親方、山の麓に壁を建てる
グラオス山脈の南麓。王都から北へ二日。
山が近い。見上げると首が痛くなるほどの岩壁が、空を覆ってる。山の向こうにドラゴンがいる。今も地鳴りが断続的に響いてて、地面がかすかに振動してる。
麓に着いた時、既に王宮が手配した作業員五十人と兵士三十人が待機してた。テントが並んでる。資材——石灰岩、砂、砂利、鉄筋——が山積みになってる。
「棟方殿。お待ちしておりました」
現場の指揮官はバルクス隊長だった。北の砦から移動してきたらしい。
「バルクス隊長。久しぶりだな。砦の時以来か」
「はい、あの時は城壁を直していただいた。今度は——壁を建てるんですな」
「ああ、ドラゴンが降りてくる前に、ここに壁を立てる」
朝のコーヒーを飲みながら、地形を歩いた。
山脈の南側。山から平地に変わる境目。傾斜がきつい岩場を抜けると、緩い裾野が広がって、その先に穀倉地帯とフェルゲン村がある。
ドラゴンが山を降りたら、ここを通って平地に出る。翼の衝撃波はこの裾野を吹き抜けて、里を襲う。
だがこの裾野に——地形の変わり目がある。
「リル。精霊にこの辺の風の通り道を調べてもらえるか」
「はい。——シルフが言ってます。山から吹き下ろす風は、この辺りで地形に沿って集まるそうです。あの岩山とあの岩山の間が、谷みたいになってて、風が絞られるって」
風が絞られる場所。漏斗の口みたいな地形だ。山から来る風——ドラゴンの衝撃波も含めて——がここで集中する。
逆に言えば、ここを塞げば風の大半を止められる。
「ここだ。この絞りの位置に壁を建てる」
エルノがいない。測量は——俺がやる。
水糸と分度器を取り出した。両側の岩山の間の距離を測る。目測と足の歩数で概算。
「幅は約八十メートル。ここに防衛壁を一枚、高さ十メートルで立てる」
「十メートル。城壁より高いですな」
「城壁は人間を防ぐ壁だ。こいつはドラゴンの衝撃波を防ぐ壁だ。規模が違う」
バルクス隊長が壁の予定位置を見渡した。
「二週間で八十メートルの壁を。——棟方殿、率直に訊く。間に合うのか」
「間に合わせる」
「ははっ……あんたが言うと信じられますよ」
ありがてえが、プレッシャーもでかい。
* * *
壁の設計。
この壁に必要な機能は一つだけ。ドラゴンの衝撃波を受けて、減衰させること。
城壁みたいに人が上で戦う必要はねえ。要塞みたいに長期間守る必要もねえ。ドラゴンが通過する時の衝撃波を、この壁で半分以下に削ればいい。
だから設計は単純にした。分厚くて、重くて、倒れない壁。
「厚さ三メートル。高さ十メートル。鉄筋コンクリート。基礎は岩盤にアンカー。——これだけだ」
「これだけ?」
「これだけだ、飾りはいらねえ。星型にする必要もねえ。射撃用の足場もいらねえ。ドラゴン相手に弓は効かねえからな。ただの壁。ぶ厚くて、重くて、どんな力でも倒れない壁」
単純な壁。
だがその単純さに、この世界で積み上げてきた全ての技術と経験をぶち込む。
基礎。
岩盤にアンカーを打ち込む、要塞で使った工法だ。
壁が地面からずれねえように、山と一体化させる。
壁の内部構造。
鉄筋をドワーフの噛み合わせの原理で配置する。
縦筋と横筋を互い違いに組んで、衝撃を全方向に分散させる。
王都の城壁で学んだ技術だ。
壁の表面。
コンクリート被覆を厚めに打つ。投石機の石にも耐えた工法だ。
ドラゴンのブレスが来ても表面が溶けるだけで、中の鉄筋まで届かねえ。
壁の背面。
フェルゲン村の防風壁と同じ考え方で、壁の裏側に小さな控え壁を付ける。
衝撃波で壁が押された時に踏ん張る脚だ。
「今まで作ってきた全部を、一枚の壁に詰め込む。アンカー、鉄筋、コンクリート被覆、噛み合わせ、控え壁。——集大成だ」
カーラが腕を組んで聞いてた。
「あんたが今まで建てたものの、全部入りね」
「全技術投入、出し惜しみなしだ」
「いつも出し惜しみしてないじゃない」
「今回は特別に出し惜しみしない」
「何が違うのよ」
「……気合だ」
カーラが笑った。
* * *
建設開始。初日。
まず基礎。八十メートルの壁の底面全域に、アンカーを打ち込む。岩盤はここにもある。山の麓だから当然だ。硬い花崗岩。鉄の管を木槌で叩いて穴を穿ち、アンカーを差し込んでコンクリートで固定する。
五十人の作業員が一斉にアンカーを打つ。ドスン、ドスン、ドスンと金属の音が麓に響く。
リルの精霊がフル稼働。土精霊が岩盤の状態を監視。水の精霊がコンクリートの水分を管理。火の精霊が硬化を促進。風の精霊が作業員の安全を確保。
「精霊たち、張り切ってます。ノームが言ってます——『この山は守る。ドラゴンなんかに壊させない』って!」
「精霊も怒ってんのか」
「ドラゴンは精霊にとっても天敵なんだそうです。精霊が長い時間かけて育てた森や川を、ドラゴンが壊すから」
なるほど。精霊にとっても、壁を建てる理由があるわけだ。
二日目。
基礎完了、アンカー二百本。岩盤と壁がでっかい鉄の爪で繋がった。
三日目から壁の本体を打ち始めた。型枠を組んで、鉄筋を配置して、コンクリートを流す。二メートルずつ打ち上げていく。
地鳴りが日に日に強くなってる。足元がずっと揺れてる。
「親方、揺れがきつくなってきてるぞ」
「知ってる。だが手は止めるな」
城壁工事の時にも言った台詞だ。揺れてる間もコンクリートは固まる。手を止めた分だけ壁の完成が遅れる。
四日目。壁の高さ四メートル。
五日目の夜。北の空が赤く光った。ブレスだ。山の向こう側で、ドラゴンが火を吐いてる。
作業員が手を止めた。北を見て、顔が蒼白になった。
「手を止めるなっつっただろ!」
俺の声だけが響いた。
「あの光は山の向こう側だ、まだ来てねえ。来る前に壁を建てる。建てなきゃ里が丸裸だ。——コンクリートを練れ。型枠を組め。手を動かせ!」
作業員たちが動き始めた。顔は怖い、手は震えてる、だが動いてる。
バルクス隊長が兵士たちに指示を出した。
「持ち場に付け。棟方殿の壁を守るのが我々の仕事だ。——あの壁が完成すれば、里が守れる」
「「「了解!」」」
兵士の声が夜の山に響いた。
七日目。壁の高さ六メートル。
十日目。八メートル。あと二メートル。
地鳴りが常時になった。もう止まらない。空気がびりびり震えてる。鳥が一羽もいない。動物が全部逃げた。
山の向こうの赤い光が、毎晩強くなってる。近づいてる。
「あと四日だ。四日で十メートルに届かせる!」
「間に合うのか、親方?」
「間に合わせる!」
何回目のセリフだか分かんねえが、何回目でも言う。
十二日目。九メートル。
十三日目の朝。コーヒーを飲んでたら、山の頂上に影が見えた。
でかい影。翼を広げた巨大な影。
「……来やがった」
まだ山頂にいる。降りてきてない。だが——見えた。
「あと一メートル! 急げ!」
最後の一メートル。コンクリートを流し込む。鉄筋を差す。型枠を押さえる。
昼過ぎ。十メートルに届いた。
「——届いた」
八十メートルの壁が、山の麓に立った。厚さ三メートル。高さ十メートル。灰色のコンクリートの壁が、二つの岩山の間を塞いでる。
山の頂上の影が、ゆっくり動いてる。こっちを見てるのか。
壁の前に立った。
コテを握った。壁面を撫でた。まだ温かい。打ちたてのコンクリート。完全には固まってないが、十メートルの壁は自分の重さで立ってる。
「固まってなくて大丈夫なのか」
バルクス隊長が訊いた。
「重力式だ。自分の重さで踏ん張る。コンクリートが完全に固まらなくても、三メートルの厚さの壁はそう簡単に倒れない。——それに」
山を見上げた。影が動いてる。ゆっくりと、こちらに向かって。
「もう時間がない。固まるのを待ってる暇はねえ」
「……来ますな」
「ああ、来る」
カーラが壁の上に立った。剣を抜いた。風が髪を揺らしてる。
「親方。いい壁だわ。足元が頼もしい」
「褒めてくれるのは嬉しいが、壁の上で戦うなよ。この壁は戦闘用じゃない。衝撃波を受けるだけの壁だ。お前は壁の裏に回れ」
「やだ。壁の上の方が見晴らしがいい」
「……好きにしろ」
リルが精霊たちと最後の確認をしてる。
「精霊たち、準備できました。——親方さん、来ます」
山の頂上の影が、翼を広げた。
とんでもなくでかい。前回の竜降ろしの個体よりさらに大きいんじゃねえか。
こいつが降りてくる。この壁で受ける。
コテを握り直した。
「さあ——仕事だ」




