第1章 Act.10 追い詰められた魔法使い
チーノが留置房へ放り込まれてから、およそ2日が経っていた。
窓がないため、外が昼なのか夜なのかは分からない。
だが、町兵が食事を4回持ってきた。
朝と夕の2回だとすれば、それくらいだろう。
まだ本格的な取り調べは始まっていない。
町兵たちが知っているのは、チーノが酒場で喧嘩をし、その後、酔った勢いで魔法を使い、町の小型エーテル浄化設備につながる排水配管を壊したことだけだ。
バーハム領から逃げてきたことも。
密輸に関わっていたことも。
固有魔法を隠していることも。
誰も知らない。
今のところは。
「……そろそろ、まずいな」
チーノは石壁に背中を預けた。
ただの酔っ払いなら、壊した物の弁償と罰金で済むかもしれない。
だが、今回は魔法で公共の魔導設備を壊している。
このまま何日も、酔っ払いとして寝かせておいてくれるはずがない。
詳しい聞き取りが始まり、身元を調べられ、他領へ照会されれば終わりだ。
この町には、まだ手配情報が届いていない。
それだけが、今のチーノに残された時間だった。
しばらくすると、外から微かに虫の声が聞こえてきた。
チリリッ。
チリリリッ。
夜になると鳴き始めるリントウ虫だ。
「……夜か」
さっき運ばれてきた飯は、やはり夕食だったらしい。
チーノは扉を見る。
ここは町役場裏にある町兵詰所、その奥に1つだけ作られた魔法使い用の留置房だ。
壁は厚い石造り。
重い木扉は鉄帯で補強され、のぞき窓には鉄格子がはまっている。
床には足枷をつなぐための太い鉄輪まで打ち込まれていた。
本格的な監獄ほどではない。
それでも、酔って捕まった魔法使いを数日閉じ込めるには十分な造りだ。
何より厄介なのが、両手にはめられた封魔手枷だった。
魔力の流れを乱し、まともに魔法を組み上げられなくする。
古い型らしいが、チーノには十分すぎるほど効いていた。
それでも、この2日。
町兵の気配がなくなるたびに、チーノは何度か秘密の箱を開こうとしていた。
完全には開かない。
魔力の流れが乱され、いつものように大きな入口を作ろうとすると、頭の奥を殴られたような痛みが走る。
だが、ほんの少し。
指先が入る程度なら開ける。
それだけ分かれば十分だった。
小刀を取り出してみた。
手枷の金具へ刃を押し当ててみるが、浅い擦り跡がつくだけだった。
針金も試した。
手枷の鍵穴へ差し込み何度か探ってみたが、仕組みが分からないまま適当に弄ったところで、外れる気配はなかった。
ほかにも小さな道具はいくつかある。
だが、脱走に使えそうな物はなかった。
残る手は、1つ。
「……クソ」
できれば使いたくなかった。
チーノは扉の向こうへ耳を澄ませる。
話し声は聞こえない。
足音もない。
夜勤の町兵はいるはずだが、少なくとも扉の前にはいない。
今しかない。
チーノは石床に座り直した。
封魔手枷のはまった両手を膝へ置き、ゆっくり息を吐く。
意識を、自分にしか感じ取れない収納空間へ向けた。
魔力を流す。
頭の奥に鈍い痛みが走る。
「ぐっ……」
それでも止めない。
空中に、指が2本ほど入るだけの小さな紫色の隙間が開いた。
その中へ指先を差し込む。
触れた。
布だ。
ゆっくり引き出す。
小さな布包みが、石の床へ落ちた。
それだけで紫色の隙間は消えた。
チーノは荒くなった息を整えながら、布包みを見る。
あの連中から預かったまま、売り先へ渡せなかった密輸品。
中身が何なのかは知らない。
ただ、慎重に扱えと言われていた。
「……最悪、死ななきゃそれでいい」
自分に言い聞かせるようにつぶやく。
何か音が出る。
煙が出る。
魔法が発動する。
何でもいい。
騒ぎが起きて、町兵がこの扉を開ける。
その一瞬に賭けるつもりだった。
場合によっては、自分まで巻き込まれるかもしれない。
だが、このまま待っていても先はない。
チーノは震える指で、布を解いていく。
中から現れたのは、大きさ3cm×5cmほどの小さな木箱だった。
「……これが?」
思わず拍子抜けする。
表面に奇妙な文字が刻まれているわけでもない。
黒い煙が漏れているわけでもない。
不気味な魔力を感じるわけでもない。
どこにでもありそうな安物の小物入れだった。
こんな物を、なぜあいつらはわざわざ密輸していたのか。
何に使うつもりだったのか。
分からない。
だが、今さら考えても仕方がない。
「さて……頼むぞ」
チーノは木箱を両手で持った。
そして、ゆっくりと蓋を開ける。
何も起きない。
「……?」
煙も出ない。
音もしない。
光りもしない。
箱の中には――何も入っていなかった。
「……は?」
次の瞬間。
腹の奥に、激痛が走った。
「ぐっ!?」
胃の中へ、突然何かが押し込まれた。
冷たい。
硬い。
重い。
見えない手が腹の内側へ、何かを無理やり詰め込んでいる。
「がっ……あ……!」
チーノは反射的に木箱の蓋を閉じようとした。
だが、腹を突き上げるような痛みで手元が狂う。
箱が床へ落ちた。
カラン、と乾いた音を立てて転がる。
蓋は開いたままだ。
「ぐっ……う、あああああああああああっ!」
腹が膨らむ。
さらに何かが入ってくる。
石。
砂利。
土。
何が起きているのか分からない。
腹の内側から押し広げられ、息ができなくなる。
逃げようにも立ち上がれない。
声を上げようとしても、喉から潰れた音しか出てこない。
「や……め……」
さらに異物が流れ込む。
胃に収まりきらなくなったものが、今度は食道を押し上がってきた。
「ごっ……!」
口の中に、ざらりとした感触が広がる。
泥と砂利の味がした。
石が喉を塞ぐ。
息を吸えない。
喉を押さえても、どうにもならない。
視界が急速に暗くなっていく。
最後にチーノの目に映ったのは、石床の上で蓋を開けたまま転がっている、小さな木箱だった。
こんな物のために。
そう思ったのかどうかすら、もう分からない。
チーノの体から力が抜けた。
石床へ倒れ込み、そのまま動かなくなる。
それが、チーノの最期だった。




