第1章 Act.27 エピローグ ただいま、俺たちは全員生きて帰ってこれました
人の話し声が聞こえる。
「そっちの木箱は入口へ運べ!」
「回収した物は勝手に開けるな! 番号を付けてからだ!」
何人もの足音と、木箱を動かす音が響いている。
重いまぶたを開くと、最初に目に入ったのは木の板が並ぶ天井だった。
「……知ってる天井だ」
ここは、俺たちが魔物の群れと戦い、その後に休息を取ったモンスターハウスの部屋だ。
「レオン!」
すぐ近くから声がして、ココラが俺の顔をのぞき込んだ。
目の下には隈ができ、長い耳も力なく垂れている。
俺が目を開けたことに気づくと、ココラは包帯の巻かれていない右側から、壊れ物に触れるようにそっと抱きついてきた。
「よかった……本当に、よかった……」
そのまま、今まで我慢していたものが一気に溢れたように泣き始める。
背中に手を回そうとしたが、右腕さえ鉛でも詰められたように重く、指先を少し動かすのがやっとだった。
「……心配かけた」
「罰として、帰ったら蜂蜜パイ100枚だからね」
涙でぐしゃぐしゃになった顔を、ココラが俺の胸元へ押しつける。
「……はい」
丸々太った兎さんも……可愛いかな?
少し離れたところでは、疲れ切った顔のバンさんが木箱に背中を預け、床に座り込んでいた。
「やれやれ。ようやく目ぇ覚ましたか」
声にはいつもの調子が残っていたが、髪はいつも以上に乱れ、顔には傷と汚れが残っている。
どう見ても、人のことを心配できる状態ではない。
「……バンさんも、ひどい顔してますよ」
「お互いさまだ。こっちは自分で歩けるだけ、お前よりましだがな」
そう言って笑ったものの、その声にも疲れが滲んでいた。
「それと、こいつはお前が受け取れ。嬢ちゃんとも話して決めた」
バンさんは懐から大きな青い魔石を取り出した。
「あ、これ、もしかして……」
「おう。あいつの魔石だ。体はお前が消しちまったが、こいつだけは残ってたぞ」
「ってことは、ほかの素材は……」
「残念ながら、ほかには何も残ってねぇ。お前が全部消しちまったんだろ? あれは何だったんだ?」
「あー……長くなると思うんで、もう少し元気になってから話します」
俺自身、まだ何が起きたのか整理できていない。もう少し体が回復したら、ココラとバンさんの2人にきちんと話そう。
「分かった。とりあえず、今はゆっくり休め」
俺はゆっくりと周囲を見回す。
床には毛布が何枚も重ねて敷かれ、俺はその上に寝かされていた。
左肩から胸、腹にかけて包帯が巻かれ、服の下にも何か所か治療を受けているようだ。
体が重い。
全身が水を吸った砂袋にでもなったようで、少し首を動かすだけでも息が切れた。
その一方で、部屋の中では領兵や冒険者に交じり、書類板や小型の調査器具を手にした者たちが忙しそうに動き回っている。
壁際に広げられた布の上には、回収された武器や道具、素材が種類ごとに並べられていた。
調査員らしい者が魔力反応や汚れを確かめ、領兵が品名や状態、発見場所を一つずつ記録している。
「それで、俺たちはどうやって助かったんですか?」
「ああ、オレたちが消えた日の夜、国の合同先遣隊が町へ着いたらしい。迷宮災害庁や魔導省の調査員が、領の調査隊と一緒に紫色の穴と帰還路を調べ始めたんだ」
「転移罠の専門家でも来たんですか?」
「いや。そっちは別に呼んでいて、到着はまだ先らしい。今いるのは、ダンジョンや魔力反応を調べる第一陣だとよ」
バンさんは一口水を飲み、部屋の入口へ目を向けた。
「あのデカい蛙が消えたあと、石造り区画の壁が突然開いて、地図で空白になっていた場所へ通じたらしい。同じ頃に魔物や罠の反応も止まった。それで、先遣隊と領の連中が救助班を組み、新しく開いた通路からここまで入ってきたんだ」
「それで、俺を……」
「ああ。この部屋で倒れてたお前を見つけて、すぐに治療してくれた。ただ、まだ分かってねえことも多いらしくてな。今も調べてる最中だとよ」
バンさんは、周囲で続いている作業へ目を向けた。
「攻略されたダンジョンは、しばらくすると消滅する。大抵は5日ほど。でかいダンジョンなら、消えるまでひと月かかることもあるが、正確にいつ消えるかは誰にも分からねえ」
だから、国の合同先遣隊と領の調査隊は、ダンジョンが消える前に内部構造や魔力反応を記録し、回収できる物を外へ運び出しているのだという。
ただし、今回は呪物や逃亡した魔法使いが関わっている可能性がある。
そのため、発見された物は勝手に開けたり持ち出したりせず、番号を付け、発見場所と状態を記録してから調べることになっていた。
「お前は骨だけじゃなく、内臓もかなり傷ついてたらしい。治癒魔法とポーションで出血は止まり、傷も塞がってる。ただ、失った血と体力までは戻ってねえ。しばらくは絶対安静だとよ」
「絶対安静……」
試しに体を起こそうと腹へ力を入れたが、体は少しも持ち上がらなかった。
「本当に動かないで」
俺の胸元から顔を上げたココラが、涙を拭いながら言う。
泣き腫らした目で睨まれては、さすがに逆らえない。
「……分かった」
返事をしただけで気が抜けたのか、また急に眠気が押し寄せてきた。
ココラが毛布を掛け直してくれる。
「今は寝てて。起きたら、何か口にできるか治療師さんに聞いてみるから」
その声を聞きながら目を閉じると、俺の意識は再び深い眠りへ沈んでいった。
◇
次に目を覚ましたとき、ココラは俺のすぐそばで、壁に背を預けたまま眠っていた。
俺がわずかに身じろぎすると、垂れていた長い耳がぴくりと動く。
「……レオン?」
目を覚ましたココラが、すぐに俺の顔をのぞき込んだ。
「気持ち悪くない? お腹の痛みは?」
「体中が痛いけど、吐き気はない」
「待ってて。治療師さんを呼んでくる」
ココラは立ち上がり、近くにいた治療師を呼んできた。
腹の傷を診てもらい、水を数口飲んで様子を見る。吐き気や強い腹痛もなかったため、薄いスープなら少しずつ飲んでもよいことになった。
それから少しして、ココラが湯気の立つ木の器を持って戻ってきた。
中身は、肉と野菜を長く煮出して布でこした、具のない薄味のスープだった。
「自分で飲めるって」
「じゃあ、右手を上げてみて」
言われたとおりに右手を持ち上げようとしたが、肘が毛布から少し浮いたところで震え始めた。
「……スミマセン、オネガイシマス」
「うん。最初からそう言えばいいの」
ココラが少し笑い、木の匙でスープをすくう。
少し恥ずかしかったが、空腹には勝てなかった。
口へ運ばれたスープは温かく、薄い塩味しかないのに、今まで口にしたどんな料理よりもうまく感じた。
「うまい……」
「ゆっくり飲んで。急にたくさん飲むと、気分が悪くなるかもしれないから」
俺の様子を確かめながら、ココラは一口ずつ飲ませてくれる。
その日は、治療師に何度か状態を見てもらう以外、ほとんど眠って過ごした。
バンさんが時折様子を見に来たが、国の合同先遣隊の調査員から何度も事情を聞かれたり、領兵と一緒に新しく開いた通路の確認を頼まれたりと、まだ完全には休めていないようだった。
翌日になると、ようやく長く話せる程度には体力が戻った。
ただし、自力で立つのはまだ無理だった。
出口まで俺を運ぶため、担架を交代で担ぐ領兵と冒険者が選ばれ、途中の休憩場所や治療の手順も決められた。
準備が整うと、俺は毛布ごと担架へ移された。
「できるだけ揺らさないようにしてくれ」
バンさんの言葉に、担架を持つ領兵たちがうなずく。
ココラとバンさんが左右を歩き、俺たちはモンスターハウスだった部屋をあとにした。
しばらく進むと、それまで行き止まりだと思っていた壁が大きく開いていた。
壁の向こうに続いていたのは、見慣れた灰色の石造りの通路だ。
ダンジョンへ入ったばかりの頃に歩いた通路と、ほとんど同じ造りになっている。
「こんな場所につながってたのか……」
「ああ。ここが、さっき話した開いた壁だ」
担架の隣を歩くバンさんが、壁の向こうを指した。
つまり俺たちは、ダンジョンのまったく別の場所へ飛ばされたのではなく、聖域のさらに奥に隠されていた区画へ閉じ込められていたのか。
開いた壁を抜けると、領兵たちは慎重に担架を運び始めた。
担架には毛布が何枚も敷かれていたが、それでも床の凹凸を越えるたびに傷が痛んだ。
途中で何度も担ぎ手を交代し、休憩を挟みながら進む。
「合同先遣隊と領の連中が調べた範囲じゃ、ダンジョン全体で魔物は確認されてねえ。罠も全部止まってる」
バンさんが歩きながら説明する。
「それに、もう聖域以外でも食い物は消えねえ。持ち込んだ食料を、どこでも普通に食えるようになってる。今の迷宮は、でかくて空っぽな建物みてえなもんだ」
安全になったとはいえ、聖域までは4〜5時間ほどかかった。
以前は特別な場所だった聖域も、今では壁にあった淡い光が消え、ただの広い石造りの部屋になっている。
その代わり、毛布や食料、治療道具、調査器具が運び込まれ、合同先遣隊と現地部隊が使う中継所兼休憩所になっていた。
俺はそこで体の状態を確かめてもらい、水と薄いスープを口にしてから再び眠りについた。
次に目を覚ましたときには、7時間ほど経っていた。
それからまた担架に乗せられ、俺たちはダンジョンの出口を目指した。
◇
長い通路の先に外の光が見えたとき、ようやく本当に帰れるのだと実感した。
ダンジョンの入口を抜けると、外には領兵の天幕に交じり、王国の紋章が掲げられた合同先遣隊の天幕や、調査器具を積んだ荷馬車が並んでいた。
その周囲では、大勢の人が救助隊の帰還を待っている。
その中から、よく知った大声が響いた。
「おう、レオン! ガハハ! 思ったより元気じゃねえか!」
オヤジが豪快に笑いながら、こちらへ歩いてくる。
「担架で運ばれてる息子に言う台詞かよ……」
「それだけ口が回りゃ大丈夫だ!」
いつもの調子で笑っているが、オヤジの目は赤く、担架の縁をつかむ手には力が入っていた。
少しの間、俺の顔と包帯だらけの体を見つめたあと、オヤジは低い声で言った。
「……よく帰ってきた」
「ただいま、オヤジ」
オヤジの後ろから、ゴーア兄とアンビーも近づいてくる。
ゴーア兄は何も言わず、横たわった俺の頭を大きな手でくしゃくしゃと撫でた。
ただ、その手つきは普段よりずっと優しかった。
「兄ちゃんだろ?」
アンビーが腕を組み、少し顔を背けながら言う。
「弟に心配させるなよ」
声はいつもどおり生意気だったが、鼻の頭が赤くなっている。
「……悪かったよ」
俺が答えると、アンビーは小さく鼻をすすった。
そのとき、別の方向からさらに大きな声が聞こえた。
「ココラ!」
ココラの親父さんが駆け寄ってきて、そのままココラを両腕で抱きしめた。
「無事だったか! よくぞ帰ってきた!」
「ちょっ、お父さん! 苦しいって! みんな見てるから!」
ココラは顔を真っ赤にして身をよじる。
長い耳まで恥ずかしそうに伏せていたが、親父さんを本気で押し離そうとはしていない。
むしろ、その服を両手でしっかりつかんでいた。
俺が見ていることに気づくと、ココラはさらに顔を赤くする。
「レオンは見ないで!」
「見てないって」
俺はそう答えながら、外の空を見上げた。
体はまだ重く、傷も痛む。
この先もしばらくは治療が必要になるだろう。
それでも、オヤジたちの声が聞こえる。
ココラも、バンさんもいる。
俺たちは誰一人欠けることなく、ダンジョンから生きて戻ってきた。
ようやく俺たちは、町へ帰ってきたのだ。
第1章 完




