親方、竜の群れを迎え撃つ
来た。
山頂の影が動いた。翼が開いた。空気が震えた。
大型ドラゴン。王都を襲った個体より一回りでかい。翼を広げた幅は百メートルを超えてる。黒い鱗が朝日を鈍く反射してる。
そいつがゆっくりと、山の斜面を滑り降りてきた。
「全員、壁の裏側に退避! 壁から十メートル以上離れろ!」
作業員と兵士が壁の裏に走った。俺は壁の上にいる。
「親方! 降りろ!」
バルクス隊長が叫んでる。
「降りねえ。ここで壁を見る」
「死ぬぞ!」
「死なねえ。この壁が守ってくれる。——俺がそう作った」
コテを握った。バケツを三つ、壁の上に並べてある。コンクリート補修剤。ヒビが入ったら即座に塞ぐ。
カーラが隣にいた。降りろと言ったのに。
「何でいるんだよ」
「あんたが降りないなら、あたしも降りない。——それに、壁の上の方が見える」
「見てどうする。剣でドラゴンは斬れねえだろ」
「斬れなくても、見届ける。あんたの壁が竜を止めるところを」
……好きにしろ。
リルは壁の裏側にいる。精霊と連携して、壁の内部を監視してくれてる。
「親方さん! ノームが言ってます! 壁の力の流れは安定してるって! でもまだ完全に固まってない場所が三箇所あるって!」
「場所は!」
「西寄りの二十メートル付近と、中央と、東寄りの六十メートル付近です!」
覚えた。三箇所。そこにヒビが入る。分かってれば先手が打てる。
ドラゴンが近づいてくる。五百メートル。三百メートル。
地面が揺れてる。翼を打つたびに、風が波のように押し寄せてくる。
百メートル。
でけえ。山が動いてるみたいだ。黒い壁が空を覆う。
口が開いた。喉の奥が赤く光った。
「ブレスが来る! 伏せろ!」
壁の上に伏せた。カーラが俺を庇うように覆い被さった。
ブレスが壁の手前の地面に着弾した。轟音。熱風。地面が溶けた。
壁には直撃してない。ブレスの余波が壁面を舐めた。コンクリートの表面が少し焦げたが、構造に影響はない。
そして——衝撃波が来た。
ドラゴンが壁の上を飛び越えた。
百メートルの翼が空気を割く。
暴風、轟音――世界が揺れた。
壁が、受けた。
バンッ!!!!
八十メートルの壁全体に、衝撃波がぶち当たった。壁が震えた。足元がガタガタ揺れた。
だが——立ってる。
壁は立ってる。
十メートル、厚さ三メートルのコンクリートの塊が、ドラゴンの衝撃波を正面から受けて、踏ん張ってる。アンカーが岩盤を掴んでる。鉄筋が力を分散させてる。控え壁が背中を支えてる。
「耐えた……!」
バルクス隊長が壁の裏で叫んだ。
「壁が耐えたぞ!!」
兵士たちから歓声が上がった。だがまだ早い。
「リル! 壁の状態!」
「西寄りにヒビ二本! 中央にヒビ一本! 東は——無事です!」
予想通りだ。固まりきってない三箇所のうち二箇所にヒビが入った。
走った。壁の上を西に向かって走る。
ヒビが見えた。壁の表面に走る灰色の線。深さは——指で触る。三センチ。表面だけだ。鉄筋までは届いてない。
コテでコンクリートを塗り込んだ。ヒビを埋める。三十秒。
中央に走る。ここのヒビはもう少し深い。五センチ。火の精霊に硬化を促進してもらいながら、厚めにコンクリートを詰めた。一分。
「二箇所、補修完了!」
「親方さん、ドラゴンが旋回してます! 二回目が来ます!」
振り返った。北の空でドラゴンが巨体を翻してる。こっちに戻ってくる。
二回目。
「来い。何回でも受けてやる」
衝撃波。
バンッ!!!!
壁が震えた。だが一回目より揺れが小さい。コンクリートが少し固まって、強度が上がってるんだ。時間が経つほどこっちが有利になる。
「ヒビは!」
「さっき補修した場所は無事です! 新しいヒビが東寄りに一本!」
走った。東へ。ヒビを見つけて塗った。二十秒。
三回目の衝撃波。壁は揺るがない。
四回目。五回目。
そのたびに壁の上を走って、ヒビを見つけて、塞いで、次に備える。王都の竜降ろしの夜と同じだ。あの夜と同じことを、もっとでかい壁の上でやってる。
六回目の後、ドラゴンが咆哮を上げた。苛立ってる。壁が壊れない。通過しても里が壊れない。何度やっても同じ。
「もう一体、来ます!」
カーラが叫んだ。
東の山の稜線から、二体目のドラゴンが姿を現した。一体目より少し小さいが、それでもでかい。
二体同時。
「二体……」
「親方、壁は二体分の衝撃に耐えられるのか」
「——耐える。三メートルの壁だ。一体分が二体分になっても、壁の強度は変わらねえ。衝撃波が重なっても、壁が受け止める力は十分ある」
言い切った。計算上は正しい。だが計算通りにいかないのが現場ってもんだ。
二体が同時に壁の上を通過した。
衝撃波が——二重に来た。
今までで一番でかい衝撃。壁が軋んだ。足元が激しく揺れた。立ってるのがやっとだ。
カーラが俺の腕を掴んで支えてくれた。
「親方! 落ちるな!」
「落ちねえ! ——リル! 壁は!」
「耐えてます! ヒビが五本増えましたけど、全部表面だけです! 鉄筋は無事! アンカーも動いてない!」
耐えた。二体同時の衝撃波に、耐えた。
「よし。塞ぐぞ」
壁の上を走った。五箇所のヒビを、一箇所ずつ塞いでいく。コテとコンクリートだけの仕事。地味だ。だがこの地味な仕事が、壁を生かし続けてる。
* * *
二体のドラゴンが何度も旋回して壁を叩いた。七回。八回。九回。
壁は立ち続けた。
俺はその間ずっと壁の上にいた。走って、塞いで、走って、塞いで。バケツのコンクリートが空になったら、リルが壁の裏からロープで新しいバケツを引き上げてくれた。
十回目の通過の後、二体のドラゴンが高度を上げた。旋回が大きくなった。遠ざかってる。
「引いてくのか……?」
カーラが空を見上げた。
二体のドラゴンが東に向かって飛んでいく。壁を越えられないと悟ったのか。別のルートを探しに行ったのか。
「東に行ったら穀倉地帯だ。ダムがある。——ガルド」
心臓が跳ねた。ガルドがいる。ダムの現場に。
「リル! 精霊で東の状況を探れるか!」
「ノームに聞いてみます。——遠すぎて直接は分かりませんけど、ノームの声を聞いて……」
十分後。リルが目を開けた。
「東のノームから伝言です。『大きいのが来たけど、でかい壁が受け止めた。壁の上に狼の耳の男がいて、コンクリートのバケツを持って走り回ってる』って」
壁の上に狼の耳の男。コンクリートのバケツ。
ガルドだ。
あいつ、ダムの上でやってやがる。俺と同じことを。壁の上をコテ持って走り回って、ヒビを塞いでる。
「……馬鹿野郎。壁の上は危ねえっつっただろ」
「親方も壁の上にいるじゃないですか」
「俺はいいんだよ」
「よくないですよ」
リルが少しだけ笑った。泣きそうな笑いだ。
さらに報告が来た。
「西のノームからも伝言です。『星の形の壁が震えたけど、壊れなかった。温かい水の堀が湯気を上げてる。兵士たちが壁の上で叫んでる』って」
西部要塞。ヴォルフの守備隊。星型の壁が持ちこたえた。温泉の堀が湯気を上げてる。あの要塞は落ちない。
「南のノームは……『海の変な形の石が波を砕いてる。大きな翼の風は来てない。海は静かだ』って」
レーゲン港。ドラゴンは南には来なかったらしい。消波ブロックは波しか来てない。
「フェルゲン村のノームは……『灰色の家の中に人がいる。揺れたけど、コップは落ちなかった』って」
コップが落ちなかった。
あの村の家は、ワイバーンの通過でもコップが落ちなかった。今回も同じだ。
全部——持ってる。
王都も。要塞も。港も。村も。ダムも。全部が、持ちこたえてる。
「……全部、守れてるのか」
「はい。全部守れてます。親方さんが建てたもの、全部」
リルの声がうわずってた。泣いてる。いい涙だ。
* * *
夕方。ドラゴンが山に帰っていった。二体とも。壁を越えられず、里を壊せず、北に戻っていった。
壁の上に座り込んだ。全身コンクリートまみれだ。手がコテの形に固まってる。膝が笑ってる。三日寝てない。
バルクス隊長が壁の下から見上げた。
「棟方殿。——壁が竜を止めました」
「ああ。止めた」
「死者は」
「ゼロだ。こっちはゼロ。——他の拠点も、たぶんゼロだ」
「……」
バルクス隊長が敬礼した。周りの兵士も敬礼した。作業員たちが壁を見上げて、拍手してる。
「親方!!」
「親方すげえ!!」
「壁が竜を止めたぞ!!」
五十人の声が山の麓に響いた。
カーラが隣に座った。剣を膝に置いて、息を整えてる。
「親方。結局、剣は一回も振らなかったわ」
「だろうな。壁が仕事してくれたからな」
「壁が戦って、あんたが壁を守って。——勇者より格好いいわよ、あんた」
「……やめろ。照れる」
「あはは。照れた」
うるせえ。
壁に手を当てた。まだ温かい。コンクリートの硬化熱と、ドラゴンのブレスの余熱と、俺が走り回った体温が混じってる。
この壁は、完璧じゃない。ヒビだらけだ。補修跡がいくつもある。見た目は汚い。
だが——立ってる。
守ってる。
これが、俺の仕事だ。
「さて。……飯にするか」
「親方、今なら何杯でも飲んでいいか」
「好きなだけ飲め。今日は——無制限だ」
「マジか!」
バルクス隊長が酒を持ってきた。冷やしてない温い麦酒だが、今日はこれでいい。
杯を掲げた。
「壁に乾杯だ。この壁と、全国の壁と、壁を守った全員に」
「「「壁に!」」」
五十人の声と、遠くの精霊たちの光と、夕日に照らされた灰色の壁。
……最高だ。




