第1章 Act.24 下水道で、魔獣と戦闘
ドゴオオオオオンッ!
狙いどおり、最大火力のファイヤーボールがブル・グローダの後ろ脚へ直撃した。
次の瞬間、予想をはるかに上回る熱気と爆風が、開けていた扉の隙間から噴き出してくる。
反射的に顔をかばった直後、爆風に押し戻された扉が、バンッ! と大きな音を立てて閉まった。
「きゃっ……!」
ココラの喉から、短い悲鳴が漏れる。
音が大きすぎたらしく、両手で耳の付け根を押さえ、目を固く閉じていた。
扉から突入しようと身構えていたバンさんも、その姿勢のまま固まっている。
「お、おい。聞いてた話より、威力が強すぎねぇか?」
「い、いやー……たぶん、この杖の効果と、閉鎖された部屋へ撃ち込んだからだと思います。爆風の出口があの隙間しかなかったから、こうなっただけで……」
もちろん、さっき火魔法と魔法出力へポイントを振った影響もあるだろう。
というより、そっちが主な原因だな。
だが、今ここで説明するわけにもいかない。
「と、とりあえず、2発目いきますね?」
誤魔化すように、もう一度詠唱を始める。
バンさんもすぐに意識を切り替え、槍を握り直して扉の前へ立った。
扉の向こうからは、絶え間なく物音が響いてくる。
ブオオオオオッ!
ブオオオオオッ!
鳴き声なのか怒号なのか分からない低い声。
続いて、重いものが床や壁へ激しくぶつかる音がした。
ブル・グローダが、部屋の中でのたうち回っているらしい。
初撃では倒せなかったか。
残念。
だが、効果は抜群のようだ。
次で死ね!
杖の先へ、再び炎が集まっていく。
詠唱が終わる直前、バンさんがこちらを振り返った。
俺が小さくうなずく。
「開けるぞ!」
詠唱の終わりに合わせ、バンさんが扉を思い切り蹴り開けた。
そのまま扉の横へ身をかわし、俺の射線を空ける。
開け放たれた扉の奥では、ブル・グローダが大きな口を開き、苦しそうに巨体を揺らしていた。
後ろ脚の一部は黒く焼け焦げ、床へ何度も体を打ちつけている。
ちょうどいい。
狙うなら――口の中だ。
「――集え、火球!」
杖先から放たれた火球が扉を抜け、開かれたブル・グローダの口へ吸い込まれる。
ドゴオオオオオンッ!
2度目のファイヤーボールが、口内で炸裂した。
ブル・グローダの頭が大きく跳ね上がり、その巨体が後ろへ下がる。
今度は扉を完全に開いていたため、爆風が抜けても閉まることはなかった。
「行くぞ!」
バンさんがバックラーを前へ出し、槍を構えたまま部屋へ飛び込む。
できれば、続けて3発目も撃ち込みたい。
だが、最大火力のファイヤーボールを2発も放ったせいで、残っている魔力が心許なかった。
普段の大きさなら、あと3、4発は撃てる気がするが、ここからは予定どおり剣で戦った方がいいだろう。
俺が振り返ると、ココラが片耳を押さえたまま、じっとこちらを見ていた。
そんな大きな音が出るなら、先に言ってよ。
明らかに、そういう目である。
「ごめん。ありがとう」
短く謝って杖を返すと、ココラは何か言いたそうな顔をしながらも、すぐに受け取って構え直した。
俺も腰の剣を抜き、バンさんの後を追おうとする。
その瞬間――。
「ブゴオオオオオオオオオオオオオッ!」
ブル・グローダの咆哮が、部屋の中から轟いた。
空気そのものを揺さぶるような音が、下水道のレンガへ幾重にも反響する。
耳を塞ぐ暇さえない。
さっきのファイヤーボールなど比べものにならないほどの大音量が、頭蓋骨の内側まで直接震わせてきた。
直後、足元が大きく揺れる。
「なんだ!?」
レンガの継ぎ目から紫色の光が漏れ出し、床や壁を網の目のように走っていく。
ボス部屋の扉が輪郭を失い、左右の壁と一緒に消えていった。
さらに、俺とココラが立っていた通路まで、急速に形を変え始める。
曲がり角も、壁も、来た道もなくなっていく。
ほんの数秒後、俺たち3人は、直径30mほどの円形空間に立っていた。
周囲はどこも同じようなレンガの壁で囲まれ、入口らしきものは1つも見当たらない。
「退路が消えた……」
完全に閉じ込められた。
さらに、さっきまで乾いていた床の上には、数cmほどの深さまで水が広がっている。
足を動かすたびに水が跳ね、靴底がわずかに取られる。
走れないほどではない。
だが、踏み込みにも回避にも、確実に影響する深さだ。
「固まるな! 少し距離を取れ!」
バンさんの声が飛ぶ。
俺は剣を構え直し、初めて正面からブル・グローダの顔を見た。
その瞬間、背筋が凍る。
目だ。
ブル・グローダの顔についているのは、魔物らしい濁った眼球ではない。
白目があり、その中心に虹彩と瞳孔を持つ――巨大化させた人間の目だった。
その目が、まっすぐ俺を捉えている。
ただ怒りに任せて暴れている目じゃない。
自分を攻撃したのが誰なのか理解したうえで、明確な意思を持って俺を睨んでいる。
前世でも今世でも、これほど露骨に殺意を向けられたことはなかった。
恐怖で頭の中が真っ白になる。
ブル・グローダの前方で、床の水が不自然に震えた。
水滴が宙へ集まり、何本もの細長い矢へ変わっていく。
まずい。
そう思った時には、水の矢が一斉に放たれていた。
「ウォーターウォール!」
ココラが詠唱を挟まず、俺の前へ水の壁を作り出す。
直後、飛来した水の矢が次々と壁へ突き刺さった。
バババババッ!
激しい音とともに水の壁が大きくへこみ、砕けた水しぶきが周囲へ飛び散る。
それでも、水の矢は1本も俺まで届かなかった。
「レオン、止まるな! ココラ、援護を頼む!」
バンさんはすでに動いていた。
バックラーを前へ構え、浅い水を蹴りながらブル・グローダとの距離を一気に詰める。
俺へ狙いを定めていたことで、左側への反応が遅れたらしい。
「こっちだ、クソ野郎!」
踏み込みと同時に突き出された槍が、ブル・グローダの左前脚の付け根へ深く突き刺さる。
「ブオオッ!」
ブル・グローダの巨体が、一瞬だけ左へ傾いた。
その隙に、俺もようやく動き出す。
床の水を蹴り、剣を構えながら右側へ回り込む。
「ブリーズエッジ!」
背後から聞こえたココラの声と同時に、鋭い風の刃が俺の横を追い越していった。
風刃はブル・グローダの顔面を斜めに切り裂き、人間のような右目のすぐ脇へ傷を刻む。
ブル・グローダが反射的に顔を背けた。
今だ。
さらに距離を詰め、右前脚の中ほどへ剣を振り下ろす。
刃が分厚い皮膚を裂き、その下の肉へ食い込んだ。
手応えは悪くない。
しっかり入った。
が――浅い。
ブル・グローダの脚が太すぎる。
肉を大きく裂いた感触はあっても、刃は骨までまるで届いていない。
剣を引き抜こうとした瞬間、ブル・グローダの右肩がわずかに沈んだ。
巨体全体が縮むように力をためる。
ほんの一瞬。
その一瞬があったから気づけた。
俺は剣を引き抜き、浅い水を蹴って大きく後ろへ跳ぶ。
直後、ブル・グローダの巨体が横殴りに突っ込んできた。
ドッバアアアンッ!
さっきまで俺がいた場所へ巨体が滑り込み、床の水が大きく跳ね上がる。
着地した足が水に取られかけたものの、どうにか踏みとどまった。
回避には成功した。
だが、今の体当たりをまともに食らえば――。
「1発でもアウトだな」
乱れた呼吸を整えながら、ブル・グローダを見る。
剣の攻撃が効いていないわけではない。
右前脚には、さっき俺がつけた傷から血が流れている。
しかし、あの太さでは骨まで断つのに何度斬りつければいいか分からない。それまでブル・グローダが大人しく待ってくれるはずはないだろう。
何か、もっと効果的な攻撃方法を考えないと。
バンさんが持っていた残りの果実酒は、3人で飲み切った。
モンスターハウスで使った手は、もう使えない。
ほかに弱点は……。
確かカエルは日光、というより乾燥に弱かったはずだ。
だが、今いるのは日の差さない下水道で、床には数cmの深さまで水が広がっている。
乾燥とは真逆の環境だ。
あとは――塩分か?
カエルやオタマジャクシは塩分が苦手だったはず。モンスターハウスでも塩辛い干し肉は、ちょっと齧ったものはあっても、残っていた。
俺は急いで、ベルトにつけたポーチへ手を突っ込んだ。
指先に、持ってきていた岩塩の硬い感触が触れる。
量はそれほど多くない。
あの巨体の皮膚へ擦りつけたところで、大した効果は期待できないだろう。
うまいこと、傷ついた口の中へ直接入れられれば――試してみるか。
バンさんは浅い水を蹴りながら、ブル・グローダの正面で槍を振るっていた。
正面へ立ち続けるのではなく、突進や前脚の動きに合わせて位置を変え、槍先で顔や脚を牽制している。
倒すためではない。
ブル・グローダの意識を自分へ向け、俺とココラが動く時間を作ってくれている。
俺はブル・グローダの顔へ目を向けた。
さっき口の中へ撃ち込んだファイヤーボールのせいか、口の端から顎の付け根にかけて黒く焼けただれている。
口を動かすたび、その部分だけ妙に引きつっていた。
あそこなら――。
「ココラ! 口の右側! 焼けてるところへブリーズエッジを頼む!」
「わかった!」
頼もしい返事とともに、ココラが短杖を振る。
「ブリーズエッジ!」
放たれた風の刃が、ブル・グローダの焼けただれた口元へ斜めに食い込んだ。
ザシュッ!
「ブゴッ!」
傷ついた口の端がさらに裂け、ブル・グローダが反射的に顔を振る。
今だ!
浅い水を蹴り、一気に距離を詰める。
同時に、左手の中へ小型の火球を作り出した。
狙う場所は同じ――顎の付け根だ。
「ファイヤーボール!」
直径10cmほどの火球が、傷口へ直撃する。
ボンッ!
爆発とともにブル・グローダの顎が大きく跳ね、口が開いた。
「ブゴオオオオオッ!」
焼けた傷口をさらに抉られたブル・グローダが、苦痛の声を上げる。
裂けた口元が引きつっているせいか、すぐには口を閉じられない。
俺は握っていた岩塩を、その大きく開いた口の中へ思い切り投げ込んだ。
続けて、もう1発。
「ファイヤーボール!」
岩塩を奥へ押し込むように、小さな火球を口内へ撃ち込む。
ボンッ!
火球が口の奥で弾け、砕けた岩塩を喉の奥に叩き込んだ。
「ブゴッ……ブゴオオオオオッ!」
効果はてきめんだった。
ブル・グローダは頭を激しく振り、口の中を掻き出そうとするように前脚を動かし始める。
左前脚の付け根はバンさんの槍で傷つき、右前脚も俺の剣で出血している。
思うように口元へ持ち上げられないらしい。
巨体が大きく痙攣する。
喉が何度も膨らみ、大きく開いた口の奥から赤黒い塊がせり上がってきた。
次の瞬間、袋のような臓器が口の外へ一気に押し出された。
胃翻出。
カエルが毒物や消化できない物を飲み込んだ時、胃袋を裏返して口から出し、内容物を排除する行動だ。
よし、うまくいった。
ブル・グローダの口から垂れ下がっているのは、胃の内側を外へ向けた状態の胃袋だ。
今なら、分厚い皮膚や筋肉に守られていない内臓を直接攻撃できる。
「バンさんは、頭をお願いします!」
「任せろ!」
俺は一気に踏み込み、口から垂れ下がった胃袋へ剣を振り下ろした。
硬い皮膚とはまるで違う。
刃が柔らかな胃壁へ深く食い込み、そのまま大きく切り裂いた。
裂け目から、どろりとした暗赤色の血液があふれ出す。
今度こそ死ね!
残った魔力を左手へ集める。
狙うのは胃袋の表面ではない。
俺が作った裂け目の、その奥だ。
「ファイヤーボール!」
火球を胃壁の裂け目へ押し込み、さらに体の奥へ向けて放つ。
ボゴォンッ!
くぐもった爆発音とともに、ブル・グローダの腹部が内側から大きく震えた。
傷口と口から熱気が噴き出し、焦げた肉と内臓が混じったような、ひどい臭いが漂ってくる。
同時に、体の芯が急に重くなり、視界の端がわずかに暗くなる。
魔力切れ寸前だな。
撃てたとしても、もう1発をまともに狙うのは無理そうだ。
「よくやった! レオン、いったん離れろ!」
バンさんの声に従い、俺は距離を取った。
その間も、バンさんはブル・グローダの正面から離れず、頭への攻撃を続けている。
ブル・グローダの焼けた目へ槍を突き込み、さらに目の後ろにある丸い膜――耳と思われる部分へ、何度も穂先を突き立てた。
「ブリーズエッジ!」
ココラも、バンさんとは反対側の目へ風の刃を放つ。
風刃がもう片方の目を深く切り裂き、ブル・グローダが頭を大きく振った。
これで視界は完全に潰れたはずだ。
それに、後ろ脚を焼かれ、両方の前脚を傷つけられ、胃壁まで切り裂かれた。
おまけに体の内側でファイヤーボールを炸裂させている。
それでも、ブル・グローダは倒れない。
どんだけ頑丈なんだよ。
バンさんが、魔獣は普通のモンスターとは違うと言っていた意味がよく分かる。
まさしく化け物だ。
俺も次に生まれた隙へ斬り込むため、剣を握り直す。
その時だった。
ブル・グローダの巨体が、急に深く沈み込んだ。
太い後ろ脚が折り畳まれ、全身の筋肉が一気に縮む。
跳ぶ気だ!
「バンさん、離れて!」
俺が叫ぶのと、ブル・グローダが右の後ろ脚で床を蹴ったのは、ほとんど同時だった。
バシャアアアンッ!
床の水が爆発したように跳ね上がる。
ブル・グローダは、攻撃から逃れようとするように前方へ大きく跳び上がった。
左の後ろ脚を焼かれているため、跳び方はひどく不格好だ。
巨体は空中で斜めに傾き、その頭は優に4mを超える高さまで上がる。
両目を潰されている以上、着地点を見ているはずはない。
ただ苦痛から逃れようと、前方へ跳んだだけだ。
しかし――。
その着地点に、ココラがいた。
水面へ落ちた巨大な影が、ココラの足元を覆う。
「え……?」
ココラが一歩右へ動こうとする。
だが、空中で傾いたブル・グローダの軌道も右へずれた。
慌てて反対側へ踏み込んだ、その瞬間。
浅い水に足を取られ、ココラの体勢が崩れた。
「ココラーーーッ!」
俺は剣を手放し、浅い水を蹴って全力で走った。
間に合え。
間に合え!
ココラの肩へ両手を伸ばし、横から思い切り突き飛ばす。
小さな体が水の上へ投げ出され、ブル・グローダの影の外へ転がっていく。
間に合った。
そう思った次の瞬間――。
落下してきたブル・グローダの胴体の端が、俺の左肩から背中へ激突した。
ドガアアアンッ!
全身を押し潰すような衝撃が走り、俺の体は水の張った床へ叩きつけられる。
息が一瞬で吐き出され、肩と背中だけでなく、全身に焼けるような痛みが広がった。
水しぶきの向こうで、ココラが何か叫んでいる。
けれど、その声は急速に遠ざかっていった。
視界が暗く沈み――。
そこで、俺の意識は途切れた。




