親方、森に入る
西の大森林。
帝国から馬車で五日。レグニカ王国の西端を突っ切って、そのまま森に入った。
最初は普通の森だった。木の高さは十メートルくらい。明るくて、鳥の声が聞こえる。
だが、半日も進むと景色が変わった。
木がでかい。
二十メートル。三十メートル。五十メートル。どんどんでかくなる。幹の太さも人間の背丈を超えてる。地面にほとんど日が差さない。苔と蔦がびっしり覆ってる。空気が湿ってて、重い。
「……すごい森ですね」
ルッカが馬車の窓から見上げてる。普段あんまり感情を出さないこいつが、素直に驚いてる。
エルノは黙っている。
馬車に乗ってからほとんど口を開いてない。ノートも閉じたまま。窓の外を見ているが、何かを見ているというより、何かを思い出している目だ。
俺は何も訊かない。
こいつが話したくなったら話す。それまでは待つ。
* * *
森の奥に進むと、道がなくなった。
馬車を降りて歩く。リルの精霊が先導してくれてるが、人間の道じゃない。木の根が地面を覆って、足場が悪い。
「親方さん、気をつけてください。この根っこ、滑ります」
「分かってる。——しかしすげえ根だな。地面が全部根で覆われてやがる」
百メートル級の木が林立してる。根が地面を網の目みたいに覆って、土が見えない。木の国だ。石の帝国と真逆。
一時間ほど歩いたところで、エルフが現れた。
木の上から、音もなく降りてきた。
長い耳。細い体。弓を構えてる。二人。
「止まれ。——人間は立ち入り禁止だ」
矢がこっちを向いてる。殺気はないが、本気で止める気だ。
エルノが前に出た。
「私はエルノ。この森の出身です。通してもらえますか」
歩哨の目が変わった。
だが——良い方にじゃなかった。
「……エルノ? 精霊の声が聞こえぬ落伍者か。まだ生きていたのか」
もう一人の歩哨が鼻で笑った。
「お前が戻ってきたところで何ができる。精霊に頼ることもできぬ半端者が——」
「おい」
俺の声が出た。自分でも思ったより低い声だった。
歩哨が俺を見た。
「こいつは俺の仲間だ。仲間を半端者呼ばわりされて黙ってるほど、俺は大人じゃねえんだ。——文句があるなら俺に言え」
「人間が口を挟むな。これはエルフの——」
「うるせえ。エルフだろうが人間だろうが、仲間をバカにされたら怒る。当たり前だろ」
歩哨の目が泳いだ。俺に殺気は向けてないが、気圧されてる。
そこへ——三人目のエルフが現れた。
上からじゃない。木々の間から、歩いてきた。
女性。外見は三十代だが、目つきが厳めしい。
何百年も生きた者の目だ。白い長衣、長い銀の髪。
「やめよ。人間の職人を呼んだのは我だ。――通せ」
歩哨が即座に弓を下ろした。
「長老シルヴァナ様……!」
長老か。エルフの国のトップ。
シルヴァナがエルノを見た。
エルノがシルヴァナを見た。
数秒の沈黙。何か、重い空気が流れた。
「……大きくなったな。エルノ」
「……はい。長老」
それだけだった。だがエルノの目が赤い、潤んでる。こいつを追い出した張本人と、何年ぶりかの再会。一言二言で済む話じゃないだろう。
だが、今は仕事が先だ。
「長老殿。棟方鉄です。世界樹が倒れかけてると聞いた。案内してくれ」
「急くな、人間。——だが、急がねばならぬのは事実だ。来い」
* * *
シルヴァナに先導されて、森の奥へ進んだ。
木がさらにでかくなる。百メートル級が普通になってくる。その巨木の幹に、家が張り付いてる。樹上都市だ。枝と枝の間に橋が架かってる。根の間に広場がある。
エルフが暮らしてる。木の上に。地面じゃなくて、空中に。
「……すげえな」
率直にそう言った。建物を見ると素直に感想が出る。職業病だ。
「精霊の力で木を育て、形を整え、都市を作ってきた。千年以上の歴史がある」
「千年か。——だが、手入れはしてないだろ」
シルヴァナの眉が動いた。
「手入れ、とは」
「この橋。見ろ」
目の前に木造の橋があった。二本の巨木の間を繋ぐ、幅二メートルほどの橋。高さは地面から三十メートル。
俺は橋の手前で止まった。
「全員止まれ。この橋を渡るな」
「何を言う。この橋はずっと使って——」
「渡るな。——ルッカ、木槌」
ルッカが木槌を渡してくれた。
橋の端、手前の固定部を叩いた。
コンコン。
軽い音。スカスカの音。
橋の手前の幹の部分を叩いた。
ゴンゴン。
重い音。中身が詰まった音。
「この橋の木、芯が腐ってる。外側は皮が残ってるから見た目は問題ない。だが中身がスカスカだ。——人が三人乗ったら折れる」
「嘘を言うな! この橋は精霊の力で育てた——」
歩哨の一人が言いかけた。
「黙って聞け。——リル、ノームにこの橋の内部を見てもらえ」
リルがノームに頼んだ。ノームが橋の木に触れた。
「……親方さん。ノームが言ってます。中が空洞になってるって。外側の二センチだけ木が生きてて、中は腐って空っぽだって」
歩哨の顔が青くなった。
「空っぽ……!? この橋が……!?」
「外から見ても分からねえ。叩けば分かる。——音が軽いのは中が空っぽだからだ。健康な木は叩くと重い音がする。腐った木は軽い音がする。壁を叩くのと同じだ」
シルヴァナが橋の端に手を当てた。指で押した。——表面がぶよっと沈んだ。
「……本当だ。中が腐っている。——我々は毎日この橋を渡っていた。気づかなかった」
「精霊に木を育ててもらうだけで、木の健康を人間の——エルフの手で確かめることをしてなかったんだろ。精霊は木を育てられるが、木が病気かどうかを診る目は、手で触って確かめるもんだ」
シルヴァナの目が細くなった。
「……人間の職人に、木の診方を教わるとはな」
「木だろうが石だろうがコンクリートだろうが同じだ。叩いて、音を聞いて、状態を知る。——エルフだって木を触るだろう。触り方を変えるだけだ」
歩哨たちが橋を見つめている。毎日渡っていた橋が、実は死にかけていた。その事実に顔面蒼白だ。
「じゃ、じゃあ——他の橋も腐ってるかもしれないのか!?」
「可能性はある。——全部叩いて回る必要がある」
「全部って……この森には橋が百本以上あるんだぞ!?」
「なら百本叩く。——明日からやるか」
エルフの歩哨が絶句した。
カーラが笑ってる。
「ねえ親方。帝国では壁を叩いて、今度は木を叩くのね」
「叩くのは俺の仕事だからな」
「どこ行っても叩いてるわね」
「叩かなくなったら引退だ」
エルノが少しだけ笑った。森に入ってから初めての笑顔だった。
「棟方殿は壁を叩いて構造を読みます。石でも、木でも、岩盤でも。——棟方殿の手は、建物の声を聞くんです」
シルヴァナがエルノを見た。
「……建物の声を聞く、か。精霊の声が聞こえぬ代わりに」
「はい。棟方殿には精霊の声は聞こえません。ですが、建物の声は誰よりもよく聞こえます」
シルヴァナが何か言いかけて——やめた。
代わりに俺たちに背を向けて、歩き出した。
「来い。世界樹はこの先だ。——迂回路を使う。この橋は通行禁止にする」
「賢明な判断です」
「お前に賢明と言われるのは複雑だが……感謝する。橋を止めてくれたことは」
「仕事です」
迂回路を歩いて、十分。
木々の隙間から——見えた。
世界樹。
高さ三百メートル。幹の直径三十メートル。空を突き破るような巨木。枝が雲の中に消えてる。根元に広場があり、幹に家が張り付き、枝に橋が架かり、一つの都市を形作ってる。
だが——傾いてる。
真っ直ぐ立ってない。北側に三度ほど傾いてる。根元の地面が北側に陥没してる。根の一部が土から露出して、黒く変色してる。腐ってる。
「……でけえ」
率直な感想だ。こんなもん見たことがない。日本にもレグニカにも帝国にもなかった。
「でけえな」
「……親方、二回言いました」
「二回言うくらいでけえってことだ。——で、あれが倒れかけてるのか」
「はい。精霊に頼んで支えてもらっているが、限界が近い。地盤が崩れ続けている。精霊の力だけでは地盤を直せない」
「だろうな。地盤は物理の問題だ。精霊じゃなくて、土方の仕事だ。——見に行くぞ」
世界樹に向かって歩き出した。
エルノが隣にいる。故郷の世界樹が傾いているのを見て、拳を握りしめてる。
「棟方殿。——直せますか」
「見てから言う。だが、俺が来たからには倒さねえよ」
「…………はい」
エルノの耳が赤い。
今回の赤さは——信頼の色だった。
さて。三百メートルの木の診察だ。でけえ仕事になるぞ。




