第1章 Act.25 目を覚ますと、知らない声が聞こえた
頭の奥が、ぼんやりしている。
何があったんだっけ……。
少しずつ意識がはっきりしてきて、最後の記憶が戻ってきた。
そうだ。
ブル・グローダに叩きつけられたところまでだ。
ものすごく痛かった気はするが、それもほんの一瞬だった。
なのに今は、痛みも、水の冷たさも、石床の硬さも感じない。
……俺、どうなった?
そんなことをぼんやり考えていると――。
どこからともなく、声が聞こえた。
「……まったく、また死んでしまうとは情けない」
ん?
どこかで似たような台詞を聞いたことがあるような……。
「ほれ、いつまで寝ておる。起きんか」
聞き覚えのない、お爺さんの声だ。
目を開けて体を起こすと、そこは真っ暗な空間だった。
周囲には壁も天井もない。
どこまでも闇が広がっているのに、なぜか自分の体だけは、ぼんやりと輪郭が見えていた。
「えーと……ここはどこだ?」
「ここはな、死後の世界――その一歩手前じゃ」
「一歩手前?」
「死者の魂をどこへ運ぶか決まるまでの境目、とでも思えばよい」
やっぱり、俺は死んだのか?
前世で死んだ時の記憶は、トラックが目の前まで迫ってきたところで途切れている。
こんな場所へ来た覚えはない。
俺は立ち上がり、声の主を探して辺りを見回した。
しかし、声は聞こえるのに、姿はどこにも見えない。
「あのー、どちら様でしょうか?」
とりあえず、声がしたような気がする方へ尋ねてみる。
「ふむ。ワシは死神である」
「……なるほど。俺はこれから、あの世へ連れていかれるのでしょうか?」
死神と言われて納得できてしまう状況なのが、ものすごく嫌だがしょうがない。
「いや、そうではない」
「違うんですか?」
「本来、ワシがここで待っておったのは、お前ではない。ココラという名の少女じゃ」
「ココラが!?」
死んだはずなのに、心臓を冷たい手でつかまれたような感覚が走った。
「ココラはどうなったんですか?」
「今のところは生きておる。お前が突き飛ばしたことで、ブル・グローダの下敷きになるのを免れた」
「そうですか……よかった」
全身から力が抜ける。
とりあえず、ココラは助かった。
「あー……もしかして、ココラの代わりに俺が来たせいで、ご迷惑をかけてます?」
「迷惑というより、困惑しておる。同じ魂が2度も予定とは違うタイミングで来たのでな」
「同じ魂を2度……?」
「お前は、もう少し自分を大切にした方がよいぞ?」
いや、一応、大切にしているつもりなんだが。
「あ、もしかして前世の時も、お世話になってますか?」
「うむ。前回も、死ぬ予定だった女の子を待っておったら、代わりにお前が飛び込んできおった」
脳裏に、前世での最期がよみがえる。
夜の道路。
横断歩道へ飛び出した女の子。
迫ってくるトラック。
俺は考えるより先に、その子を突き飛ばしていた。
「それじゃあ、あの時も……」
「そうじゃ。女の子は助かり、代わりにお前が死んだ。お前をここへ連れてきた後、今と似たような話をしたのじゃが、覚えておらんようじゃな」
「全く覚えてないですね」
「転生させる際、この場所での記憶は失われたのじゃろう。その後、ワシがお前の魂をこの世界の神へ渡し、赤子として生まれ直った」
おお。
俺がこの世界へ転生できたのは、この死神のおかげだったのか。
「そうでしたか。そのときはお世話になりました」
「うむ」
「おかげさまで、新しい世界で彼女もでき、幸せに過ごせました」
あ、でもまた童貞を捨てられなかったなぁ……。
「ふむ、それは良かったが、実は前回と違う問題を処理しなくてはならん」
「問題ですか?」
「本来、お前が死ぬのはもっと先じゃ。今ここへ来られても、受け入れる準備ができておらん。ゆえに、まだ生きていてもらわねば困る」
「それなら、前回みたいに転生させてもらえるんですか?」
「それができれば簡単なのじゃがな。お前はすでに、この世界でレオンとして生まれ直しておる。同じ魂を同じ世界へ、もう一度転生させることはできぬ。それに、今のお前には新たな転生先もない」
「では、どうするんですか?」
「仕方がないので、元の肉体へ戻す。つまり、蘇生させる」
「蘇生ですか? 転生ではなく?」
「そうじゃ。お前の魂を、レオンの肉体へ戻す」
神様方のルールはよく分からないが、生き返れるなら何でもいい。
「分かりました。それでお願いします」
「話は最後まで聞け」
死神の声が、少しだけ低くなった。
「レオン。助けるのは今回までじゃ」
「……今回まで?」
「次はない。たとえ次も、ワシが待っていた魂とは違ってお前が来たとしても、その時は迷わず、お前の魂をあの世へ運ぶ。よいな?」
さっきまでの、どこか呆れたような声とは違う。
冗談ではない。
本気で俺へ言い聞かせている。
「つまり、次に誰かをかばって死んだら……」
「そのまま連れていく。誰かを助けるなと言っておるのではない。自分が死ぬ以外の方法を、最後まで探せと言っておるのじゃ」
死神は、静かな声で言葉を続けた。
「お前が死ねば、助けられた者も、残された者も傷つく。自分の命だけは失っても構わぬなどと、勝手に決めるでない」
ココラ、オヤジ、アンビー。
それにバンさん。
自分の死体を前にした彼らの姿を想像し、胸の奥が重くなる。
「……分かりました。次はありません」
「うむ。覚えておけ」
短い返事だったが、その声は少しだけ柔らかくなっていた。
「それで、すぐ生き返れるんですよね?」
「魂を戻すこと自体は、すぐにできる。ただし、問題はお前の肉体じゃ」
ものすごく嫌な予感がする。
「現在のお前の体は、ブル・グローダの胴体を左肩から背中にかけて受け、そのまま石床へ叩きつけられておる。肩や肋骨をはじめ、あちこちの骨が折れ、内臓も傷つき、ひどい出血を起こしておる」
「……神様の力で全回復、というわけにはいきませんか?」
「ワシは死神じゃぞ。そのような力を持っておるわけがなかろう」
「でも、蘇生させることはできるんですよね?」
「蘇生とは、肉体から離れた魂を戻し、止まった生命をもう一度動かすことじゃ。傷ついた肉体を元の状態へ治すこととは、全く別の話じゃ」
「では、その体でどうやって生き返れと?」
「ワシがお前の魂と共に肉体へ入り、一時的に生命活動を維持する」
「俺の体に乗り移るということですか?」
「大体そのようなものじゃ。ワシの力で折れた骨と傷ついた内臓を内側から仮止めし、心臓と肺を無理やり動かす。その間、体の動きはワシが引き受ける」
「なるほど。それなら何とかなりそうですね」
「ただし、傷そのものが治るわけではない」
「……めちゃくちゃ嫌な予感がするのですが?」
「うむ。その予感は当たりじゃ。肉体を動かせば、折れた骨も、裂けた筋肉も、傷ついた内臓も嫌でも揺さぶられる。その痛みは全て、お前は感じるだろう」
「痛みを消すことは?」
「できぬ」
「少しくらい弱くすることは?」
「無理じゃ」
「意識を失ったままというのは?」
「魂を肉体へ定着させるため、お前にも起きていてもらわねばならん」
「耐えよ、ということですか?」
「うむ。耐えよ」
「えええ、ほかに方法はないんですか!?」
「ないのう」
即答だった。
「ただし、その状態で長く動き回る必要はない。回復薬を飲めば、ワシが体を支え続けなくても済む」
「回復薬なんて、今は持ってませんよ?」
「お前たちが怪しんで、手をつけずに残してきた木箱があったじゃろう」
「モンスターハウスにあった木箱ですか?」
「そうじゃ。あの中に、上等なポーションが入っておる」
「中身が分かるんですか?」
「うむ。箱に罠はなく、ポーションにも呪いや毒の類いはない」
それなら、あの時に持っていくべきだったか?
……いや、結果的に問題なかっただけで、判断自体は間違ってないはずだ。
「木箱の場所は、お前の記憶から分かっておる。ブル・グローダへとどめを刺した後、ワシがお前の体を動かして木箱まで戻り、ポーションを飲ませる」
「でも、あの部屋は出口が消えてますよ?」
「ブル・グローダが消滅すれば、閉ざされた区画も開く。木箱まで戻れるようになる」
「なるほど……」
俺は恐る恐る尋ねた。
「ちなみに、どのくらい痛みに耐えればいいのでしょうか?」
「そうじゃな。瀕死のブル・グローダへとどめを刺すのに2秒。そこからダンジョンを引き返し、ポーションが入った木箱まで走るのに1分ほどかの」
「おお、さすが死神様。1分なら何とか我慢できそうです」
何時間も耐えろと言われるかと思ったが、たった1分程度なら――。
「もう忘れたのか? お前は今、何本もの骨が折れ、体の中から血を吹き出して死んでおるのだぞ?」
「……そうでした」
「その状態で走るのじゃ。足を踏み出すたびに全身が揺れ、折れた骨もそのたびにずれる。腕を動かせば肩の傷も動き、呼吸をするだけでも折れた肋骨が痛むじゃろうな」
前言撤回。
想像しただけで、全く笑えない。
「……そのポーションを飲めば、本当に痛みは引くんですよね?」
「飲むところまでたどり着ければな。少なくとも出血は止まり始め、傷も塞がり、痛みの大半は引くじゃろう」
「全回復は?」
「今のお前の傷では、10日ほど寝て過ごす必要があるじゃろうな。いくら回復薬でも、粉々になった体が一瞬で元に戻るわけではない」
10日で済むなら、むしろポーション様々だ。
そこで、あることを思い出した。
「あの、死神様。俺の持っている能力についても分かりますか?」
「経験値やレベル、スキルポイントが見える力のことか?」
「そうです。おそらくですが、ブル・グローダを倒すとポイントが入ると思います。そのポイントを使って傷を治したり、痛みを減らしたりできませんか?」
「無理じゃな」
ダメか。
「お前の力は、肉体が本来持つ性質や、お前自身が身につけた技術へ補正を加えるものじゃ。体力を高めれば、今後は多少傷に強くなり、回復も早くなるかもしれぬ。しかし、すでに折れた骨や傷ついた内臓を、なかったことにはできぬ」
「そう都合よくはいかないですか」
「そもそも、その能力も転生前に、この世界の神がお前へ与えたギフトの1つじゃろう」
「ギフト?」
「この世界に生まれた人類種は、誰でも魂や肉体に何らかの性質を与えられておる。ただし、その力があまりにも小さかったり、本人にも測れなかったりして、自分には何もないと思っておる者も多い」
「じゃあ、俺だけが何かをもらってるわけじゃないんですか?」
「そうじゃ。仕組みも現れ方も人それぞれじゃ。ただし、お前のように自分の力を数として見て、ポイントを振り分けられる者は極めて珍しい」
「なるほど……」
「お前の場合は、経験を数値として認識し、自分で成長する方向を選べる。それに加え、火や水、土といった魔法を外へ放つ素質もある」
「でも、この世界には魔法を使えない人も大勢いますよ。バンさんも使えません」
「外へ魔法を放てないだけじゃ。生きた人間の体内には、ごく僅かでも魔力が巡っておる。本人が魔法だと思っていない形で使われていることもある」
「例えば?」
「お前の仲間のバンは毒に強く、傷や疲労からの回復も常人よりかなり早い。体内の魔力が、無意識にそちらへ使われておるのじゃろう。本人は、自分が少し丈夫なだけだと思っておるようじゃがな」
そういえば、妙に足が速い奴や、信じられないほど身軽な奴もいたな。
それも本人が魔法だと認識していないだけで、生まれ持った性質と魔力が関係しているのだろうか。
「さて。話はこの辺りにして、そろそろ覚悟を決めてもらおうかの」
死神の声から、先ほどまでのどこか軽い調子が消えた。
「この場所では現実の時間が極端に遅く流れておる。だが、完全に止まっているわけではない」
「今、向こうはどうなっていますか?」
「お前が助けたココラは、倒れているお前へ近づこうとしておる。バンが止めようとしているが、ブル・グローダもココラの声と水面の振動に気づいたようじゃ」
「なっ……!」
「両目を潰されていても、匂いや音、振動は感じ取れる。今まさに、ココラのいる方へ向き直ろうとしておるぞ」
「分かりました。すぐに戻してください!」
これ以上、迷っている時間はない。
あの怪物がまだ動けるなら、ココラとバンさんが危ない。
「本当に耐えられるかの?」
「耐えられるかどうかじゃない。やるしかないんでしょう?」
「その通りじゃ」
「体はお任せします。ブル・グローダを倒して、ポーションのところまで連れていってください」
「うむ、よかろう!」
なぜか嬉しそうな声で、死神が答えた。
「忘れるでないぞ、レオン。ワシが助けるのは、これが最後じゃ」
「はい。今度は、俺もちゃんと生きて帰ります!」
「よい返事じゃ」
その言葉と同時に、暗闇の中へ亀裂のような光が走った。
俺の体が、真下へ引きずり落とされる。
次の瞬間――。
止まっていた心臓が、無理やり殴りつけられたように脈打った。
肺へ空気が流れ込み、折れた肋骨が内側から押し広げられる。
肩、背中、胸、腹、腰、両脚。
壊れた体の全てから、焼けた鉄を打ち込まれたような痛みが一斉に噴き上がった。
声を上げることすらできない。
たった1分。
だが、その1分が永遠に思えるほどの壮絶な痛みの中で――。
俺は再び、生き返った。




