親方、床暖房を作る
城壁の基礎調査を始めて三日目。
エルノが全周十二キロの測量を終えた。ヴァルターが石工を二十人付けてくれた。渋々だったが、穴を掘って基礎の隙間を見た後は文句を言わなくなった。職人ってのは、事実を見せりゃ黙る。
測量結果はこうだ。
十二キロの城壁のうち、基礎が凍結深度より深い区間——ゼロ。
全区間アウト。
「棟方殿。基礎の平均深度は四十二センチ。凍結深度の推定値は七十センチ前後。全区間で三十センチ近く足りません」
「全滅か。まあ、そうだろうな。建てた時代に凍結深度って概念がなかったんだから、浅くて当然だ」
ヴァルターが腕を組んで黙っている。自分が積んだ壁の診断結果を、数字で突きつけられてる。きつい話だ。だが、こいつは逃げない目をしてる。
「で、どうする。根継ぎで十二キロ全部やるのか?」
「やりますよ。ただし優先順位がある。まずは北面。北風が当たる面は地面が一番深く凍る。南面は日当たりがあるぶん凍結が浅い。北から順にやる」
「期間は?」
「城壁だけなら、石工二十人体制で半年。——だが」
「だが?」
「城壁よりもっとやべえ場所がある。見せてくれ、帝国の民家を」
* * *
ゲルハルトの手配で、城壁の外にある民間居住区を視察した。
ひどかった。
城壁の内側は石造りの立派な建物が並んでる。軍の兵舎、官庁、将校の邸宅。だが城壁の外は——石の端材と泥を固めただけの小屋が密集してる。屋根は木板。壁に隙間。風が吹き込んでる。
今は秋だからまだいい。冬になったら、この隙間から寒気が入る。
一軒の小屋に入らせてもらった。住んでるのは老夫婦と孫の三人。部屋の隅に暖炉が一つ。薪が積んであるが、量が少ない。
「冬は大変でしょう」
エルノが帝国語で訊いた。
「ああ、冬はきついよ。薪が足りなくてな。暖炉の前から動けなくなる。部屋の隅っこは水が凍るんだ」
部屋の隅の水瓶を見た。今はまだ液体だが、冬には凍る。暖炉から三メートル離れただけで、もう暖房が届かない。
暖炉ってのは、火の前だけ温かくて、離れたら寒い。部屋全体を温める力がない。
壁を叩いた。スカスカの音。断熱もへったくれもない。外気がそのまま入ってくる壁だ。
「親方、この壁は——」
「言うな、分かってる。全部やり直しだ」
ルッカが床を見ている。石の床。冷たい。指で触って、顔をしかめた。
「親方。この床、触ってみてください」
「……冷てえ」
秋でこの冷たさなら、冬は氷の上に立ってるようなもんだろう。足元から体温を奪われる。暖炉で上半身を温めても、足が凍えてたら意味がない。
「床だ」
「え?」
「壁も直す。隙間も塞ぐ。だが一番の問題は床だ。こいつを温めりゃ、生活が変わる」
* * *
兵舎に戻って、ヴァルターとゲルハルトに提案した。
「床暖房をやりたい」
「床を……暖める?」
「床の下に煙道——煙の通り道を作る。端っこに炉を一つ置いて、薪を燃やす。煙と熱気が床下の煙道を通って、床全体を温める。暖炉は火の前しか温まらないが、床暖房は部屋の隅まで温まる」
図面を描いた。
床を三十センチ持ち上げる。その下に煉瓦で煙道を蛇行させて通す。一方の端に炉、反対の端に煙突。炉で薪を燃やすと、熱い煙が煙道を通って反対側まで行き、煙突から抜ける。煙が通る間に、煉瓦が熱を吸って、上の床に伝える。
「俺の故郷じゃハイポコーストって呼ばれてた技術だ。何千年も前からある」
ヴァルターが図面を見ている。
「理屈は分かる。だが、本当に床が温まるのか」
「作って見せる。兵舎の一室を改造させてくれ」
ゲルハルトが頷いた。
「北棟の空き部屋を使え」
* * *
三日で作った。
兵舎の一室。六畳ほどの広さ。
まず既存の石の床を剥がした。帝国の石工が手伝ってくれた。こいつらは石を扱わせたら本当に速い。剥がした床石は後で再利用する。
床下に煉瓦を並べて煙道を作った。蛇行する通路。幅は二十センチ、高さは二十五センチ。煙がゆっくり通れる太さだ。速すぎると熱が伝わる前に抜けちまう。
煉瓦の選定はルッカに任せた。
「親方、この煉瓦は焼きが甘いです。熱を蓄えるなら、もっと密度が高い煉瓦がいい。——あの壁の煉瓦を使わせてもらえませんか。あっちの方が焼き締まってます」
「目利きだな。頼む」
煙道の上に平らな石板を載せて床にする。目地は石灰モルタルで塞ぐ。煙が漏れないように。
端に炉を設置。反対側の壁に煙突を通す。煙突は外壁を貫通させて上に伸ばす。
「ここが肝だ。煙突の高さで引きが決まる。煙突が高いほど温度差が大きくなって、煙を強く吸い上げる。低いと煙が逆流する。この部屋の広さなら——三メートルだ」
煙突を三メートル立てた。
完成。
「火を入れるぞ」
炉に薪を入れて、火を点けた。
煙が炉から煙道に入っていく。煙突から白い煙が出始めた。引きは良好。
「あとは待つだけだ。三十分もすりゃ分かる」
ヴァルターが腕を組んで壁に寄りかかってる。石工たちが床を見ている。帝国兵が何人か覗きに来ている。ゲルハルトもいる。
十分経った。
ルッカが床に手を当てた。
「……ほんのり温かくなってきました」
二十分。
エルノが床に触って目を丸くした。
「温かい。明らかに温かいです。室温も上がってきています」
三十分。
床が温かい。
素足で立ったら分かる。石の床が、人肌くらいの温度になってる。部屋全体がじんわり温かい。暖炉の前だけじゃない。隅っこも。天井の近くも。
帝国兵の一人が、恐る恐る床に座った。
そして——寝転がった。
「…………何だこれ」
もう一人が寝転がった。
「あったけえ……床があったけえ……」
三人目。四人目。気づいたら帝国兵が六人、床に寝転がっていた。
「冬でもこれなら……寝れる……こんな床で寝たことない……」
石工の一人が靴を脱いで素足で床に立った。
「嘘だろ。石の床が温かい。——燃えてるのは炉の薪だけだぞ。何でだ。何で床が温かいんだ」
「煙が床の下を通ってるからだ。煙の熱が煉瓦に移って、煉瓦から石の床に移る。部屋全体が窯の上に載ってるようなもんだ。——しかも、薪の量は暖炉の半分でいい。煙を無駄なく使い切るからな」
「薪が半分……!」
薪の話に、見物してた民間人が反応した。貧民街の住人が数人、兵舎の入り口まで来ていた。
「半分の薪で部屋全体が温まるのか!?」
「ああ。暖炉は熱の八割を煙突から逃がしてる。こいつは煙道を長くして、熱を床に吸わせてから逃がす。同じ薪でも、使える熱が倍以上になる」
貧民街の男の目の色が変わった。薪の節約は、この国じゃ命に直結する問題なんだろう。冬に薪が買えなくて凍死する人間がいるってことだ。
ヴァルターが、まだ壁に寄りかかったまま動かない。
だが——靴を脱いだ。
素足で床に立った。
しばらく黙っていた。
「……」
「どうですか」
「……温かい」
「でしょう」
「暖炉は部屋を温める。この床は——家を温める。違うな、人を温める」
ヴァルターが俺を見た。品定めの目でも敵意の目でもない。
認めた目だ。
「棟方。この床を——帝国の兵舎全部に入れられるか」
「入れられます」
「民家にも?」
「材料は煉瓦と石板だけだ。帝国ならどこでも手に入る。作り方は簡単だ。煙道のルートさえ間違えなきゃ、石工なら半日で覚えられる」
「半日で……」
石工たちが床に手を当てている。温かい石の床。こんなものがあるのかという顔。
帝国は石の国だ。石を積む技術は世界一。だが石は冷たい。冬の石造りの家は、氷の箱に住んでるようなもんだ。その石が温かくなる。石工にとっちゃ革命だろう。
ゲルハルトが笑った。
「棟方殿。この床の上で会議をしたくなった」
「会議より先に、こいつを貧民街に入れたい。冬が来る前に」
「……それもそうだな」
そこへ、扉が開いた。
若い女が入ってきた。帝国軍の制服。短い金髪。鋭い目つき。手にノートを持ってる。
ヴァルターが振り向いた。
「イレーネか。何だ」
「お祖父様。——この床の構造を、記録させていただきたいのですが」
ヴァルターの孫娘。帝国軍工兵隊の設計士官。
俺に向き直って、一礼した。
「初めまして。イレーネです。棟方殿の技術を帝国に導入するための仕様書を作りたいと考えています。——もしよろしければ、煙道の勾配と煉瓦の配置を、図面に起こさせてください」
「好きに描いてくれ。出し惜しみはしねえ」
イレーネがノートを開いた。エルノと目が合った。二人とも同じ種類の目をしてる——記録魔の目だ。
「……棟方殿。この煙道の蛇行パターンは、何を基準に設計されましたか」
「部屋の形と広さだ。煙道が長いほど熱を取れるが、長すぎると引きが弱くなって煙が流れなくなる。この部屋だと蛇行四往復がちょうどいい。もっと広い部屋なら煙突を高くして引きを強くすれば、五往復でも六往復でもいける」
イレーネが猛烈な速度で書き始めた。エルノも横からノートを覗いて、自分のノートに構造計算を書き加えてる。
記録魔が二人。仕様書が倍速で仕上がりそうだ。
カーラが床に座り込んだ。
「ねえ親方。この床の上に風呂を作ったら、最高じゃない?」
「風呂は後だ」
「後でいいから作ってよ」
「……考えとく」
帝国兵がまだ床に寝転がっている。一人は寝息を立ててる。三日分の夜勤明けらしい。温かい床で、初めてまともに眠れてるんだろう。
ヴァルターがその兵士を見ていた。
何か言いかけて、やめた。
——だが、靴を履き直す時、床を一度だけ撫でた。五十年石を積んできた手で。
悪くねえ手つきだった。




