親方、帰り道を歩く
防衛壁の補修を終えて、南に下った。
まっすぐ王都に帰ってもよかったが、足が東に向いた。ダムだ。ガルドの現場を見に行きたい。手紙で「やった」と聞いたが、自分の目で見なきゃ気が済まない。職業病だ。
「親方、東に行くの? 王都は西よ」
「寄り道だ」
「寄り道って、東部まで二日かかるじゃない」
「二日くらいいいだろ」
カーラが呆れた顔をしたが、付いてきた。リルも精霊も一緒だ。
* * *
二日後。穀倉地帯に入った。
景色が違う。
前に来た時は、畑が黄色く干からびてた。
土が割れて、苗が枯れかけてた。農夫たちの顔が土色だった。
今は——緑だ。
見渡す限りの緑。麦が穂を出してる。野菜畑が青々としてる。果樹園に実が付き始めてる。水路にさらさらと水が流れてる。ダムの水が畑に届いてる。
「すげえな……」
カーラが馬車の窓から身を乗り出した。
「前に来た時と全然違うわ。畑がいっぱい」
「水があるからな。水さえあれば、畑は応えてくれる」
道沿いの農夫が馬車に気づいて手を振った。
「親方だ! 親方が来たぞ!」
「親方ーーー! 畑見てくれ! 麦がこんなに育ったぞ!」
馬車を止めた。農夫たちが集まってきた。
「見てくれ親方、今年は二期作に挑戦してるんだ。水が年中あるから、春の麦と秋の芋を両方作れる」
「二期作か。いいじゃねえか」
「去年まで一期作で足りなかったのが、今年は倍以上だ。子供に腹いっぱい食わせてやれる」
農夫のおばちゃんが籠いっぱいの野菜を持ってきた。
「親方、これ持ってって。うちの畑でとれたんだ。ダムの水で育てた野菜だ」
「……ありがとう。もらう」
「ありがとうはこっちの台詞だよ。あんたのおかげで畑が生き返ったんだから」
籠の中に、みずみずしい葉物と、赤い実の果物と、太い芋が入ってる。ダムの水で育った作物。
こいつで勝ち飯を作ったら、うまいだろうな。
* * *
ミュール峡谷に着いた。
ダムが見えた。灰色の壁が峡谷を横切ってる。前に見た時は建設中だったが、今は——完成してる。堂々と立ってる。ヒビの補修跡がいくつかあるが、それは勲章だ。ドラゴンの衝撃波を受けて、持ちこたえた証。
ダムの天端に人影が見えた。
でかい影。狼の耳。
「——親方ーーーーー!!!」
ガルドの声が峡谷に反響した。
でっけえ声。山が揺れたのかと思った。
ガルドがダムの天端から駆け下りてきた。全速力。土埃を巻き上げながら。
俺の前で止まった。息が荒い。目が赤い。泥だらけの顔がくしゃくしゃだ。
「親方……! 無事だったか……!」
「無事だ。お前こそ」
「俺も無事だ。ダムも無事だ。運河も——」
ガルドが振り返って、峡谷の向こうを指さした。
運河が見えた。
ダムの下流から南に向かって、コンクリートの水路が真っ直ぐ伸びてる。幅十メートルの立派な運河。途中に——閘門が見える。コンクリートの箱型の構造物が何基か並んでる。
「十基の閘門、全部完成した。運河の全長百五十キロ、全線開通してる。——昨日、最初の船が王都まで登っていった」
「昨日。——俺がいない間に全部やったのか」
「やったぞ。エルノが測量と閘門の設計を全部やって、ルッカが水門を十基分鍛造して、俺が掘削と打設を指揮した。農夫たちも手伝ってくれた。二ヶ月で全線通した」
二ヶ月で百五十キロの運河と十基の閘門。
俺がいなくても。
「……お前」
「なんだ」
「お前、もう一人前の現場監督になったな」
ガルドの目がさらに赤くなった。
「当たり前だ。親方の弟子だからな」
「弟子じゃねえよ。もう」
「え?」
「お前は弟子じゃねえ、仲間だ。——棟方組の現場監督、ガルド。俺の名刺に書いてやりてえくらいだ」
ガルドが固まった。口をぱくぱくさせてる。何か言おうとして、言えない。
「泣くなよ」
「泣いてねえ」
「嘘つけ。いったい何回泣いてんだ」
「数えるのはやめたって言っただろ」
二人で笑った。
ルッカとエルノが走ってきた。
「親方!」
「棟方殿!」
ルッカが駆け寄ってきた。ちょっと背が伸びた気がする。
「親方、水門十基、全部わたしが作りました。一基も水漏れしてません!」
「十基。全部か」
「はい。錫合金の防錆加工も全基に施しました。十年は持ちます!」
「……大したもんだ」
エルノが測量ノートの束を抱えてた。分厚い。
「棟方殿。運河の全線測量データと閘門の設計図をまとめました。同じ規格の運河を他の場所にも引けるように、標準仕様書にしてあります!」
「標準仕様書。——お前、頼んでないのにそこまでやったのか?」
「次に同じものを作る時、棟方殿がいなくても作れるようにすべきだと判断しました!」
俺がいなくても作れるように。
こいつら——三人とも、もう俺がいなくても仕事ができる。運河を設計して、水門を作って、百人の現場を回して、百五十キロの水路を二ヶ月で通した。俺抜きで。
「……お前ら、立派になりやがって」
「親方が育てたんでしょ」
カーラが横から言った。
「俺は使っただけだ」
「また言ってる。使ってくれなきゃ育たなかったのよ、この子たちは」
ガルドが前にも同じことを言ってたな。使ってくれなきゃ頑張りようがなかった、って。
……まあ、そうかもしれん。
* * *
夜。ダムの天端で飯を食った。
農夫のおばちゃんにもらった野菜で勝ち飯を作った。野菜のカツだ。芋と葉物を薄切りにして、衣をつけて揚げた。卵でとじて、粟飯に載せる。
ダムの水で育った野菜で作る勝ち飯。これ以上の縁起物はねえ。
ガルドが四皿食った。カーラの記録を抜いた。
「新記録だぞ、ガルド」
「うめえんだもん。久しぶりの親方の飯だ。二ヶ月ぶりだぞ」
「お前、自分で作ってなかったのか」
「作ったけど、親方の味にならねえんだ。揚げ加減が分からん」
「教えてやるから明日覚えろ。俺がいない時でも食えるように」
「おう!」
冷やした麦酒で乾杯した。ダムの上で。六人と四匹。
夜空に星が出てた。
空の星と、湖の星。二つの空に挟まれて飲む麦酒は、格別だった。
「なあ、親方」
「なんだ、ガルド」
「運河の最初の船が王都に着いた時、船頭が言ってたぞ。『この国は川で繋がった。山の水がダムに溜まって、運河を通って王都に届いて、港に繋がる。一本の水路で国が一つになった』って」
「船頭がそんなこと言ったのか。詩人だな」
「いい言葉だなと思って覚えてた」
「……ああ。いい言葉だ」
山の水が、ダムに溜まって、運河を流れて、王都を通って、港に届く。水が国を繋いでる。
壁が国を守って、水が国を繋ぐ。
俺がやったのは——壁を建てて、水路を掘っただけだ。
だが、その壁と水路が、国の形を変えた。
「さて。明日は王都に帰るぞ。船で」
「船で?」
「運河が通ったんだろ。船で帰る。自分たちが作った運河を通って」
「おお! いいな! 自分で掘った運河に船を浮かべるのか!」
ガルドが目を輝かせてる。エルノも珍しく嬉しそうだ。ルッカが「わたしの水門を通るんですね」と小さく笑ってる。
カーラは「船酔いしないかしら」と心配してる。この姐さん、馬車でも酔わないくせに。
リルの精霊たちが水面をふわふわ飛んでる。水の精霊が嬉しそうだ。明日は運河で泳げるからか。
明日。自分たちが作った運河を船で下って、自分たちが建てた城壁の街に帰る。
いい帰り道だ。
もう一杯だけ飲んで、寝よう。明日は——久しぶりに、仕事じゃない一日になりそうだ。




