第26話 賢者様ではなく、ただの鑑定士
組合会議の朝。
ラステイルの商業組合の建物は、いつもより、緊張した空気に包まれていた。
「レイン、緊張してる?」
オリヴィアが、隣を歩きながら、聞いてきた。
「……正直、少し」
「あなたが緊張するの、珍しいわね」
「人前で、こんなに大きな話をするのは、初めてです」
「大丈夫よ。証拠は揃ってる。あとは、それを、ちゃんと伝えるだけ」
オリヴィアの言葉に、俺は、小さく頷いた。
会議室の前には、トマスが、緊張した様子で立っていた。
「トマスさん、大丈夫ですか」
「……正直、怖いです。ザイルさんに、何をされるか」
「ガロさんが、外で待機しています。何かあれば、すぐに対応します」
「分かりました……ありがとうございます」
トマスは、深く息を吸って、覚悟を決めたような表情になった。
会議室には、商業組合の幹部たちが、すでに着席していた。
その中央に、ザイルが、自信に満ちた様子で座っている。
「では、本日の議題に入ります。ラステイル冒険者ギルドの運営権について」
司会の幹部が、淀みなく話を進めていく。
「最近、このギルドでは、依頼の管理が杜撰で、冒険者たちの安全が確保されていない例が複数あります。証拠として、こちらに依頼の管理記録を……」
ザイルが、自信満々に、書類を取り出した。
——それは、俺たちが、わざと流した偽の情報だった。
「それ、偽物です」
オリヴィアが、はっきりと声を上げた。
会議室が、一瞬、ざわついた。
「な、何の証拠があって、そんなことを」
ザイルが、動揺した様子で言った。
「証拠は、こちらに」
俺が前に出て、これまでの調査結果をまとめた書類を提出した。
『書類の内容
1. ザイルへ流れた偽情報の出所と経路
2. ザイルと組合幹部の間の不正な資金提供の記録
3. ザイルの過去における、関係者の失踪・移住パターンの整理』
「これは……」
組合の他の幹部たちが、書類に目を通し、顔色を変えた。
「ザイルさん。この記録によれば、あなたは複数の組合幹部に、不正な資金を提供していますね」
「そ、そんなものは、捏造だ!」
「捏造かどうかは、これから正式に調査すれば、分かることです」
俺の声は、自分でも驚くほど、落ち着いていた。
「それに、ここに、証言してくれる方がいます」
俺は、外で待っていたトマスを、会議室に呼んだ。
「トマス……お前、何のつもりだ」
ザイルが、トマスを見て、低い声で言った。
トマスは、その視線に、一瞬、怯んだ様子を見せた。
それでも、俺の方を見て、覚悟を決めたように、口を開いた。
「ザイルさんが、組合の幹部の方々に、お金を渡して、ギルドの運営権を奪おうとしていたこと、知っています。俺、その帳簿を、偶然見てしまったんです」
「黙れ! お前、家族がどうなるか——」
「ザイルさん」
俺が、低い声で、ザイルの言葉を遮った。
「トマスさんの家族には、すでに、ガロさんという冒険者が、護衛として付いています。これ以上、脅すことはできません」
ザイルの顔が、明らかに、青ざめた。
「皆さん、これでお分かりだと思います」
俺は、会議室全体を見渡しながら、話を続けた。
「ザイルさんは、不正な手段で、ギルドの運営権を奪おうとしていました。今回の『運営不備』の主張も、自分で流した偽情報を、根拠にしたものです」
会議室の中で、賛同するような声が、少しずつ上がり始めた。
「これは、しっかり調査するべきだ」
「ザイル殿、これは、看過できない問題ですな」
組合の幹部たちが、次々と、声を上げていく。
ザイルは、何も言えずに、その場で固まっていた。
「ギルドの運営権の見直しは、撤回していただきたい。むしろ、ザイルさんの不正について、組合として正式に調査するべきだと思います」
俺がそう言うと、会議室の中で、ほぼ全員が、賛同の意を示した。
——たった一人、ザイルだけが、何も言えずに、立ち尽くしていた。
会議が終わった後、オリヴィアが、大きく息を吐いた。
「……やったわね」
「みんなのおかげです」
「あなたが、見抜いてくれたからよ」
「俺一人なら、これは出来ませんでした。フィンさんたちが動いて、バーバラさんが情報を集めて、それを、皆で組み立てた結果です」
俺の言葉に、フィンが、嬉しそうに笑った。
「レインさんが、そう言ってくれるの、嬉しいです」
「事実です」
「事実でも、嬉しいんですよ、それ」
フィンの言葉に、俺は小さく笑った。
「トマスさん、ありがとうございました。怖かったと思いますが、よく証言してくれました」
「いえ……レインさんたちが、ちゃんと守ってくれたから、できたことです」
トマスは、ようやく、安心したような表情を見せた。
「これから、どうしますか」
「……正直、まだ分かりません。でも、もう一度、ちゃんと働ける場所を探そうと思います」
「もし、何か困ったことがあれば、ギルドに相談してください。きっと、力になれると思います」
「ありがとうございます」
トマスは、深く頭を下げて、帰っていった。
——これが、王都では得られなかったものだった。
一人で抱え込むのではなく、皆で、一つの問題に向き合う。
そして、その結果を、皆で分かち合う。
(……ここが、俺の居場所なんだな)
そう思うと、不思議なほど、心が穏やかだった。
組合会議から、一週間が経った。
ザイルの不正は、正式に調査が始まり、ギルドの運営権の見直しは、撤回された。
「結局、内通者だった人——ロイさん、どうなったんですか」
フィンが、食堂で、俺に聞いてきた。
「……話を聞きました。借金を抱えていて、ザイルに利用されていたみたいです」
「それで、どうなるんですか」
「ギルドからは離れることになりましたが、罪を償う機会は、与えられるそうです」
俺は、その結末に、少しだけ複雑な気持ちを抱いていた。
——全てが、きれいに解決したわけではない。
それでも、誰か一人を一方的に切り捨てるのではなく、事情を聞いた上での結末になったことには、納得していた。
「レインさんらしいですね、それ」
「らしいって、どういう意味ですか」
「見えたことを、そのまま使うんじゃなくて、ちゃんと考えてから動く、っていう」
フィンの言葉に、俺は少し驚いた。
(……そんな風に見られているのか)
「ロイさんのこと、恨んでないんですか」
「恨む気持ちが全くない、とは言いません。でも、彼にも、追い詰められた事情があった。それを考えると、一方的に責めることは、できませんでした」
「……レインさんって、本当に、優しいですね」
「もう、それも、何度も言われました」
俺がそう言うと、フィンは、楽しそうに笑った。
「ねえ、レイン」
オリヴィアが、カウンターから声をかけてきた。
「何ですか」
「最近、街の人たちが、あなたのことを、何て呼んでるか知ってる?」
「『賢者様』、ですよね。最初から、それは知ってます」
「それだけじゃないわよ。最近は、『ラステイルの良心』とか、『信頼できる鑑定士』とか、いろんな呼び方が増えてるの」
「……それも、誇張です」
「誇張かもしれないけど、悪い誇張じゃないでしょ」
オリヴィアは、いたずらっぽく笑った。
俺は、その言葉に、少し考えた。
——三年前、俺は、ただの「便利な道具」として扱われていた。
今は、違う呼び方をされている。
それでも、自分の中身は、何も変わっていない。
「俺は、結局、ただの鑑定士です。それだけは、変わりません」
「分かってるわよ。でも、ただの鑑定士が、こんなにいろんな人を助けてるって、それ自体が、もう特別なことなんじゃない?」
オリヴィアの言葉に、俺は、何も言い返せなかった。
「それと、もう一つ、伝えておきたいことがあるの」
「何ですか」
「ギルドの運営委員会から、正式に、あなたを『顧問鑑定士』として迎えたい、って話が出てるわ」
「顧問、ですか」
「ええ。今回の一件で、あなたの判断力と、誠実さが、改めて評価されたのよ」
俺は、その提案に、しばらく考えた。
——王都にいた頃、自分が、こんな形で評価されることは、想像もしていなかった。
「……受けます」
「決まりね。おめでとう、レイン」
オリヴィアは、満足そうに、頷いた。
その日の夕方、ギルドの裏庭で、フィン、ガロ、レイラ、バーバラ、オリヴィアが、ちょっとした集まりを開いてくれた。
「これは、何の集まりですか」
「ギルドが守られたお祝いと、あと——」
オリヴィアが、少し改まった様子で言った。
「あなたが、この街に来てくれたことへの、感謝も込めて」
「俺は、特に何も……」
「またそれ言う?」
フィンが、笑いながら遮った。
「レインさんがいなかったら、俺、もうこの世にいなかったかもしれないし、ギルドも、今頃別の組織に乗っ取られてたかもしれないんですよ」
「それは、皆さんの力もあって——」
「それも、もう聞き飽きました」
バーバラが、温かいスープを手渡しながら、笑った。
俺は、その言葉に、何も言えなくなって、ただ、苦笑いした。
「……ありがとうございます」
それだけ、ようやく言えた。
「私からも、一つ言わせてもらうわね」
レイラが、グラスを掲げながら言った。
「私、最初は、あなたの噂を聞いて、半分疑ってたの。本当に、そんなに見抜けるのかって。でも、一緒に依頼を受けてみて、本当だったんだって分かった。それだけじゃなく、あなたの慎重さや、誠実さに、何度も助けられた」
「俺も同じだな」
ガロが、頷きながら続けた。
「最初は、戦闘力のない鑑定士なんて、足手まといになるんじゃないかと思ってた。だが、お前は、ちゃんと、自分の役割を分かってる。それを、ちゃんと果たしてくれる」
「皆さん……」
俺は、その言葉に、何も言えなくなった。
——王都では、一度も、こんな言葉をもらったことはなかった。
「さあ、堅い話はこれくらいにして、食べましょう!」
バーバラの声で、皆が、笑いながら、料理に手を伸ばし始めた。
夜が更けて、皆が帰っていった後、俺は一人で、裏庭のベンチに座っていた。
王都を追放されてから、半年が経っていた。
あの時、自分は、もう誰にも期待しないと決めていた。
期待しなければ、傷つくこともない。
——そう思って、静かに暮らすつもりだった。
それなのに、今、自分の周りには、何人もの人がいる。
フィン、オリヴィア、バーバラ、ガロ、レイラ、ミーシャ。
誰もが、自分の言葉を、ちゃんと聞いてくれる。
(……静かに暮らす、という計画は、完全に失敗したな)
そう思いながら、俺は、夜空を見上げた。
王都で見ていた夜空と、同じはずなのに、なぜか、こちらの方が、ずっと明るく見えた。
「レインさん、まだ起きてたんですか」
フィンが、裏庭に戻ってきた。
「忘れ物ですか」
「いえ、その。明日からも、よろしくお願いします、っていうのを、ちゃんと言いたくて」
フィンは、少し恥ずかしそうに、それでもはっきりと言った。
「俺、レインさんみたいになりたいです。誰かのために、ちゃんと考えて、ちゃんと力を使える人に」
俺は、その言葉に、少し考えてから答えた。
「俺みたいに、じゃなくて、フィンさんらしく、で十分だと思います」
「……それは、励ましですか?」
「事実です」
「それも、励ましだと思いますけど」
フィンの言葉に、俺は、小さく笑った。
「よろしくお願いします、フィンさん」
「はい! よろしくお願いします!」
フィンは、元気よく答えて、また食堂の方へ戻っていった。
俺は、もう一度、夜空を見上げた。
賢者でも、伝説でもない。
ただの鑑定士として、この街で、これからも生きていく。
それで、十分だった。
——むしろ、それこそが、自分が本当に欲しかったものだったのかもしれない。
誰かに認められること。
誰かと共に、何かを成し遂げること。
そして、ここに、自分の居場所があるということ。
王都では、決して得られなかったものが、今、確かにここにあった。
「……さて、明日も、誰かが何か相談に来るんだろうな」
俺は、そう呟いて、小さく笑った。
面倒だと思っていたはずのその予感が、今は、むしろ、楽しみになっていた。
辺境の街、ラステイル。
ここが、これからの俺の物語が続いていく場所だった。
朝になれば、また、誰かが、何かを相談しに来るのだろう。




