親方、帝国の壁を叩く
帝国首都ヴァルゲン。
でかい。
城壁の高さが十五メートルはある。厚さは五メートル以上。灰色の石が隙間なく積まれて、壁面に帝国の紋章が等間隔で刻まれてる。門は鉄張り。門の前に甲冑の衛兵が二十人。
レグニカの城壁と比べるのも馬鹿らしいくらい立派だ。
金も技術もかかってる。石の選定、表面の仕上げ、角の面取り——一目見て分かる。この壁を積んだ石工は、相当な腕だ。
「すごい壁ですね。レグニカの城壁の三倍は分厚いんじゃないですか」
エルノが見上げて呟いた。
「厚さだけならな」
「……厚さだけ、ですか」
俺は何も言わず、壁に近づいた。
手を伸ばして、壁を叩いた。
ゴン。
重い音。石がぎっしり詰まってる音だ。中身はハリボテじゃない。石材の質も良い。目地もしっかり入ってる。
——上は問題ない。
しゃがんだ。壁の根元を見た。
地面と壁の境目。ここに水平の亀裂が走ってる。幅は一ミリもない。だが、ある。壁全体の根元をぐるっと回るように、水平に一本、筋が入ってる。
「リル。ノームに壁の基礎を見てもらえるか」
「はい。——ノームが言ってます。基礎石の底面が地面から四十センチの深さにあるって。その下の土が、何度も凍ったり溶けたりした痕跡があるって」
四十センチ。
関所の門柱と同じだ。凍結深度より浅い。
「……やっぱりか」
カーラが横から覗き込んだ。
「ねえ、何が見えるの。あたしには立派な壁にしか見えないんだけど」
「見えるところは立派だ。問題は、見えないところだ」
* * *
城門をくぐって帝国首都に入った。
ゲルハルト将軍が出迎えてくれた。星型要塞の前で茶を飲んだ時より穏やかな顔だ。あの時は敵同士だったが、今は客人として迎えてくれてる。
「棟方殿、ようこそヴァルゲンへ。——皇帝陛下もお待ちだが、まずは帝国軍事建築総監に引き合わせたい。帝国の建築を預かる男だ」
通された先は、城壁の内側にある石造りの執務棟だった。
中に入ると、男がいた。
でかい。身長は俺より頭一つ高い。肩幅が門みてえだ。白い髭を蓄えた六十がらみの老人。だが老人とは思えない厚みがある。腕が丸太みたいに太い。石を積み続けてきた体だ。
「ヴァルター殿。レグニカ王国より棟方鉄殿をお連れした」
ヴァルターが俺を見た。
品定めの目だ。
俺が王に会った時に受けた目に似てるが、もっと硬い。職人が職人を見る目だ。
「ふん。お前がレグニカの建築家か」
「いえ、ただの土方です」
「ドカタ? 聞き慣れん肩書きだな。——ゲルハルトから報告は受けた。灰色の泥を固めて壁を作るとか」
「コンクリートです」
「泥は泥だろう。石には勝てん」
いきなり喧嘩腰だ。まあ、分からんでもない。五十年壁を積んできた男が、よその国から来た若造——向こうから見りゃ若造だ、四十五でも、俺に技術指導されるなんざ面白くないだろう。
「石の扱いは、あんたの方が上だと思います」
「当たり前だ。儂は五十年石を積んできた」
「だが、この城壁の基礎は五十点だ」
しんと、場が凍った。
ゲルハルトが目を見開いた。ヴァルターの目が据わった。
「……何だと」
「外の城壁を見てきました。石材の選定、目地の精度、積み方の正確さ——全部一流です。あんたの腕は本物だ。だが、基礎が浅い。凍結深度より上に基礎がある」
「凍結深度だと!?」
「冬に地面が凍る深さのことです。この辺りだと、おそらく六十センチから八十センチ。だが城壁の基礎は四十センチ。毎年冬に地面が凍って膨張して、基礎を押し上げてる。春に溶けて戻る。この繰り返しで、壁の根元に水平亀裂が入ってる。あの壁、下から剥がれかけてるんですよ」
ヴァルターが立ち上がった。椅子が倒れた。
「儂の壁が剥がれかけている、だと? 五十年間一度も崩れたことはないぞ!」
「崩れてないのは、上の積み方が良いからです。あんたの腕のおかげで五十年持った。だが基礎が毎年ダメージを受けてる。——証拠を見せましょうか」
* * *
城壁の外に出た。
ヴァルターが付いてきた。ゲルハルトも。
帝国の石工が十人ほど。護衛の兵士、それからうちの連中。
俺は壁の根元の前にしゃがんだ。
「ここを掘る。一メートル掘れば分かる」
「掘れ」
ヴァルターが石工たちに命じた。
石工が鶴嘴を振るって壁の根元を掘り始めた。
硬い土だ。
帝国の石工は力がある。ざくざく掘り進む。
三十センチ。基礎石の底面が見えた。
そこから先の土を、俺は自分の手で掘った。コテで慎重に土を削っていく。
四十センチ。基礎石の下に隙間がある。
土が押し固められて、また緩んで、を繰り返した痕跡。指が入る。
「ここです。基礎石の底面が地面に密着してない。冬に凍結膨張で持ち上がって、春に戻る。だが完全には戻らない。毎年少しずつ隙間が広がる」
ヴァルターが穴を覗き込んだ。
「……隙間がある」
「次。もう少し深く掘ります」
六十センチ。ここから土の質が変わった。凍結痕のない、安定した土。
「ここが凍結深度の下限です。ここより下の土は凍らない。基礎石がここにあれば、冬の膨張の影響を受けない。——触ってみてください」
ヴァルターが穴に手を突っ込んだ。四十センチの土と、六十センチの土を、交互に握った。
「……違う。上は砕けるが、下はしっかりしている」
「そうです。たった二十センチの差です。基礎を二十センチ深く据えるだけで、あんたの壁は永遠に持つ。あんたの石工技術に、正しい基礎が加われば、この壁は百年どころか二百年持つ」
ヴァルターが穴の前で動かなくなった。
六十年の石工が、自分の壁の足元を、初めて見ている。
周りの石工たちが顔を見合わせている。帝国最高の石工の壁に、欠陥があった。その事実の重さが、全員の顔に出ている。
ゲルハルトが低い声で言った。
「……ヴァルター。棟方殿の言う通りか」
「……通りだ。儂の目で確認した。基礎の下に隙間がある。——五十年、気づかなかった」
ヴァルターが穴から手を引き抜いた。土まみれの手を見つめている。
「よそ者に言われるまで、自分の壁の足元を掘ったことがなかった。壁の上ばかり見ていた。積み方、目地、石の噛み合い——全部、上の話だ。下を見なかった」
石工の一人が口を開いた。
「ヴァルター閣下、しかし五十年持っているのですから——」
「五十年持っているのは結果論だ。たまたま大地震が来なかっただけだろう。ドラゴンの衝撃波がこの壁に当たったら、根元から折れる」
ヴァルターが俺を見た。さっきの品定めの目じゃない。
「棟方。——直せるのか。この壁を」
「直せます。基礎を掘り直して、凍結深度の下に据え直す。壁を全部壊す必要はない。区画ごとに根継ぎすればいい。既存の壁を活かしたまま、足元だけ入れ替える」
「根継ぎ?」
「壁の下に潜って、基礎だけ入れ替える工法です。上の壁を仮の支えで持ち上げてる間に、下を掘って新しい基礎を据える。——支保工は得意なんでね」
ヴァルターの眉が動いた。初めて、職人としての興味が顔に出た。
「壁を壊さずに基礎を入れ替える……そんなことが可能なのか」
「可能です。王都で城壁を改修した時もやりました。あっちは八キロの壁でしたが」
「八キロ……」
ゲルハルトが横で腕を組んでいる。この男の勘は鋭い。ヴァルターの表情が変わったのを見逃してない。
ルッカが穴の土を指で擦って、舌の上に載せた。
「……親方。この土、粘土質が強いです。凍結膨張が余計に大きくなるタイプです。石灰を混ぜて改良すれば、凍結しにくくなります」
「いい判断だ。基礎を深くするのと土質改良の二段構えでいこう」
ヴァルターがルッカを見た。
「お前……今、土を舐めたか」
「はい。舌で粒度が分かるので」
「……儂も石を舐めて産地を当てる」
ルッカの目がぱっと光った。ヴァルターの目も、ほんの一瞬だが、和らいだ。
舐める者同士、何か通じるものがあるらしい。
「エルノ。城壁の全長と基礎の深さ、測量を始めてくれ」
「はい、棟方殿。——帝国の城壁の全周は何キロほどですか」
ゲルハルトが答えた。
「約十二キロだ」
エルノがノートに書き込んだ。耳の先が赤い。でかい仕事の予感に興奮してるんだろう。
「十二キロの城壁の基礎を、全部やり直すのか」
ヴァルターが訊いた。
「全部やる。——出し惜しみはしねえよ」
ヴァルターが鼻を鳴らした。
だが、さっきまでの敵意はもうない。
代わりにあるのは——職人が新しい技術を前にした時の、抑えきれない好奇心だ。
その顔は知ってる。ハインツも最初はそうだった。ガルドも。ルッカも。
職人ってのは世界のどこに行っても同じだ。腕に覚えがある奴ほど、自分の知らない技術に飢えてる。
「さて、帝国の城壁十二キロ。——仕事だ」




