第5話 森の中で見えるもの
北の森は、思っていたより静かだった。
「レインさん、何か見えますか」
ガロが、低い声で聞いてきた。
俺は周囲に意識を向けた。
『前方50メートル以内
反応:複数。推定8体が密集
配置:見張りが2体、巣の入り口付近
残り6体は巣の内部』
「前方に、ゴブリンの反応があります。見張りが二体、入り口付近に。残りは巣の中です」
「数は?」
「依頼書の予想より少し少ないです。8体程度」
レイラが、ほっとしたように息を吐いた。
「それなら、何とかなりそうね」
「ただ、見張りに気づかれると、巣の中の個体が一斉に出てきます。先に見張りを片付けるべきです」
俺の言葉に、ガロとレイラが頷いた。
「フィン、お前は見張りの片方を頼む。俺がもう片方をやる」
「分かりました!」
フィンの声には、緊張と同時に、少し自信のようなものが混じっていた。
「レインさんは、この位置から動かないでください。危険が見えたら、すぐに声をかけてください」
「分かりました。気をつけて」
俺は、少し離れた木の陰に身を潜めた。
戦闘力のない自分が、最前線に出ても、足を引っ張るだけだ。
それなら、せめて、見えるものを正確に伝えることに集中するべきだった。
戦闘は、思っていたより順調に進んだ。
ガロとレイラが見張りを素早く片付け、巣の中から飛び出してきたゴブリンたちを、四人で連携して対処していく。
「フィン、右後ろ!」
俺の声に、フィンが即座に反応する。
『フィンへの接近反応:右後方、距離3メートル
対象の攻撃パターン:低い姿勢からの突き』
「低く来ます、フィンさん!」
フィンが言われた通りに剣を構えると、低い姿勢で突き出されたゴブリンの爪を、正確に受け止めた。
「ありがとうございます、助かりました!」
戦闘の中で、フィンの動きは確実に良くなっていった。
俺の声に反応する速度が、最初よりも明らかに早くなっている。
(成長しているんだな)
そう思うと、不思議な感覚があった。
王都にいた頃、俺はガレオンたちの戦闘を「裏で支える」だけの存在だった。
誰かが成長していく様子を、こんなに近くで見たことはなかった。
「ガロさん、左に二体!」
「了解!」
ガロが、大剣を構えて、横から飛びかかってきた二体を、力強く払い落とす。
「レイラさん、巣の奥から、もう一体出てきます!」
「見えてる!」
レイラの細剣が、流れるような動きで、出てきたゴブリンを切り捨てた。
その様子を見ながら、俺は、自分の声が、確実に戦況を動かしていることを実感していた。
——一人では何もできない。
それでも、誰かと組み合わさることで、結果が生まれる。
「最後の一体!」
ガロの声で、戦闘が終わった。
巣の中を確認すると、ゴブリンの反応はもう残っていなかった。
「終わった……」
フィンが、剣を地面に突き立てて、大きく息を吐いた。
「お疲れ様です。怪我はないですか」
俺は念のため、全員を鑑定した。
『ガロ:軽い擦過傷あり。問題なし
レイラ:問題なし
フィン:問題なし。ただし疲労が大きい』
「フィンさん、疲労が溜まってます。今日はゆっくり休んでください」
「はい……今、それしか考えられないです」
フィンは、へろへろになりながらも、満足そうな顔をしていた。
「レインさんの声、本当に助かりました。一人で戦ってる時は、いつも、見えてない方向から不意打ちされる気がしてたんですけど、今日は全然そんな感じがなかったです」
「それは、フィンさんの動きが良かったからです」
「いやいや、絶対レインさんのおかげですって」
フィンの言葉に、ガロとレイラも、頷いた。
「俺も同じ感想だな。普段は、もっと冷や汗をかく場面が多いんだが」
「私も。今回は、随分、戦いやすかったわ」
俺は、その評価に、少し戸惑った。
——自分がやったことは、ただ見えているものを伝えただけだ。
それでも、こんなにはっきりと、効果があったと言われるのは、初めてだった。
ギルドに戻ると、依頼の完了報告と同時に、ちょっとした騒ぎが起きていた。
「おお、帰ってきたか! どうだった?」
「無事に討伐完了です」
オリヴィアが、報告書を受け取りながら、ちらりとフィンを見た。
「フィン、ちゃんと役に立った?」
「役に立ったというか……レインさんの指示がなかったら、絶対危なかったです」
フィンは、正直にそう答えた。
その言葉を聞いた周りの冒険者たちが、少しざわついた。
「あの鑑定士、ゴブリンの巣の中まで見えるのか?」
「見張りの位置まで分かるって、すごいな」
「俺も今度、依頼に同行頼んでみようかな」
(……また、噂が大きくなっている気がする)
俺は、その様子を見ながら、小さく溜息をついた。
事実としては、俺がやったのは「見えたものを伝えただけ」だ。
戦ったのは、フィンたちだ。
それなのに、なぜか俺の手柄のように話が広がっていく。
「レインさん、何でそんな顔してるんですか?」
フィンが、不思議そうに聞いてきた。
「いえ。……俺は、別に何もしてないので」
「いやいや、めちゃくちゃしてくれましたよ! 俺、レインさんがいなかったら、今日死んでたかもしれないです」
フィンは、真剣な顔で言った。
その言葉に、俺は何も返せなかった。
(……死んでたかもしれない、か)
王都にいた頃、ガレオンに対して同じことを思ったことが、何度もあった。
だが、彼は一度も、それを理解してくれなかった。
フィンは、たった一回の依頼で、それを正面から言葉にした。
(……これは、ずいぶん違うものだな)
俺は、自分の中で何かが少しずつ変わっていくのを感じていた。
「あの、レインさん。今度、また依頼に同行してもらえますか」
「……それは、フィンさんが、どんな依頼を受けるかによります」
「無理なのは分かってます。でも、もし機会があったら、その時はぜひ」
「考えておきます」
俺がそう答えると、フィンは、満足そうに笑った。
夜、ギルドの食堂で、バーバラという女将が、温かいスープを出してくれた。
「お疲れさま、賢者さん」
「賢者じゃないです」
「あら、もうそう呼ばれてるって聞いたわよ」
「俺は否定してるんですけど」
「否定すればするほど、面白がられるタイプね、あなた」
バーバラは、くすくす笑いながら、隣の席に座った。
「フィンの子、最近、表情が変わったわね」
「……そうですか?」
「ええ。前はいつも、自分に自信が無さそうな顔してたの。今日は、ちょっと誇らしそうだったわ」
俺は、その言葉を聞いて、少し考えた。
俺がしたことは、危険を見抜いて、声をかけただけだ。
それでも、それがフィンの何かを変えたのなら——
(悪くないな、こういうのも)
そう思いながら、俺はスープを一口飲んだ。
王都で飲んでいたものより、ずっと味が濃く感じた。
「ねえ、レイン」
「何ですか」
「あなた、王都では、誰かに『ありがとう』って、ちゃんと言われたことあった?」
俺は、その問いに、少し考えた。
——ガレオンから、感謝の言葉を聞いたことは、ほとんどなかった。
せいぜい、戦利品の分配の時に、当然のように受け取られるだけだった。
「……あまり、なかったと思います」
「そう。じゃあ、これからは、ちゃんと言われる機会、増えるんじゃない?」
バーバラの言葉に、俺は何も言えなかった。
ただ、自分の胸の中に、何か温かいものが広がっていくのを感じていた。
その夜、俺は、宿の部屋で、ベッドに横になりながら、今日一日のことを思い返していた。
フィンの成長。仲間との連携。そして、感謝の言葉。
どれも、王都では得られなかったものだった。
(……この街は、思っていたより、悪くないかもしれない)
そう思いながら、俺は静かに目を閉じた。
明日も、きっと、いい一日になる。




