親方、水門を仕込む
ダムが完成して二週間。
灌漑が始まった穀倉地帯は、もう別世界だ。
畑が緑に変わっていく。干からびてた土が黒く湿って、芽が出始めてる。
農夫たちが朝から晩まで畑に出てる。表情が二週間前と全然違う。
朝のコーヒーを飲みながら、次の仕事の図面を引いてた。
運河だ。
王都ローデンと南のレーゲン港を水路で繋ぐ。今は馬車で六日かかる距離を、船なら二日で運べる。物流が三倍速くなる。
港の魚が新鮮なうちに王都に届く。
王都のコンクリートや鉄筋が安く港に届く。
これは、国の血管を作る仕事だ。
「親方、運河ってのは要するにでかい水路だろ。排水路の特大版じゃねえのか」
ガルドがコーヒーを飲みながら訊いた。こいつもコーヒーの淹れ方が上手くなった。俺より丁寧に淹れやがる。
「基本はそうだ。だが排水路と違って、船を通す。幅十メートル、深さ三メートルの水路を、百五十キロ引く」
「百五十キロ……」
「でかいだろ。だが一番の問題は距離じゃない。高さだ」
「高さ?」
「王都と港の間に標高差がある。王都の方が高い。水は高いところから低いところに流れるから、放っておくと王都の水が全部港に流れちまう。運河の水がなくなる」
「じゃあ船はどうやって——高いところに上がるんだ。水が流れ落ちる方向にしか進めないんじゃ」
「そこが腕の見せどころだ」
* * *
全員を集めた。ダムの現場に残ってる作業員と技術官。農夫たちも何人か来てる。
「運河の最大の課題は高低差だ。王都から港まで、約五十メートルの高低差がある。船が五十メートルの坂を登れるわけがない」
「じゃあ無理なのでは——」
「無理じゃない。船を階段で登らせる」
「階段? ……船を?」
地面に図を描いた。
「閘門だ。水の部屋を作って、その中で船を上げ下げする」
こう描いた。運河の途中に、前後に水門がある小さな部屋を作る。
「まず下流側の水門を開けて、船を部屋に入れる。水門を閉じる。次に上流側から水を部屋に入れる。水位が上がる。船も一緒に上がる。上流側の水門を開ける。船は上流の水面と同じ高さにいるから、そのまま出ていける」
沈黙が続く。
「……水を入れるだけで、船が上がるのか」
「ああ、船は水に浮いてるだろ? 水面が上がれば船も上がる、当たり前のことだ」
「当たり前……?」
「風呂に木の桶を浮かべて、湯を足したら桶が上がるだろ。あれと同じだ。部屋を大きくして、桶を船にしただけ」
カーラが手を叩いた。
「風呂……そうだわ、風呂と同じなのね!」
「……まあ、簡単に言うとそうだ」
「やっぱり、全部風呂に繋がるのよ!」
繋がらねえよ、たとえだよ。
だが、風呂のたとえで全員が理解した顔になった。カーラが一番有能な瞬間かもしれん。
「この閘門を、高低差のある場所に何段か設ける。一段で五メートル上がるとして、十段で五十メートル。船が階段を登るように、一段ずつ上がっていく」
「船の階段……」
エルノが即座にノートに図を描いた。
「つまり、高低差五十メートルを十段の閘門で均等に分割。各閘門の水位差は五メートル。必要な水量は各閘門の容積と水位差から計算して——」
「エルノ、計算は後だ。まず実物を一段作って見せる」
* * *
ダムの放水口の下流に、試作の閘門を一基作った。
幅十二メートル、長さ二十メートル、深さ五メートルのコンクリートの箱。前後にルッカが作った鉄の水門。上流側にダムの水を引く管。
三日で完成。小規模だからこんなもんだ。
「試運転するぞ。——セドリック!」
レーゲン港から、わざわざセドリックを呼んでた。
港の小型船を一隻持ってきてもらった。
「棟方殿、この船をどうするので?」
「あの部屋に入れる。そして——五メートル持ち上げる」
「五メートル!? 船を!?」
「まあ、見てろ」
下流側の水門を開けた。船が閘門の中に入る。水門を閉じる。船は箱の中にぽつんと浮いてる。
「上流から水を入れろ!!」
ダムからの管の栓を開いた。水が閘門の中にどんどん流れ込む。水位が上がり始めた。
船が——上がり始めた。
「「「「おお……!!!」」」」
見物してた全員の目が釘付けになった。
船が浮いたまま、水面と一緒にゆっくり上がっていく。
一メートル。二メートル。三メートル。
「上がってる! 本当に船が上がってるぞ!」
「水が増えてるだけだ! 船は浮いてるだけだ!」
「浮いてるだけなのに上がるのか!?」
四メートル。五メートル。上流の水面と同じ高さになった。
上流側の水門を開けた。船がすーっと上流に出ていった。何事もなかったかのように。
セドリックが船の上で固まってた。
「……今、私の船は五メートル上がったのか」
「ああ、上がったな」
「水を入れただけで」
「水を入れただけだ」
「……」
セドリックが船の舷を掴んで、しばらく黙ってた。それから振り返って、でかい声で叫んだ。
「これがあれば——港から王都まで、船で直接行けるぞ!」
商人の目だ。物流の革命が見えたんだろう。
「そうだ。閘門を十段作れば、高低差五十メートルを越えて、船が王都まで登れる。帰りは水に乗って下るだけだ」
「馬車で六日が——」
「船で二日。しかも積載量は馬車の十倍以上だ」
セドリックの目が銀貨を通り越して金貨のマークになった。
* * *
閘門の試作が成功した翌日、王都から早馬が来た。
アレクシス王子からの緊急書簡。
『グラオス山脈で異常が発生。複数のドラゴンが同時に活動を開始した模様。斥候の報告では、大型が二体以上確認されている。至急帰京されたし』
大型が二体以上。
前回の竜降ろしは一体だった。
それでも王都の壁の上を走り回る羽目になった。二体以上が同時に来たら——
「親方、王都に戻るのか」
ガルドの声が硬い。
「ああ、戻る。——だが、運河の工事は止めねえ」
「止めない? でも親方がいなくなったら——」
「お前がやれ」
ガルドが固まった。
「……俺が?」
「運河の掘削は排水路と同じ手順だ。お前は百人の現場を回せる。閘門の構造はエルノが計算して、水門はルッカが作る。お前は全体を指揮して、コンクリートの品質を管理して、工程を回せ」
「でも——」
「でもじゃねえ。お前は棟方組の弟子じゃなく、現場監督だ。もうとっくにそうなってる。自覚がなかっただけだ」
ガルドの目が泳いだ。不安と、覚悟が入れ替わってるみてえに。
「……分かった。やる、やってみせる!」
「やってみせるじゃねえ、やれ。俺が帰ってきた時に運河ができてなかったら、堀に叩き込む。——冗談だ。信じてるから、全部任せる」
ガルドの目が赤くなった。泣くかと思ったが、こらえた。
代わりに、でかい声で言った。
「任せろ、親方! 運河は、俺が掘る!!」
「おう。——エルノ、ルッカ、ガルドを支えてやってくれ!」
「はい、計算は任せてください!」
「水門は何基でも作ります!」
ガルドとエルノとルッカを運河の現場に残す。俺はリルとカーラを連れて王都に戻る。精霊の力はドラゴン対策に要る。カーラは——まあ、俺が使える唯一の戦力だ。
「ガルド」
「なんだ」
「困ったら手紙をよこせ。——だが、たぶんお前は困らない」
「……おう!!」
翌朝。馬車に乗った。
振り返ると、ダムの灰色の壁が朝日で光ってた。その手前にガルドが立ってる。でかい背中だ。最初に会った時は、冒険者になれないぶきっちょな獣人だった。今は——現場監督だ。
「親方、ガルドさん大丈夫ですかね」
リルが心配そうに訊いた。
「大丈夫だ。あいつは俺より丁寧な仕事をする。手が遅い代わりに、雑なことをしない。現場監督向きだ」
「そうですね。——でも寂しいですね」
「すぐ戻る。それより、北の状況が気になる。リル、精霊に何か聞こえるか」
「ノームが……山が揺れてるって言ってます。前の竜降ろしの時と似てるって。でも、もっと大きいって」
もっと大きい。
大型が二体以上。もっと大きい揺れ。
嫌な予感がする。いや、予感じゃない。確信だ。
でっけえのが、来る。
「カーラ」
「何だい、親方」
「剣の手入れはしてあるか?」
「いつでも抜ける。——来るのね」
「来る。たぶん——今まで一番でけえのが」
カーラがかかっと笑った。
「でも、あんたの壁が守ってくれるんでしょ」
「守る、絶対に守る。——だが、壁の上で戦う奴も要る」
「それが、あたしの仕事さ」
馬車が西に向かう。王都に。北の山の向こうで、何かが動いてる。
コーヒーを水筒から一口飲んだ。苦い。頭が冴える。
さあ。最後の仕事だ。




