親方、川を下る
朝。ダムの湖に小さな船が浮かんでた。
ガルドが手配してくれた運河の輸送船だ。幅三メートル、長さ十メートルの平底船。帆はなく、流れに乗って下るだけ。
「乗れ。王都までこれで帰る」
棟方組の全員が乗り込んだ。六人と四匹。荷物も積んだ。ルッカの工具箱、エルノの測量ノートの束、カーラの剣、リルの精霊用のおやつ——精霊が何を食うのか知らんが、光る木の実みたいなやつ。
船頭は地元の農夫だ。運河ができてから船頭を始めたらしい。
「親方を乗せて運河を下るなんて光栄ですよ。この運河を作った本人を運ぶんだから」
「大げさだな。普通に漕いでくれりゃいい」
「漕がなくていいんですよ。流れに任せるだけで。勾配がついてますから」
そうだった。この運河は俺が設計した勾配で流れてる。漕がなくても船は進む。自分の仕事に乗って帰るわけだ。
朝のコーヒーを船の上で飲んだ。湖の上で飲むコーヒーは初めてだ。水面に朝日が反射して眩しい。
船が動き出した。ダムの放水口から運河に入る。水がさらさら流れてる。船はその流れに乗って、ゆっくりと南に向かう。
* * *
最初の閘門。
ダムから五キロ地点。コンクリートの箱型の部屋。ルッカが作った鉄の水門が前後に付いてる。
「一基目の閘門です。降りますよ」
船頭が上流側の水門を開けた。船が閘門の中に入る。水門が閉じる。下流側の排水口が開いて、水位が下がり始めた。
船が——下がっていく。
五メートル分、水位が下がった。下流側の水門が開く。船がすーっと出ていく。
「ルッカ。お前が作った水門だぞ」
「はい。——きれいに動いてます。油も差してないのに」
「十年持つって言ったもんな」
「持たせます!」
ルッカが水門を撫でるように見つめていた。自分が鍛造した鉄の扉。こいつが国の物流を動かしてる。
二基目の閘門。三基目。四基目。
一基ごとに五メートル下がる。ダムの湖面からの高低差が、閘門を通るたびに解消されていく。船は階段を下りるように降りていく。
閘門のたびに、岸辺から人が見てる。農夫の子供が手を振ってる。
「おーい! 船が降りてくぞー!」
「すげー! 水が減って船が下がるー!」
子供たちが閘門を見て騒いでる。水が減って船が下がる。子供にとっちゃ魔法みたいに見えるんだろう。魔法じゃない。物理だ。水に浮いてるもんは、水面と一緒に動くだけだ。
だが、そのただ「だけ」が、この世界にはなかった。
五基目の閘門を過ぎた辺りで、穀倉地帯の真ん中に出た。
両岸に緑の畑が広がってる。運河の水が枝分かれして灌漑用水路に流れ込んでる。ダムの水が畑に届いてる。
「親方さん。畑がきれい」
リルが船の縁から身を乗り出してる。水の精霊が運河の水面を泳いでる。楽しそうだ。
対向の船とすれ違った。上流に向かう荷船だ。港から来た塩と魚を積んでる。
「おーい! すれ違うぞー!」
船頭同士が声をかけ合った。運河の幅は十メートル。すれ違える。
「もう荷船が行き来してるのか」
「昨日の開通から三隻目ですよ。商人が待ちきれなかったみたいで」
商人の嗅覚は早い。運河が通った瞬間に船を出してる。馬車で六日が船で二日。しかも積載量が十倍。そりゃ飛びつく。
六基目。七基目。
運河が丘陵地帯に入った。小さな町を通り過ぎる。町の岸辺にコンクリートの船着き場ができてる。ガルドが作ったんだろう。
船着き場に人が集まってた。こっちの船を見てる。
「あの船に乗ってるの、親方だぞ!」
「親方? あの棟方殿か!?」
「運河を作った人だ! おーい! 親方ーーー!」
手を振ってる。百人くらいいる。町じゅうが出てきてるんじゃねえか。
ガルドが船の上で手を振り返してる。こいつ、いつの間にか有名人だ。運河を掘った現場監督として、この辺りじゃ顔が知れてるらしい。
「ガルドさーん! ありがとうー!」
「おう! 運河を大事に使えよー!」
ガルドの声がでかい。岸辺の声に負けてない。
八基目。九基目。十基目——最後の閘門。
ここを越えたら、王都の水路に繋がる。
「最後の水門です」
水門が開いた。船が出た。目の前に——コンクリートの城壁が見えた。
王都ローデン。
「帰ってきた……」
リルが呟いた。精霊たちがぴょんぴょん跳ねてる。
運河が王都の外堀に合流して、南門の水門を通って、市内の水路に入った。そう、ダムの水は運河を通って王都の水道にも繋がってる。水道橋を通って南区画に届く。山の水が、ダムで溜まって、運河で流れて、王都で使われる。
全部、繋がった。
* * *
南区画の船着き場に着いた。
何だこれ。
人が——何百人もいる。桟橋に。広場に。市場の前に。屋根の上にまで。
「何だこの人だかりは?」
「お帰りなさい、棟方殿!」
ヴェルトール伯だ、伯が桟橋に立ってる。
隣にアレクシス王子。レンハルト卿。ハインツ。ダグ。フェルマン。
全員いる。
「伯、何ですかこれは?」
「出迎えです。王国を救った男の帰還を、国を挙げて迎えているんです!」
「大げさすぎるだろ」
「大げさではありません。大型ドラゴン三体の同時襲来で、犠牲者ゼロ。これは国の歴史を変えた出来事です。その立役者が帰ってくるのだ、当然のことだろう」
船が桟橋に着いた。
渡り板が降ろされた。
最初に降りようとしたら、カーラに腕を掴まれた。
「親方、先に降りなさい。あんたが主役なんだから」
「主役とか、そういうの苦手なんだが……」
「知ってる。でも、今は降りな」
降りた。
コンクリートの桟橋を踏んだ。自分が作った桟橋。自分が練ったコンクリートの上。
歓声が湧き立った
「親方おかえり!!!」
「よく帰ってきた!!」
「英雄だ! 王国の英雄だ!」
「英雄じゃねえ! 親方だ!!」
最後の声はハインツだ。こいつ、英雄呼ばわりを訂正してくれた。分かってるじゃねえか。
アレクシス王子が歩み寄ってきた。
「棟方殿。お帰りなさい」
「ただいま戻りました」
「全ての拠点から報告が届いている。犠牲者ゼロ。建物の倒壊ゼロ。この国の歴史上、最大規模のドラゴン襲来を、無傷で切り抜けた」
「壁のおかげです。壁と、壁を守った全員の」
「その壁を建てたのはあなただ」
「俺一人じゃ——」
「分かっている。だからこそ、あなたとあなたの仲間全員に、感謝を」
王子が頭を下げた。
王子が……王族が、俺に頭を下げた。
広場が静まり返った。何百人が見てる前で、王子が土方に頭を下げてる。
「……殿下、頭を上げてください。俺はただの——」
「土方だろう。知っている。だが、この国を変えた土方だ」
頭を上げた王子の目が笑ってた。
……くそ。目にゴミが入っちまった。
なんだって、土方って生き方は、本当に悪いもんじゃねえ。
「親方ーーー!」
群衆の奥から声が飛んできた。聞き覚えのある声。
マルタさんだ。
白髪の小さな婆さんが、人混みをかき分けて出てきた。
「マルタさん。来てたのか」
「当たり前だよ。あんたが帰ってくるってんだから。——お帰り、ムナカタさん」
「……ただいま」
「壁、まだ真っ直ぐだよ。あんたが最初に直してくれた壁」
最初の壁。マルタさんの長屋の壁。割栗石を突き固めて直した、あの壁。
全部、あそこから始まった。
「ありがとう、マルタさん。あの壁が——俺の全部の始まりだ」
マルタさんが笑った。皺だらけの、温かい笑顔。
広場から拍手が起きた。ゆっくりと、大きく。
五百人分の拍手が、南区画の空に響いた。
俺が作った市場の広場で。俺が敷いた水道の水盤の前で。俺が建てた浴場の煙突の下で。
帰ってきた。俺の街に。俺の仲間のところに。
「……さて」
鼻をすすって、言った。
「風呂に入って、飯食って、寝ていいか」
笑いが広がった。
「おう! 風呂は沸いてるぞ!」
ダグの声だ。
「飯も用意してある! 勝ち飯だ!」
ハインツの声だ。
「麦酒は冷やしてあるわよ!」
カーラの声だ。いつ手配したんだこの姐さん。
……ああ。帰ってきた。
帰ってきたんだな。




