第20話 今さらの後悔
古塔ダンジョンの依頼から、半月が経った頃。
ラステイルの街は、すっかり夏の気配に包まれていた。
「レインさん、最近、依頼の数、増えましたね」
フィンが、ギルドの掲示板を眺めながら言った。
「ええ。ここ最近、いろんなパーティから、同行の依頼が来ます」
「人気者ですね」
「人気者というより、便利屋扱いされてる気がします」
「それも、立派な人気だと思いますけど」
フィンの言葉に、俺は小さく笑った。
最近では、毎日のように、誰かが俺の元を訪れていた。
依頼の同行、持ち物の鑑定、ちょっとした相談——内容は様々だったが、どれも、自分が必要とされている、という実感を、確かに与えてくれた。
その日も、いくつかの小さな依頼を終え、俺は食堂で、遅い昼食を取っていた。
そんな時、ギルドの扉が開いて、見覚えのある男が入ってきた。
「……ガレオン」
俺は、思わずその名前を口にした。
ガレオンは、以前よりも少し痩せて、右腕には包帯が巻かれていた。
「……レイン。やっぱり、ここにいたのか」
ガレオンの声は、以前のような自信に満ちたものではなかった。
ギルドの中にいた冒険者たちが、見知らぬ来訪者に、何となく視線を向けている。
「フィンさん、すみません。ちょっと外していいですか」
「あ、はい……」
フィンが、ガレオンの様子を見て、何かを察したように、静かに離れていった。
オリヴィアも、カウンターの向こうから、こちらの様子を黙って見ていた。
俺たちは、ギルドの裏庭で向かい合った。
「久しぶりだな、レイン」
「……久しぶりです」
俺たちの間には、しばらく、気まずい沈黙が流れた。
「その腕、どうしたんですか」
俺は、ガレオンの包帯を見て、聞いた。
「……ダンジョンで、トラップに引っかかった。完全に治るまで、もう少し時間がかかるらしい」
「そうですか」
俺は、それ以上、何も言わなかった。
——心配する気持ちは、確かにあった。
それでも、何か言葉をかけることが、すぐにはできなかった。
「お前に、言わなきゃならないことがある」
ガレオンは、いつもとは違う、低く落ち着いた声で言った。
「……何でしょうか」
「あの時、お前を追放したのは、間違いだった」
俺は、その言葉に、特に何の感情も浮かばなかった。
——少なくとも、自分ではそう思っていた。
「お前がいなくなってから、何度も死にかけた。トラップに気づかず、奇襲に気づかず……お前が、毎回それを教えてくれてたんだって、やっと分かった」
ガレオンは、右腕の包帯を見せた。
「これは、お前がいたら、絶対に避けられた傷だ」
「……それは、結果論です」
「いや、違う。お前が『右に避けろ』って何度も言ってた時、俺はそれを自分の実力だと思ってた。でも、今は分かる。あれは、全部お前が見えてたものだったんだ」
俺は、その言葉を聞いて、少しだけ、何かが動くのを感じた。
——三年間、ずっと欲しかった言葉だった。
それが、今になって、こんな形で届くとは思っていなかった。
「……今さら、ですね」
俺は、それだけ言った。
「分かってる。今さらだって、分かってる。それでも、言わなきゃならないと思った」
ガレオンは、深く頭を下げた。
「悪かった。本当に、悪かった」
俺は、その姿を、しばらく黙って見ていた。
「……新しいパーティは、どうですか」
俺は、話題を変えるように、聞いた。
「正直、上手くいってない。新しく雇った剣士も斥候も、お前ほどの精度で危険を伝えられる奴は、いない」
「鑑定士を、別に雇えばいいんじゃないですか」
「雇おうとした。だが、お前くらいの実力を持った鑑定士は、王都にも、そう多くない」
ガレオンの言葉に、俺は少し驚いた。
——自分の能力が、それほど特別だとは、自分自身、あまり実感していなかった。
「お前の鑑定、改めて、すごかったんだと思う。今になって、それが分かる」
「……それは、複雑な気持ちです。今になって言われても」
「分かってる。お前が、そう思うのも当然だ」
ガレオンは、それ以上、無理に説明しようとはしなかった。
ただ、静かに、俺の言葉を待っていた。
「ミーシャは、元気ですか」
「ああ。お前のことを、ずっと心配してた」
「先日、ここに来ました」
「知ってる。聞いた」
ガレオンは、少し意外そうな顔をした。
「あいつが、ここまで来るとは思わなかった」
「俺も、驚きました」
「……戻ってきてくれ、とは、言わない」
ガレオンは、しばらく黙ってから、続けた。
「お前がここで、ちゃんと評価されてるのは、噂で聞いてる。ここでの方が、お前には合ってるんだと思う」
「……それは、どういう意味ですか」
「俺たちのパーティでは、お前は『裏方』だった。だけど、ここでは、お前自身が、ちゃんと見られてる」
ガレオンの言葉に、俺は少し驚いた。
——彼が、そこまで考えているとは思っていなかった。
「お前、この街で、何人くらいの人間に、信頼されてるんだ」
「分かりません。フィンさん、オリヴィアさん、バーバラさん……ガロさんやレイラさんも、信頼してくれてると思います」
「随分、増えたな」
「……そうですね」
「それは、お前が、ちゃんと変わったからだと思う」
ガレオンの言葉に、俺は、少し考えた。
——変わったのは、自分だけだろうか。
それとも、自分を見てくれる人たちが変わっただけなのだろうか。
たぶん、両方が、少しずつ重なって、今の自分があるのだと思った。
「ただ、一つだけ、聞きたいことがある」
「何でしょうか」
「俺たちを、恨んでるか」
俺は、その質問に、しばらく考えた。
恨んでいないと言えば、嘘になる。
それでも、今、自分の中にある感情は、それだけではなかった。
「……恨んでいた時期もありました。でも、今は」
俺は、少し言葉を選んだ。
「今は、それより、ここで得たものの方が、ずっと大きいです」
ガレオンは、その答えに、少し寂しそうに、それでも納得したように笑った。
「そうか。それなら、よかった」
「ガレオンさんは、これから、どうするんですか」
「もう一度、ちゃんとしたパーティを立て直す。お前がいなくても、何とかできるように」
「……それは、正しいと思います」
「お前に言われると、説得力があるな」
ガレオンは、苦笑いした。
それは、以前の彼からは、想像できない表情だった。
「最後に、一つだけ言わせてくれ」
ガレオンは、立ち去る前に、もう一度俺を見た。
「お前の鑑定、ずっと馬鹿にしてた。すまなかった」
「……それは、もう、何度も聞きました」
「いや、これは違う種類の謝罪だ」
ガレオンは、まっすぐに俺を見た。
「お前の鑑定が、すごいから謝ってるんじゃない。お前が、ちゃんと俺たちのことを考えて、力を使ってくれてたのに、それに気づかなかったことを、謝ってる」
俺は、その言葉に、何も言えなくなった。
——力そのものへの評価ではなく、自分自身への評価。
それを、こんなにはっきりと言われたのは、初めてだった。
「……ありがとうございます」
俺は、それだけ言った。
ガレオンは、小さく頷いて、それから、何かを思い出したように、もう一つ付け加えた。
「もし、いつか、お前が王都に戻ることがあったら、声をかけてくれ。今度は、ちゃんと、お前を仲間として扱う」
「……考えておきます」
「それで十分だ」
ガレオンは、それだけ言って、ギルドを後にした。
「大丈夫でしたか、レインさん」
フィンが、心配そうに声をかけてきた。
「……大丈夫です」
「あの人、元のパーティのリーダーですよね」
「ええ」
「謝りに来たんですか」
「……そうみたいです」
フィンは、少し驚いた顔をした。
「そういう人もいるんですね」
「珍しいことだとは、思います」
俺は、裏庭のベンチに座って、空を見上げた。
「レインさん、その人のこと、もう、許したんですか」
フィンの問いに、俺は少し考えた。
「許す、というのとは、少し違う気がします。ただ、自分の中で、過去のことになった、という感覚です」
「過去のこと、ですか」
「ええ。恨みが、完全に消えたわけではないです。でも、それだけで、自分の今が決まっているわけでもない」
「……レインさんって、本当に、考え方が丁寧ですね」
フィンの言葉に、俺は少し苦笑いした。
「丁寧というより、不器用なだけかもしれません」
「それでも、いいと思います」
フィンは、隣に座って、しばらく一緒に空を見上げた。
王都での三年間が、今、本当に過去のものになった気がした。
恨みが消えたわけではない。
それでも、その恨みだけで、自分の中身が決まっていたわけでもなかった。
(……俺は、ここで、新しいものを得たんだな)
そう思うと、不思議と、心が軽かった。
「レインさん、今日の夕飯、一緒にどうですか。バーバラさんが新作のスープ作ったって言ってて」
フィンの言葉に、俺は小さく笑った。
「行きましょう」
それだけ言って、俺は立ち上がった。
食堂に向かう途中、オリヴィアが、俺たちを見つけて、声をかけてきた。
「大丈夫だった?」
「ええ、大丈夫です」
「珍しいこともあるものね。元の仲間が、謝りに来るなんて」
「正直、驚きました」
「で、どんな気持ち?」
オリヴィアの問いに、俺は、少し考えた。
「……整理しきれていません。でも、悪い気持ちではないです」
「それで十分でしょ」
オリヴィアは、そう言って、軽く笑った。
「さあ、バーバラの新作スープ、楽しみにしてたのよ。早く行きましょう」
俺たちは、三人で、食堂へと向かった。
過去は、過去のままでいい。
今、自分がいる場所が、確かにここにある。




