親方、自分の家を建てる
巡回から帰った翌朝。コーヒーを飲んでたら、ルッカに言われた。
「親方。この作業場、雨漏りしてます」
「知ってる」
「知ってて直さないんですか」
「……忙しかった」
ルッカが呆れた顔をした。王宮の天井を半日で直す男が、自分の作業場の雨漏りを放置してる。
考えてみれば、俺がこの街に来てから一年半以上経つのに、ずっとこの作業場に住んでる。ヴェルトール伯にもらった空き地に建てた仮の小屋。壁は木、屋根は板。隙間風が入るし、夏は暑いし、冬は寒い。
城壁を直した。市場を建てた。浴場を作った。ダムを塞いだ。港を変えた。国中の建物を直してきた。
だが——自分の家は、建ててなかった。
「……建てるか」
「え?」
「家を建てる。俺たちの家を。ちゃんとしたやつを」
ガルドが反応した。運河の現場から一時帰宅してたところだ。
「マジか! やっとか! 俺ずっとこの作業場の床で寝てたんだぞ!」
「お前は体がでかいから寝返りで道具棚を倒すんだよ。——ちゃんとした部屋を作る。全員分」
「全員分!?」
「ああ。棟方組の拠点だ。作業場兼住居。仕事場と暮らす場所が一緒の、職人の家だ」
カーラが目を輝かせた。
「風呂は」
「付ける」
「大きいの」
「……そこそこのやつだ」
「大きいの!」
「……考えとく」
* * *
設計に一日かけた。珍しく丁寧に図面を引いた。他人の建物は手早く設計するが、自分の家となると話が別だ。妥協したくない。
一階。作業場、鍛冶場、倉庫、図面室。仕事のための空間。
二階。居住空間。六つの個室。テツ、ガルド、ルッカ、リル、エルノ、客間。客間はカーラが使うことになるだろう。あの姐さん、もう半分住んでるようなもんだ。
別棟。風呂。五右衛門風呂の個人用と、四人が入れる共同風呂。男女仕切り壁付き。
中庭。精霊たちが遊ぶ空間。リルが「精霊が落ち着ける場所が欲しい」と言ってたから、木と水盤と花壇を配置した。
構造は当然、鉄筋コンクリートのブロック造り。基礎は割栗石の突き固め——原点の技術だ。最初にマルタさんの壁を直した時と同じやり方。
「親方、基礎は杭基礎にしないのか。ダムでも港でも杭を打ってただろ」
「ここは砂地じゃねえ。地盤がしっかりしてるなら、割栗石で十分だ。杭基礎は必要な場所に使う技術であって、どこでも使うもんじゃない。やり過ぎは無駄だ」
「なるほど。必要十分ってやつか」
「そうだ。最高の建物ってのは、技術を全部ぶち込んだ建物じゃない。必要な技術を過不足なく使った建物だ」
エルノがメモしてた。こいつ、俺の独り言まで記録するのやめてくれ。
* * *
建設開始。
今回は棟方組だけで建てる。外部の作業員は呼ばない。自分たちの家は、自分たちの手で。
基礎。俺が割栗石を並べた。河原から石を運んで、一個ずつ並べて、突き固める。一年半前と同じ作業。あの時は一人でやった。今はガルドが横にいる。石を運ぶのが十倍早い。
「親方、石の並べ方にやたらこだわるな」
「自分の家だからな。一個もずれたくない」
「他人の建物の時は『だいたいでいい』って言うくせに」
「他人のはだいたいでいいんだよ。自分のは——完璧にしたい」
ガルドが笑った。
壁。ルッカが鉄筋を全部手打ちで作ってくれた。いつもの量産品じゃなく、一本一本丁寧に凸凹を付けた特注品。
「親方の家の鉄筋ですから。最高のものを」
「……ありがとう」
「お礼は家が建ってから言ってください」
コンクリートブロックを積んだ。俺が自分で一個ずつ積んだ。水糸を張って、モルタルを塗って、ブロックを載せる。
久しぶりだ。自分の手でブロックを積むのは。最近は指示ばかりで、実際に手を動かす機会が減ってた。
手が覚えてる。コテの重さ。モルタルの粘り。ブロックを水糸に合わせる感覚。指先に伝わる水平の手応え。
これだ。この感触が——俺の原点だ。
リルが精霊と一緒に地盤を見守ってくれてる。
「親方さん、地盤は安定してます。石がきれいに噛み合ってるって、ノームが褒めてます」
「精霊に褒められるのは初めてだな」
「ノームは親方さんの仕事が大好きなんです。丁寧だから」
精霊に好かれる職人。悪くない肩書きだ。
エルノが二階の窓の位置を測量してくれた。
「棟方殿、南向きの窓を大きくすると、冬場の日照が確保できます。角度を計算しました」
「さすがだな。——頼む」
南向きの大きな窓。冬でも陽が入る部屋。図面室に使う。朝日が射し込む中で、コーヒーを飲みながら図面を引く。
想像しただけで——いい気分だ。
カーラは風呂の設計に口を出し続けた。
「湯船はもっと広く」
「十分広いだろ」
「あと三十センチ」
「……三十センチだけな」
「あと、腰掛け縁を付けて」
「付ける」
「壁に絵を描いて。海の絵がいい」
「ダグに頼め」
「頼んである」
用意がいいな。
* * *
十日で完成した。
二階建て。コンクリートブロック造り。鉄筋入り。瓦屋根——はないから、コンクリートの陸屋根に防水処理をした。外壁は灰色のブロックのまま。飾り気はない。だが真っ直ぐで、頑丈で、隙間がない。
中に入った。
一階の作業場。広い。工具棚が壁に沿って並んでる。ルッカの鍛冶場は隣の部屋に独立させた。煙と火の粉が作業場に入らないように。
図面室。南向きの大きな窓。朝日が射し込んでる。壁に棚。図面を丸めて立てるラック。机は広くて平ら。コーヒーカップを置くスペースも確保した。
二階。廊下に六つの扉。
ガルドの部屋が一番広い。あいつの体がでかいから。天井も高くした。
ルッカの部屋は鍛冶場に近い位置。いつでもすぐに炉に行ける。
リルの部屋は中庭に面してる。窓を開けると精霊たちが出入りできる。
エルノの部屋は図面室の真上。階段を降りればすぐ仕事場。
客間——カーラの部屋は風呂に一番近い。当然だろう。
俺の部屋は二階の角。二方向に窓がある。南と東。朝日で目が覚める部屋。
風呂。五右衛門風呂と共同風呂。仕切り壁完備。カーラの要望で腰掛け縁付き。壁にダグが海の絵を描いてくれた。今回は山じゃなく海。波と船と灯台。
中庭。木を一本植えた。リルが精霊と話して、精霊が好む木を選んでくれた。水盤に水が張ってある。精霊たちがさっそくふわふわ飛び回ってる。
全員で家の中を歩いた。自分の部屋を見て、作業場を見て、風呂を見て。
ガルドが自分の部屋に入って、天井を見上げた。
「親方……天井が高い。頭がぶつからない」
「お前の背丈に合わせて設計した」
「……」
ガルドの目が潤んだ。今まで住んだどの家も天井が低くて、獣人のガルドはいつも頭をかがめてた。初めて、真っ直ぐ立てる部屋。
「泣くなよ」
「泣いてねえ」
「もう突っ込まねえからな」
「……ありがとう、親方」
ルッカが鍛冶場を見て「完璧です」と一言。それだけだが、目が語ってる。
エルノが図面室の机を撫でた。「ここで標準仕様書の改訂版を書きます」。真面目か。
リルが中庭で精霊と踊ってる。四体の精霊が嬉しそうにぐるぐる回ってる。
カーラが風呂に直行した。三分後に「最高」という声が仕切りの向こうから聞こえた。
* * *
夜。全員で中庭に出た。
新しい家の真ん中の庭。木の下に座って、星を見上げた。
コーヒーを一杯。自分の家で飲むコーヒー。
「いい家だな」
ガルドが言った。
「ああ。いい家だ」
「親方が建てた中で、一番小さい建物だな」
「ああ、一番小さい」
「でも、一番いい」
「……ああ。一番いい」
一番小さくて、一番いい家。
ダムより小さい。城壁より低い。灯台より目立たない。だがこの家には、俺が持ってる全部が入ってる。
割栗石の基礎。コンクリートのブロック。手打ちの鉄筋。丁寧なモルタル。南向きの窓。天井の高い部屋。精霊の庭。海の壁画の風呂。
技術じゃない。心だ。この家に住む連中のことを考えて、一個ずつブロックを積んだ。
これが——職人の仕事だ。
「さて。明日からこの家で仕事だ」
「何するんだ、親方」
「上町の改修がまだ残ってる。ブロック工場の増設もある。竜の湯の二号店の話もフェルマンが持ってきてる。——やることだらけだ」
「一生終わんねえな」
「一生終わんねえよ。——だからこの家を建てた。帰る場所がなきゃ、走り続けらんねえからな」
帰る場所。
一年半前は、なかった。この世界に来た時、俺には何もなかった。加護も、スキルも、金も、家も。
今は——ある。
仲間がいて、仕事があって、帰る家がある。
これ以上何がいるってんだ。
「おやすみ、親方」
「おやすみなさい、親方さん」
「おやすみです、親方」
「おやすみなさい、棟方殿」
「おやすみ、親方」
六人分のおやすみ。いや、精霊も入れたら十人分か。
「……おやすみ」
自分の部屋に入った。自分のベッド。自分の窓。東向きの窓から、明日の朝日が入ってくるだろう。
目を閉じた。
いい家だ。




