親方、街に風呂を建てる
王宮の天井を直した翌日。
朝のコーヒーを飲みながら、ふと思った。
この街に足りないものがある。
城壁は直した。市場は繁盛してる。水道は通ってる。排水路もある。道路もコンクリートで舗装した。ブロック住宅も増えた。インフラは揃ってる。
だが——風呂が足りない。
作業場の五右衛門風呂は棟方組の専用だ。南区画の浴場は小さくて、毎日行列ができてる。十万人の街に、まともな浴場が一軒しかねえ。
「風呂を建てる」
「また?」
ガルドが振り返った。
「また、じゃねえ。今度はでかいやつだ。街の誰でも入れる、本物の大浴場を建てる」
カーラが風呂から出てきた瞬間だった。髪を拭きながら目が光った。
「大浴場? どのくらい大きいの?」
「百人が同時に入れるサイズだ」
「百人!?」
「男湯五十人、女湯五十人。仕切り壁で完全に分ける。湯船も何種類か作る。熱い湯、ぬるい湯、水風呂。洗い場も広くとる」
カーラの目がこの世のものとは思えない輝きを放った。
「親方。あたし、全力で手伝う」
「お前に建築を手伝われた記憶がないんだが」
「今日から手伝うわ。何でもする」
こいつ、風呂のためならなんでもやる女だ。
* * *
場所は南区画の市場の隣。水道に近くて、排水路にも繋がってる。理想的だ。
設計に二日、建設に二週間。今の棟方組の総合力なら、これくらいの建物はさくっと建つ。
構造は鉄筋コンクリート。壁も床も天井も。湿気に強く、火にも強い。浴場は水と火を大量に使うから、木造じゃダメだ。
まず地盤に杭を打った。港で覚えた杭基礎。浴場の床下に空間を作って、そこに排水溝を通す。使った湯が全部ここに流れ込んで、街の排水路に繋がる。
「排水を先に作るのか、親方」
「風呂で一番大事なのは排水だ。湯をどう入れるかより、どう抜くかを先に考える。排水が詰まったら風呂は使い物にならねえ」
ハインツの石工チームが壁を打った。ダグの大工チームが屋根を組んだ。ルッカが鉄筋と配管の金具を作った。エルノが建物の寸法を正確に管理した。ガルドがコンクリートを練りまくった。
全員が総出で動くと、建物が恐ろしい速さで出来上がる。
三日目で壁が立った。五日目で屋根が載った。一週間で内装に入った。
見物人が毎日増えてる。
「何が建ってるんだ?」
「浴場だって。でかいやつ」
「あの親方が作る風呂か! 南区画のあの風呂の、でかい版!?」
「入りてえ! いつ開くんだ!」
期待値が高い。南区画の小さい浴場の評判が広まりすぎた。
* * *
湯の設計。ここが腕の見せどころだ。
元の世界の銭湯。でかい湯船と、カランの洗い場と、脱衣所。あの構成をこの世界で再現する。
湯船は三種類。
熱い湯。四十二度。俺が一番好きな温度。肩まで浸かると「くぅーーっ」が出る温度。火の精霊に湯温を一定に保ってもらう。
ぬるい湯。三十八度。子供と年寄り向け。長く浸かれる温度。
水風呂。冷たい水。熱い湯に浸かった後に入ると、血が逆流するくらい気持ちいい。水の精霊に温度管理を任せる。
「三種類の湯を維持するのに、精霊は何体必要だ」
「火が二体、水が二体で回せます。交代制にすれば精霊も疲れません」
リルが王都の精霊たちと交渉してくれた。町に住んでる精霊が「面白そう」と手を挙げてくれたらしい。精霊も風呂に興味があるのか。
洗い場。コンクリートの床に勾配をつけて、使った水が自然に排水溝に流れるようにする。壁際に水道の蛇口——じゃなくて、竹の管から水が出る仕組みを並べた。温水と冷水を混ぜて好みの温度にできる。
脱衣所。木の棚に籠を並べた。衣服を入れる場所。床は板張り。濡れないように浴場との間に段差を付けた。
そして——壁画。
浴場の壁に、グラオス山脈の風景を描いてもらった。ダグに頼んだら、意外と絵が上手かった。
「棟方、俺は大工であって絵描きじゃねえんだが」
「いいから描け。山と空と雲だ。風呂に浸かりながら山の景色を眺めてる気分にさせろ」
「……まあ、やってみるか」
出来上がった壁画は——悪くなかった。荒っぽいが、迫力がある。大工の手で描いた山は、どこかたくましい。
二週間で完成した。
「名前を付けるか」
「名前?」
「風呂に名前がいるのか、親方」
「元の世界じゃ、銭湯にはみんな名前がある。——そうだな。『棟方湯』ってのはどうだ」
「自分の名前付けるんかい」
「冗談だ。——『竜の湯』にするか。この街がドラゴンに勝った記念だ」
「いいじゃないですか、竜の湯」
リルが賛成してくれた。竜の湯。ドラゴンに勝った街の風呂。
* * *
開業の日。
朝から行列ができた。南区画の広場を一周して、まだ伸びてる。何百人いるんだ。
入浴料は銅貨二枚。屋台の飯一回分より安い。誰でも入れる値段にした。
「高くしろ」とフェルマンが言ったが断った。「風呂は贅沢品じゃねえ。生活必需品だ」。フェルマンが渋い顔をしたが、「客が多ければ安くても儲かりますか」と訊いてきたから「百人が毎日入れば銅貨二百枚だ」と答えたら納得した。商人は数字に弱い。いや強い。
暖簾を掛けた。布に「竜の湯」と書いてある。ルッカが鉄の看板も作ってくれた。
「開店だ」
最初の客が入っていった。男湯から歓声が上がった。
「うおおおお! 広い! めちゃくちゃ広い!」
「湯船が三つもある!?」
「この熱い方! くぅーーーっ! たまんねえ!」
「壁に山の絵が描いてある! 風呂で山を見てるみてえだ!」
女湯からも声が響いてきた。仕切り壁の向こう側から。
「何これ! きれい! お湯がきれい!」
「ぬるい方があるわ! 子供も入れる!」
「冷たいのもある! きゃあ冷たい! でも気持ちいい!」
行列の先頭にいたのは、下町の長屋の住民たちだった。マルタさんの隣の長屋のおかみさん。鍛冶屋の親父。市場の魚屋。普通の街の人間が、生まれて初めて大きな湯船に浸かってる。
昼過ぎ。入浴者が百人を超えた。
夕方。二百人を超えた。
ヴェルトール伯が視察に来た。
「棟方殿。これは……素晴らしい施設だな」
「風呂ですよ。ただの」
「ただの風呂がこれほど人を幸せにするものかね。——私も入っていいか」
「銅貨二枚です」
「……払うとも」
伯が風呂に入った。出てきた時の顔がガルドと同じだった。とろけてた。
「……棟方殿。この施設を上町にも作れないか?」
「作れますよ、依頼をくれれば」
「頼む。金は出す」
夜。閉店後。
棟方組だけで風呂に入った。大浴場を貸切だ。
熱い湯に肩まで浸かった。
「くぅーーーーーっ」
この声。何回出しても足りない。でかい湯船に一人で浸かる贅沢。
壁のグラオス山脈の絵が湯気の向こうに霞んでる。
「親方ー、こっちのぬるい方もいいぞー」
ガルドの声。
「水風呂の後に熱い方に入ると、死ぬほど気持ちいいの見つけました」
エルノの声。エルフが「死ぬほど気持ちいい」って言葉を使う日が来るとは。
今度は、仕切りの向こうから。
「親方さーん! 精霊たちがお湯の中ではしゃいでますー!」
「最高。この風呂最高。あたし毎日来る」
「カーラさん、もう五回目ですよ、出たり入ったり」
「いいの。風呂は自由よ」
にぎやかだ。
湯船に背を預けて天井を見上げた。コンクリートの天井。鉄筋入り。もう落ちない。
この世界に来て、最初に作った風呂は五右衛門風呂だった。鉄鍋に湯を沸かしただけ。一人しか入れなかった。
今は百人が同時に入れる大浴場を建てた。三種類の湯。壁画。排水完備。精霊による温度管理。
風呂も——進化したもんだ。
「さて。上がるか」
「親方、もう一回だけ——」
「ガルド、のぼせるぞ」
「もう一回だけ。水風呂の後の熱い方を試したくって」
「ったく……好きにしろ」
冷やした麦酒を一杯。風呂上がりの麦酒。世界で一番うまい組み合わせだ。
竜の湯。
ドラゴンに勝った街の、みんなの風呂。
こいつが——たぶん、俺がこの世界で一番やりたかった仕事かもしれん。
壁を建てるのも、橋を架けるのも、ダムを塞ぐのも、全部大事だ。だがな——人間が一日の終わりに風呂に入って「くぅーーっ」って言える。それが一番大事なことなんじゃねえかと、四四歳の土方は思うわけだ。
……くせえこと言っちまった。湯に当てられたな。寝よう。




