親方、国を二つ回す
研修の翌朝。
コーヒーの代わりに麦茶を飲んでたら、リルが飛び込んできた。
「親方さん! ノームが急報です! レグニカのガルドさんから!」
「何だ」
「運河の三番閘門に異常! 底盤から水漏れ! 閘門を閉めても水位が下がり続けてるそうです!」
麦茶を置いた。
三番閘門。運河の中流にある船のエレベーターだ。底盤と側壁の接合部——コンクリートの打ち継ぎ目が弱点なのは分かってた。だが、半年は持つと踏んでたのに。
「ガルドに繋いでくれ」
リルがノームの精霊の交信機能を使った。土の精霊が地中を伝って、帝国からレグニカまで言葉を届ける。タイムラグはあるが、手紙より百倍速い。
「ガルド、聞こえるか」
数秒の沈黙。
『——聞こえてるぞ親方! 三番閘門、底盤の東側から水が湧いてる! 量は少ないが止まらねえ!』
「東側か。底盤と側壁の接合部、コンクリートの打ち継ぎ目だな。——水が出てるのは一箇所か、何箇所かあるか」
『一箇所だ! 幅は手のひらくらい! 水は染み出す感じで、噴き出しちゃいねえ!』
「よし、まだ軽傷だ。慌てるな。——いいか、やることを言うぞ。一つずつやれ」
エルノがノートを開いた。俺が言う指示を同時に記録してる。帝国にいるのに、レグニカの現場の補修手順を記録する。こいつの仕事の精度は国を跨いでもブレねえ。
「まず閘門の水を全部抜け。上流と下流の水門を閉じて、中の水をポンプで汲み出せ」
『了解!』
「水が抜けたら、漏水箇所の周りのコンクリートを鶴嘴で叩け。ボコボコ鳴る場所があるはずだ。そこは中に空洞がある。打ち継ぎの時に空気が入ったんだ」
『ボコボコ鳴る場所を探すんだな!?』
「そうだ。見つけたらそこを斫れ。鶴嘴で表面を削って、空洞を露出させろ。——そこに新しいコンクリートを詰める。配合はいつもの比率で、ただし砂利を細かくしろ。拳大じゃなくて親指大。空洞に入り込むように細かい骨材を使え」
『砂利を細かくだな! 了解!』
「詰めたら上から木槌で叩け。振動で空気を追い出す。表面を左官ゴテで均して、湿った布をかけて養生。三日で固まる。——できるか」
『できる! いや、やる!!』
「ガルド」
『何だ!』
「お前なら大丈夫だ。任せたぞ」
数秒の沈黙。
『……おう。任せろ、親方。——こっちは俺が守る』
通信が切れた。
リルが微笑んでる。
「親方さん。ガルドさん、声が震えてました」
「緊張してんだろ」
「違いますよ。嬉しかったんですよ。親方さんに『任せた』って言われて」
……そうか。
カーラが横で腕を組んでる。
「ねえ親方。帝国にいながらレグニカの現場を直すのって、普通できることなの?」
「普通はできねえよ。リルの精霊がいるからできるんだ」
「いや、そうじゃなくて。見てもいない現場の水漏れ箇所を、報告だけで特定して、補修手順を全部口頭で指示するのって、普通の人間にできることなの?」
「……俺が作った閘門だ。どこが弱いかは俺が一番知ってる。それだけだ」
「それだけ、って言うけどさ。エルノ、今の指示何項目あった?」
「七項目です。所要時間の見積もりは約六時間。必要な材料、工具、手順、注意点が全て含まれています。——棟方殿は閘門の図面を見ずに、全て頭の中から出しました」
カーラが俺を見た。
「……化け物よね、やっぱり」
「うるせえよ。普通だ普通」
「普通じゃないわよ」
勘弁してくれ。
* * *
さて、帝国の仕事に戻る。
飛梁の工事は予定通り進んでる。六本中四本が完成。あと一週間で終わる。
今日は別の問題だ。帝国の石造建築の換気。
ヴァルターが兵舎の廊下で待っていた。
「棟方。床暖房を入れた部屋、兵士たちに大好評なんだが——一つ問題が出た」
「何だ」
「朝起きると頭が痛いと言う兵士がいる。特に窓を閉め切った夜にひどい」
ああ——やっぱりか。
「酸欠だ」
「酸欠?」
「人間は息をすると空気中の酸素を使って、二酸化炭素を吐く。部屋を閉め切ると酸素が減って二酸化炭素が増える。頭痛はそのせいだ。——帝国の石造りは壁が分厚いから、気密性が高い。夏はいいが冬に窓を閉め切ると、空気が入れ替わらなくなる」
「だが窓を開ければ寒い」
「そうだ。だから窓を開けずに空気を入れ替える仕組みがいる。——煙突効果だ」
兵舎の外に出た。
「いいか。温かい空気は上に昇る。これは誰でも知ってるな」
「ああ、暖炉の煙が上がるのと同じだ」
「そうだ。なら、建物の中に縦の穴を作って、下から温かい空気を入れて、上から抜けるようにすりゃいい。温かい空気が上に抜ける時に、下の入り口から外の新鮮な空気を引き込む。窓を開けなくても、空気が勝手に入れ替わる」
図面を描いた。
建物の中央に、床から屋根を突き抜ける縦のシャフト——煙突みたいな筒を通す。下端に外気の取り入れ口。上端に排気口。
「シャフトの中の空気が床暖房で温められて上に昇る。上から抜ける。すると下の取り入れ口から新鮮な外気が入ってくる。——これが煙突効果。火を使わなくても、温度差だけで空気が動く」
「火を使わずに……!?」
「床暖房と組み合わせれば完璧だ。床暖房の熱でシャフトの空気を温めて、換気の動力にする。暖房と換気を一つのシステムで回せる」
ヴァルターが図面を睨んでる。
「理屈は分かる。だがシャフトの太さと高さは、どう決める」
「部屋の容積で決まる。——エルノ」
「はい。この兵舎の場合、シャフトの断面は三十センチ四方、高さは屋根まで約六メートル。一時間あたりの換気量は部屋の空気の三回転分。——十分です」
「三十センチ四方の穴を壁の中に通すだけか。——それなら、壁を積む時に最初から穴を開けておけばいい」
「そうだ。新築なら壁を積む時に仕込める。既存の建物なら壁の内側にシャフトを後付けする」
ヴァルターが石工を呼んだ。
「おい。壁に穴を開けるぞ。三十センチ四方だ」
「閣下、壁に穴を!?」
「換気用だ。棟方の指示通りにやれ」
石工たちが壁に穴を開け始めた。帝国の石工はこういう精密作業が得意だ。三十センチ四方の穴を、まっすぐ垂直に、屋根まで通す。
二時間で完成した。
シャフトの下端に、外気の取り入れ口を開けた。冷たい外気が入ってくる。
「床暖房に火を入れろ」
炉に火が入った。床が温まる。シャフトの底面も温まる。
十分後。
シャフトの上端に手をかざした。
「……来たぞ。手をかざしてみろ」
ヴァルターが手をかざした。
「——風が出ている! 上に向かって風が吹いている!」
「温められた空気がシャフトを昇ってるんだ。火を使ってないのに、温度差だけで風が起きてる」
石工たちが次々にシャフトの上端に手をかざした。
「本当だ! 風が出てる!」
「何もしてないのに風が!? どういうことだ!?」
「窓閉めてるのに空気が動いてるぞ!?」
「煙突効果だ。シャフトが煙突の役割を果たしてる。建物全体が一つの煙突になるんだ」
イレーネが鬼の形相でノートに書き込んでる。
「棟方殿! シャフトの位置は建物の中央が最適ですか!? 端に寄せた場合の効率低下はどのくらいですか!?」
「中央が一番効率がいい。端に寄せると空気の流れが偏る。ただし大きい建物なら複数本立てて分散させる手もある」
「複数本! なるほど!」
エルノが横からノートを覗き込んだ。
「イレーネ殿、シャフトの断面積と部屋の容積の比率をまとめましょう。棟方殿の計算式を一般化すれば、どんな規模の建物にも適用できる標準表が作れます」
「それだわ!! やりましょう!!」
記録魔コンビが加速してる。もう俺の出る幕はないかもしれん。
ヴァルターが腕を組んで、シャフトの前に立ってる。
「……床暖房で部屋を温め、その熱で空気を入れ替え、窓を開けずに換気する。暖房と換気を一つの仕組みで。——棟方、お前の頭の中にはいくつ引き出しがあるんだ」
「さあな。自分でも分からん。必要になったら出てくる」
「出てくる、か。——儂は五十年積んで、引き出しは一つだった。石を積むだけだったが……」
「あんたの一つの引き出しは、世界一のサイズだよ。俺の引き出しは数があるだけで、一個一個はあんたほど深くねえ」
「……お世辞は似合わんぞ」
「お世辞じゃねえよ。事実だ」
ヴァルターが鼻を鳴らした。
だが——悪い顔じゃなかった。
* * *
夜。
リルの精霊の交信機能で返事が来た。ガルドからだ。
『親方、三番閘門の補修、完了した。指示通りにやった。漏水は止まった。——ハインツにも確認してもらった。問題ないって言ってた』
「よくやった」
『ハインツが言ってた。「棟方は現場にいなくても現場を動かせる。あれは親方じゃなくて現場の神だ」って』
「大げさなんだよあいつは。——ガルド、お前がやったんだ。お前の手で直したんだ。胸を張れ」
『……おう。——泣いてねえからな』
「分かってるよ」
通信が切れた。
リルが笑ってる。
「泣いてましたね、ガルドさん」
「泣いてたな」
カーラが毛布にくるまりながら言った。
「ねえ親方。あんた今日、帝国で換気の仕組みを作って、同時にレグニカの閘門を直して、ヴァルターに石工を褒めて、ガルドを泣かせたわよ。一日で」
「忙しかっただけだ」
「忙しいで片付けないでよ。——国を二つ同時に回してるのよ、あんた」
「……」
「自覚ないの?」
「自覚はある。——だが、一人でやってるわけじゃねえ。ガルドがいて、ハインツがいて、リルの精霊がいて、ヴァルターがいて、エルノとイレーネがいて、ルッカがいて、お前がいる。——全員いるから回ってんだ」
「……ふうん」
「何だよ」
「いや、たまにいいこと言うわねって思っただけ」
「たまにって何だ、たまにって」
「たまによ。普段はコーヒーコーヒー言ってるだけじゃない」
「……勘弁してくれ」
麦茶を飲んだ。やっぱコーヒーが恋しい。
だが——悪くねえ一日だった。二つ分の現場を回した一日。
明日は飛梁の仕上げだ。
さて——寝るか。明日も仕事だ。




