第1章 Act.17 初めてのダンジョンは、何事もなく終わらない……
第1章 Act.17
初めてのダンジョンは、何事もなく終わらない……
聖域で任された仕事は、大きな問題もなく順調に進んだ。
地上へ戻る日の昼前には、追加で持ち込まれた分まで仕上がり、研ぎ直しを待つ槍は一本も残っていない。
防具の修繕はもともとそれほど多くなく、そちらを終えたゴーア兄も途中から手を貸してくれた。おかげで、聖域に残っていた武器や防具の整備は、すべて終えることができた。
指揮官のベイセルさんも、仕上がった槍を確認しながら礼を言ってくれた。
簡易的な設備しかない以上、工房で行うような本格的な修繕はできない。それでも、攻略を続けるための応急整備としては十分だったようだ。
俺たちが工具や余った部品を荷箱へ戻していると、バンさんが大きな荷物を背負ってやってきた。
「帰りはオレたちも一緒だ。よろしくな」
「バンさんも戻るんですか?」
「ああ。もともと、3日潜ったら一度地上へ戻る予定だったんだ。体を休めて、腹いっぱい食ってからまた潜る」
聖域の中でも食事はできるが、攻略部隊全員が毎日満腹になれるほどではない。
俺たちは聖域で昼食を受け取り、しっかり腹に詰め込んだ。
帰還するのは、俺とココラ、ゴーア兄。それにバンさんを含む冒険者5人と、交代を終えた領兵8人だった。
荷物をまとめ、第1聖域を出発する。
慣れない地下での2日間だったが、あとは来た道を戻るだけだ。
聖域を出てから30分ほど進んだところで、前方に魔導カンテラの光が見えた。
地上から第1聖域へ向かう、4人の連絡隊だった。
「お疲れさん。聖域までは、あと30分くらいだ」
バンさんが道を譲ると、先頭の領兵が軽く手を上げた。
そこからさらに1時間ほど進んだ頃、俺たちは大きなT字路へ差しかかった。
先頭の領兵が右側の通路を確認しようとしたところで、何かが這うような湿った音が響く。
魔導カンテラの光の中へ、3匹のポリースラッグが這い出してきた。
「前方、3匹!」
先頭の領兵たちが、すぐに槍を構えた。
1匹目と2匹目は正面から迫り、いつものように尾で床を叩いて飛びかかる。
前衛の領兵2人がそれぞれ左右へかわし、その脇から別の領兵たちが槍を突き出す。着地した2匹は、間を置かずに貫かれた。
ここ数日で何度も相手にしているだけあって、危なげのない連携だ。
だが、3匹目だけは先頭の領兵へ向かわなかった。
大きく尾を振ると、通路の壁へ体をぶつけ、その反動で斜めに跳ねる。
粘液に覆われた体が領兵たちの横を抜け、後列にいた冒険者へ向かって飛び込んできた。
「後ろへ行ったぞ!」
隊列が一瞬乱れる。
冒険者が盾でポリースラッグを受け止め、その横で別の冒険者が剣を抜いた。
俺とココラは戦闘の邪魔にならないよう、魔物が現れたのとは反対側の通路へ退避した。壁には、探索済みであることを示す印が付いている。
ゴーア兄が俺たちの前へ出て、その隣に槍を構えたバンさんが並んだ。
「こっちはオレたちが見る。前に出るなよ」
「分かった」
T字路では、ポリースラッグが盾へ何度も噛みついていた。
このままなら、領兵と冒険者たちだけで問題なく片づけられる。
そう思った直後だった。
前に立つゴーア兄とバンさんの邪魔にならないよう、ココラがもう一歩後ろへ下がった。
ガコン。
足元の敷石が、わずかに沈んだ。
「えっ?」
次の瞬間、ココラの足元に紫色の光が走った。
細い光の線が円を描き、その内側が水面のように揺らめく。石床が崩れたわけでもないのに、そこだけが底の見えない紫色の穴へ変わった。
「ココラ!」
ココラの体が、足元から紫色の闇へ吸い込まれた。
考えるより先に、俺は穴へ飛び込んだ。
ココラを1人で落とすという選択肢はない。
「レオン!」
ゴーア兄の声が聞こえた。
落ちながら見上げると、穴へ手を伸ばすゴーア兄と、その横から迷わず飛び込んでくるバンさんの姿が見えた。
直後、紫色の円が急速に縮み始める。
ゴーア兄も後を追おうと踏み出したが、飛び込むより先に穴は閉じ、石床へ溶けるように消えた。
辺りが紫色の闇に包まれる。
上下の感覚すら曖昧になり、体がどこかへ引きずられていく。
ほんの数秒だったのか、それとももっと長かったのか分からない。
突然、足元に木の床が現れた。
「くっ!」
着地と同時に前へ転がり、受け身を取ろうとした。
だが、落下の勢いを殺しきれず、右肩を木の床へ強く打ちつけ、仰向けに倒れ込んだ。
「いっ……」
痛みに顔をしかめながら天井を見上げると、紫色の穴からバンさんが落ちてくるところだった。
「うおおおおおお! おらぁ!」
「うわっ!」
慌てて横へ転がった。
バンさんは床へ着くと同時に前転し、落下の勢いを殺した。
少しよろめいたものの、すぐに槍を支えにして立ち上がる。
天井に残っていた紫色の穴は、渦を巻きながら小さくなり、そのまま跡形もなく消えた。
残ったのは、隙間なく木の板が張られた天井だけだった。
「マジかよ……」
バンさんが天井を見上げた。
槍の石突で何度か叩いてみたが、返ってきたのは乾いた音だけだ。すぐ上に、先ほどの通路があるような響きではない。
「レオン、大丈夫? 肩、打ったみたいだけど」
ココラが心配そうな顔で駆け寄ってきた。
「ああ、多分大丈夫」
体を起こし、右肩をゆっくり回してみる。
鈍い痛みはあるが、骨が折れたり関節が外れたりした感覚はない。剣を抜く動作にも問題はなさそうだった。
「少し痛むけど、動かせる。ココラは怪我してないか?」
「うん。ちゃんと受け身を取れたから大丈夫」
「なら良かった」
身軽なココラは、俺よりもうまく着地できたらしい。
俺がココラの上へ落ちなかったことにも安心した。
軽装の革鎧とはいえ、装備と自分の体重を合わせれば80kg近くある。そこに落下の勢いまで加われば、下にいたココラが無事で済むとは思えない。
「お二人さん、オレのことも心配してくれていいんだぞ?」
バンさんが少し悲しそうな顔で言った。
「いや、あれだけ綺麗に着地してたじゃないですか」
「ぱっと見で、心配するところが何もなかったので……それと、ごめんなさい。罠に気づきませんでした」
ココラが耳を伏せ、申し訳なさそうに頭を下げる。
「気にしなくていい。探索済みの場所だったんだ。むしろ、見落としていたオレたちの失態だ。すまねぇ」
バンさんはそう言ってから、すぐに表情を引き締めた。
「......それにしても、面倒なことになったな」
俺は腰に付けていたクリップライトを外し、明かりをつけた。
淡い光が周囲を照らす。
そこは、先ほどまでいた石造りの通路とはまるで違う場所だった。
通路は幅5mほどで、前方へ暗い一本道が真っすぐ伸びている。俺たちが落ちてきた場所のすぐ後ろは、木の壁で完全に塞がれていた。
床も壁も天井も、すべて木の板で作られている。
「なんで突然、木造になるんだ?」
俺は壁へ近づき、板の表面を照らした。
「なんだか、箱の中みたいだね」
ココラが不安そうに呟いた。
「……確かに」
よく見れば、普通の建物にあるはずの柱や梁が見当たらない。
厚い木板だけが隙間なく張り巡らされ、巨大な箱の内側に閉じ込められたような造りになっている。
板には古びた様子もなく、虫食いや腐食も見当たらない。
それなのに、乾いた木と埃を混ぜたような古い臭いだけが漂っていた。
「ここで救助を待つか、出口を探すか……バンさんはどう思います?」
バンさんは腕を組み、紫色の穴が消えた天井を見上げた。
「今のは普通の落とし穴じゃねぇ。あの穴を通って、別の場所へ飛ばされた可能性が高い」
「それなら、仮に真上を掘っても、元の通路には戻れないってことですか?」
「ああ、おそらくな」
バンさんは通路の奥へ視線を向けた。
「向こうの連中も、戦闘を片づければ同じ敷石を調べるはずだ。ただ、踏み直せばこっちへ来られるとは限らねぇ。一度きりの仕掛けかもしれん」
「聖域の先にも、木造の通路はなかったんですか?」
「ああ。全部石造りだった。こんな場所は初めてだ」
ということは――。
「バンさん。こっちが正規ルートって可能性はありませんか?」
バンさんは木造の通路と、穴が消えた天井を見比べた。
「……なるほどな」
「ボス部屋が見つからなかったのは、普通の通路からじゃ行けなかったからかもしれません」
「地図に不自然な空白があったが、あの穴がそこへ入るための仕掛けだとすれば筋は通る」
「それじゃあ、ボスを倒さないと出られないってことですか?」
ココラの耳が不安そうに後ろへ倒れた。
「まだ決まったわけじゃねぇ。別の出口があるかもしれないし、救助が来る可能性もある」
ただ、いつ来るか分からない救助を、ここでいつまでも待つのも得策じゃない。
ここが安全な場所とも限らないし、手持ちの食料もない。敵が現れれば、待っている間にもこちらは消耗する。
昼食からまだ2時間ほどだ。動くなら、体力に余裕がある今のうちだろう。
バンさんはしばらく考えてから、槍を握り直した。
「よし。30分だけここで待つ。それで誰も来なけりゃ、3人で出口を探すぞ」
「分かりました」
「待ってる間に、魔法と装備を確認しておこう。すぐ動けるようにな」
俺とココラは顔を見合わせ、同時に頷いた。




