親方、国境を越える
俺は棟方鉄。四五歳。異世界土方だ。
今日は国境を越える。
まさか自分が外交使節の一員になるとは思わなかった。一年前まで壁を叩いて回ってただけなのに、人生ってのは分からんもんだ。
きっかけは一通の書状だった。
ヴァルディア帝国のゲルハルト将軍から、アレクシス王子を通じて届いた正式な招聘状。
『棟方鉄殿。皇帝陛下がレグニカの建築技術を帝国に導入したいと望んでおられる。帝国首都ヴァルゲンにお越し願いたい。——追伸。要塞の前で飲んだ茶の礼がしたい』
追伸で茶の礼を言ってくるあたり、あの将軍はやっぱり根っからの武人だ。
「棟方殿、これは外交案件だ。私の名で使節団を組む。棟方殿にはその筆頭技術顧問として同行してもらいたい」
王子の言い方は堅いが、要するに「行ってきてくれ」だ。
「行きます。ただし、俺が行ってる間の王都の現場は——」
「ハインツとダグに任せる。それと、ガルドには運河の管理を続けてもらう。彼なら大丈夫だろう」
「大丈夫です。あいつはもう一人前ですから」
一人前どころか、俺がいなくても現場が回る。それが嬉しいような、ちょっと寂しいような。
まあ、寂しいなんて柄じゃねえ。
* * *
出発の朝。
王都ローデンの南門前に馬車が三台。護衛の騎士が十人。使節団の文官が数人。そして——棟方組。
今回のメンバーは、俺、リル、ルッカ、カーラ、エルノの五人。
ガルドだけ留守番だ。
「親方……俺も行きてえよ……」
ガルドが馬車の横で耳を垂らしてる。
「運河を頼む。三番閘門の水位、最近ちょっと高めだろ。排水口のゴミを定期的に掃除しろ」
「分かってるけどさ……」
「あと、フェルゲン村の防風壁の目地を点検しろ。冬前にやっとかねえと霜でやられる」
「だからさ……」
「それから水力練り機の二号機の歯車、ルッカの弟子に——」
「分かった分かった! 全部やるから! ちくしょう、行ってらっしゃい!」
耳が立った。怒ってるんじゃなくて、奮起してるんだろう。こいつの耳は正直だ。
「留守を頼むぞ」
「……おう。任せろ」
拳をぶつけた。こいつとも長い付き合いになった。
カーラが馬車から顔を出した。
「早くしてよ。帝国の風呂がどんなものか楽しみなの」
「帝国に風呂があるかどうか知らねえぞ」
「なかったら作ればいいじゃない」
……まあ、そうなるだろうな。
* * *
西街道を三日。星型要塞を通過した。
ヴォルフ大尉が門の前で待っていた。
「棟方殿。帝国にいらっしゃると聞きました。——この要塞を建てた男が帝国に行く。面白い時代です」
「面白がってる場合か。留守中よろしく頼む」
「この要塞は落ちませんよ。棟方殿が建てたんですから」
「落ちなくても錆びる。温泉堀の排水管を月一で点検しろ。鉄管の接合部にルッカのコーティングを追加しとけ」
「はい。——ご武運を」
要塞を出て、国境の山道に入った。峠を越えると、帝国領だ。
峠の手前で馬車を降りた。山の空気がうまい。見晴らしがいい。
振り返ると、レグニカの大地が広がっている。遠くに王都の城壁のシルエット。その向こうに、かすかに拱門の影。
全部、俺たちが作ったもんだ。
「親方さん、行きましょう」
リルの声。精霊たちがふわふわ浮いてる。異国に行くのにワクワクしてるらしい。ノームが足元の土をしきりに嗅いでる。
「ノームが言ってます。この先の土、レグニカと全然違うって。硬くて冷たいって」
「寒い国の土だからな。凍るんだろう」
峠を越えた。
景色が変わった。
* * *
帝国側に入った瞬間、道が変わった。
軍用道路だ。石畳が正確に敷かれて、幅は馬車三台分。排水溝もある。道の両脇に等間隔で石の標柱が立ってる。
さすが軍事国家、軍の道は立派だ。
だが——脇道を見ると泥だらけ。軍用道路から一歩外れた村落への道は、轍だらけのぬかるみ。雨が降ったら馬車は通れねえだろう。
「親方、道がすごく良くなったわね」
「軍の道だけな。民間の道は王都の下町以下だ」
ルッカが馬車の窓から外を見ている。目を細めてる。何かを見つけたらしい。
「親方。あの村の屋根、見えますか」
「ああ」
「石材は良いものを使ってます。でも、積み方が雑です。目地がほとんど入ってない。あれだと冬に凍結して膨張したら、石が弾けます」
「よく見てるな」
「だって、レグニカに来たばかりの頃のわたしの工具小屋より酷いですよ」
ルッカがそう言うなら、相当だ。こいつの目は嘘をつかない。
エルノがノートに何か書き留めてる。帝国の道路の幅、石畳の目地の間隔、排水溝の勾配。こいつはいつでもどこでもデータを取る。
「棟方殿。帝国の軍用道路、排水の設計は合理的です。勾配が千分の五で、両脇に排水溝。雨水が溜まらない構造になっています。——ただし、民間の道には一切応用されていません」
「つまり、技術はあるのに使ってない」
「使う対象が違うんだと思います。軍のためにしか作らない」
……なるほどな。帝国は「持ってないんじゃなくて使い方が偏ってる」わけだ。壊されない壁を作る技術はある。だが壊れない家を作ろうとしてない。
国境の関所に着いた。
帝国兵が四人。甲冑にハルバード。でかい。レグニカの兵士より一回り体格がいい。寒い国の人間は防寒のために体が大きくなるのか。
「止まれ。通行許可証を見せよ」
使節団の文官がゲルハルトの通行証を見せた。帝国兵が確認して、門を開ける。
その門を通る時、俺は足を止めた。
門柱を見た。
石の門柱。高さ四メートルほど。立派な一枚岩を削り出してある。帝国の紋章が彫られてる。
だが——傾いてる。
右の門柱が、外側に三センチほど傾いてる。
「止まってくれ」
「何ですか」
「この門柱、見てくれ」
門柱の根元をしゃがんで確認した。基礎石と地面の間に隙間がある。冬に地面が凍って膨張し、春に溶けて戻る。そのたびに基礎石が少しずつ押し上げられてる。凍上だ。
「兵隊さん。この門柱、毎年冬に少しずつ傾いてるだろ」
「……ああ、まあ、多少は。毎年春に石工が来て調整してるが」
「調整じゃ追いつかねえよ。基礎が凍結深度より浅い。地面が凍る深さより上に基礎があるから、冬のたびに持ち上がる。このままだと三年以内に倒れる」
帝国兵が門柱を見上げた。四メートルの一枚岩が倒れたら——下にいた人間は潰れる。
「……三年?」
「いや、二年かもしれん。凍結の度合いによる。——基礎を掘り直して、凍結深度より下に据え直せば百年は持つ。一メートルも深く掘ればいい」
「た、たった一メートル深く掘るだけで……」
「そうだ。一メートルの差で、三年が百年になる。基礎ってのはそういうもんだ」
帝国兵が四人とも門柱を見上げて固まった。
エルノが小さく笑っている。耳が赤い。
「棟方殿。帝国に入って五分で、最初の仕事が見つかりましたね」
「仕事じゃねえよ。通りがかりだ」
「通りがかりで門柱を直したがるのは、棟方殿だけです」
……うるせえ。
門を抜けた。
帝国の大地が広がっている。灰色の空。冷たい風。枯れた草原。遠くに、巨大な城壁のシルエットが見える。
帝国首都ヴァルゲン。
あの壁の向こうに、次の現場がある。
さて——仕事だ。




