第7話 賢者様への相談窓口
「レインさん、ちょっといいですか」
朝、ギルドの食堂に着いた瞬間、声をかけられた。
見ると、見知らぬ女性冒険者が、何かを抱えて立っている。
「……どなたですか」
「すみません、初めてお話しします。この街で薬師をやってる、ノエルといいます」
「鑑定士のレインです。それで、何の用でしょうか」
ノエルは、少し恥ずかしそうに、布に包んだものを取り出した。
「これ、最近作った薬草の調合なんですけど。効果がどうも安定しなくて」
(……依頼ではなく、相談か)
俺は、少し戸惑ったが、断る理由もなかった。
『調合薬(試作品)
成分バランス:やや不安定
原因:使用している薬草の保存状態に問題あり
保存方法を改善すれば、効果は安定する見込み』
「これ、薬草自体の保存方法に問題があります。湿気を含んでいるみたいですね」
「えっ、本当ですか? 道具のせいだと思って、新しいの買おうとしてたんですけど……」
「保存場所を見直せば、買い直す必要はないと思います。具体的には、湿気の少ない、風通しのいい場所で、布に包んで保管するのがいいと思います」
ノエルは、驚いた顔をして、それから何度も頭を下げた。
「ありがとうございます! 助かりました! 今度、お礼に何か持ってきます」
「いえ、それは必要ないです」
「いいえ、こういうのは、ちゃんとお返ししないと気が済まないんです」
ノエルは、にっこり笑って、軽い足取りでギルドを出ていった。
俺がその様子を見ていると、隣の席からオリヴィアの声が聞こえた。
「ねえ、レイン。最近、こういう相談、増えてない?」
「……気づいてました」
「賢者様への相談窓口、開設しちゃう?」
「やめてください」
「冗談よ。でも、悪い話じゃないと思うけどね」
オリヴィアは、笑いながら、また仕事に戻った。
その日の午後も、似たようなことが続いた。
「すみません、この武器、最近調子が悪いんですけど」
俺は、その剣を鑑定し、刃のバランスが微妙にずれていることを伝えた。
「これ、子供が拾ってきた石なんですが、何か価値があるんでしょうか」
俺は、その石を鑑定し、特に価値のない、ただの石灰岩であることを伝えた。
子供の母親らしき女性は、少し残念そうな顔をしたが、すぐに笑顔に戻った。
「うちの井戸の水、最近変な味がするんです。何か分かりますか」
これに関しては、俺は少し時間をかけて、丁寧に説明した。
『井戸水
異常の原因:井戸付近の土壌に、何らかの鉱物成分が混入
危険性:低いが、長期的な摂取は推奨されない
対応策:井戸の清掃、もしくは別の水源の確保』
「これは、少し対応が必要な問題です。ギルドに相談して、専門の人に見てもらった方がいいと思います」
「分かりました。ありがとうございます」
俺は一つ一つ、丁寧に答えていった。
武器の修理時期。石はただの石だということ。井戸の水質の変化の原因。
どれも、特別な事件ではなかった。
ただ、相談してくる人の数が、明らかに増えていた。
(これは、想定していなかった事態だな)
「レインさん、忙しそうですね」
フィンが、苦笑いしながら声をかけてきた。
「フィンさんのせいでもあると思いますよ」
「えっ、俺ですか?」
「ゴブリン討伐の件、すごく話題になってますし」
フィンは、決まり悪そうに頭をかいた。
「すみません……でも、本当のことなんで」
「事実を言うのは悪いことじゃないです。ただ、誇張されすぎるのは困ります」
「誇張って、どんな風に?」
「『見えない巣の奥まで全部見える』とか、『ゴブリンの心まで読む』とか、聞きました」
フィンは、思わず吹き出した。
「心まで読むのは無理ですよね」
「無理です」
俺たちのやり取りを見ていたバーバラが、笑いながら口を挟んだ。
「噂って、放っておくとどんどん大きくなるものよ。あなたが訂正しても訂正しても、楽しい話の方が広まるの」
「……それは、困ります」
「困るなら、もっと愛想悪くしてみたら? 誰も寄ってこなくなるわよ」
「それは無理です」
「あら、自分で言うのね」
バーバラに笑われて、俺は何も言えなくなった。
(……確かに、愛想を悪くするという選択肢を、今まで考えたことがなかった)
そう思うと、自分でも少し可笑しかった。
「レインさんって、なんか、こういうの嫌じゃないんですか?」
フィンが、不思議そうに聞いてきた。
「人に頼られること、ですか」
「はい」
俺は、少し考えた。
「正直に言うと、最初は煩わしいと思っていました。でも、最近は——」
「最近は?」
「分かりません。ただ、嫌ではないです」
フィンは、その答えに、満足そうに笑った。
「それで十分じゃないですか?」
「……そうかもしれません」
夕方、ギルドの裏庭で、フィンが剣の手入れをしていた。
俺は、何となく、その場に足を運んでいた。
「レインさん、最近、迷惑になってませんか」
「迷惑というか……正直、少し驚いています」
「驚いてる?」
「王都では、誰も俺の言葉を聞いてくれませんでした。ここでは、みんな話を聞きにきます」
フィンは、剣を磨く手を止めて、俺の方を見た。
「それは、当然じゃないですか? レインさんの言うこと、全部当たってますし」
「当たっているかどうかより、聞く気があるかどうかが大きいと思います」
「……レインさんって、前のパーティで、結構辛い目にあったんですか」
フィンの質問に、俺は少し考えた。
説明するべきかどうか、迷った。
「……鑑定士は役に立たないと言われて、追放されました。本当は、ずっと支えていたつもりだったんですが」
「そんな……」
フィンは、信じられないという顔をした。
「もったいないですよ、それ。レインさんがいなかったら、俺、絶対今日まで生きてないです」
「それは少し大げさです」
「大げさじゃないです!」
フィンの真剣な声に、俺は少し驚いた。
「俺、孤児院出身で、ずっと一人で頑張ってきたんです。誰かに頼って生きていく、っていうのが、あんまり得意じゃなくて」
「……それは、俺と少し似てますね」
「えっ、レインさんもですか?」
「人に頼ることが苦手、というよりは、人に期待することが苦手でした」
フィンは、その言葉に、少し考え込むような表情をした。
「期待しないでいると、楽になります。傷つくこともないので」
「……でも、それって、寂しくないですか」
俺は、その言葉に、何も言えなくなった。
(……寂しい、か)
「俺、レインさんに会ってから、ちょっとずつ変わってきてる気がするんです。前より、人に頼ることも、頼られることも、悪くないなって思えるようになって」
「それは、フィンさん自身の変化だと思います」
「いやいや、絶対レインさんの影響ですって」
フィンの言葉に、俺は思わず小さく笑った。
(……こんなに、はっきり言われたことは、なかったな)
「ありがとう、フィンさん」
俺がそう言うと、フィンは少し赤くなって、目をそらした。
「い、いえ。当然のことを言っただけです」
その様子に、俺は思わず小さく笑った。
その夜、ギルドの食堂で、オリヴィアが俺の前に座った。
「あなた、最近、表情変わったわね」
「……そうですか?」
「前は、何を言われても、ずっと同じ顔だったもの。最近は、ちょっとずつ動くようになった」
俺は、自分の顔を意識したことがなかった。
「自分では分かりません」
「分からないでしょうね。本人が一番分からないものよ、そういうのは」
オリヴィアは、軽く笑って、それから少し声を落とした。
「ねえ、レイン。王都で、何があったの?」
「……鑑定士が役に立たないと言われて、追放されました。それだけです」
「それだけ、ね」
オリヴィアは、俺の答えに、それ以上は聞かなかった。
「まあ、いいわ。ここでは、あなたの言葉、ちゃんと聞いてる人がいる。それだけ覚えておきなさい」
「……覚えておきます」
俺は、それだけ答えた。
「ところで、レイン。あなた、今度のギルドの定例会議、出てみない?」
「会議、ですか」
「ええ。最近、街の運営についての話し合いがあるんだけど、鑑定士の視点が、意外と役に立つことが多いのよ」
「……俺が出ても、いいんですか」
「もちろん。あなた、もう、このギルドの一員でしょ」
オリヴィアの言葉に、俺は、少し驚いた。
——「このギルドの一員」と、はっきり言われたのは、初めてだった。
「……分かりました。出席します」
「決まりね。じゃ、詳細は後で伝えるわ」
オリヴィアは、満足そうに頷いて、また仕事に戻った。
それから数日後、俺は、初めて、ギルドの定例会議に、出席した。
「今日の議題は、街道の整備と、依頼の報酬基準の見直しです」
オリヴィアが、会議の進行を、丁寧に務めていた。
「レインさん、鑑定士の視点から、何か、意見はありますか」
「街道の整備については、定期的な点検が、効果的だと思います。劣化の進行を、早めに見つけられれば、大きな修繕を、避けられます」
「なるほど。具体的に、どのくらいの頻度が、いいと思いますか」
「季節ごとに、一度くらいが、適切だと思います」
俺の意見に、会議に参加していた、他のギルド職員たちも、頷いていた。
「鑑定士の視点、本当に、参考になるわね」
オリヴィアが、満足そうに、そう言った。
俺は、その言葉に、少し誇らしい気持ちになった。
——自分の意見が、こうして、ギルドの運営に、活かされていく。
それは、王都にいた頃には、想像もしていなかった、新しい経験だった。
俺は、会議室を出ながら、自分の中で、何かが、確かに変わっていくのを感じていた。
(自分の言葉が、誰かに届いている)
その感覚は、まだ少し不思議で、慣れないものだった。
それでも、確かに、悪くない感覚だった。




