親方、まだまだ続ける
俺は棟方鉄。四五歳。異世界土方だ。
朝。目が覚めると、東の窓から朝日が射し込んでた。
自分の家、自分の部屋、自分のベッド。
起き上がって階段を降りた。図面室を通り過ぎて、作業場を抜けて、裏口から中庭に出た。
コーヒーを淹れた。焚き火で湯を沸かして、自分で炒って挽いた豆を布で漉す。黒い液体が椀に落ちていく。香ばしい匂いが中庭に広がる。
一口。
「…………くぅ」
苦い。うまい。朝が始まる味だ。
ガルドが起きてきた。寝癖で毛が立ってる。獣人の寝癖は一般人の三倍すごい。
「おはよう、親方。コーヒーくれ」
「自分で淹れろ」
「親方のが美味いんだよ」
「……ほら」
結局注いでやった。こいつには甘い。
ルッカが鍛冶場から出てきた。朝から炉に火を入れてたらしい。顔に煤が付いてる。
「おはようございます、親方。昨日の水車用の歯車、焼き入れが終わりました」
「朝飯前に焼き入れしたのかよ。飯食え」
「食べます。——おはようございます、ガルドさん」
「おう。おはよう」
エルノが二階から降りてきた。ノートを抱えてる。寝る前にも書いてたし、起きてすぐ書いてる。こいつの頭は二十四時間回ってるのか。
「おはようございます、棟方殿。水力練り機二号の設計案をまとめました。歯車比を変えることで攪拌速度を三段階に切り替えられます」
「朝一番にそれを報告するな。まずコーヒーを飲め」
「はい。——いただきます」
リルが中庭に出てきた。精霊たちが周りをふわふわ飛んでる。四体とも元気だ。
「おはようございます、親方さん。今日のお天気、シルフに聞きました。晴れです。風は南風で、気温は——」
「リル、天気予報はいいから飯を食え」
「はい!」
カーラは——まだ寝てる。朝が弱い。
六人と四匹の朝。いつもの朝だ。
* * *
朝飯を食って、街に出た。
下町を歩く。コンクリートの道路。ブロック造りの家が並んでる。水盤から水が流れてる。排水溝がきちんと動いてる。
一年半前、この道は泥だらけだった。家は傾いてて、排水は垂れ流しで、雨が降ればぬかるんだ。
今は——普通の街だ。きれいとは言わんが、まともな街。水が出て、道が平らで、家が真っ直ぐ立ってる。当たり前のことが当たり前にある街。
市場に寄った。フェルマンが走ってきた。
「棟方殿、ちょうど良かった! 実は、南棟の柱にひびが——!」
「見る」
市場の南棟。二年前に建てた最初期のコンクリート建築だ。柱の一本にひびが入ってる。
指で触った。深さ一センチ。鉄筋には届いてない。荷重のかかり方に偏りがある。隣の店舗が増築して、想定以上の重さが柱にかかってるんだ。
「フェルマン、隣の増築部分に独立した柱を追加しろ。荷重をこの柱から分散させる。ハインツに頼めば半日で終わる」
「半日で! ありがとうございます!」
「礼はいい。定期点検を怠るな。ひびは小さいうちに見つけろ」
「はい!」
五分。五分で診断して、解決策を出して、次に移る。一年前なら半日かかってた仕事が、五分で終わる。
上町に歩いた。レンハルト卿の屋敷の前で、見覚えのない職人が壁の補修をしてた。ハインツの弟子か。仕事を見た。コテの使い方が丁寧だ。壁面が滑らかに仕上がってる。
「いい仕事してるな」
「あ、棟方殿! ありがとうございます!」
「その角のモルタル、もう二ミリ厚くしろ。角は衝撃を受けやすいから、気持ち厚めにしとけ」
「二ミリ。分かりました!」
二ミリの指示が通じる職人がいる。一年半前はコンクリートの「コ」の字も知らない連中ばっかりだったのに。
城壁に登った。北面を歩く。ドワーフの噛み合わせ工法で改修した区間。一年経っても傷一つない。鉄壁だ。
城壁の上から街を見下ろした。
南に拱門が光ってる。その向こうに畑が広がってる。
東に水道橋のアーチが続いてる。その先に運河が繋がってる。
西の空に、山の上に星型の要塞が——見えないが、あることは知ってる。
南の向こうの向こうに、港がある。灯台が夜になれば光る。
全部、俺たちが作ったもんだ。
* * *
昼過ぎ。作業場に戻ったら、来客があった。
見覚えのない若い男が三人。旅装。手に道具袋を持ってる。
「棟方殿。私たちは北の連合諸国から来ました。研修で習った技術で、自分の村に家を建てました。——見ていただきたいものがあります」
一人が道具袋から小さな箱を取り出した。木とコンクリートでできた模型だ。
二重壁の構造。外壁と内壁の間に空気層がある。
「これは何だ?」
「寒冷地向けの断熱壁です。棟方殿に教わったブロック工法を改良して、壁を二重にしました。間の空気層が熱を逃がさないので、冬でも室内が温かいです。うちの村では、薪の消費量が三分の一に減りました」
断熱壁。空気層による断熱。元の世界じゃ当たり前の技術だが、俺はこの世界で教えてなかった。こいつらが自分で考え出したのか。
「お前ら、これを自分で考えたのか」
「はい。棟方殿が『自分の国の問題は自分で解決しろ』とおっしゃったので」
言ったっけ。……言ったな。
「薪が三分の一。——これ、王国の北部でも使えるぞ。グラオス山脈の麓は冬が厳しい。フェルゲン村にも導入したい」
「本当ですか!?」
「ああ、お前らの技術を、俺が逆輸入する。——いいか、お前ら。これからフェルゲン村に行って、直接教えてこい」
「私たちが——教えるんですか」
「お前らが開発した技術だ。お前らが教えるのが一番正確だ。——胸を張れ。お前らは俺を追い越したんだぞ」
三人の目が輝いた。
「はい! 行ってきます!」
走っていった。北の寒冷地の若い職人が、レグニカ王国の村に技術を教えに行く。
国境を越えて、技術が循環し始めてる。俺が教えた技術が、他国で改良されて、別の国に伝わる。
壊れない家に国境はない。——本当に、そうなり始めた。
* * *
夕方。竜の湯に全員で行った。
熱い湯に浸かった。
「くぅーーーーっ」
この声は何百回出しても飽きない。
ガルドが隣で沈んでる。
「親方。いい一日だったな」
「ああ。普通の一日だった」
「普通? 朝から市場の柱を直して、上町の職人を指導して、北の国から弟子が来て、水力練り機の改良もして。——これが普通か」
「普通だ。毎日こんなもんだ」
「親方の『普通』はおかしいんだよ」
仕切りの向こうから声が聞こえた。
「親方さん。精霊たちが今日のお礼を言ってます。ノームが、水力練り機の基礎を見てくれてありがとうって」
「精霊に礼を言われる職人ってのも珍しいな」
「親方さんだけですよ、たぶん」
ルッカの声も。
「親方、水車の歯車の二号機、明日には完成します。今度は鋳鉄で作ったので、強度が段違いです」
「楽しみだ」
「はい。——わたしも楽しみです」
エルノの声。
「棟方殿、断熱壁の構造を標準仕様書に追加してよいですか。他国発の技術も記録すべきかと」
「追加しろ。技術に国籍はねえ」
「はい。そう書きます」
カーラの声。
「ねえ親方。今日あたし何もしてないけど」
「いいんだよ。お前はいるだけで現場が明るくなる」
「……何よそれ。褒めてるの」
「褒めてねえ。事実だ」
「……ふん。もう一杯入ってくる」
六人分の声が湯気の中を飛び交ってる。いつもの夕方だ。
湯船に背を預けて、天井を見上げた。コンクリートの天井。鉄筋入り。俺が作った天井。
この世界に来て、はや二年。
加護なし。スキルなし。レベルは1のまま。ステータスは何一つ変わってない。
だが——持ってるものは全然違う。
二十五年の腕。コンクリートと鉄筋。四匹の精霊。五人の仲間。一杯のコーヒー。冷えた麦酒。勝ち飯。熱い風呂。
帰る家がある。帰りを待つ奴がいる。明日やりたい仕事がある。
* * *
風呂から上がった。
竜の湯の前に出ると、夜の王都が広がってた。
コンクリートの道路に、水盤の水が月を映してる。市場の灯りが点いてる。浴場から湯気が上がってる。城壁のシルエットが夜空を切ってる。拱門の影が南の空に浮かんでる。
遠くで、灯台の光が回ってるのが——見える訳はないが、回ってると知ってる。
水の精霊が運河を流れてる。火の精霊が灯台を灯してる。土精霊がダムを見守ってる。風の精霊が要塞の上を吹いてる。
この国の建物は——壊れない。
ドラゴンが来ても。嵐が来ても。地震が来ても。
壊れない建物を作った。壊れない建物を作れる人間を育てた。壊れない建物の作り方を国を越えて広めた。
俺の仕事は——終わったか?
いや。
全然終わってない。
水力工場を作る。断熱壁を広める。運河の支線を引く。港を拡張する。新しい村を建てる。隣の国の職人を育てる。もっと遠い国に技術を伝える。
やることは山ほどある。一生かかっても終わらない。
だが——それでいい。
土方ってのは、そういう仕事だ。終わらない仕事を、一日ずつ、一歩ずつ、積み上げていく。コンクリートのブロックを一個ずつ積むように。
「親方。帰ろうぜ」
ガルドの声。
「おう」
「明日も早いんだろ」
「ああ。水力練り機の二号機の据え付けだ」
「あと何か」
「北の断熱壁の検証。フェルマンの市場の増築打ち合わせ。竜の湯の排水溝の掃除」
「盛りだくさんだな」
「いつものことだ」
五人と四匹で、作業場に帰った。自分たちの家に。
門をくぐる時、ガルドが振り返って拱門を見た。月明かりの中、灰色の弧が空を跨いでる。
「親方」
「なんだ」
「この国に来て——よかったな」
「……」
二年前、足場から落ちて死んだ。何もない世界に放り出された。加護もスキルも金も家も、何一つなかった。
割栗石を担いで河原を三往復した。壁を直して銅貨四十枚もらった。
そこから始まった。
今は——全部ある。
「……ああ。悪くねえ人生だ」
玄関の灯りが見えた。ルッカが点けておいてくれたんだろう。
帰る場所がある。明日の仕事がある。仲間がいる。
これ以上、何がいるってんだ。
「さて。寝るか。明日も早いんだ」
棟方鉄。四五歳。異世界土方。
仕事は——まだまだ続く。
いつもご愛読いただきありがとうございます!
これにて第二部完結です
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