第2話 毒入りの酒と、生意気な剣士
ラステイルのギルドに登録して、三日が経った。
俺はまだ、依頼を一つも受けていない。
理由は単純だった。
戦闘が絡む依頼は、俺一人ではどうにもならない。
鑑定だけで完結する依頼は、滅多に出回らない。
そして、それ以上に、まだ、誰かと深く関わることに、少しの抵抗を感じていた。
「ねえ、賢者様。今日も依頼受けないの?」
オリヴィアが、からかうような声で聞いてくる。
「賢者じゃないです。それと、いい依頼がまだ無いので」
「贅沢言ってる暇あるの? あなた、お金ないでしょ」
(痛いところを突いてくる)
事実だった。王都から持ってきた路銀は、もう半分も残っていない。
宿代と食費だけで、思っていたより早く減っていく。
「鑑定だけの依頼があればいいんですけどね」
「そんな依頼、滅多に無いわよ。みんな、戦闘ができる人間を雇って、その人に持ち物を見せて、簡易鑑定してもらうくらいよ」
「それなら、俺がそういう簡易鑑定をすればいいんじゃないですか」
「あら、やる気になった?」
「お金がないので」
「分かりやすい理由ね」
オリヴィアは肩をすくめて、また書類仕事に戻った。
俺は食堂の隅の席に座り、安いパンを齧った。
それでも、悪くない生活だった。
誰にも何も期待されず、誰も俺に何かを強要しない。
これが、自分の選んだ静かな暮らしのはずだった。
「おっちゃん、また飲んでるのか!」
食堂の入り口で、声が響いた。
見ると、先日カウンターで怒られていた剣士の少年——たしか、フィンという名前だったはずだ——が、大柄な男に肩を貸している。
「フィン、その人……」
「ダンっていう冒険者です。さっきまで酒場で飲んでて、急に動けなくなって」
ダンと呼ばれた男は、顔色が悪く、額に汗が滲んでいる。
ただの酔っ払いには見えなかった。
足元がふらつき、目の焦点も合っていない。
(……興味を持たないようにしよう)
そう思った。三日前に決めたはずだった。誰とも深く関わらない、と。
「水を、誰か……」
フィンが周りに声をかけているが、誰も動かない。
ギルドの食堂は、見て見ぬふりをするのが普通の場所だった。
冒険者という生き物は、他人のトラブルに、必要以上に関わりたがらない。
それは、自衛のための習性のようなものだった。
(……いや)
俺は、自分でも気づかないうちに、椅子から立ち上がっていた。
「すみません、ちょっと見せてもらえますか」
「あ、あなたは……」
フィンが俺を見て、少し驚いた顔をした。
「鑑定士の、レインです。先日、登録しました」
「あ、はい! 助けてくれるんですか」
「分かりません。とりあえず、状態を見てみます」
俺はダンの近くにしゃがみ込んで、彼の様子を見た。
特に頼まれたわけでもないのに、俺の意識は勝手に動いていく。
『ダン(推定28歳)
体内状態:異常物質の蓄積を確認
原因:摂取した酒に混入物の可能性
経過:急速に悪化中。このままでは半刻後に意識を失う』
「……これ、ただの酔いじゃないですね」
「な、何のことです?」
「酒に何か混ざっています。すぐに吐かせて、水を飲ませてください。それから、解毒の心得がある人を呼んでください」
「分かりました!」
フィンは一瞬戸惑った顔をしたが、すぐに動き出した。
「お、おい! 誰か水と、解毒草持ってきてくれ!」
その慌てた様子に、ギルドの中にいた数人がようやく動き始めた。
「お、おい何だ、何が起きてるんだ」
「ダンが、酒で具合悪くなったらしい」
「そりゃまずいな、あいつ最近、変な酒場通ってるって言ってたぞ」
冒険者たちの間で、囁き声が広がっていく。
俺は、その間も、ダンの様子を観察していた。
『経過:解毒草の効果が出始めている。回復の兆候あり』
「フィンさん、もう少しで落ち着くと思います。少し水を飲ませてあげてください」
「分かりました」
フィンは、震える手で水の入った椀を、ダンの口元に運んだ。
それから半刻後。
ダンは食堂の隅で、ぐったりとしながらも、意識を取り戻していた。
「……すまん、迷惑かけた」
「いえ。それより、どこで飲んだ酒ですか」
「裏通りの安酒場だ。最近よく行ってたんだが……」
俺は念のため、もう一度ダンの様子を鑑定した。
『回復傾向:良好
残存毒素:微量。問題なし』
「もう大丈夫そうです」
「ありがとな、賢者……いや、鑑定士の」
「レインです」
「レインさんか。助かった」
ダンは深く頭を下げて、ふらつきながらも自分の足で帰っていった。
その後ろ姿を見送りながら、フィンが、ぽつりと言った。
「あの人、最近、よくあの酒場で飲んでるって言ってましたよね」
「気になりますね、その酒場」
「俺も、気になります。今度、ちゃんと依頼として、調べてみようかな」
フィンの言葉に、俺は少し意外に思った。
——この少年は、ただ困っている人を助けるだけでなく、その先のことまで考えているらしい。
「すごいですね、さっきの」
フィンが、俺の隣の席にどすんと座ってきた。
(誰も座っていいと言ってないんだが)
「……何の用ですか」
「いや、その。俺、剣士なんですけど、最近どうも調子が悪くて」
フィンは、腰の剣を見せてきた。
(……また、これか)
三日前に決めたはずの「誰とも深く関わらない」という決意が、もう何度目かの綻びを見せている。
俺は自分の性分に、半ば呆れながら、剣に意識を向けた。
『フィンの剣(量産型・初心者向け)
刃の摩耗:進行中
刀身内部に微細なひびを確認
次の強い衝撃で、刃が根元から折れる可能性:高』
「フィンさん。その剣、もう限界が近いです」
「えっ」
「次に強く打ち合えば、刃が折れます。最悪、根元から飛んで、自分の手を傷つけることもあります」
フィンの顔から、一気に血の気が引いた。
「……マジですか。実は今度、討伐依頼があって……ギブリンの群れの」
「その依頼に、その剣で行くのはやめた方がいいです」
「でも、新しい剣を買う金が……」
フィンは、少し恥ずかしそうに目を逸らした。
「俺、孤児院出身で、剣も最初に支給されたやつをずっと使ってて。新しいの買うのは、まだ厳しいんです」
(……この子は、剣の腕より先に、生活が苦しいんだな)
俺は少し考えて、提案した。
「鍛冶屋に行って、その剣を一度見てもらってください。完全に駄目になる前に、補強できる可能性があります」
「補強……できるんですか?」
「やってみないと分かりませんが、買い直すより安く済むはずです」
フィンの表情が、少しだけ明るくなった。
「ありがとうございます、レインさん!」
「……俺は別に、何もしてないですよ。鑑定しただけです」
「いや、それが助かるんですって」
フィンは嬉しそうに笑って、剣を抱えて鍛冶屋へと走っていった。
その背中を見ながら、俺は小さく息を吐いた。
(また、関わってしまった)
そう思ったが、不思議と、嫌な気分ではなかった。
むしろ、フィンの表情が変わる様子を見て、自分の中に、何か温かいものが残っているような気がした。
「で、また何かやったみたいね」
オリヴィアが、にやにやしながら声をかけてきた。
「やったというか、見ただけです」
「ダンの件、街でちょっと噂になってるわよ。『新しい鑑定士が、毒入りの酒を一発で見抜いた』って」
「……それ、誇張されすぎてます」
「あら、否定するの?」
「事実は事実なので。誇張は良くないです」
オリヴィアは、俺の答えに少し意外そうな顔をして、それからまた笑った。
「真面目ねえ。まあ、いいんじゃない? 噂が広がっても、あなたが損するわけじゃないし」
「俺は、目立ちたくないんですが」
「目立ちたくないなら、人助けしなければいいのに」
その一言に、俺は返す言葉が見つからなかった。
(正しいことを言われると、困る)
「ねえ、レイン。一つ聞きたいんだけど」
「何ですか」
「あなた、王都で何があったの? Sランク相当の鑑定証持ってる人が、わざわざこんな辺境に来るなんて、普通じゃないわ」
俺は、その問いに、少し考えた。
事情を話すべきか、迷った。
「……あまり、いい話じゃないです」
「いい話じゃなくていいわよ。聞きたいの」
オリヴィアの目には、単なる興味本位ではない、何かもう少し真剣な色があった。
「俺、王都で勇者パーティに所属してたんです。鑑定士として」
「勇者パーティ……結構、有名な部類じゃない、それ」
「ええ。でも、鑑定なんてただの便利な道具だと思われてて、結局、追放されました」
「……そう」
オリヴィアは、それ以上、深くは聞かなかった。
ただ、少し優しい目で、俺を見た。
「まあ、ここでは、そんな扱いはしないわよ」
「期待してないです」
「期待しなさいよ、少しは」
オリヴィアはくすりと笑って、カウンターに戻っていった。
俺は、食堂の隅で、もう一度小さく溜息をついた。
(……静かに暮らす、という計画が、早々に崩れている気がする)
そう思いながらも、口元が少し緩んでいることに、自分でも気づいていた。
その日の夜、俺は宿の部屋で、今日一日のことを振り返っていた。
ダンを助けたこと。フィンの剣を見たこと。オリヴィアとの会話。
どれも、自分が望んでいた「静かな暮らし」とは、少しずれていた。
それでも、不思議と、嫌な感覚ではなかった。
(……まあ、これも、悪くないのかもしれない)
そう思いながら、俺は眠りについた。
窓の外では、ラステイルの夜が、静かに、更けていった。




