親方、世界樹を診る
世界樹の根元に立った。
見上げた。
首が痛くなるくらい見上げて、それでもてっぺんが見えない。雲の中に消えてる。幹の直径三十メートル。腕を広げて十五人くらい並べないと一周できない太さだ。
根元の広場にはエルフが集まってる。五十人ほど。全員がこっちを見てる。「人間が世界樹を直せるのか」って顔だ。信じてない目と、藁にもすがりたい目が半々。
「……とりあえず、触っていいか」
「触る?」
シルヴァナが訊き返した。
「ああ。木に触る。手で診る」
「好きにしろ」
幹に手を当てた。
——でかい。当たり前だが。手のひらの下に、樹皮のざらざらした感触がある。指で押してみた。硬い。健全な木の硬さだ。芯まで詰まってる。
叩いた。
ズンッ。
重くて深い音が返ってきた。大太鼓みたいだ。三百メートルの巨木の中身が振動してる。
「幹は健康だ。芯まで生きてる。——問題は上じゃない。下だ」
幹の根元に移動した。
ここから景色が一変する。
根が地面から露出してる。太さ一メートルを超える根が、地面を這うように北に向かって伸びてる。本来は土の中にあるはずの根が、土が流されて露出しちまってる。
しかも——黒い。
根の表面が黒く変色してる。触った。ぶよぶよしてる。指で押すと沈む。
「腐ってるな。この根は死にかけてる」
「我々も分かっている。だが、どの根が生きていてどの根が死んでいるのか——」
「叩けば分かる」
コテの柄で根を叩いた。
ベチャ。
湿った、潰れるような音。中が腐って水を含んでる音。
隣の根に移動した。叩いた。
コンッ。
硬い音。こっちは生きてる。
次の根。ベチャ。死んでる。
次。コンッ。生きてる。
次。ベチャ。
次。コンッ。
「エルノ。記録しろ。北側から時計回りに番号を振る。一番、死。二番、生。三番、死。四番、生。五番、死。六番、死。七番——」
世界樹の根元を一周した。
太い主根が全部で十八本。そのうち七本が完全に腐って、三本が腐りかけ。健全なのは八本。
エルノが地図を描いた。世界樹の根元を上から見た図。生きてる根を実線、死んでる根を破線で記録。
「見えたか。腐ってるのは全部北側だ。南側の根はほとんど健全。北側だけが集中的にやられてる」
「何故、北側だけ……?」
「リル。ノームに地下を見てもらえ。この根元の地下に、水の流れがあるはずだ」
リルがノームを地中に送った。十秒。二十秒。
「親方さん! ノームが言ってます! 北側の地下に水の流れがあるって! 根の真下を水が通ってて、土を洗い流してるって! ——前はこんな流れなかったって、土の記憶に残ってるそうです!」
「やっぱりか。——上流で何か起きて、地下水脈の流れが変わったんだ。水が北側の根の下を通るようになって、根の周りの土を洗い流した。土がなくなって根が露出して、空気に触れて腐った。——根が腐ったから世界樹が支えを失って、北に傾いてる」
シルヴァナの顔が変わった。
「地下水脈の流れが変わった……? 精霊に訊いても分からなかったことが——」
「精霊は木と水と風を感じ取れる。だが、地下水脈がいつどう変わったかまでは分からないだろう。それは地面を掘って、土を見て、水の跡を追って、初めて分かることだ。——手を使う仕事だ」
周りのエルフたちがざわついてる。
「人間が……世界樹の根を診断した……?」
「叩いただけで生きてる根と死んでる根を見分けた……!?」
「精霊にも分からなかったことを……!?」
年配のエルフが呟いた。
「信じられん。我々は千年この木と暮らしてきたのに、根の生死を叩いて判断するなど考えたこともなかった……」
「叩かなくても、触れば分かる。押してぶよぶよするのは中が腐ってる証拠だ。硬いのは生きてる証拠だ。——木と暮らしてきたなら、あんたらにもできるはずだ。毎日触ってれば、手が覚える」
エルフの老人が、恐る恐る根に手を当てた。押した。
「……確かに。硬い根と柔らかい根がある。触れば分かる」
「だろ? 精霊に訊かなくても、手で分かることは山ほどある。精霊と手の両方を使えば、もっと分かる」
* * *
診断は終わった。次は処方だ。
「やることは三つ。一つ、腐った根を切除する。二つ、生きてる根を地盤と一体化させて擁壁にする。三つ、地下水脈の流れを元に戻す」
「根を切除する……!? 世界樹の根を切るのか!?」
エルフたちがざわめいた。
「腐った根を残しても意味がない。腐りが生きてる根に広がる前に切る。——外科手術だ。悪い部分を切って、良い部分を残す」
「だが根を切ったら世界樹の支えが——」
「だから二つ目だ。生きてる根を擁壁にする」
地面に図を描いた。
「この世界樹の根は太さ一メートル以上ある。こんなもん、普通の擁壁より太い。この根の隙間にコンクリートと石を詰めて、根と地盤を一体化させる。根が壁になる。壁が根を支える。——共生だ」
「根が壁に……壁が根を……」
シルヴァナが図を見つめてる。
「お前は、世界樹の根を建物の一部にすると言っているのか」
「逆だ。建物を世界樹の根の一部にするんだ。コンクリートは根を傷つけない。根と一緒に地面を支える。——生きてる構造物だ。こんなもん作れるのは、この世界樹だけだ」
エルノが言った。
「棟方殿。それは——エルフの精霊工法と、棟方殿のコンクリート工法の融合ですね」
「そうだ。精霊が根を生かす。俺のコンクリートが根を支える。どっちか片方じゃできない。両方合わせて初めてできる」
シルヴァナの表情が動いた。
精霊だけでは直せない。人間の手だけでも直せない。——両方が必要。
その事実が、千年の誇りを持つエルフの長老の胸に突き刺さってる。
「三つ目。地下水脈の流れを直す。上流で何が起きたのか調べて、水の流れを元に戻す。——これは大仕事だ。導水トンネルを掘るかもしれんし、砂防堰堤を作るかもしれん。現地を見ないと分からん」
「それは明日以降の話だな」
「ああ、今日はもう——」
その時。
上から轟音が響いた。
ミシッ——バキバキバキィッ!!
全員が見上げた。
世界樹の中腹。高さ百メートル付近の枝が——折れた。
枝に張り付いていたエルフの家が、枝ごと落ちていく。
「——ッ!!」
リルが叫んだ。
「シルフ!!!」
風の精霊が吹き上がった。落下する家と枝を風が受け止めて——完全には止められない。速度を殺しながら、地面に向かって落ちてくる。
「全員離れろ!!」
俺が叫んだ。根元にいたエルフたちが散った。
家が地面に激突した。木の破片が飛び散る。土煙が上がる。
「怪我人は!?」
カーラが真っ先に走った。瓦礫の中に飛び込んでいく。
こいつは冒険者だ、こういう時は速い。
「二人いる! 生きてるわ! 足を挟まれてる!」
「ルッカ、ツルハシ! ガルドがいねえから——俺がやる!」
瓦礫に駆け寄った。折れた枝の下にエルフが二人。足が木の破片に挟まれてる。
支保工の要領だ。瓦礫の上に手持ちの角材を渡して、てこの原理で枝を持ち上げる。
「リル! ノームに下の地面を少しだけ柔らかくしてもらえ! 足が抜けるようにする!」
「はい!!」
ノームが地面を緩めた。枝を持ち上げた隙に、カーラがエルフ二人を引きずり出した。
「出した! 骨は折れてないわ! 打撲と擦り傷!」
「……上出来だ」
エルフの救護班が駆け寄って、怪我人を運んでいく。
シルヴァナが立ち尽くしている。
「枝が折れた。——精霊の力で支えていたはずの枝が。限界が近いのは分かっていたが、ここまで——」
「長老殿。悠長なこと言ってる暇はなくなった。世界樹の補修工事、明日から始める。いいか」
「……ああ。頼む。——何でもする。協力する」
「その言葉を待ってた。——エルノ、明日の段取りを組め。まず橋の全数点検、それから根元の腐った根の切除ラインの策定。同時進行だ」
「はい、棟方殿。——やります」
エルノの声に迷いがない。故郷に帰ってきて、故郷が壊れかけてて、だが——やるべき仕事がある。それが今のこいつの支えだ。
空を見上げた。世界樹の枝が折れた場所が、ぽっかり穴になってる。三百メートルの巨木が、少しずつ壊れていってる。
間に合わせる。——間に合わせなきゃ、この木も、この街も、エルノの故郷も、全部なくなる。
さて——仕事だ。でけえ仕事だ。




