼれた。
「罠に、人間と魔物を見分ける頭なんてなかったんだろ。体の大きさだけで決めてた可能性が高い」
バンさんはココラへ視線を向けた。
「だから、嬢ちゃんが不注意で落ちたって話じゃねぇ。条件に合った奴を、向こうから選んで開く罠だったんだ」
「はい……」
ココラは伏せていた耳を、少しだけ持ち上げた。
その条件から、再調査班は、小さな生き物をダンジョンのどこかへ集めているのではないかと推測した。
「それで、救助隊はどうやって穴の先へ入ったんですか?」
「小柄な奴に複数の罠を発動させて、何回かに分けて入ったそうだ」
「みんな、同じ木造区画へ出たんですか?」
「ああ。すぐに合流して、オレたちの痕跡を捜しながら調査を始めた。記録を突き合わせると、連中が入ったのは、オレたちが大蛙と戦い始める少し前だったようだな」
俺たちが大蛙と戦っていたのは、おそらく15分ほど。
その間にも救助隊は木造区画を進み、少しずつ俺たちとの距離を縮めていたらしい。
やがて巨大蛙が消滅すると、それまで隔てられていた木造の隠し区画と石造りの区画がつながり、紫色の罠と食料の転送も止まった。
救助隊はそのまま探索を続け、モンスターハウスだった部屋で倒れていた俺を発見した。
「だから、あんなに早く治療してもらえたんですね」
「ああ。お前があの部屋まで走っていなけりゃ、見つかるまでもう少しかかっただろうな」
「バンさんとココラは?」
「オレたちもすぐに追ったが、あの速さじゃ、すぐに見失っちまった。救助隊がお前を見つけたあとで、オレと嬢ちゃんも合流したんだ」
そうだ。死神様のことも、このあと2人に話さないとな。
「ここからは、ダンジョンができた原因の話だ」
バンさんは再びホット・シードルへ口を付けた。
「核になってた呪物の名前は、スタッフト・パントリーボックス。昔、村の食料不足をどうにかしようとした魔法使いが作った、小さな食料箱だそうだ」
「食べ物を保存する箱ですか?」
「いや。開ければ、食い物がいくらでも湧いてくる。そんな箱を作ろうとしたらしい」
「そんな物、作れる気がしませんけど……」
「その通り。できなかったから、呪物になったんだ」
箱には、何もないところから食べ物を生み出す力がなかった。
ところが、作り手が与えた「人間の空腹をなくす」という命令だけは残った。
「専門家の説明はややこしかったが、要するにだ。箱は『食い物が欲しいのは、腹が減るからだ。なら、胃袋さえ埋めれば問題は解決する』と解釈したらしい」
……嫌な予感しかしない。
「それで、近くにある石や土、雑草なんかを、箱を開けた奴の胃へ直接送り込んだ。腹は埋まるが、中から破れて死ぬ。そんな箱だ」
「ひっ……」
ココラの顔から、さっと血の気が引いた。
「そ、それは……食料を与えたことになりません」
「ああ。ただの殺し道具だ」
バンさんは一度言葉を切ってから、町でフルックと名乗っていた魔法使いについて話し始めた。
本名はチーノ。俺たちが見つけた帳簿と短杖の持ち主も、あの魔法使いだった。
「では、この短杖も、チーノが隠していた物だったんですね」
ココラが腰の杖袋へ目を落とした。
「そういうことだ。チーノは呪物の密輸に関わってた手配犯で、物を別空間へ隠せる固有魔法を持ってたらしい」
町兵は所持品をすべて取り上げたつもりだったが、別空間に隠されていた呪物までは発見できなかった。
チーノは留置房の中でスタッフト・パントリーボックスを取り出して起動、その呪いによって死亡した。
チーノの死と残留魔力。空間系固有魔法の「秘密の箱」。スタッフト・パントリーボックス。そして、地下に溜まっていたエーテル。
それらが重なり、留置房の下から新しいダンジョンが生まれた。
石造りの区画は、もともとの地下施設とその周辺を取り込んだもの。
木造区画は、空間魔法と呪物の性質が混ざって生まれた、巨大な食料庫のような空間だったらしい。
ダンジョン化した際、地下排水路にいたメスのブル・グローダと、近くにあった受精済みの卵塊が周囲ごと取り込まれた。
呪物は、そのブル・グローダを「空腹を満たすべき対象」と認識した。
そして、紫色の穴で小柄な生き物を木造区画へ運び、ダンジョンへ持ち込まれた食料も同じ場所へ集めるようになった。
「じゃあ、どうして大蛙の胃へ直接送り込まなかったんですか?」
ココラの問いに、バンさんが肩をすくめる。
「元の箱が直接送り込めたのは、箱を開けた奴だけだったらしい。大蛙は箱を開けたわけじゃねぇから、胃までは指定できなかったんだと」
「それで、代わりに食べ物を近くへ集めたんですか?」
「ああ。そこへチーノの空間魔法まで混ざって、あの転移罠になったらしい」
取り込まれたブル・グローダの成体は、呪物や高濃度エーテルの影響を受けて魔獣化した。
さらに、一緒に取り込まれた卵塊から孵った幼生も異常な変異を起こしたという。
「つまり、木造の隠し区画が巨大な食料庫になっていたんですね」
「今のところは、そう考えられてる」
巨大蛙が消滅すると、呪物は「空腹を満たすべき対象」を失った。
そのため、餌を集める転移の仕組みは停止し、木造区画を隠していた壁も開いた。ただし、核になった小箱から呪いそのものが消えたわけではない。
「その呪物は、今どうなってるんですか?」
「核になっていた小箱は回収された。大蛙が消えて力が弱まったところを、イグニリス教の解呪師と魔導省の担当者が共同で解呪したそうだ。転送の力も呪いも消えたことが確認されてる」
現在は、箱を開けても何も起こらない。
一応は無害な木箱になったが、念のため封印を施したまま保管されているという。
ダンジョン本体もその後消滅し、元の地下施設周辺は、修復と最終確認が終わるまで封鎖されていると聞いた。
「もう、同じことは起きないんですね」
「少なくとも、あの箱からはな」
その話を聞いたココラが、なぜか俺の顔を覗き込んできた。
「え、何? もう1枚、蜂蜜パイ食べる?」
「レオン、お願いだから、おかしな魔道具を作ったりしないでね!」
「え、そっち!? 大丈夫だって。さすがにそこまでじゃないよ」
「ははは。確かに、ちょっとあり得そうなところが怖いな」
「ええ、バンさんまでひどい」
しかし、良かれと思って作ったもので迷惑をかけたくはないからな。一応気をつけておこう……。
ひとしきり笑われたところで、これ以上妙な疑いをかけられる前に、話を切り替えることにした。
「ごほん。俺からも大事な話があります」
バンさんは笑いを収め、俺へ目を向けた。
ココラもフォークを皿へ置いた。
「……あの二重に聞こえた声と、馬鹿でかい鎖の話だな?」
俺は頷いた。
魔導省の調査官やセリーヌ司祭には、すでに同じ話をしている。それでも、2人には俺の口から伝えておかなければならない。
「俺、あの時、本当に一度死んだみたいです」
2人とも、驚いて声を上げることはなかった。
ただ、ココラの手が膝の上で固まり、バンさんはわずかに眉を寄せた。
俺は、意識が途切れた後に暗い場所で死神様と会ったこと、自分の死は予定にないものだったらしく、特例として魂を体へ戻されたことを話した。
死神様が壊れた体を内側から仮止めし、代わりに動かしてくれたこと。
巨大な鎖で大蛙を消滅させたこと。
その後、モンスターハウスまで俺の体を走らせ、木箱に入っていたポーションを飲ませてくれたこと。
そして、同じことが起きても、次は助けてもらえないと告げられたことも伝えた。
前世で同じ話をすれば、重傷を負った時に見た夢だと思われただろう。
だが、この世界では、神への祈りや信仰が、呪いや死霊を退ける力になる。魔導省の調査官もセリーヌ司祭も、俺の話を錯乱として片づけず、1つずつ記録していた。
ココラとバンさんも同じだった。
「じゃあ、あの時……レオンは、本当に死んでいたの?」
「うん」
短く答えると、ココラは俯きかけ、すぐに顔を上げた。
「次は、助けてもらえないんだね」
「ああ。だから、自分が死ぬ以外の方法を、最後まで探せって言われた」
「その言葉は忘れるなよ」
バンさんが低い声で言った。
「それから、もう1つあります」
俺はバンさんへ向き直った。
「死神様が、バンさんの体のことも話していました。バンさんは元から体内の魔力を無意識に使っていて、毒に強く、傷や疲れからの回復も普通の人よりかなり早いそうです」
バンさんはしばらく黙っていたが、やがて自分の右手を見下ろした。
「……それなら、今回のリワードにも説明がつくな」
「バンさんにも、何か変化があったんですか?」
「ああ。体の中にある魔力を、はっきり感じるようになった」
これまでバンさんの体では、わずかな魔力が無意識に全身を巡っていた。
ダンジョン・リワードによって、それを自分の意思で動かせるようになったらしい。
「必要なところへ魔力を回せば、普段より強く力を出せる。調べてもらったところ、瞬間的な出力なら最大で2割増しくらいだそうだ」
「2割も?」
「ああ。ただ、何でも2割増しになるって意味じゃねぇぞ」
バンさんは自分の右手を軽く握った。
「走る速さがそのまま2割上がるわけでもねぇ。槍を突く瞬間とか、盾で踏ん張る時とか……必要なところへ魔力を回せば、その分だけいつもより強く力を出せるって感じだ」
「なるほど」
単純な身体能力の底上げというより、必要な瞬間に力を足せる能力らしい。
「高い出力で使い続けられるのは、だいたい30分くらいだな。弱めに回せば、その分だけ長く使える。魔力を使い切っても、飯食って6時間ほど休めば回復する」
そう言って、バンさんは困ったように腹をさすった。
「ただ、前より腹が減りやすくなるのがなぁ……」
どうやら、昔から傷の治りや疲労からの回復が早かったのも、この魔力のおかげのようだ。
ただし、強化できるのは自分の体だけで、火球や水壁のような魔法を外へ放てるようになったわけではない。
「単純で地味だが、使い道には困らねぇ。斥候で長く歩く時なんかにも使えるしな」
「傷を受けなくなるわけではないんですよね?」
「そこまで都合はよくねぇ。斬られりゃ普通に血は出る」
攻撃、防御、移動、斥候、荷物の運搬。
派手な必殺技ではないが、バンさんが担う役割のほとんどで役に立つ。どんな場面でも腐りにくい、かなり使い勝手のよい能力だ。
「でも、それかなり当たりじゃないですか?」
「オレもそう思ってる。ここに来てこんなことになるとはなぁ。人生は分からねぇもんだ」
バンさんは少しだけ口元を緩めた。
「そういや、お前にも空間収納が出たんだってな」
「はい。まだ小さいですけど、荷物をしまえるようになりました」
「嬢ちゃんも、魔力と動きが前より上がったんだったな」
「はい。まだ全部は確かめられていませんけど」
「なら、3人とも、前とはできることが変わったってわけだ」
そこで、バンさんが何かに気づいたように眉を寄せる。
「待てよ。オレが毒に強いってことは……オレが先に食って平気でも、お前らに安全とは限らねぇってことか」
「そうなると思います」
「なら次からは、オレが食って平気でも安全とは決めねぇ方がいいな」
自分の体質の理由を知って、真っ先に安全確認を見直すあたり、やっぱりバンさんらしい。
バンさんはぬるくなったシードルを一息で飲み、空になったカップを置いた。
「あっそうだ、レオン。ちょっと相談っていうか、一緒に考えてほしいことがあるんだけどよ」
バンさんは周りをチラッと確認して、少しだけ声を落とした。
「なんですか?」
「いやちょっとな、脅し文句を考えて欲しいんだ……」




