親方、朝日を見る
壁の上で寝てた。
目が覚めたら、空が白かった。夜明け前。東の空が薄い紫からオレンジに変わっていく。
全身が痛い。背中がバキバキ。コンクリートの上で寝ると身体中が軋む。四四歳にやっていいことじゃねえ。
身体を起こした。コテがまだ手に握られてた。寝ながら離さなかったらしい。職業病だ。
隣でカーラが丸くなって寝てた。剣を抱えたまま。こいつも壁の上で寝たのか。風邪引くぞ。
壁から降りて、焚き火の残りでコーヒーを淹れた。豆をゴリゴリ挽く音で、リルが目を覚ました。
「……おはようございます、親方さん」
「おう。おはよう」
「ドラゴンは?」
「いねえ、みんな山に帰った」
リルがほっとした顔をした。精霊たちもふわふわ起き上がってくる。土精霊が一番元気で、残りの三体はまだ眠そうだ。精霊にも寝起きがあるのか。
コーヒーを飲んだ。苦い。うまい。生きてる味だ。
* * *
壁の点検をした。
八十メートルの防衛壁を端から端まで歩いた。ドラゴンの衝撃波を十回以上食らった壁。
ヒビの補修跡が合計十二箇所。全部、昨日俺がコテで塞いだ場所だ。補修剤はしっかりくっついてる。ヒビの拡大はない。
壁自体の傾きを確認した。水糸を張って測る。
「……傾きゼロ。動いてない」
アンカーが効いてる。岩盤に打ち込んだ鉄の杭が、壁を微動だにさせなかった。
壁の裏側——里の方を見た。遠くにフェルゲン村のコンクリートの家が見える。防風壁が朝もやの中に浮かんでる。被害は——見た限りではない。
「バルクス隊長。里の被害状況は?」
「斥候を出しました。もうすぐ——あ、戻ってきました!」
斥候の兵士が駆けてきた。息を切らしてる。
「報告します! 麓の集落三つを確認しました! 建物の倒壊——なし! 負傷者——なし! 死者——」
息を呑んだ。
「ゼロです!」
ゼロ。
防衛壁が衝撃波を減衰させて、里に届いた力はフェルゲン村の防風壁と鉄筋コンクリートの家で吸収された。何重もの防御が重なって、最終的に人間に届いた衝撃は——コップが揺れる程度。
バルクス隊長が俺を見た。
「ゼロです、棟方殿。この麓で、竜降ろしの死者がゼロなのは——有史以来初めてです!」
「……そうか」
「はい。今まで、竜降ろしのたびにこの地域では何十人もの犠牲が出ていました。それが、ゼロ」
有史以来初。その言葉の意味が、じわじわと腹に染みてくる。
* * *
午前中。各地からの報告が、精霊のネットワークと早馬で届き始めた。
王都ローデン。
ハインツからの伝令。
『城壁は持ちこたえた。大型ドラゴン一体が北面上空を通過。衝撃波による損傷はヒビ七箇所。全箇所をダグと共に補修済み。北面のドワーフ工法区間は完全に無傷。死者ゼロ。負傷者ゼロ。棟方、あんたの壁はやっぱり化け物だ。——ハインツ』
化け物って言うな。だが——よくやった。
西部要塞。
ヴォルフ大尉からの伝令。
『ワイバーン三体が要塞上空を通過。星型稜堡は傷一つなし。温泉の堀が湯気を上げてワイバーンを困惑させていた模様。兵士の士気は壁と温泉のおかげで高く、全員無事。犠牲ゼロ。——なお、温泉の温度が衝撃波の影響でか少し上がった。兵士たちは喜んでいる。ヴォルフ』
温泉の温度が上がった。衝撃波が地脈に何か影響を及ぼしたのか。物理的にはあり得るが、兵士が喜ぶポイントはそこなのかよ。
レーゲン港。
セドリックからの伝令。
『港にドラゴンは到達せず。念のため全船を消波ブロック帯の内側に退避させていたが、使用せず。灯台は正常に稼働中。船の被害ゼロ。ヨルクがクレーンの点検を完了。全台異常なし。——棟方殿、港は無事です。安心して戻ってきてください。銀尾鯛の刺身を冷やして待ってます。セドリック』
刺身を冷やして待ってる。こいつ、緊急事態にも商人の余裕を忘れないな。
フェルゲン村。
農夫のおっちゃんからの伝言。精霊経由だから短い。
『コップ、落ちなかった。家族みんな無事。親方ありがとう。もう泣かねえ。約束だから』
泣かねえって言ってるが、この伝言を言った時は泣いてたんじゃねえか。
まあいい。約束は約束だ。
そして——東部穀倉地帯。
ガルドからの伝令。
早馬が駆け込んできた。馬から飛び降りた伝令兵が、汗だくで書簡を差し出した。
『親方。ダムは持った。大型一体が上空を通過。衝撃波でダムの表面にヒビが十五箇所入ったが、全箇所を俺が補修した。壁の上を走り回ってコテで塞いだ。親方のやり方をそのまま真似た。エルノが水位を監視して、ルッカが補修材を供給してくれた。三人で守り切った。ダムは無事。水は一滴も漏れてない。農夫たちの畑も無事。死者ゼロ。——親方、俺やったよ。ガルド』
最後の一行で、視界がぼやけた。
「俺やったよ」。
あの万年Fランクの獣人が。冒険者にもなれなかった不器用な男が。コンクリートの壁の上を走り回って、コテでヒビを塞いで、ダムを守った。
「……馬鹿野郎。やれるって分かってたよ」
手紙を握りしめた。コンクリートまみれの手で。
「親方さん、泣いてますか」
「泣いてねえ」
「目が赤いです」
「コーヒーの湯気が目に染みただけだ」
「コーヒーの湯気……」
リルが笑った。カーラも笑った。バルクス隊長まで笑ってる。
全員の報告をまとめた。
王都——死者ゼロ。西部要塞——犠牲ゼロ。レーゲン港——被害ゼロ。フェルゲン村——無事。穀倉地帯——ダム無事、死者ゼロ。防衛壁の麓——死者ゼロ。
王国全土。大型ドラゴン三体、ワイバーン多数が同時に襲来して——犠牲者、ゼロ。
ゼロだ。
一人も死んでない。一軒も潰れてない。
四年前の竜降ろしでは、大型一体で死者三十七人だった。今回は三体来て、ゼロ。
この差を作ったのが何か。
コンクリートの壁。鉄筋。ドワーフの噛み合わせ。消波ブロック。杭基礎。ブロック工法。防風壁。星型稜堡。ダム。そして——それを作った人間たち。
俺一人の仕事じゃない。ガルドがいて、ルッカがいて、リルがいて、エルノがいて、カーラがいて、ハインツがいて、ダグがいて、ヴォルフがいて、セドリックがいて、ヨルクがいて、農夫のおっちゃんがいて。
全員が、自分の持ち場を守った。
* * *
壁の上に登った。
朝日が昇ってきた。グラオス山脈の東の肩から、金色の光が差し込んでくる。
壁にはヒビの補修跡もいくつもあるが、光の中じゃ勲章みてえに見える。
壁の向こうに山がある。ドラゴンの巣がある。
またいつか来るだろう。五年後か十年後か。
だがこの壁がある限り、この壁を守れる人間がいる限り——里は壊れねえ。
南を見た。遠くにフェルゲン村が見える。コンクリートの灰色の家がきらきら光ってる。
西に目をやった。山の向こうに星型の要塞がある。温泉の湯気が上がってるだろう。
東を見た。穀倉地帯の先にダムがある。ガルドが壁の上でコーヒーでも飲んでるだろう。
南の向こうに港がある。灯台の光は朝日で消えてるが、夜になればまた回り始める。
全部、俺たちが作ったもんだ。
全部、立ってる。
「……」
コーヒーを一口飲んだ。朝日の中で飲むコーヒーは、いつもより苦くて、いつもよりうまかった。
カーラが隣に立った。
「ねえ親方」
「なんだ」
「帰ろうよ。帰って、風呂入って、飯食って、寝ましょ」
「……ああ、そうだな」
「帰ったら港の温泉に行くって約束したでしょ」
「したっけ」
「したわよ」
「……したな。行くか」
「うん」
朝日が眩しい。空が青い。風が気持ちいい。
壁を降りた。
帰ろう。仲間が待ってる場所に。
棟方鉄。四四歳。異世界土方。
この国の建物は——もう壊れない。
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