親方、国を歩く
国際研修が終わって三ヶ月。
季節が変わった。夏が終わって秋が来て、木の葉が色づいてる。
この三ヶ月、俺は王都にいた。上町の改修を進めて、下町のブロック住宅を増やして、竜の湯の運営を軌道に乗せた。市場も拡張した。水道橋の二号橋も架けた。フェルマンが「もう拡張する場所がありません」と悲鳴を上げるまでやった。
そして今日——久しぶりに街を出る。
王国全土の巡回視察。自分が建てたもの、弟子たちが広めたもの、全部見て回る。最後の点検だ。
朝のコーヒーを飲んで、馬車に乗った。今回は俺とリルとカーラの三人だ。ガルドは運河の管理を続けてる。ルッカとエルノは王都の現場を任せてある。
「親方、今回の旅はどのくらいかかるの」
「二週間。東の穀倉地帯、北のフェルゲン村、西の要塞、南の港。全部回る」
「忙しいわね」
「最後の巡回だ。この先は弟子たちに任せる。俺が見て回るのは、これが最後になるかもしれん」
「……最後?」
「現場を見るのが最後って意味じゃねえ。全部を一人で見て回る必要がなくなるってことだ。各地に信頼できる奴がいるんだから」
* * *
最初の目的地。東部穀倉地帯。
ダムは健在だ。灰色の壁が峡谷に立ってる。湖は満々と水を湛えて、灌漑用水路が畑に水を送り続けてる。
穀倉地帯が変わっていた。前に来た時より、さらに緑が濃い。二期作が定着して、秋の芋畑が広がってる。
農夫のおっちゃんが走ってきた。
「親方! 来てくれたのか!」
「見に来た。畑はどうだ」
「見てくれよ! こんなに芋が育ったの、生まれて初めてだ!」
畑の芋がでかい。子供の頭くらいある。水のおかげだ。
「それと親方、見てくれ。村にも変化があったんだ」
おっちゃんに連れられて村を歩いた。
コンクリートブロックの家が何軒か建ってる。研修で習った職人が地元に帰ってきて、農夫たちに教えて、自分たちで建てたらしい。
「親方が教えてくれたあの積み木——ブロックだ。うちの村でも作れるようになった。この家、俺が積んだんだ」
おっちゃんが自分の家を指さした。灰色のブロックの壁。不揃いなところもあるが、水糸を使ったらしくまっすぐ立ってる。
「壁を叩いてみろ」
おっちゃんが壁を叩いた。硬い音。
「……いい音だろ」
「ああ。いい音だ。合格だ」
おっちゃんの顔がくしゃっとなった。約束通り泣かなかった。代わりに満面の笑みだ。
* * *
運河を船で北上して、フェルゲン村に向かった。
運河がすっかり物流の幹線になってる。すれ違う船が何隻もいる。荷船、客船、漁船。ガルドが整備した船着き場がどの町にもある。
閘門を一基ずつ上っていく。ルッカの水門が滑らかに開閉する。一基も故障してない。
フェルゲン村に着いた。
防風壁が立ってる。コンクリートの灰色の家が千鳥配置で並んでる。畑があって、鍛冶場があって、共同浴場から湯気が上がってる。
子供たちが走ってきた。
「おじちゃーん! 来たー!」
「おじちゃんって呼ぶな。親方だ」
「親方おじちゃーん!」
悪化した。
村長が出迎えてくれた。
「親方。村は順調です。先月のワイバーンの通過でも被害ゼロでした。——もう慣れました。窓を閉めて待ってるだけです」
「慣れたか。それが一番だ」
ワイバーンが通過しても慣れた。壁を信じて家にいるだけ。それが日常になった。
村の外れに新しい建物が建ってた。ルッカの弟子が建てた鍛冶場の拡張棟。コンクリートブロック造り。きちんとした仕事だ。
だが——壁の角を見た時、目が止まった。
「この角。コンクリートの打ち継ぎ目が開いてるな」
「え? どこですか?」
「ここ。角の内側。二ミリくらい隙間がある。冬に水が入って凍結したら広がる。——補修剤、あるか」
「あ、あります」
コテを借りて、隙間に補修剤を塗り込んだ。二分の作業。
「こういう角の打ち継ぎ目は必ずチェックしろ。定期的に見て、開いてたら塞ぐ。小さいうちに直せば大事にならない」
「はい。覚えました」
二ミリの隙間を見つける目。何千キロの壁を建ててきた目が、村の鍛冶場の角にも同じ精度で働く。でかい仕事も小さい仕事も、目は同じだ。
* * *
西部要塞。
星型の壁が山の上に光ってる。温泉の堀から湯気が立ち上ってる。
ヴォルフが出迎えてくれた。
「棟方殿。お待ちしておりました。——要塞は完璧です。一箇所も傷んでいません」
「見せてくれ」
壁を一周歩いた。稜堡を全部確認。アンカーの状態。壁面のひび。水門の動き。温泉の水温。
「……異常なし。文句のつけようがない。よく管理してるな、ヴォルフ」
「手引書の通りにやってるだけです。——エルノ殿が書いてくれた手引書は、我々にも分かりやすい」
エルノの手引書が現場で活きてる。あいつの几帳面さが、要塞の寿命を延ばしてる。
「帝国の動きは」
「静かです。攻める気配はありません。——それどころか、国境で交易が始まりました」
「交易?」
「帝国側の峠道を商人が通るようになりました。うちの要塞を見て、『ここは安全だ』と判断したらしく、近くに市場が立ち始めてます」
要塞が安全を保証して、安全が交易を呼んだ。壁が戦争を止めて、平和が商売を生む。
「いい流れじゃねえか」
「はい。——棟方殿のおかげです」
「俺のおかげじゃねえよ。この壁のおかげだ」
「壁を建てたのはあなたです」
「…………まあな」
温泉に入らせてもらった。相変わらず最高の湯だ。山の上の温泉。遠くに峠道が見える。帝国の商人の荷馬車が小さく見えた。
* * *
南。レーゲン港。
港が変わっていた。いや、成長していた。
桟橋が元の六本から十二本に増えてる。倉庫も増設されてる。クレーンが二十台に増えた。ヨルクが全台の操作班長になってるらしい。
灯台が光ってる。消波ブロックが波を砕いてる。ドックに船が入って修理を受けてる。
「棟方殿! お帰りなさい!」
セドリックが走ってきた。
「見てください! 先月の入港数は四十二隻! 開港以来最高です! 南方、東方、北方からの定期航路が三本確立しまして——」
「セドリック、数字は後だ。まず港を見せてくれ」
「はい! ではこちらに——あ、その前に。銀尾鯛の刺身、用意してあります」
「……先にそっちだ」
銀尾鯛の刺身を食った。冷やした米酒で流し込んだ。うまい。変わらずうまい。
港を歩いた。新しい桟橋の杭基礎を確認。コーティングは健在。錆は出てない。
消波ブロック帯を船で見に行った。三ヶ月間の波を受け続けてるが、ブロックは一個も動いてない。四本足が絡み合って、びくともしてない。
「異常なし。——セドリック、クレーンのロープの交換時期だけ気をつけろ。半年に一回は替えろ」
「はい。ヨルクにも伝えます」
港から見上げると灯台が白く光ってる。夜にはあの光が海を照らす。迷子の船を呼び寄せる。
全部、俺たちが作ったもんだ。
全部、動いてる。全部、この国を支えてる。
* * *
巡回を終えて、王都に帰った。
二週間。東、北、西、南。全部見てきた。
全部——大丈夫だった。
ダムは水を溜めてる。運河は船を通してる。村は壊れてない。要塞は立ってる。港は繁盛してる。
俺がいなくても、全部回ってる。ガルドが運河を管理して、ハインツが王都の壁を守って、ヴォルフが要塞を維持して、セドリックが港を発展させて。
各地で二ミリの隙間や、ロープの交換時期を指摘した。小さい仕事だ。だがそういう小さい仕事の積み重ねが、でかい建物を長持ちさせる。
親方の仕事ってのは——最後はそこに行き着くんだ。建てることじゃなく、守り続けること。
作業場に帰って、風呂に入った。竜の湯じゃなく、自分の五右衛門風呂。一番小さくて、一番最初に作った風呂。一人しか入れない鉄鍋の湯。
「くぅーーっ」
やっぱり——これが一番落ち着く。
「親方ー。おかえりー」
カーラの声。仕切りの向こう——はない。ここは五右衛門風呂だ。カーラは竜の湯に行ってるはずだ。
「なんでここにいるんだよ」
「竜の湯が混んでたの。——順番待ち」
「……いつものか」
「いつものよ」
いつも通りだ。いつも通りがいい。
コーヒーを一杯。風呂上がりの夜のコーヒー。苦くて、温かくて、俺の味。
明日も仕事だ。上町の屋敷の改修がまだ残ってる。竜の湯の排水溝の点検もある。ブロック工場の型枠も替え時だ。
やることは——尽きない。
だがもう、全部一人でやる必要はない。




