第8話 食堂の女将の昔話
ある日の夕方、ギルドの食堂が、いつもより空いていた。
俺は、いつものように、隅の席で、バーバラが作ってくれたスープを飲んでいた。
「ねえ、レイン。今日は、暇だから、少し話してもいい?」
バーバラが、隣の席に、どすんと座った。
「もちろんです」
「あなた、私が、なぜ、この食堂をやってるか、知ってる?」
「……いえ、聞いたことがありません」
「そう。じゃあ、話してあげるわ」
バーバラは、少し懐かしそうな表情で、話を始めた。
「私、若い頃、冒険者だったのよ」
「バーバラさんが、冒険者だったんですか」
「驚くでしょ。今は、こんな丸い体型だけど、昔は、結構、身軽だったの」
バーバラは、自分の体を見て、少し自嘲気味に笑った。
「私、当時のパーティで、斥候をやってたわ。罠を見つけたり、敵の位置を探ったり」
「それは、今のレインさんの役割に、少し似ていますね」
「そうね。だから、あなたの噂を聞いた時、何となく、懐かしい気持ちになったの」
バーバラは、少し遠い目をして、話を続けた。
「でも、ある時、大きな失敗をしたの。罠を見落として、仲間が一人、命を落とした」
「……それは」
「私のせいだった。確認が、足りなかったの」
バーバラの声に、深い後悔が滲んでいた。
「それから、私は、冒険者を辞めた。剣も弓も、もう持つ気になれなかった」
「それで、食堂を始めたんですか」
「ええ。誰かを、戦わせる側じゃなく、戦う人たちを、支える側に回りたいと思って」
バーバラは、優しい目で、ギルドの中を見渡した。
「私、この食堂をやってるのは、罪滅ぼしみたいなものなのよ」
「罪滅ぼし、ですか」
「ええ。あの時、仲間を守れなかった分、今いる冒険者たちを、できる限り、支えてあげたいの」
バーバラの言葉に、俺は、深く頷いた。
「だから、レイン。あなたが、フィンや、他の冒険者たちを、ちゃんと支えてる姿を見ると、本当に、嬉しくなるの」
「……俺は」
「ええ、知ってる。『特に何もしてない』でしょ」
バーバラが、先回りして、笑いながら言った。
「でも、それでいいのよ。何もしてないって思ってるくらいの方が、ちょうどいい」
「どういう意味ですか」
「自分の力を、誇示しない人の方が、結局、長く、信頼され続けるものなのよ」
バーバラの言葉には、長く生きてきた人の、確かな実感があった。
「ねえ、レイン。あなたの過去のことも、少し、聞かせてくれない?」
バーバラの問いに、俺は、少し考えた。
——もう、何度も、いろんな人に話してきたことだったが、改めて、バーバラに、丁寧に話すことにした。
「俺、三年間、王都の勇者パーティで、鑑定士をやってました。仲間の危険を、何度も事前に見抜いて、伝えてきました」
「うん」
「でも、誰も、それを信じてくれませんでした。最後には、追放されました」
「……それは、つらかったでしょうね」
「正直、つらかったです。でも、今は、ここで、ちゃんと信じてもらえています」
「それは、いいことね」
バーバラは、優しく笑った。
「あなたみたいな子が、ちゃんと評価される場所であってほしいわ、ここは」
「……ありがとうございます」
俺は、その言葉に、深く頭を下げた。
「あ、そういえば、レイン。一つ、聞きたいことがあったの」
「何ですか」
「最近、街で、ちょっと、きな臭い動きがあるって、知ってる?」
「きな臭い動き、ですか」
「ええ。商人のザイルって男が、最近、組合に随分、出入りしてるって話よ」
俺は、その名前を、頭の中で記憶した。
「具体的に、何をしているか、分かりますか」
「詳しくは、分からないわ。でも、昔の知り合いから聞いた話だと、あの男、前にも、別の街で、似たようなことをしてたらしいの」
「もう少し、詳しく教えてもらえますか」
「私も、噂程度の話しか知らないけど、もし、何か分かったら、すぐに伝えるわ」
バーバラの言葉に、俺は、何か、不穏な気配を感じた。
——それが、後に、ギルド全体を揺るがす大きな出来事に繋がっていくとは、この時の俺は、まだ、想像していなかった。
「ありがとうございます、バーバラさん。気をつけて、見ておきます」
「ええ、お願いね」
その日の夜、俺は、宿の部屋で、バーバラから聞いた話を、改めて、頭の中で整理していた。
——何か、大きなことが、この街で、起こり始めているのかもしれない。
そんな予感が、確かに、自分の中にあった。
それでも、今は、まだ、断片的な情報しかない。
——もう少し、注意深く、街の様子を、見ておく必要がある。
俺は、そう思いながら、静かに、その夜を、過ごした。




