親方、皇帝の城を見る
帝国に来て十日。
貧民街の家が二十軒を超えた。ヴァルターの石工たちが完全にブロック工法を覚えちまって、俺が現場に行かなくても勝手に建ててる。床暖房の煙道も自分たちで引けるようになった。
こうなると俺の仕事は減る。
良いことだ。俺がいなくても回る現場が、一番いい現場だ。
だがまあ、暇になる前に次の仕事が来た。
「棟方殿。皇帝陛下が、帝国城に来てほしいとのことだ」
ゲルハルトが朝一番で伝えにきた。
「城に何かあるのか」
「大広間の天井に問題がある。ヴァルターも手を焼いている」
ヴァルターが手を焼いてる。あの石工の化け物が。
「行く」
* * *
帝国城。
でかい。レグニカの王宮がおもちゃに見える規模だ。石壁の厚さは三メートル。塔の高さは五十メートル以上。門の鉄扉は牛十頭でも引けなさそうな重さ。
軍事国家の城だ。装飾なんかほとんどない。ただひたすら分厚くて、高くて、硬い。
「……壁を叩いていいか」
「城の壁をか? 構わんが」
叩いた。
ゴッ。
重い。みっちり詰まった石の音。ハリボテの気配はゼロ。壁の中まで全部石だ。
「いい壁だ」
「城の壁は儂の最高傑作だからな」
ヴァルターが鼻を鳴らした。城壁の基礎で面目を潰されたが、壁の上半分には絶対の自信があるらしい。実際、この壁は文句のつけようがない。
大広間に通された。
天井が——すごい。
ヴォールト天井。アーチを奥行き方向に連続させた、樽の内側みたいな石造りの曲面天井。高さ二十メートル。幅十五メートル。奥行き四十メートル。柱が一本もない大空間を、石の天井だけで覆ってる。
「こいつは……」
思わず立ち止まった。
率直に言って、すげえ。
この天井を積んだ石工は天才だ。曲面に沿って石を一つずつ噛み合わせてある。重力だけで自立してる。コンクリートも鉄筋もなしに、石だけでこの大空間を覆ってる。
「ヴァルター。これ、あんたが積んだのか」
「四十年前にな。若い頃の仕事だ」
「……四十年前にこれを積める奴は、世界中探してもそうそういねえぞ」
ヴァルターが視線を逸らした。
褒められ慣れてないのか、それとも俺に褒められるのが意外なのか。
だが——問題がある。
天井を見上げたまま、ゆっくり横に視線を動かした。壁と天井の接合部。ここだ。
「ヴァルター。あの接合部、見えるか。壁と天井の間に、隙間が開いてる」
「……ああ。十年前から広がっている。最初は髪の毛一本分だった。今は指が入る」
「原因は分かってるか」
「分からん。だから手を焼いていると言った」
俺は大広間の端まで歩いた。外壁に手を当てた。
——外に膨らんでる。
水糸がなくても手で分かる。壁の面が、上に行くほど外側に傾いてる。下は真っ直ぐだが、天井に近い部分が外に押されてる。
「原因はこれだ。ヴォールト天井のアーチは、石の重さで下に押すだけじゃなくて、横にも押す。スラストっつう横向きの力だ。天井の重さが壁を外に押し広げてる。壁が少しずつ外に開いて、天井との間に隙間ができた」
「横に押す……? 天井の重さは下に向かうんじゃないのか?」
「アーチの力は真下じゃなくて斜めに落ちる。斜めの力を分解すると、下向きと横向きになる。下向きは壁が受けてるが、横向きを受ける仕組みがない。——このままだと天井が落ちる」
ヴァルターの顔色が変わった。
「落ちる……!? この天井が!?」
「壁が開き続ければ、いつか天井のアーチが支えを失う。十年でここまで開いたなら、あと十年で限界を超える。大広間にいる人間が全員下敷きだ」
ゲルハルトが即座に反応した。
「……ここで会議を開くことがある。大臣も将軍も集まる。皇帝陛下も」
「全員下敷きだ。——直す方法はある」
* * *
図面を描いた。大広間の外壁に、全員で出た。
「飛梁をかける」
「フライング……何だ?」
「壁の外側から、アーチ状の支えを飛ばす。この支えが天井のスラストを受け止めて、外の控え壁に逃がす。——壁の内側は一切触らない。外から支えるだけだ」
図面はこうだ。
大広間の外壁から、斜め上に向かってアーチが飛ぶ。アーチの上端は外壁の、天井のスラストがかかる高さに接する。アーチの下端は、外壁から五メートル離れた位置に立てた控え柱に繋がる。
スラストが壁を外に押す→飛梁がその力を受ける→アーチを通して控え柱に流す→控え柱の重さで踏ん張る。
力の流れを、建物の外に逃がす仕組みだ。
「ヴァルター。このアーチを積めるか」
ヴァルターが図面をじっと見た。
石造アーチ。こいつの専門ど真ん中だ。
「…………積める」
「だろうな。あんたなら積める。——設計は俺がやる。スラストの計算はエルノ。施工はあんたの石工。控え柱の基礎はコンクリートで俺が打つ。分業だ」
「分業……」
「そうだ。俺とあんたの合作だ。帝国一の石工と、レグニカの土方の合作。——文句あるか」
ヴァルターが鼻を鳴らした。だが口の端が上がってる。
「文句はない。——だが、天井の主人は儂だ。四十年前に積んだ天井を、守るのは儂の仕事だ」
「ああ、あんたの天井を、あんたの手で守ってくれ。俺はそれを手伝う」
石工たちがざわついた。
「ヴァルター閣下と、あのレグニカの親方が組むのか!?」
「飛梁って何だ!? 壁の外にアーチを飛ばすって、そんなこと本当にできるのか!?」
「できなきゃ天井が落ちるって話だろ!? やるしかねえじゃねえか!」
エルノがノートを開いた。
「棟方殿。スラストの概算を出します。天井の石の総重量を推定する必要がありますが——ヴァルター殿、この天井に使った石の量と種類を教えていただけますか」
「花崗岩が八割、石灰岩が二割だ。総量は——記録がある。持ってくる」
ヴァルターが足早に出ていった。記録を取ってあるのか。さすが五十年の石工、仕事の記録は残してるんだな。
イレーネが外壁を見上げてる。
「棟方殿。飛梁の着地点、この位置でいいですか。天井のスプリングラインの高さは——」
「よく分かるな。そこだ。アーチの頂点から力が斜めに落ちるから、壁に当たるのはちょうどそのライン。そこに飛梁の上端を当てる」
「やはりそうですね! 私も同じ結論でした!」
こいつもヴァルターの血だな。構造の勘がいい。
カーラが大広間の中で天井を見上げてる。
「ねえ親方。この天井が落ちたら何人死ぬの」
「大広間が満員なら二百人は死ぬ」
「飛梁ってやつで止まるのよね」
「止まる」
「じゃあ早くやって。あたし、ここで会食する予定なの」
「……誰と」
「ゲルハルト将軍に帝国料理をご馳走してもらう約束したの。ここの肉が美味いらしいわよ」
「お前、いつの間にそんな約束を——」
「外交よ外交。風呂がなきゃ飯で攻めるしかないじゃない」
……こいつの外交力は侮れん。
ルッカが外壁の石を触ってる。舌を出しかけたが、さすがに皇帝の城の壁は舐めなかった。
「親方。この石、すごく密度が高いです。帝国の花崗岩は硬い。飛梁に使えば、細い断面でも十分な強度が出ます!」
「ヴァルターの石工なら精密に積める。細くても正確なアーチが作れる。——でかくて分厚いだけが能じゃねえってことだ」
ゲルハルトが近づいてきた。
「棟方殿。この工事、どのくらいかかる?」
「飛梁を六本かける。控え柱の基礎工事に一週間、石のアーチを積むのに二週間。合計三週間。——大広間は工事中も使える。外から支えるだけだから、中の作業はゼロだ」
「中をいじらずに直せるのか!?」
「それが飛梁の良いところだ。建物の外に答えがある」
ゲルハルトが目を細めた。
「棟方殿。あなたは城壁の基礎を掘り、貧民街に家を建て、今度は皇帝の城の天井を救う。——いったい、あなたに直せないものはあるのか」
「腹が減ったのは直せねえ。昼飯はまだか」
「……はは。ゲルハルト、昼食を手配しろ。いや、私がする」
——その声は、大広間の奥から響いた。
全員が振り返った。
玉座の横の扉から、一人の男が歩いてきた。五十代後半。短く刈った白髪。険しい目つきだが笑ってる。飾り気のない質素な服装だが、兵士が全員背筋を伸ばしていた。
皇帝だ。
「話は聞いていた。——棟方鉄、だな」
「棟方鉄です。土方です」
「ドカタ。ゲルハルトから聞いた。壁を壊さず、城を直し、ゴミで家を建てる男だと。——儂の城の天井を救えるか」
「救えます。三週間ください」
「三週間。——良かろう。好きに使え、この城を。必要な石工も金も出す」
「ありがとうございます。——ところで陛下」
「何だ」
「この城に風呂はありますか」
皇帝が目を丸くした。
ゲルハルトが咳き込んだ。カーラが吹き出した。ヴァルターが額を押さえた。エルノが耳を真っ赤にしてノートで顔を隠した。
「……風呂?」
「ええ。でかい仕事の前には風呂に入りたいんです。集中力が違うんで」
皇帝が三秒黙って——笑った。
「面白い男だ。——風呂はない。が、作れるのだろう?」
「作れます。ついでに床暖房も入れときます」
「好きにしろ。——ゲルハルト、この男を全面的に支援しろ。帝国の城が落ちるくらいなら、風呂の一つくらい安い」
「はっ!」
皇帝が去っていった。
カーラが小声で言った。
「ねえ親方。皇帝の前で風呂の話するの、あんたくらいよ」
「風呂は大事だろ」
「大事だけど。大事だけどさ」
……何だよ。
まあいい。三週間で飛梁を六本と風呂を一つ。忙しくなる。
さて——またでっけえ仕事だ。




