第1章 Act.15 通路は繋がっているのに、なぜかボス部屋が見つからない
第1聖域へ到着して壁際の魔導式時計を見ると、1本だけある針が文字盤の17を指していた。
この世界の時計は1から24までの数字が並び、1本の針が1日かけて文字盤を一周する。分単位の細かな時刻までは分からないが、今はだいたい17時頃ということになる。
地上なら、そろそろ夕暮れの頃だ。
まずは夕食を取ることになり、領兵たちが封呪箱を部屋の中央まで運んだ。
領兵たちは封呪箱の留め金を外し、慎重に蓋を持ち上げる。
中の食料を包んでいた封印布を開いていく。それでも、パンや干し肉が消える様子はない。
食料を消す呪いの影響は、しっかり抑えられているようだ。
俺たちは硬いパンと干し肉、それに乾燥野菜を煮込んだスープで腹を満たした。
豪華ではないが、5時間以上かけて歩いてきた後に食べる温かい食事は、それだけでありがたい。
食事を終えると、すぐに仕事の準備へ入った。
聖域の壁際には、俺たちが簡易作業場を設けるための場所が空けられていた。
ゴーア兄と木箱を2つ並べ、その上に板を渡して作業台を作る。その横へ工具箱と交換部品を並べ、大小の砥石を作業台に固定し、折り畳み式の椅子を置いた。
こちらの準備をしている間、ココラはランドレットと呼ばれる小樽に水を張ってくれている。
高さは膝ほどの、大人なら1人でも抱えられる大きさの樽だ。
「こっちはすすぎ用で、こっちは砥石用でいいんだよね?」
「ああ。洗い水はすぐ汚れるから、分けた方がいい」
俺も水魔法を使い、もう1つのランドレットへ水を足していく。
その横では、領兵たちが壁際に簡易テントをいくつか張っていた。
雨風を防ぐためではない。光を遮り、交代で眠る者が少しでも落ち着いて休めるようにするためのものだ。
テントの中には寝袋が敷かれ、俺たち3人の分も用意されている。
「職人さん、こちらが研ぎを頼みたい武器です」
領兵が、壁際に積まれていた槍を運んできた。
全部で30本以上ある。
穂先はどれもポリースラッグのぬめりで曇り、刃先には小さな傷や潰れができていた。
そのほかにも剣が数本と、革帯が切れた革鎧、留め金の外れた籠手、縁の浮いた小盾が置かれている。
ゴーア兄は武器と防具を一通り確認し、状態ごとに分けてから言った。
「刃の研ぎ直しはレオン。俺は防具と柄をやる。ココラは受付と記録を頼む」
「了解」
「はい」
ココラは帳面を開き、装備ごとに番号を振って、持ち主の名前と所属、装備の種類、傷んでいる箇所を書き込んでいく。預かった装備には、同じ番号を書いた小さな木札を結び付けた。
俺は槍の穂先に付着したぬめりを木べらでこそぎ落とし、洗い水ですすいでから、水を含ませた砥石へ当てる。
地上の工房と違い、大きな火床も足踏み式の研磨機もない。
それでも、刃先の小さな潰れを直す程度なら十分だ。
しゃっ、しゃっ、と砥石の上を刃が滑る。
隣ではゴーア兄が革鎧の傷んだ部分を切り取り、予備の革を重ねて縫い合わせていた。留め金が外れた箇所には新しい金具を取り付け、緩んだ槍の穂先は留め釘を打ち直して固定していく。
「レオン、4番の槍は急ぎだって」
「あと少しで終わる。6番はもうできてるから、先に渡してくれ」
「うん。6番の槍、研ぎ直し完了でお返しします」
ココラが槍を持ち主へ渡し、帳面へ印を付ける。
作業は思った以上に順調だった。
聖域へ戻ってきた領兵や冒険者が傷んだ装備を預け、修理を終えた武器を受け取った交代要員が奥へ向かっていく。
ここは休憩所であると同時に、攻略部隊を支える中継拠点でもあるのだ。
思っていたより、ずっと忙しい。
3時間ほど働いた頃には、持ち込まれていた槍の半分以上を仕上げていた。
だが、さすがに5時間も歩いた後の作業は疲れる。穂先を砥石へ滑らせ続けた腕も重くなり、集中力も少しずつ落ちてきていた。
壁際の魔導式時計へ目を向けると、針が21を指している。
夜の9時か......。
「今日はここまでだ」
ゴーア兄が作業台へ工具を置いた。
「残りは明日やる。疲れたまま続けても、刃を悪くするだけだ」
「了解。俺もそろそろ腕が限界だった」
「レオン、ずっと同じ姿勢だったもんね」
ココラも帳面を閉じ、椅子から立ち上がって大きく伸びをした。
作業場を片付け、簡単に体の汚れを落とした後、俺たちは用意された寝袋へ入った。
テントの布越しにも、兵士の話し声や装備の触れ合う音が聞こえてくる。
ここが地下のダンジョンだと思うと、なかなか眠れないかと思っていた。
だが、よほど疲れていたのか、目を閉じるとすぐに眠りに落ちた。
◇
翌朝。
テントの外から聞き覚えのある声がして、俺は目を覚ました。
「だから、右側の通路は全部調べたって言ってるだろ。行き止まりの壁も叩いたし、床も見た」
テントから顔を出すと、バンさんが数人の冒険者と話をしていた。
防具にはポリースラッグのぬめりがこびりつき、肩には細かな石の粉が積もっている。
どうやら夜の間、奥を探索して戻ってきたらしい。
「おはようございます、バンさん」
「おう、レオンか。来てたのか」
「はい。武器の修理で、明日までいます」
「そりゃ助かる。オレの槍も後で頼むわ」
バンさんはそう言ってから、疲れた様子で首を回した。
「探索はどうでした?」
「それが難航してる」
バンさんは聖域の壁を顎で示した。
そこには何枚もの麻紙をつなぎ合わせて作った、手書きのダンジョン地図が貼られていた。
入口から第1聖域までの通路と、その先で複雑に枝分かれする道。発見された小部屋や行き止まりが、黒や赤の線で細かく記されている。
「奥まで調べてるんだが、肝心のボス部屋が見つからねえんだ」
「ボス部屋がないこともあるんですか?」
「普通のダンジョンなら、最奥に中核となる部屋がある。原因になった呪物も、そこに取り込まれてる可能性が高いって話だ」
だが、その最奥へ続く道が見つからない。
地図を見る限り、通路は広い範囲へ伸びているものの、どれも最後は行き止まりになっていた。
「これから領兵と冒険者で会議だ。どこかに見落としがないか、もう一度整理するらしい」
俺たちは朝食を済ませ、昨日の作業場へ戻った。
夜間に探索していた部隊から、革鎧や盾、槍が新たに持ち込まれている。
俺が槍のぬめりを落としていると、聖域の中央へ領兵と冒険者たちが集まり始めた。
中心に立ったのは、ベイセル・ナ・ミースという30歳ぐらいの狐人族の男だった。
守備騎士グラント・エージンの副官で、今回の探索部隊を指揮している。赤褐色の狐耳と尾を持ち、整った顔立ちに、細身ながら鍛えられた体つきだ。
手には槍を持ち、腰には小盾を下げている。
バンさんから聞いた話では、領兵としての腕も確かで、集まった情報を整理して部隊全体を動かす能力を評価されているらしい。
聖域はそれほど広くない。
おまけに石造りなので、中央で話している声は、壁際の俺たちにもよく響いてきた。
「現時点で発見されている通路は、ほぼすべて探索済みです」
ベイセルは壁の地図へ視線を向けた。
「町兵の往復記録と各探索隊の報告を照らし合わせても、通路が増えたり消えたりした形跡はありません。したがって、通路の配置そのものが変化している可能性は、いったん除外します」
町兵は物資を運ぶだけでなく、往復の途中で経路に変化がないか確認し、その都度記録している。
深部の探索は領兵と冒険者が中心だが、既に確保された経路を監視するのも町兵の役目だった。
「では、単純な見落としでしょうか?」
領兵の1人が尋ねる。
「その可能性が最も高いでしょう。ただし、同じ場所を同じ方法で調べ直しても、同じ結果になるだけです」
ベイセルは腕を組み、地図全体を静かに見渡した。
「偽装された壁、見落とされている上下への通路、特定の条件を満たさなければ現れない入口。この3つを中心に調べ直します」
「床や天井の穴なら、こっちでも一通り見ましたが」
バンさんが口を挟む。
「目で見える範囲は、でしょう」
ベイセルは落ち着いた声で返した。
「地図を見てください。西側の2本の通路と、北側の小部屋の間に、不自然な空白があります」
ベイセルの指先が、麻紙の中央より少し左を示す。
確かに、複数の通路に囲まれているのに、何も描かれていない場所があった。
「測量の誤差を考慮しても、人が数十人入れる程度の空間が残っています」
全員が地図上の空白を見つめた。
「つまり、そこにボス部屋があると?」
「可能性は高いです」
ベイセルはすぐには断定しなかった。
「ボス部屋が存在しないのではありません。私たちが、まだ入口を入口として認識できていないのでしょう」
俺は槍を砥石から離し、地図を見上げた。
見えない入口。
条件を満たさなければ現れない通路。
呪物から生まれたダンジョンである以上、目に見える壁や床を調べるだけでは見つからないのかもしれない。
「午前の探索は、西側の通路を重点的に調べ直します」
ベイセルは集まった者たちを見回した。
「今度は壁や床の形だけでなく、周囲で起きる現象にも注意してください。音、臭い、温度、魔力反応。わずかな違いでも必ず報告を」
会議が終わると、探索部隊は西側の通路へ向かう準備を始めた。
「ねぇ、レオン。入口が現れる条件って、何だと思う?」
ココラが記録用の帳簿を開きながら聞いてきた。
「そうだなぁ。呪物が原因ってことを考えると、誰かを生贄に差し出すとか、血を捧げるとか?」
「もー、なんでそんな怖いこと言うの!」
ココラが帳簿から勢いよく顔を上げた。長い耳もぴんと立っている。
「いや、そういう悪趣味な条件もあるかもしれないなって」
「だからって、いきなり生贄までいかなくてもいいじゃない」
ココラは少しむっとした顔で俺を見る。
「もっとこう……決まった場所に何かを置くとか、特定の順番で壁に触るとか、そういうのから考えようよ」
あれ、若干涙目になってる気がする。
そういえば怖いのダメだったっけ。
「ごめんて、ちょっと言いすぎた」
「もう、帰ったらフィーズの喫茶店で蜂蜜パイ奢ってね!」
「ハイ、奢らせて頂きますのでご容赦を」
ココラは「うむ」と大きく頷いてから、もう一度帳簿へ目を落とした。
ココラの怒りが収まって、ホッとした俺も工具を手に取り、武具の整備を再開する。
その日、探索部隊は夕方まで西側の通路を調べ直した。
だが、新しい通路も入口も見つからず、手掛かりになりそうな異常もないままだった。
俺たちも作業を続け、翌日の帰還に備えて、第1聖域で2度目の夜を迎えた。




