間話 光る風車
私がレオンと初めて会ったのは、町の学校へ入るよりずっと前、私が4歳か5歳の頃だった。
今でも、古い光る風車を見ると、あの日のことを思い出す。
その年、私の村では2年かけて造っていた水車が完成した。
水車小屋や大きな水車は村の大工たちが造り、軸を支える金具や歯車は、町から来た鍛冶師たちが作ってくれたらしい。
完成した日は村中がお祭りになった。
水門が開かれ、川の水を受けた大きな水車がゆっくり回り始めると、大人も子供も大声を上げて喜んだ。
お母さんはお祭りに合わせて、子供たちへ蜂蜜入りの小さなケーキを焼いてくれた。
お兄ちゃんやお姉ちゃんたちは、家を出る前に自分の分を食べていた。
でも私は、お祭りが終わってから、楽しかったことを思い出しながらゆっくり食べるつもりだった。
自分の分だけ皿に残し、布もきちんとかぶせておいた。
それなのに、忘れ物を取りに家へ戻ると、酔っ払ったお父さんが、私のケーキを食べていた。
しかも、ちょうど最後の一口だった。
「あー! それ、私の……」
「ん? これ、ココラのだったのか?」
口元に食べかすをつけたまま言われ、頭の中が真っ白になった。
お父さんが悪い。
残っているからといって、勝手に食べるなんて酷い。
私も、お兄ちゃんたちと一緒に先に食べておけばよかった。
そうすれば、お父さんに食べられずに済んだ。
楽しみに取っておいた自分にも腹が立って、私は家を飛び出した。
涙を拭きながらお祭りの中を歩いていると、知らない男の子に声をかけられた。
「君、前見ないと危ないぞ」
「見てるもん!」
本当は涙でほとんど見えていなかった。
男の子は私より少し背が高く、珍しい黒い髪をしていた。
それよりもよく覚えているのは、光の加減で色の変わる、綺麗な紫色の瞳だった。
「迷子か?」
「違う。ここ、私の村だもん」
「じゃあ、転んだのか?」
「転んでない!」
「なら、なんで泣いてるんだよ」
少し腹が立ったけれど、誰かに聞いてほしかった私は、お父さんにケーキを食べられたことを話した。
「祭りの菓子なら、向こうでも配ってたぞ」
「違うの。お母さんが、私のために作ってくれたの」
「ああ……じゃあ、ほかの菓子じゃ駄目だな」
男の子は、すぐに分かってくれた。
「でも、私も先に食べればよかったの。食べずに取っておいた私も悪いの」
「悪くないだろ」
「でも、先に食べてたら取られなかったもん」
「あとで食べようが、すぐ食べようが、君のケーキだったんだろ。勝手に食べた父ちゃんが悪い」
男の子は迷わず言い切った。
それを聞くと、少しだけ胸が軽くなった。
男の子はしばらく考えた後、肩から提げていた鞄を開いた。
「ケーキの代わりにはならないけど、これやるよ」
取り出したのは、棒の先に花びらのような羽根が付いた、小さな魔道具だった。
持ち手にある金具を動かすと、カタカタと音を立てながら羽根が回り始める。
中央の小さな魔石が光り、その光を受けた赤や黄色の羽根が、光の輪になってくるくる回った。
「きれい……。これ、なに?」
「扇風機」
「せんぷっきって、なに?」
男の子は少し困った顔をした。
「暑い時に、風を送って涼しくする道具だよ。本当なら、こうやって顔に向けると風が来る」
言われたとおり、回る羽根を頬へ向けてみる。
「……風、来ないよ?」
「失敗作だからな」
「失敗した物を、私にくれるの?」
今思えば、かなり失礼な聞き方だった。
男の子も気まずそうな顔をした。
「嫌なら返せよ。でも、光って回るところは綺麗だろ」
「うん。すごくきれい」
「だったら、そこだけは成功だな」
私はもう一度、回る羽根を眺めた。
さっきまであんなに腹が立っていたのに、いつの間にか涙は止まっていた。
「せんぷっきじゃなくて、光る風車みたい」
「風、出てないからな……」
男の子は少し悔しそうだった。
「これ、もう私の?」
「ああ。やるよ」
「あとで返してって言わない?」
「言わないよ」
「お父さんに食べられない?」
「木と鉄だぞ。さすがに食わねえだろ」
思わず笑ってしまった。
その時だった。
「ココラ!」
お母さんが人混みをかき分け、慌てた様子で走ってきた。
「こんなところにいたのね。急にいなくなるから心配したのよ」
お母さんは私を抱き締めると、涙の痕をそっと拭ってくれた。
男の子はそれを見て、安心したように立ち上がった。
「家の人が来たなら、もう大丈夫だな」
「この子のそばにいてくれたのね。ありがとう」
お母さんが頭を下げると、男の子は少し照れたように顔をそらした。
「別に。じゃあな」
それだけ言うと、男の子は大通りのほうへ歩いていった。
「お父さんが、私のケーキ食べたの」
「聞いたわ。楽しみにしていたのに、悲しかったわね。お父さんも自分が何をしたのか気づいて、青くなって探しているわ。帰ったら一緒に叱りましょう」
お母さんは私の手を取ろうとして、そこで初めて、私が持っている光る風車に気づいた。
「ココラ、その手に持っている物は?」
「さっきの子がくれたの。私が泣いてたから」
「くれたって……これ、魔道具じゃないの?」
お母さんは目を見開き、光る風車を確かめた。
持ち手には魔導回路が刻まれ、回る羽根の中央では、小さな魔石が光っている。
今なら、お母さんが驚いた理由もよく分かる。
魔道具は、簡単な生活用品でも決して安くない。まして、子供を喜ばせるためだけに作られた玩具など、貴族の子供が持つような高価な品だった。
「ちょっと待って。これ、本当にもらっていい物なの?」
お母さんが顔を上げた時には、男の子はすでに祭り客が行き交う道へ入っていた。
珍しい黒い髪を探したけれど、大人たちの背中や屋台の旗に遮られ、すぐにどこにいるのか分からなくなった。
「本当に、あの子がくれたのね?」
「うん。失敗作だからって」
「そう……。それでも、とても大切な物よ。落とさないように持っていましょう。次に会えたら、お母さんもきちんとお礼を言わないとね」
お母さんは光る風車を取り上げることなく、私が落とさないよう手を添えてくれた。
その夜、布団の中でくるくる回る光を眺めていた時、私はようやく大事なことを思い出した。
「あ……あの子の名前、聞いてない」
覚えていたのは、珍しい黒い髪と、光の加減で色の変わる綺麗な紫色の瞳だけだった。
それからも、光る風車はずっと大切にした。
動かなくなるたびに、初めのうちは家族に頼んで屑魔石へ魔力を込めてもらい、少し大きくなってからは、自分で充填して回すようになった。
あの風車が、私が魔道具へ興味を持った最初のきっかけだったのかもしれない。
回る光を見るたびに、黒い髪と紫色の瞳を持つ、あの男の子のことを思い出した。
もう一度会いたい。
そう思っているうちに、いつの間にか、それは私の初恋になっていた。
それから数年後。
村の推薦を受け、町の学校へ入学した私は、校舎の前であの男の子を見つけた。
背はずいぶん伸びていたけれど、黒い髪と紫色の瞳は変わっていなかった。
すぐに、あの時の男の子だと分かった。
どうやって話しかけよう。
いきなり昔の水車祭りのことを話しても、覚えていないかもしれない。
風の出ないせんぷっきをくれた人ですか、と聞くのも変な気がする。
そんなことを考えながら何度も様子をうかがっていると、男の子と目が合った。
慌てて目をそらしたのに、なぜか向こうから近づいてきた。
「ねえ、君。同じ新入生だよな?」
「う、うん」
「よかったら放課後、フィーズの喫茶店に一緒に行かない? あそこ、男1人じゃ入りにくくてさ。もちろん俺が奢るよ。どう?」
いきなりだった。
「あの……私?」
「ほかに誰がいるんだよ。俺はレオン。君は?」
そこで初めて、あの男の子がレオンという名前だと知った。
「私は、ココラ」
「じゃあ、ココラさん。放課後、空いてる?」
「うん。空いてる」
その日の放課後、私たちはフィーズの喫茶店へ行った。
レオンは、私が水車祭りで会った女の子だとは気づいていなかった。
私は何度か光る風車のことを話そうとしたけれど、初恋の相手を前にすると恥ずかしくて、どうしても言い出せなかった。
それでも話は驚くほど弾んだ。
そして店を出る頃には、レオンから「よかったら、俺と付き合わないか」と告白されていた。
私に断る理由などなかった。
こうして私は、初恋の相手と再会したその日のうちに、その人の恋人になった。
ちなみに、あの「せんぷっき」のことは、まだレオンに話していない。
最初は恥ずかしくて言えず、付き合い始めてからは、今さら打ち明けるのが少し照れくさくなった。
そうしているうちに、結婚式で話して驚かせることが、将来の楽しみの1つになっていた。




