第2章 Act.1 ウサミミ彼女と、久しぶりのデート
ダンジョンから生還して、2週間。
エハワズの月(5月)も、そろそろ終わりに差しかかっていた。
柔らかな日差しが降り注ぐ昼前、俺とココラは、ティリアガルデンの並木道をゆっくり歩いている。
傷は順調に治っているものの、長く歩くと左脇腹が鈍く痛む。治療師から許されているのも、近場への短い散歩までだ。
そんな俺の隣で、ココラは先ほどから頬が緩みっぱなしだった。
「蜂蜜パイ100枚……100枚……」
小声でそんな呟きまで聞こえてくる。
「あの、ココラさん?」
「なあに、レオン?」
「……仮に100枚食べて、その、丸々としたウサギさんになったとしても、俺は変わらず――痛っ」
言い終わるより先に、ココラが腰の杖袋から短杖を抜き、俺の二の腕を軽く突いた。
「いっぺんには食べないもん。毎週1枚ずつだから大丈夫だよ!」
「あ、そうでしたか。それなら安心です……」
「まったくもう」
ココラは短杖を腰へ戻した。
それにしても、今の動きは妙に速かった。
「……今の動き、前より速くなってない?」
「分かる? 私も、前より体が軽くなった感じがするの。魔力も増えてるし」
「魔力も?」
「昨日、学校の訓練場でウォーターウォールを試したんだけどね。前は15回で限界だったのに、24回まで使えたよ。水魔法自体も、なんか扱いやすくなった感じ」
モンスターや魔獣を倒したり、ダンジョンを攻略したりすると、人はエーテルの影響を受けて少しずつ強くなる。通常の討伐では変化はごく小さいが、強力なモンスターや魔獣の討伐、高濃度のエーテルに満ちたダンジョンの攻略では、その変化が大きく現れることが多い。
学術的には「エーテル強化」、冒険者の間では「リワード」と呼ばれる現象だ。特にダンジョン攻略に伴うものは、「ダンジョン・リワード」と呼ばれている。
ただし、現れる変化は人によって違う。以前より体が軽い、同じ魔法を多く使えるといった実感から、どれだけ強くなったのかを確かめるらしい。
「その短杖――コンヴェルゲンス・ルブラ、だっけ? 正式にココラの物になってよかったな」
短杖は調査のため、一度領主側へ預けられていた。正式鑑定と証拠品としての確認を終えた後、俺たち3人の戦利品として返されている。バンさんも俺も、最も使いこなせるココラが持つことに異論はなかった。
ココラは嬉しそうに頷いた。長い耳も、歩調に合わせてふわりと揺れる。
「鑑定結果、すごかったんだよ。短い魔法なら事前詠唱を省けて、長い魔法でも詠唱時間が約40%短縮。威力も10%近く上がって、装備してる間は魔力回復も3%早くなるんだって」
「付与が3つも入ってるのか。使った時から上物だとは思ってたけど、そこまでだったとはな」
一般的な短杖なら付与効果は1つ、もし2つあれば高級品になる。3つも備えたこの短杖は、貴族や上位冒険者が持っていてもおかしくない代物だ。
「さて、着いたよ、レオン。私、蜂蜜パイと……カモミールティーにしよ」
「ハイ、かしこまりました。ココラさま」
無茶な冒険に巻き込んでしまったんだ。100枚程度奢らなければバチが当たる。
「うふふ」
目的地であるフィーズの喫茶店へ到着した。
正式な屋号は『ティリアの木陰』。入口に掛けられた古い木の看板にも、そう彫られている。ただ、町の人たちは店主の名前を取って、「フィーズの喫茶店」と呼んでいた。
もとは薬草師が患者に薬湯を出していた店で、今も数種類の薬湯がメニューに残っている。もっとも、現在の名物はティリア・ハニーを使った蜂蜜パイとリンデンティーだ。どちらもちょっと高く、町では祝い事やデートの日のご馳走として親しまれている。
今日はここで、あとからバンさんと落ち合う予定だ。
カラン……。
扉を開けると、涼やかな鐘の音が響いた。
「いらっしゃいませ。空いているお席へどうぞー」
店員さんに言われ、俺たちは窓際の席へ向かった。ほかの席より少し奥まった場所にあり、横には木製の衝立も置かれている。静かに話をするにはちょうどいい席だ。
俺たちは椅子へ腰を下ろし、蜂蜜パイを2つと、ココラはカモミールティー、俺はリンデンティーを注文した。
待っている間、改めて店内を見回す。
天井から吊るされたドライフラワーが、風にかすかに揺れている。花と薬草の香りに、焼き菓子の甘い匂いが重なっていた。
床や柱、棚、椅子はこの地方のオーク材で統一され、使い込まれた木肌は飴色の艶を帯びている。壁掛けの魔導ランプからは、昼間でも淡い橙色の光がこぼれていた。
俺とココラが付き合い始めたのも、この店だ。
ダンジョンから生きて帰り、また2人でここまで歩いてこられた。そう思えば、少し贅沢したって罰は当たらないだろう。
「私がいつか魔道具のお店を開く時も、こんな雰囲気にしたいな」
店内を見回しながら、ココラが言った。
「木の棚があって、明かりが柔らかくて、季節ごとに花を飾る、みたいな?」
「そうそう。買う物が決まってない人でも、ゆっくり見ていられるお店がいいと思う」
あれ?
俺が想像していたのは、前世にあったヴィレッ◯ヴァンガードみたいな店だった。
床から天井まで、用途のよく分からない物が所狭しと並び、手書きの札があちこちから飛び出している。必要な物を買いに来たはずなのに、気づけば全然関係ない変な物を持って会計へ並んでいるような雑貨店だ。
「面白そうな魔道具とか、異国の変わった雑貨とか置きたいかな」
「うん、いいと思う。素敵なお店にしようね!」
まあ、見ているだけでも楽しくて、何度も来たくなる店にしたいという点は同じだ。細かいところは、本当に店を持てるようになってから考えればいい。
ちょうど話が一段落したところで、甘い香りとともに蜂蜜パイが運ばれてきた。
きつね色に焼けたパイの表面には、黄金色のティリア・ハニーが薄く塗られている。
ココラの長い耳が、ぴんと立った。
「まずは1枚目」
フォークを入れると、何層にも重なったパイ生地が、さくりと小さな音を立てて崩れた。
中に包まれていた濃い琥珀色の蜂蜜が、切れ目からゆっくりとにじみ出す。
ココラは一口頬張るなり、嬉しそうに目を細めた。
「おいしい!」
俺も自分のパイを口へ運ぶ。
温かなパイ生地とバターの香ばしさに続き、ティリア・ハニー特有の花の香りがゆっくりと鼻へ抜けていく。甘いのにくどくなく、後味にはかすかな清涼感が残った。
パイを半分ほど食べたところで、ココラが思い出したように顔を上げた。
「そういえば、レオンのアイテムボックスって、お店やる時も仕入れに使えそうだよね」
実はココラだけではなく、俺にもアイテムボックスという、ダンジョン・リワードらしい能力が発現していた。
「壊れやすい魔道具も安全に運べるし、重さも気にしなくていいしな」
「今は何が入ってるの?」
「小さな魔道具と修理道具を少し入れてる。もうちょっと大きければ、持ち歩ける物も増えて助かるんだけどな」
俺は、ダンジョンから帰還した後に発現した空間収納を、「アイテムボックス」と呼ぶことにした。前世のラノベではおなじみの名前だ。
この世界にも空間収納の魔法は存在する。ただし、使える者のほとんどは生まれつきその力を持っており、後から発現する例はごく稀だと聞いた。
同じ機能を持つ魔道具もあるが、大商会や貴族でなければ手を出せないほど高価だ。俺もいつか金を貯めて買ってみたいとは思っていたが、まさか能力そのものが自分に発現するとは思わなかった。
生き物は入れられないものの、荷物の重さを感じずに持ち運べるだけでも十分に便利だ。
「使ってるうちに、もっと広がるといいのにね?」
「だな、これから色々試してみようと思う」
「傷が治ってからだよ」
「分かってるって」
俺が寝台から起きられるようになったのは、4日前のことだ。昨日までは家で大人しくしていたが、その間にも事件について必要な確認はいくつかあった。
魔導省や領主側の役人、空間魔法の専門家、教会のセリーヌ司祭などが、俺たちそれぞれのところへ事情聴取に訪れたからだ。
その中で、俺の空間収納も念入りに調べられた。
「箱のこと、ちゃんと全部話したんでしょ?」
「ああ。容量も、生き物が入らないことも、出し入れの方法も話した。隠して後から疑われる方が面倒だし、コソコソ使うのも嫌だったからな」
「レオン、便利な物を手に入れたら使わずにいられないもんね」
「否定はしない」
「それで、どんな扱いになったの?」
「後天的に発現した空間収納魔法として、魔導省に登録されることになった。記録は非公開で、町を出るたびに居場所を知らせる必要もない。国の仕事を強制されることもないってさ」
大きな関所や国境で荷物について尋ねられた場合は、空間収納を持っていることを申告する。当然だが、検査を逃れるために荷物を隠したり、証拠品をこっそり持ち出したりするのは禁止だ。
今のところ、特別な決まりはその程度だった。
もちろん、経験値やレベル、ポイントの表示については伏せている。あれは今回発現した空間収納とは別の、俺のギフトだ。周囲から普通のリワードによる成長と区別できない以上、今明かす理由はない。
「なら、よかった」
ココラはほっとしたように息をつき、残っていたパイへフォークを入れた。
「これで安心して、あと99枚食べられるね」
「俺の自由と蜂蜜パイ、関係あるか?」
カラン……。
入口の鐘が鳴り、何気なく振り返る。
扉をくぐってきたのは、バンさんだった。
ダンジョンから帰還した直後には顔に傷と疲れを残していたが、今ではもう普段と変わらない足取りに戻っている。
店内を見回したバンさんは、俺たちを見つけると片手を上げた。
「おう、待たせたか? 思ったより元気そうじゃねーか」
本日から第二章開幕です!
今後とも頑張って書いていきますので、引き続きよろしくお願いいたします。




