第1章 Act.26 壊れた体のまま走れ、それが生き返る条件でした
冥き鎖に縛られ、その身を世界へ還せ……
「「――ジャガト・ヴァル・バーヴァ」」
とても俺の口から出たとは思えない、地の底から響くような恐ろしい声だった。
右手が勝手に持ち上がった次の瞬間、掌から飛び出した巨大な鎖がブル・グローダの巨体へ何重にも巻きつき、軋みを上げながら一気に収縮した。
あれだけ苦労しても倒し切れなかったブル・グローダの肉体は、悲鳴を上げる暇さえなく、一瞬で消滅した。
同時に、閉ざされていた壁の一部が音を立てて開く。
……まじか。
さすがは死神様。
『さて、行くかの』
今度は口からではない。
たった今、とんでもない魔法を使ったとは思えない、どこかのんびりとした声が頭の中へ直接響いた。
(い、急いで……くださ……い……)
声に出す余裕はなかったが、同じ体にいる死神様には伝わったらしい。
復活した瞬間から全身を焼いている激痛に、もう心が折れそうだった。
俺、ポーションを飲む頃には廃人になってる気がするんだが。
俺の顔が勝手に横を向く。
一瞬だけ、長い耳をぴんと立て、呆然と目を見開いているココラの姿が見えた。
その唇が「レオン」と動いた次の瞬間、俺の脚が床を蹴った。
景色がとんでもない速さで後ろへ流れていく。
そして同時に、それまででも十分すぎるほど酷かった痛みが、一気に何倍にも膨れ上がった。
一歩目で、脚から腰まで衝撃が突き抜けた。
二歩目で、肩と背中を内側から引き裂かれるような痛みが走った。
三歩目には、もうどこが痛いのかさえ分からなくなった。
痛い。
痛い痛い痛い痛い痛い。
前世の言葉も、この世界の言葉も、頭の中でばらばらに砕けていく。
喉からは、言葉にならない声しか漏れなかった。
「ぁ、がっ……ぅあ……っ!」
『残り56秒の我慢じゃ。しっかりせい』
ま、まだ4秒!?
そう考えたはずなのに、その言葉さえ途中で痛みに押し潰された。
何度も意識が途切れかけ、そのたびに体の内側から無理やり引き戻される。
意識が飛びかけるたび、昔の記憶が走馬灯となって次々に頭をよぎった。
前世の小学生の時、同じクラスの女の子に振られた記憶。
中学生の時、好きだった女子から嫌われた記憶。
高校生の時、クラスの女子たちからシカトされた記憶。
大学生の時、もう一生女の子と付き合うことはないんだと自分に言い聞かせた記憶。
様々な記憶が……って、なんで走馬灯が失恋総集編なんだよ。
そんなツッコミが浮かんだ途端、流れていた記憶が切り替わった。
鍛冶場に響くハンマーの音。
煙草をくわえて笑うオヤジ。
何も言わず、俺に仕事を教えてくれたゴーア兄。
生意気な顔で「兄ちゃん」と後ろをついてくるアンビー。
森で色々なことを俺たちに教えてくれたバンさん。
そして、隣を歩くココラの横顔。
一緒にカフェへ行き、蜂蜜パイを食べて嬉しそうに笑っていたココラ。
いつか2人で町に魔道具の店を作れたら楽しいかも、と話したこと。
まだ店どころか、何ひとつ始められていない。
オヤジたちにも、バンさんにも、何も返せていない。
ココラと一緒に作りたい物も、行きたい場所も、まだいくらでもある。
こんなところで終われるか。
ここで死ぬわけにはいかない。
前世と今世の様々な記憶が、脈絡もなく浮かんでは消え、また最初から繰り返される。
実際には1分にも満たないはずなのに、1年分の走馬灯を無理やり見せられているようだった。
『残り12秒じゃ』
まだ12秒もあるのか。
息はまともに吸えず、視界も端から黒く潰れていく。
それでも、ココラたちの顔を思い出すたび、暗闇へ沈みかけた意識を必死に引き戻した。
今はただ、もう一度みんなのいる場所へ帰りたかった。
そして、永遠にも思える時間が過ぎた頃、俺の脚がようやく止まった。
止まった時のわずかな揺れだけで、全身にもう一度痛みが走る。
ぼやけた視界の先には、俺たちが怪しんで触らずに残した木箱があった。
その蓋はすでに開かれている。
いつの間に取り出したのか、右手には栓の抜かれた小瓶が握られていた。
『ほれ。最後は自分で飲まんか』
それまで勝手に動いていた右腕が、ぴたりと止まる。
俺が動かすのを待っているらしい。
歯を食いしばり、右腕へ力を込めた。
ほんの少し持ち上げるだけなのに、金床でもぶら下げられているように重い。
強烈な痛みに耐えながら、震える手で小瓶を口元まで運ぶ。
瓶の口を歯でくわえ、首ごと後ろへ倒した。
飲むというより、そのまま喉の奥へ流し込む。
苦く、薬草臭い液体が喉を通った。
次の瞬間、胸の奥から温かさが広がり、全身を切り刻んでいた痛みが少しずつ遠のいていく。
『これで、すぐに死ぬことはあるまい』
死神様の声も、ゆっくりと遠ざかっていく。
『ではな。簡単に死ぬでないぞ』
(……はい)
その言葉とともに、体を立たせていた力が抜けた。
膝から崩れ、そのまま床へ倒れ込む。
先ほどの強烈な痛みは引いていたが、肩も胸も腹も、体中がまだ重く疼いている。
それでも今度は、生きているから感じる痛みだった。
そう思ったところで、俺は再び意識を失った。




