第1章 Act.22 ダンジョンの奥、そこにいたのは体長3m越えの化け物
休憩後、俺たちはそのままダンジョンの奥へ進んだ。
時間の感覚はだいぶ怪しくなってきているが、あの部屋を出てから、おそらく2時間ほどは歩いただろうか。
相変わらず景色はほとんど変わらない。
木でできた床と壁が続き、時折、どこからともなくギシッと軋む音が聞こえてくる。
途中、正面からポリースラッグが1匹だけ現れた。
「ちょうどいいですし、この杖、試してみてもいいですか?」
ココラが右手で短杖を少し持ち上げる。
モンスターハウスで見つけた物だ。
「そうだな、相手は1匹だし試すなら今がいいか。一応敵の突進には注意しろよ?」
「はい」
バンさんの許可をもらい、ココラが前へ出る。
こちらに気づいたポリースラッグが、ぬるりと床を這って近づいてきた。
ココラが短杖を構える。
いつもなら、魔法名を口にする前に、魔法を組み上げるための短い詠唱が必要になる。
だが――。
「ブリーズエッジ!」
短杖の魔石が淡く光った。
次の瞬間、風の刃が飛び、ポリースラッグの体を深く切り裂く。
そのまま粘液質の体が崩れ、動かなくなった。
「……え?」
ココラの長い耳がぴんと立つ。
「一撃?」
「一撃、だね……」
これまでのブリーズエッジなら、ポリースラッグを一撃で倒せるほどの威力はなかった。
それに何より――。
「ココラ、今、前の詠唱を飛ばしたよな?」
「うん。いつも通り使おうとしたら……そのまま発動できそうな感じがしたから」
ココラはまじまじと短杖を見る。
「魔力は?」
「使った感じは、いつもとそんなに変わらないかな」
どうやら消費する魔力量自体は変わらないらしい。
それでも本来の詠唱を省き、魔法名だけで発動したうえ、威力まで少し上がっている。ポリースラッグなら一撃か。
「かなり当たりの杖じゃないか、これ」
「うん。これなら戦闘中でも使いやすいかも」
ココラが少し嬉しそうに杖を眺める。
「便利なのは間違いねぇな。ただ、魔力の減りが同じなら撃てる回数が増えたわけじゃねぇ。そこは気をつけてな」
バンさんの言う通りだ。
詠唱がいらなくなったからといって、撃ち放題になったわけじゃない。それでも戦闘中の使い勝手はかなり上がった。
思わぬ拾い物だったかもしれない。
その後も探索を続け、途中で2度ほどポリーリザードと戦闘になったが、特に問題なく倒すことができた。
何度か戦った相手だけに、こっちも動きが分かってきている。
バンさんが前で動きを抑え、俺とココラが隙を突く。最初に遭遇した時と比べれば、かなり安定して戦えるようになっていた。
そして、さらに奥へ進んでいた時だった。
「……ん?」
通路の先に扉が見えた。
厚い木板を鋼鉄の帯で補強した、かなり頑丈そうな造り。
俺は思わず足を止めた。
何度も見たことがある。
というより――。
「この扉、うちの工房で作ってるやつだ」
「え?」
ココラが扉と俺を交互に見る。
「間違いねぇのか?」
「はい。この補強の仕方も蝶番の形も同じです。俺も何度か作るのを手伝ってます」
間違いない。
扉へ目を凝らしているうちに、さらに見覚えのある特徴に気づいた。
「この扉……下水道の点検用だ」
蝶番や補強帯には赤褐色の防錆塗料。厚いオーク材には、防腐用の松タールが塗り込まれている。
公共下水道の点検扉に使われる仕様で、うちの工房でも役所から注文を受けて何度か作っていた。
「ってことは、この先は下水道か?」
バンさんが困惑したように扉を見る。
「……確かに、少し嫌な臭いがします」
ココラが眉をひそめ、鼻元を手で押さえた。
俺にも、扉の隙間から湿った下水の臭いが漂っているのが分かった。
「……待て」
バンさんが俺の前へ手を出す。
3人とも動きを止めた。
扉の向こうから――。
「グォォォ……グォォォ……」
低い音が聞こえてくる。
かなり大きな動物が寝ているような、腹に響く重い音だ。
俺たちは顔を見合わせた。
「さて……もしかするとボスかもしれねぇな」
バンさんが声を落とす。
「下水道にポリースラッグ、それにこの声か……」
バンさんがぼさついた髪を掻いた。
「もしかして、ウシガエルか?」
「ウシガエル?」
「この辺の水路にもいるだろ。あいつら、けっこう低い声で鳴くからな。ダンジョンができた時に地下の下水道まで取り込まれて、中にいたやつが魔獣化した……ってんなら、一応筋は通る」
「魔獣ですか……」
魔獣というのは、ゴブリンのような最初からモンスターとして存在する生き物とは少し違う。
普通の動物が濃いエーテルの影響を受け、巨大化したり特殊な力を持ったりしたもの、と考えれば分かりやすい。
学校では、ゴブリンなどのモンスターも、エーテル濃度の高い場所ではごく稀に魔獣化することがあると習った。ただし、そちらは元からモンスターなだけあって、洒落にならないほど強くなるらしい。
普通の動物の魔獣化はそれより弱い。それでも、小さなネズミですら犬ほどの大きさになり、武器を持った大人が数人で戦って、ようやく倒せるレベルと習った。
ウシガエルなら、いったいどれほどになるのか。
「バンさん、ウシガエルの魔獣って、どのくらい強いと思います?」
「さあな……ただ、昔パーティーを組んでた頃に、魔獣化した犬と1度だけ戦ったことがある」
バンさんの顔が少し険しくなる。
「村の近くにでかい狼が出たから退治してくれって依頼だった。5人で行ってみたら、狼じゃなくて魔獣化した犬でよ。終わった時には5人全員、何かしら怪我してた」
「犬でもそんなに強くなるんですか……」
ココラの耳がわずかに強張る。
「ああ。でかい狼の方がまだマシだったな。走って逃げ切れる相手じゃねぇし、魔法まで使いやがった。オレも当時使ってた丸盾ごと吹っ飛ばされて、左腕を折った」
「えっ」
「何とか倒したが、遭遇してから終わるまで1時間くらいはかかったな。ずっと殴り合ってたわけじゃねぇぞ。距離を取って仕掛け直して、それでもそんくらいだ」
1時間。
5人がかりで全員負傷して、それだけかかったのか。
学校で聞いた通り、魔獣はかなり危険らしい。
「3人での攻略は厳しそうですね」
「オレもそう思う。ただ、一度姿だけは見ておきたい。あれが寝息なら、今は確認するチャンスだ。見るだけ見て、無理ならすぐ下がるぞ」
偵察と戦うかどうかは別、ということか。
「分かりました」
「じゃ、ちょっと覗いてみるか」
軽い口調とは反対に、バンさんは慎重に扉へ近づいた。
荷物から小さな油差しを取り出し、蝶番の軸と留め金の可動部へほんの少しずつ油を落としていく。
前世みたいに、扉が何の手入れもなしで音もなく滑らかに開く、なんて都合のいい話はない。
「素直に開いてくれよ……」
バンさんは取っ手に手をかけた。
「グォォォ……」
低い音が響く。
その音に合わせるように、ゆっくり留め金を動かす。
ギ……。
わずかに音が鳴ったが、向こうの声にかき消された。
やがて扉がほんの少しだけ開く。
隙間から、さっきより濃い下水の臭いと湿った空気が流れてきた。
バンさんは息を止めるようにして、隙間の向こうを短く覗く。
一瞬、その目が見開かれた。
だが、声は出さない。
静かに下がると、俺たちへ手招きした。
「あんまり吸い込むなよ。こういう場所の空気は何が混じってるか分からねぇ」
バンさんの言葉に小さく頷き、ほんの数秒だけ中を覗く。
光量を絞った弱い光では、向こうの空間全体までは分からない。
ただ、10mほど先に、土色をした巨大な後ろ脚が見えた。
折り畳まれた、太く長い後ろ脚。ぬめりのある皮膚。
形からして、巨大なカエルだろう。
しかも見慣れたウシガエルによく似ている。
俺たちはすぐに離れ、バンさんが扉をそっと閉じた。
そこから30mほど来た道を戻って、ようやく小声で話し合う。
「あの脚の大きさなら、体長3m近くあってもおかしくねぇ。たぶん魔獣化したウシガエルだな」
「3人で倒すのは、ちょっと厳しそうですね」
「私のブリーズエッジも……効くかどうか怪しいです」
ココラが短杖を見下ろした。
さっきまで攻撃力が上がったと喜んでいたのに、その直後に出てきたのがあれでは、がっかりするのも無理はない。
「まあ、杖が強いのは変わらないだろ」
そう言って頭を軽く撫でると、ココラは少しだけ表情を緩め、俺の肩へ寄りかかってきた。
「……うん」
いや、待てよ?
「バンさん、あの後ろ脚の太さだと、この扉をすぐ抜けるのは無理ですよね」
扉は、大人1人が通れる程度の大きさしかない。あの巨体なら、体をねじ込めたとしても時間はかかるはずだ。
「たぶんな。少なくとも、すんなりは通れねぇだろう」
「だったら扉を挟んでこちらから一方的に魔法で攻撃できませんか?」
「なるほど。だが、向こうが魔法を使えたらどうする? 長い舌で引っ張ってくるかもしれねぇし、最悪、扉ごと壁をぶち抜いてくるかもしれん」
「……確かに、それは怖いですね」
「まあ発想は悪くない。だが普通のモンスターならともかく、魔獣は見た目だけじゃ何してくるか読めない、本当にやばい敵なんだ」
まじか、魔獣ってどんだけよ?
「仕方ないですね、救助を待ちますか?」
「ああ。少なくとも、今はまだ喧嘩を売る時じゃねぇ。ここには留まらず、もう少し安全な場所まで戻るぞ」
「そうですね、賛成です。正直言って、ここまでのポリースラッグたちを見るに、ボスも何とかなるかと思ってたんですけどね」
「私もちょっと期待してたんだけどなぁ」
ココラが名残惜しそうに短杖を見る。
「まっ、生きて帰りゃ別口で役立つさ。今日は交代で見張りながら、のんびり救助待ちだ」
バンさんはそう言うと、迷いなく来た道へ歩き出した。
ボスらしきものは見つけた。
けれど、見つけたからといって倒さなきゃいけないわけじゃない。
俺とココラも顔を見合わせ、バンさんの後を追った。




