第1章 Act.16 領主のもとに新事実、今日もマルセルは眠れない
ダンジョン発生から7日目の夜遅く。
第1聖域でレオンたちが2度目の夜を迎えていた頃、ティリアガルデン領主館の執務室には、まだ明かりがついていた。
机の上には、ダンジョンの地図、攻略部隊から届いた報告書、物資や人員の一覧が積み上がっている。
マルセル・ナ・ティリアは、目の下に濃い隈を作りながら、そのうちの1枚に目を通していた。
扉が静かに叩かれた。
「マルセル様。ルベルト様がお戻りになりました」
家令のハーシュの声だ。
「入れ」
扉が開き、街道騎士ルベルト・ラジアが執務室へ入ってきた。
外套には土埃がこびりつき、顔にも疲労の色が濃く残っている。馬を何度も替え、ほとんど休まず戻ってきたのだろう。
ダンジョンが発生したその日。
直後に開かれた緊急会議で、マルセルはルベルトを、ティリアガルデンから南東へ約100km離れた小都市オルテンシアへ向かわせた。
オルテンシアには周辺領の手配情報が集まり、司法法務省や魔導省の地方出張所も置かれている。
「ただいま戻りました。遅くなり、申し訳ございません」
「いや、6日で戻ったのならば十分に早い。座れ。形式はよいから、まず結論を聞かせてくれ」
「はい」
ルベルトは椅子へ腰を下ろし、ハーシュから渡された水を一息に飲んだ。
「町でフルックと名乗っていた男についてですが、フルックは偽名でした。バーハム領から逃亡した手配犯で、呪物の密輸に関わっていた一団の協力者です」
「本名は分かったのか?」
「本名と断定はできませんが、チーノという名が最も有力です。バーハム領の手配情報にはその名で記されており、捕らえられた密輸犯たちも、以前から彼をチーノと呼んでいたと証言しています」
「チーノか」
「はい。少なくとも、フルックより以前から使っていた名であることは間違いありません」
「分かった。以後、その男はチーノと呼ぼう」
「承知しました。そのチーノですが、元々は美術品や外国製の磁器などを扱う旅商人だったようです。半年前から密輸に関わり、呪物を含む複数の禁制品を運んでいた疑いがあります」
「呪物というのは、あの留置房で使われた物か?」
「断定はできません。ただ、捕らえられた密輸犯の証言によれば、チーノには小さな木箱が預けられていました。その木箱は、押収された密輸品の中から見つかっていません」
チーノが町兵に捕まった際、身につけていた物は一通り調べられている。
杖、短剣、腰袋、指輪、魔石、魔道具らしき小物。
服や靴まで確認されたが、そのような木箱は見つかっていない。
「隠し場所があったということか」
「はい。その可能性が高いかと」
ルベルトは、持ち帰った資料を机の上へ置いた。
「チーノには、空間収納系統の固有魔法があったと見られています」
「やはり予想は当たっていたか」
「はい。生き物以外の荷物や道具を、見えない空間へ出し入れする魔法です。密輸に関わった複数の者が、チーノの手元から荷物が消えたり、何もない場所から現れたりするのを目撃しています」
「なるほど。その固有魔法なら、関所や町の検査もすり抜けられるな」
「はい。町兵が所持品を取り上げても、別の空間に隠された物までは見つけられません」
マルセルは、机の上に広げられた資料へ視線を落とした。
チーノが留置房の中で収納空間から木箱を取り出し、それが直後に暴走した。
そう考えれば、今まで見つからなかった木箱の所在にも説明がつく。
だが、問題はそれだけではなかった。
「もし、収納空間から取り出された呪物が直後に暴走し、呪物とチーノの固有魔法が干渉したのなら……」
マルセルの言葉に、ルベルトがうなずいた。
「はい。呪物だけでなく、チーノの固有魔法の性質まで、ダンジョンへ取り込まれた可能性があります」
「そのような前例があるのか?」
「オルテンシアの魔導省で、過去の記録を調べてもらいました。固有魔法とまでは断定されていませんが、空間魔法の影響を受けたと思われるダンジョンが、過去に3件確認されています」
「詳しく聞かせてくれ」
「1件目は、外から測った大きさと内部の広さが一致しないダンジョンです。厚さ1mにも満たない壁の中に別の通路や部屋が存在し、壁を壊すまで発見できなかったとあります」
空間そのものが、見た目とは異なる広さを持っていたということか。
「2件目は?」
「通路のつながりが一定しないダンジョンです。昨日まで行き止まりだった壁から新しい通路が現れたり、一本道を進んでいたはずなのに、いつの間にか元の場所へ戻っていたりしたそうです」
「3件目は?」
「特定の場所を踏んだ者だけが、別の区画へ移されました。移動後、その場所には入口が残らず、元の場所にいた者たちは後を追えなかったとあります」
どの事例にも共通しているのは、目に見える空間を信用できないということだった。
壁の向こうが見た目どおりに続いているとも、地図上で隣り合う場所が実際にも隣接しているとも限らない。
何もないように見える場所に、大量の魔物が隠されている可能性すらある。
現在のダンジョンからは、そのような異常の報告は上がっていない。
通路は地図のとおりにつながり、入口と第1聖域の往復も問題なく行えている。これまで現れたのはポリースラッグ程度で、今のところ死者や重傷者もいない。
だが、それが今後も続く保証はなかった。
「厄介だな」
マルセルは額を押さえた。
何が起きるか分からない。
しかも、異常が起きる前に兆候が現れるかどうかも不明だ。
対策を立てようにも、実際に現象が確認されるまでは、どの危険を優先して警戒すべきなのか判断がつかない。
「オルテンシアを発った合同先遣隊は、今どこまで来ている?」
「私が帰路で追い越しました。調査器具や物資を積んでいるため進みは速くありませんが、順調なら、あと1日ほどで到着する見込みです」
「その中に、空間魔法に詳しい者はいるのか?」
「魔導省の調査員は参加していますが、空間魔法を専門とする者はいません。専門家は別に正式な派遣要請が必要で、到着まで早くても8日前後かかるそうです」
「ハーシュ。夜明けと同時に、専門家の派遣を正式に要請しろ。それと、合同先遣隊が到着したら、すぐにこの情報を共有だ」
「かしこまりました」
「8日か。それまでは、先遣隊と協力して対処するしかないな」
マルセルは机の上に広げられたダンジョンの地図へ視線を落とした。
現在、探索の指揮を執っているのは、守備騎士グラント・エージンの副官、ベイセル・ナ・ミースだ。
冷静で、情報の整理に長けた男である。
現場で異常に気づく可能性が最も高いのも、彼だろう。
「ハーシュ。夜間の交代部隊は、もうダンジョンへ入ったか?」
「はい。2時間ほど前に、入口を通過しております。次に入るのは、夜明けに出発する連絡隊です」
「単独の伝令を向かわせることはできないか?」
「単独の伝令は安全規定上、認められておりません。今から護衛を集めても、入口警備の当直を崩さずに出せるのは夜明け頃になります」
「……ならば、夜明けの連絡隊へ書状を託す。最優先でベイセル本人へ届けさせろ」
「承知いたしました」
「ルベルト、ご苦労だった。詳しい報告書は日が昇ってからでよい。今は休め」
「ありがとうございます。マルセル様も、どうか無理をなさらずに」
ハーシュに案内され、ルベルトが執務室を出る。
扉が閉まると、室内は再び静かになった。
壁の時計へ目をやると、日付が変わり、針が2時に近づいている。
マルセルも休むべき時間だった。
だが、今聞いた情報を朝まで寝かせておくわけにはいかない。
マルセルは新しい便箋を取り出し、ペン先をインクへ浸した。
宛先は、ベイセル・ナ・ミース。
チーノが空間収納系統の固有魔法を持っていた可能性。
過去に発生した空間型ダンジョンの事例。
地図や目視だけを信用せず、壁内部の別空間、通路の接続異常、床や壁の異常な魔力反応、突然の魔物出現を警戒すること。
そして、わずかでも異常を確認した場合は探索を中止し、直ちに第1聖域まで撤退すること。
書くべき内容はいくらでもあった。
「今は、この知らせが間に合うことを願うほかないか……」
マルセルは小さくつぶやいた。
重くなるまぶたをこすり、警告の続きを書き始める。
夜明けに連絡隊が出発しても、第1聖域までは約5時間。
書状がベイセルの手に渡るのは、早くても昼頃になる。




